2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

冬が終わる

2008年01月29日 | ひとりごと
住宅の仕事が2件終わる。
新しい住宅の現場が3件始まり、設計の仕事も始まり、月が変われば春。4月7日には桂離宮の見学が待っている。良い花見にしたいものだ。

スコッチハウスアップル

2008年01月19日 | ひとりごと
昨日の晩、仕事の帰りにスコッチハウスアップルに立ち寄る。
偶然クライアントに遭遇、午前様に。
こちらもこの店とは長い付き合いだとか。今まで一度も会ったことが無いのが不思議ではある。そういえば別のクライアントは結婚式の二次会を2階で開いたとのこと。設計事務所の開設レセプションもこちらの2階で開いた。

スコッチハウスアップルは前橋でも古い店になってしまった。
マンハッタンが店を締めたあとバーとしては最古参ではないか。もっとも経営者は代替わりして若いマスターががんばっている。
始めてこの店に来たのはもう30年も前のことで定かではない。

もともと敷島公園でAPPLEという喫茶店が始まりだ。ビートルズのアップルレコードのコピーのような赤いロゴだったが一世を風靡したものだ。敷島公園の周囲はまだ牛が放牧されているようなころだったと記憶している。なにしろWCが汲み取りだった。
たまたま町内の看板屋さんにアルバイトで図面を書くことを頼まれたのだが飲食店設計としては第一号ということか。

当時店には高校の後輩が勤めていてマスターの妹と結婚して二人で店に出ていたのだが今度はその縁で当時出来立てだったスコッチハウスアップルの外観パースを頼まれたのがきっかけでこの店に通うようになる。

当時は酒を飲むといえば勤め先の宴会であったり、喫茶店でコークハイを飲むといった程度しか飲んだことが無かったのだがカウンターのバック棚にはスコッチなどがずらりと並び、大人の世界に迷う込んだかのようであった。テーブルチャージが400円、オールドのキープが5000円、スコッチのスタンダードが6000円であったと思う。BGMにはブレンダリー、ハイファイセット、サンタナなどが流れていた。

最初は一階のカウンタープラスボックス席2つの小さな規模であったからすぐ常連同士仲良くなった。泊りがけで長野のペンションに徒党を組んで遊びにも行った。いまだに付き合いが続いているし、何人かの人から設計の注文もいただいた。しかし東和銀行の行員だったkさんをはじめ幾人も友人が鬼籍に入ってしまった。
本業の仕事の方は慣れたのと飽きたのとでやや停滞気味だったがこの時期遊びまわったことがその後の進路を決定つけたともいえる。

前マスターは戦前には前橋を代表する呉服屋の跡取りであったが、洋装に服装が変化することによって跡を継がずに証券マンから飲食業を立ち上げた人だった。
根っからの商人であったが休日には営業接待をかねてよく新しい店や、ショーなどに誘ってくれた。思い出には六本木の「金魚」これは前橋ではとても見られないものだ。

付き合いが途切れたりした時期もあったが断続的に付き合いが続いている。その間「林檎亭」、「スコッチハウスアップル2階内装」、「敷島アップル改装」、「スタンディングバーアップル」と貴重なリピーターであるし、設計事務所を開業し、経営者の端くれとなった今、接客や経営の勉強をさせていただいたことと思う。

60歳で引退するといって本当に店を従業員に渡し、(これにはずいぶん反発したのだが)楽隠居となったのかと思っていたら体調を崩し引きこもっていたのでずいぶん心配したがまた元気な姿を見せるようになった。
今度は客席で飲みたいものだ。





