2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

今年最後のバラ

2007年10月28日 | ひとりごと

今年最後のバラは香りが高かった。最後の自己主張か。
今年葉ダニにやられ水洗いだけでしのいだのだが、薬剤なしでバラの面倒を見るのはたいへん。
いつのまには鉢が増えてきた。水を切らすとあっという間にだめになってしまう。
そこがまたいとおしいのだ。

赤福と耐震偽装

2007年10月21日 | ひとりごと

赤福の本社は伊勢神宮の門前町にある。付近一帯は歴史的景観を大事にした観光地でもある。伊勢神宮に参拝したことがあるがこの時どうしても「赤福」と賢島の志摩観の「あわびのステーキ」がどうしても食べてみたくてその思いを果たした。関西方面にでるとかならずお土産にしていた。

ところが今回の不祥事、「赤福おまえもか」の感が強い。
和菓子は大好きだから国領町の「たむら園」の饅頭は自分で買いに行く。ここは親父が一人でこねている店。当人には居酒屋であったことがあるから人柄はわかるし友人の何人かは双方しっている。結局顔がわからない商売って建築だけでなく目先に追われるものだなと思う。

考えてみると牛や豚が実際に飼育されているところ、またされ、解体されるところ、など普通見ることは出来ない。
材木も伐採から製材、加工と一般には目に触れることは無い。
幸い田舎にいると養豚業の住宅の設計や林業の現場にも接することが出来る。
なにか地方にいるからこそ本質を見失わないでいられるような気がしてならない。

中央と称する東京地方の人たちも観光地ばかりでなく、根源に触れる農林水産業の現場をぜひ観て欲しいと思うのだ。


丸ビル3階へ

2007年10月18日 | ひとりごと

JIA(日本建築家協会)建築家大会2007東京の行事の一環である建築家模型展に「響の舎」を出展した。10月20日まで東京駅前、丸の内ビル(丸ビル)3階のギャラリーで開催されている。
JIA関東甲信越支部住宅部会が中心となって近作を写真や模型等で紹介する展示会です。今回は34名の参加があった。

JIA(日本建築家協会)建築家大会2007東京では本日(10月18日)大会式典が開かれ国土交通省の和泉住宅局長をはじめとする来賓を向かえ開催された。来賓を代表して祝辞を述べられた和泉住宅局長はやはり耐震偽装問題に触れいっそうの努力を促した。

先週も新たに発覚した事件がありましたがマスコミ報道では特定の建築士のみ追及していた。
彼は孫請け事務所であり、依然経営環境が改善されていないことも浮き彫りにされた。
マンション購入者からみれば販売者、元請設計事務所、下請け構造設計事務所、そのさらに下の階層の建築士がしたことであり、これは一建築士の問題ではなく供給側全てに関わる組織上の問題であると思う。マンション購入者が直接孫受け構造設計者と対面する機会などない。顔の見えない仕事のこわさがある。

それにしても国会やマスコミが建築確認申請業務の遅延がGDPにまで影響しているとして国土交通省に働きかけた途端の発覚である。非常に恣意的に感じているのは自分だけであろうか。建築確認申請の現場はこの一地方でさえたいへん混乱している。悪さをしたものは厳罰にすればよい。しかし建築士が何のための免許であるかわからなくなってしまう。

そもそも建築士を施工業者の入札審査の際の技術者の多寡を算出するのに利用してきたため現場の工程、品質管理のための技術者まで会社の督励の下建築士資格を取得してきた一面がある。結果設計監理業務をしたことが無い建築士が多数生み出された。このいびつな状態を放置してきた責任は誰が負うべきなのだろう。

私共のようにスタートから建築主と共同作業で時に議論を戦わせながら作り上げていく立場からは対極にある関係である。やはり住まいは買うものではなく作るものとの思いを深くした。



深まる秋、秋桜

2007年10月12日 | ひとりごと

彼岸花が終わり、畦には秋桜の群生があちこちと
外来種では有るがすっかり日本の秋の田園風景に溶け込んでいる。
花弁が単純なかたち、一見そっけなくも思えるが風に揺れる軽やかな風情ははかなくもある。夏から冬の移ろい、動から静への時間の流れを感じさせてくれる。

こちらといえばまだまだ黄昏ているわけには行かない。
仕事も山場を迎えてあちこちと飛び回る。

金木犀

2007年10月10日 | ひとりごと
短い期間だが金木犀が香る季節がやってきた。
小学校2年の夏、「ホッピング」という遊具で転倒し、左ひじ関節を骨折した。

秋の遠足は桐生の岡公園だったのだが、母が付き添いで付いてきた。
そのとき桐生の水道山の住宅地からむせるような金木犀の香りがしたのを骨折と母親の付き添いと共にはっきりと覚えている。金木犀が咲き出すといつも思い出す。

