2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

記憶のディテール・・前橋一中校舎

2015年10月31日 | ひとりごと
前橋一中の校舎が建替えになるので解体前に一般公開となった。同級生3人とも現地で一緒になる。
昭和33年竣工とある。初めて校門をくぐると小学生高学年からいきなり中学校低学年。なんと2000名近い生徒が収容されていた。

今日訪れると改修工事で当時とは微妙に違うことに少しがっかり。60年間経てば当然のことではあるが記憶がつながらない思いがある。それでも痕跡を探し、校舎内を見て廻った。




3年11組のとき、朝ここから登校してくる友人を捜した。雨の日はカラフルな雨傘の花が咲いた。




入学したころにはエキスパンションジョイントからの雨漏りに悩まされていた。アスベストタイルが沢山はがれていた階段室。後年防火戸も追加され手すりもかさ上げされている。


昇降口の床のクリンカータイル。すっかり摩滅している。


かつて使われていたダストシュートの投入口。パンくずのすっぱい臭いを思い出す。


この黒板は後年のものだと思う。それでもはげたペンキに年月の流れあり。




石炭ストーブの煙道の接続口。全ての教室にストーブは無く、大きな火鉢のことも。弁当をストーブの上に乗せて熱くなって捕りそこねこぼしてしまった級友もあった。病欠した級友の机をストーブで燃してしまった悪友も旅たってしまった。


かろうじて残る廊下の幅木、フローリング。




3年生のときに水洗便所が出来た。それまでは1階のおおきな非水洗便所。花子さんの便所である。
当時の流行であったガラスブロック。人造石研ぎ出し手洗い流し。ハイタンクの洗浄。




校舎は梁間方向は耐震壁併用のラーメン構造、桁行方向は純ラーメン構造、腰壁はコンクリートブロックが特徴で桃井小学校との共通性が見られる。


当時は赤城山や榛名山の火山性軽石を骨材にしたコンクリートブロックが盛んな時代であった。またこのような中空ブロックも使われた。(階段室)


校舎は両端に特別教室を配し、中央部で雁行させることで管理諸室部分を中廊下形式で収納している。
便所棟が汲み取り式のため北側に張り出す必要があったためとも考えられる。連続したボールトの屋根も当時の営繕工事の中では十分デザインに配慮されたものであった。

卒業後の改修工事で当時を思い起こすにはもどかしさもあった。
自分より若い校舎が構造技術がまだまだ未発達の時代の建物とはいえなくなってしまうのはもったいないという気がする。
しかし在校生たちは新しい校舎が出来ることを心待ちにしていることであろう。

きれいに古びるのは大変なことだ。








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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ガラス張りの廊下の窓から見える景色 (3年7組)
2018-01-30 02:52:45
懐かしい我が青春の輝き放つ日々、むせ返る程に込み上げる青春の薫り 全てが夢の如く遠い日長い人生の、つかの間の通過点 あの頃はそんな風に思いもしない、ただその時だけが全ての時間だった。
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Re:ガラス張りの廊下の窓から見える景色 (feb02041952)
2018-01-30 07:27:25
コメントありがとうございます。自分も今読み返してみました。うーん、気恥ずかしい思いでがよみがえります。また一日一日を大切にしたいと思います。
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