新年会

2008年01月18日 | ひとりごと
今年は新年会は3回。
まず1月12日、JIAのメンバーの自宅にお邪魔して男3人で鍋を囲む。
鯛を1尾丸ごと入れる。うろこを始末してわたもきちんと処理できる人が居たので美味しくいただく事が出来た。偏頭痛の調子が今ひとつなので酒のほうは加減した。
1月17日、同友会前橋支部の一月例会、テルサで開かれる。年等の決意表明を銘々がする。元気が出る。同日、建築士会の新年会が同じテルサで開かれたがはしごをするわけにはいかないのでこちらは失礼する。同じく事務所協会の新年会が1月21日にあるがこちらも欠席。1月25日はJIA群馬クラブの新年会。こちらは出席する。合計3回。手術のせいもあり酒の席を控えていたら結構飲みたくなくなるものだ。


寒い

2008年01月14日 | ひとりごと
昨日は強風下、地鎮祭。紅白の幕のちぎれそうでお榊も飛んでいきそう。
赤城おろしというが空っかぜは正確には榛名のほうから吹くようだ。
年明け早々建築確認申請を3件提出、早くも2件は確認を受ける。
それにしても急に冷えこんだ。いよいよ真冬だ。

前橋初市

2008年01月11日 | ひとりごと

1月9日は前橋初市。
町内では本町通りを交通規制して多数の露店が出る恒例行事。これが終わるといよいよ今年も本格的に仕事。

八坂神社のみこしの渡御や甘酒の販売などたいへん忙しい。もっとも不義理してここのところ参加していない。
町名変更というのは微妙なもので、もともとの住所は連雀町なのだが昭和40年代の町名変更で本町2丁目となってしまった。それと事務所勤務が長かったので開業してから改めて町内の付き合いに参加ということでどうも町内への参加が消極的になってしまったところがある。

町村合併で旧自治体での行事も変容していくのだろうが自然発生的でない行政上の事情だけでコミュニチィの枠組みをいじると後に結構後々まで影響が残るのだと思う。まあサボっているこじつけだが。


ブログで年越し

2008年01月01日 | ひとりごと
あと25分足らずで本当に今年も終わり。
事務所のホームページを新年向けに編集するのが大晦日の習慣となってしまった。
来年は56歳である。いよいよ収穫の10年と行きたい。

まずあと五年は現在の体制で突っ走る。両親がすこぶる健康なのが心強い。
廻りでは既に介護の話やその先の話で持ちきりである。

あとの5年はその後の5年の結論を出さなくてはならない。
事務所を所員に譲るにしても閉めるにしても一番良い形を選びたい。

現在は過去の蓄積と、まだある体力と好奇心で何かが出来る状態だ。
自分にとって稔りある人生といえるかどうかの瀬戸際に来てしまった。

自分が私淑する過去の建築家はこれから先の年齢で代表作を手がけている。
物分りの悪い老人になろう。
村野藤吾のような不思議な色気のある建築の設計が出来れば本望である。
若いころは吉村順三のようなスマートな作風が好きだったがだんだんと吉田五十八や村野藤吾のような頭だけでは理解できない建築に興味を覚える。

最近では出江寛である。
その出江さんがJIAの会長になった。
本来なら作家として全うして欲しいのだがよほどのことである。
JIAも東京地区の官、民、ゼネコン人脈だけで固まっているきらいがあるので関西からの風で風通しを良くして欲しいものだ。

とだらだら書いていたら後10分。

最近の作家にはあまり興味をもてない。
地方のしがらみにどっぷり浸かっているせいかもしれない。
薄れたとはいえ建築の歴史も目に見える。
グローバルな視点からみれば一地方の歴史にこだわることなど無意味なことかもしれないが現に時間がつながっているのだ。

地方から東京に出た人は出生地での歴史とは断絶した形で東京で漂っているのか。
実体のない都会ではある。
一方そうはいっても東京になったのはつい100年ほど前の話だから東京人にはまた別の思いがあるのかもしれない。
いずれにしてもその立場にならなくてはわからないから想像である。

あと3分
いよいよ平成19年、西暦2007年が終わる。
時間はいろいろな想い等考えずどんどん進む。
立ち止まりつつ考え、走りながら考えよう。

いよいよ新年だ。