その母ももう75歳になる。若い時の子供だから父兄参観のときも他の母親よりかなり若く、目立ったのも覚えているが早いもので自分の娘がすぐ当時の母の年になってしまう。

「ウェグナーに座ろう」展に行く

2007年10月07日 | ひとりごと

高碕哲学堂で始まった「ウェグナーに座ろう」展に行く。
WEBデザイナーのKさんが張り切ってすばらしいホームページを作っていたので昨日の「長大作」さんの講演会にも聞きに行きたかったのだが土曜日はただでさえいそがしいのに現場でトラブル発生の処理で身動きが取れなくなってしまった。

井上房一郎の遺産を受け継ぐ高碕哲学堂は丸太と合板という質素なつくりだが戦後初期モダンリビングのにおいがぷんぷんする建築だ。
Aレイモンドの住宅の写しといわれ土足仕様の床や本格的な暖房用風道を露出とはいえ完備した室内は当時の日本家屋とは一線を引いている。
ウェグナーのイスが所狭しと展示され座ることを前提での展覧会というたいへん贅沢な規格で早速座らせてもらった。
一見傾斜がきつく見える安楽イスはどれも体になじみ、また時間を見つけて訪れてみたい。

小布施に行く

2007年10月05日 | ひとりごと

JIAのCPD10月セミナーに参加。
所員も同行する。
CPD(継続職能研修)について自己研鑽は自分でするものでまして「自分はこれだけ努力して知識を高めています」ということすること自体はしたないと考える人もいるが、自分のように発展途上(後進)の身としては自分の姿勢を世に問うことは決して無駄なことだと思っていない。

今回は長野県クラブと合同事業、2年も代表をやっていると電話一本、メールのみで事前打合せをすることが出来た。

小布施堂の市村社長は建築に関しても非常に豊富だが、景観修景を長い間経営者の立場でたずさわって来た成果であろう。行政の人間ではこうは行くまい。資本投資というばくちをずっとやっているのだから真剣みが違うということだ。

善光寺参道の本陣藤屋で交流会。以前から気になっている建築だが、残念ながら旅館は廃業してしまって宴会場/レストランになってしまった。
業態変換はやむをえないところだが一度泊まってみたかった。
普段公共建築が多い宮本事務所にとっては飲食コンサルが口を挟む仕事でやりにくかったろうが、下品に流れていないところがさすが。


秋のみのり

2007年10月01日 | ひとりごと

事務所の新年度始まる。
前年度は7つの作品を仕上げる。現在も工事が進んでいるもの、設計が進んでいるもの、引き続きの仕事が続く。
私は設計監理した建築を「作品」と呼ぶことにしている。
マンション業者、住宅メーカー、不動産業者は「物件」と呼ぶらしい。
天邪鬼な性格だから彼らとは同じ土俵で相撲を取りたくないのだ。

設計料を頂戴して生業にしている以上キレイ事も言っていられないのだが少なくとも自分の職能はこの国の、瑞穂の国とともにずっとともに歩んできた住宅の歴史とともにあり、未来への責任もおっているはずだ。

家は建てるものだと思っている。一方買うものだと思っている人も要るのは事実ではある。
商品としてみてしまったら今の自分のやり方は明らかに違っている。
誤解を恐れずに書けば限界意識がずれている。

建築主とともに夢の実現に向かおうと思えばどんどん内容が高価になっていく。
その結果を施工者に迷惑を掛け極力建築主の希望を実現しようとしている。
素人にはわからない部分など法規制の範囲で省略しても企業倫理には問題ないはずだが技術的の自分の正しいと信じる方向をめざせば、法規制の網の目をくぐることなど興味は無い。予算の折り合いのため変更せざるを得ないこともたびたびある。
しかし施主を説得しても隠れてしまう部分に費用を割いてしまう。
そのため仕上がってみると妙にさっぱり(質素)になってしまうこともある。

その点、「物件」派の人たちは見事である。
使用した材料がすぐ陳腐化するものであっても何の衒いも無く使う。
今,TVで建築家を持ち上げてデザイナー住宅なる珍語がまかり通る。
彼らはへんてこな洋風住宅を作ったかと思えば庇の無い「住宅特集」風の商品を開発する。
そんなのに振り回されるのは真っ平ごめんということだ。