銀座通りにかつて「東電サービスセンター」があった。いまも空きビルのまま建っている。
1階が電気器具関係のショールームや東電の広報。2階が貸し画廊になっていた。高校に入って美術部に所属した。用務員室に行ってリヤカーを借り、作品を積んで街中を引いて搬入した。「高美展」という市内の高校の美術部合同の展覧会も開いた。当時は明治生命ビルや鈴木ストアー、福田屋画廊などでも展覧会を開いた。
卒業設計展の真似事のようなこともやった。設計事務所に勤めていた先輩からロットリングの製図ペンを借り受け初めて作品にした。
社会人になっても「小見辰男」先生のアトリエに通っていた頃の発表会としてもお借りた記憶がある。
めったに立ち入らない「アーツ前橋」。「前橋の美術2017」という展覧会があったので覗いてみる。ロビーでは三名の知人に会う。地元にちなむ展覧会の予感。
前橋にちなむ作家の展示ということで目録を読むとかつての居酒屋「きさく」隣り合わせで飲んだことのある5名の作家の名前もある。
同年輩以上であるから出展者の中でも高齢の方であろう。長く活躍されてきた人たちだ。
絵は自分で描くものと思い込んでいるので美術鑑賞というのはあまり縁がないのでよくわからない。ただ熱を感じる作品が少ないのが気になるところ。繊細ではあるが何か弱々しい・・・作品が多いのが気になった。
もともとこの建物は「西武系」の物販店舗だった。1960~70年代、「麻屋」「前三百貨店」「スズラン百貨店」「前橋西武」「ニチイ」「マルイ」「十字屋」「長崎屋」、等が中心市街地に軒を連ねたものだが今は「スズラン百貨店」のみとなってしまった。自然、人も集まらない。
空き店舗を有効活用しようということと中心市街地に美術館に建てようとすること自体悪い話ではない。巨大なパンチングメタル装飾で建物を隠すという手法で生まれ変わった。猥雑な街の入り口に対峙するようにそびえる。もっとも現市長は市長選出馬のときは反対していたようだが。高崎と比べても意味のないことではあるが圧倒的に美術分野への関心は低い街である。
45年前当時、前橋では「深谷徹」「清水刀根」「南條一夫」「近藤嘉男」「川隅路之助」「狩野守」等々の作家が活躍していた。これらの作家の名前や作品を覚えている人も少なくなった。残念ながら歴史の流れにほんの一握りの作家を除いて地域レベルの作家は埋没してしまう。その名前が美術史に残る残らないなどさほど大きな意味を持たないのかもしれない。同じ時代を生きた人の共感を得られれば良いのだろうか。