ブログ「備忘録2022」は下記に移転します。
まだ半完成の状態ですが、概ね運用可能な基本的な枠組みができましたので運用しながら完成形を目指します。gooブログには2006年5月から長きにわたりお世話になりました。
今後もサイトは閉鎖しないで維持していく方針です。過去記事はこちらからご参照いただけます。
今後とも宜しくお願い致します。
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長らく断続的に続けてきたこのブログですが一時休止します。
更新せずにいるのもだらしなさそうです。
さして健康上の理由があるわけでもありません。
ブログを始めSNSの世界も様変わりしてきました。
多少、仕事のPRを兼ねていた時期もありました。
遠方の友人との接点でもありました。
素直に言えば外部に発信すべき情報を持ち得なくなりつつあります。
とはいえまだまだしぶとく生きながらえるつもりです。
またの機会に投稿します。
暫時休憩!
30年から建築設計に携わり多くの建築に立ち会ってきたが「たぬき亭」の仕事は記憶に深く残るものの一つだ。
急なお知らせ、本当に驚きともに悲しみが湧き上がってまいります。2002年に前橋の初日総本店の昨年亡くなった鈴木社長のお引き合わせでお目にかかって以来長いご厚情を賜りましたことに改めて感謝の年でいっぱいです。
仕事を離れても、なぜか仕事に行き詰まったときに元気が欲しくて丸子のご自宅を訪問していたような気がします。同じ経営者として背中を押してほしい、そのような気持ちからでした。
奥様にも大変良くしていただきました。いつもご夫婦仲良く応対していただき、ありがとうございました。さぞお気き落ちのことと存じますがどうぞご自愛のほどお祈り申し上げます。
飲食店のこと、また趣味の盆栽のお話など時が経つのも忘れて拝聴しておりました。いつかはお別れになるのは世の常とは申せ、コロナ禍騒動がなければもっとお話が聞きたかったと思います。今年の夏にはぜひ伺いたいと思っていた矢先の訃報でした。
最後の授業
小学生の頃だったろうか、国語の教科書に「最後の授業」と言うくだりがあり今でもおぼろげながら覚えている。アルザスのストラスブールを訪ねたときこの場所が改めて独仏国境であることを感じた。
国の支配が変わるたびに言語まで変わる。欧州という地域に沢山の国家が存在し、その数だけ母国語が存在する。いままさにウクライナとロシアの間で国境を巡って戦争が続いているのだが改めて島国と大陸の違いを感じる。
そして言葉へのこだわりがすなわち文化であり国を支えているとも感じる。
最近、外来語を翻訳せずに使われることが多くなった。若者言葉はもはや翻訳機が必要のような有様。
明治期西欧文化を取り入れようとやっ気になっていた時代さえ日本語になんとか翻訳し、現在に至るものも多い。
安易なカタカナ言葉は日本文化の後退現象ではないかと少し心配。
ロシアの暴挙に対して「欧米」が協調してウクライナを支援していることになっている。この「欧米」の正体について最近考えさせられることが多い。
国連が常任理事国の仲間割れで機能不全になっているようだ。第二次世界大戦の戦勝国5カ国が中心となって作られた組織、当然日本、ドイツ、イタリアは敵国条項が当てはめられてきた。敗戦国も国力を持ち替えし、経済力で、つまり金の力で国際政治の舞台に復帰した。このことが国連という組織の根底にあることは忘れないほうが良い。
先の大戦はABCD、すなわちアメリカ、イギリス、中国、オランダによる中国での利権争いから発しした経済封鎖が引き金になった。なんだかそのことと今回のウクライナ侵略には通じるものを感じる。この侵略戦争はユーラシア大陸の西部の国々の利権争いの一つである。
多くの国際的システムはこの西欧+アメリカという国々の都合で出来上がっている。明治維新もまさにこれらの国々との戦いであった。
文化はともかく文明において遅れを取った日本は先進国をまるごと真似ることで肩を並べようとしてきた。そして日露戦争に勝利したことによって肩を並べたと錯覚し、いつの間にか他のアジア諸国に優越感を持つようになり大東亜共栄圏なる発想に至った。
欧米という価値観は絶対的なものなのだろうか。とかく「欧米では」という引き合いが多い。今回の侵略戦争を感じるに「欧米」とはその程度のものだと肝に銘じるべきだ。
昔聞いた「・・ロシヤ、野蛮国、クロバトキン・・・」妙なしりとり歌のこの部分だけが蘇る昨今。
終戦時の満州侵入、シベリア抑留、南樺太侵入、などこの国の指導者は全く違う価値観を持っているようだ。
一方、敗戦時に日本の弱体化を計ったGHQによる財閥解体や農地開放、民主化という旗印で一時は社会主義も同居した昭和20年代初期に日本共産党系のうたごえ運動によって広く知られるようになったロシア民謡の数々、は歌声喫茶などとともに今では知っている世代は60歳台以上と思われる。
ロシア革命による亡命者の中には洋菓子や料理など現在に至る文化を持ち込んでくれた人たちもおり、良い意味では繋がりが意外と深い国なのだ。