2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

伊勢崎駅

2008年10月27日 | ひとりごと

鉄道施設の魅力は空間移動の端点として様々な出来事を想像させることである。
また技術体系としてシステムの一部をなしているが意外と成立した時代背景を今に伝えていることである。
東京駅のホームの鉄柱が鋳鉄の柱頭飾りつきの古いものであることはマニアの間では有名なことだが地方の鉄道も駅舎を良く見ると鉄道開通当時のものが意外とある。伊勢崎駅については詳しいことはわからないが高架化に伴い、高崎、前橋、桐生が何の変哲もない駅舎に変わってしまった中、貴重な存在である。

特に注目したいのがホームの上屋の古レールを利用した骨組みには外国製と思われる刻印が見える。
以前信越本線の駅で外国製に混ざって「日本製鉄」と読めるものがあった。
もちろん大東亜戦争以前のものだ。鉄道というシステムの歴史の時間の流れをを感じることが出来る。

今日は定休日なのでひさしぶりに利根川サイクリングロードを川下に向かって走った。途中道に迷いながら島村の渡しまでたどり着く。
いつものの早朝の渋川方面と異なり、広々とした景色が広がり、時刻の遅いこともあり気温も高く、快適に70㎞を走破する。

路面の状態が区間により著しく差があるのが残念だ。
また道路サインがすこぶるわかりにくい。
カラーコードを決めるなり、他の施設と一緒に表示するのを改善するなり一工夫が欲しいところだ。
また県産材を使った標柱は耐久性はどうなのだろう。
県産材の利用の拡大をめざすのは良いのだがひいきの引き倒しにならなければ良いが。

歌舞伎座が2010年に建替になるそうだ。
みずから長唄で歌舞伎座の舞台に立ったとされる「吉田五十八」による戦災復旧の改修建築である。
洋風の生活がますます浸透し、歌舞伎は一部の愛好家の者になってしまうのかもしれないが、東銀座の一角を占める桃山様式とも言われる現歌舞伎座がなくなるのはまた東京の景色が変わるようで寂しさがある。




家具職人の告別式

2008年10月09日 | ひとりごと

事務所の開業時から親交のあった家具職人の親方が亡くなった。自分の両親と同じ年代である。
最初の現場は前橋八幡宮の近くの「スタンディングバーアップルの造作家具工事だった。次に「前橋善丸」では移動家具を注文した。合板を組み立てた昔風のチリ箱のような椅子だがなかなかかわいい仕上りだった。事務所にある雑誌棚も特注で作ってもらった。
欅に塩地を象嵌細工した置時計も作ってもらった。

最後の仕事は「鮨なかざわ」のねた箱をあつられてもらったことだった。
さわらの木箱に保冷材を敷きガラスの蓋をのせた冷蔵箱である。
毎日仕事が終わると丹念に店主が洗うものだから角が大分丸くなりそろそろ新しいのをと思っていた矢先のことだった。

「鮨なかざわ」のカウンターで昔話を聞かされたときのこと、「料亭岡源」の家具を納めたので表玄関から入って行こうとしたら勝手口に回され、その代わり料理も酒も振舞われたが職人は玄関から入ってはいけないと諭されたとの事。
戦後間もないころのことと思う。夜の世界には古い文化がきちんと残っていたということか。今では考えられないことである。
親方は江戸末期に川越から来た松平家について移住してきた指物師の末裔とのこと「あたしはねえ」と発音する。
家具のつくり方はずいぶん教えていただいた。

すでに会長職であったし息子がきちんと跡を継いでいる。
しかし日頃の忙しさにかまけ、ご無沙汰してしまったがせめてもう少し昔話を聞かせていただきたかった。
合掌

集団走行

2008年10月05日 | ひとりごと

友人の誘いで初めて集団走行を経験する。
大正橋、敷島駅、棚下不動、岩本駅、綾戸で昼食、そのまま17号線を子持ちの道の駅で休憩後大正橋まで走り、帰途に着く。
一人ではこの距離は走れないだろうと思う。
また安定した走行ペースはこれからの課題だ。

昨日は初めてパンクを経験する。ほんとうにパンクするのだと改めて思った。