2018 備忘録

思いついたことを書き残す。

八ヶ岳は一周したけれど・・・

2011年04月30日 | 自 転 車

4月29日、輪行で佐久平まで移動、中山道沿いを走り、女神湖、白樺湖経由で原村「矢島ペンション」に投宿。
「矢島ペンション」は故市川さんの友人が経営している縁で飲み仲間とたびたび訪れたことがある。
諏訪でレストランの監理のためにとまったこともあり、矢島さんはその時のことを覚えていてくれた。
基本形はログハウスで年月の経過で白木だった壁も落ち着いたいい味を出している。
一人では不釣り合いな洋食のフルコースをいただき、そのままベッドに倒れ込む。

翌4月30日、野辺山経由で千曲川沿いに佐久を経由し軽井沢へ。
ところがやっと信濃追分に登り切ったとたん雨に見舞われる。
本格的な雨に遭遇したのは初めて。今まで運が良かったということだろう。
ここで挫折し、中軽井沢からしなの鉄道、新幹線を乗り継ぎ帰着。
そんなわけで八ヶ岳外周を一巡こそしたが、目標達成ならず。

ルートラボ


コメント

被災地から学ぶこと

2011年04月23日 | 建    築
今夜11時35分、前橋帰着。
三日間の災害派遣が終了する。
今回は東松島市での窓口業務に終始する。
この間、多くの市民と接する。
地震による被害は思いのほか少なかったと思われるが、一方津波の被害ははじめてみる事もあるがまことに甚大である。
今回も想定外という言葉がマスコミで多く使われた。
その意味では木造住宅の耐震性能は想定内のものであったといえる。
但し、想定を上回ったら倒壊等の損害を出していたということで人命にもかかわる問題だ。

津波について考えるとまったく人間の知恵の及ばないものである。
津波の高さを過去の事例に基づいて判断することはほぼ無意味だ。
技術の進歩で自然をねじ伏せることができるように勝手に判断していたに過ぎない。

原発にしても100_%本当に安全であると確信していたのだろうか。
想定した以上の津波の高さであったと説明しているが想定外のときはどうなるのか想像力の欠如以外の何者でもないのではないか。

建築の設計においても経験値に基づく判断で構造設計がなされてきた。
やはり想定以上の力が加わったとき何が起こるか建築主に対して説明責任がありそうだ。

環境性能にしての機械設備に頼りすぎているようだ。
もともと建築形態は気候風土によって形作られてきたこと思い起こすことが必要といえる。

コメント

入学式

2011年04月21日 | ひとりごと
宮城県では今日、4月21日は小学校の入学式。
東松島市役所にも入学式帰りの親子連れ、の姿も。
被災者であふれる1階ロビーでは好対照の印象だ。
晴れの日がこのような状況下になろうとは誰が想像したであろうか。

この町の人たちは今回の津波をきわめて冷静に受け止めているように見える。
震災支援金の受付を待つ人は整理券を渡され二時間近く待たされているのに静かに待っておられる。群馬でもしものときははたしてどうなるのだろうか。

現地での活動も二日目、慣れてきたとはいえ重たい現実のなかで困惑する事だらけだ。

コメント

災害派遣

2011年04月20日 | 建    築
午前3時、前橋を出発し、名取市へ。午前7時30分に到着する。
道中、桜の花は満開だ。

JIAの仲間と別れ東松島市へ。我々の任務は住宅相談だ。
現地を一巡する。TVで見慣れた惨状が展開する。田んぼに取り残され車や船舶。造船所では大きな外航船が陸地に乗り上げている。

午前10時、作業を開始する。
今日は災害支援金の申し込みの初日。申請の仕方の説明に終始する。
市役所職員は外回りに忙殺され外部からの応援で業務が進む。
福岡県、熊本県、北海道といった各地の自治体職員が応対している。
JIA東北支部の佐々木さんがてきぱきと相談に応じる。
本来業務以外も親切に対応されていたのが印象的だ。

市民の方は一見極めて冷静だ。
深刻な事態、身内の死亡、家屋の流失の様子を淡々と話されるのがかえって悲しい。

津波の跡地ではまだまだ不明者の捜索が続く。
異常な日常。
これから混乱の収束までの道のりは遠い。


コメント

名残りの桜

2011年04月17日 | 自 転 車

今、群馬の河畔は菜の花、桜、また山里では花桃、畑には梨と様々な花が咲き誇っている。
山も芽ぶきの時を迎え、柔らかな緑に包まれている。

利根川、烏川、神流川沿いに走り杉の峠を越える。
久しぶりに「かぼちゃとやぎ」を訪れる。
のんびりランチを済ませ、児玉町側を下ったら本泉小学校が見えた。
現在、休校中らしい。
児童数の減少のためとのことだが、無人の校庭に今年も桜が咲く。
もう散りかけていていっそうさびしそうな桜だ。
いずれにせよ200kmしか離れていないところで起きている悲劇など想像もつかないのどかな景色だ。

今週、いよいよ災害派遣で名取市に出向く。
JIAからの要請で群馬からは12名延べ29日、被災度判定の業務に当たる。
建築士としてのみできる支援活動である。
阪神、中越と参加したが今回は特に責任の重大性を感じる。
すこしでお役にたてれば良いのだが。

コメント

東京駅の天然スレート葺き

2011年04月16日 | 建    築
スレートは粘板岩の一種で硯石としても知られる。
世界中で採取されるが日本での宮城県などで産出し、洋風建築でも多く使われてきた。
今注目を浴びているのがJR東日本東京駅の葺き替え工事である。

今回の改修工事に合わせて再度宮城県産が使用される予定であったが今回の地震で被災した。
時事ドットコムの記事を引用する。

がれきの中、瓦6万5000枚回収=東京駅舎復元を、社員ら奮起-宮城・石巻

 東日本大震災に伴う大津波で、社屋が倒壊した宮城県石巻市の補修会社「熊谷産業」では、東京駅舎復元に使われる約6万5000枚の瓦が海水と泥にまみれた。しかし、社員らは「空襲で壊れた東京駅舎を復元させたい」と奮起し、がれきの山から回収。洗い流せば約4万5000枚は使える状態になった。
 駅舎を管理するJR東日本や熊谷産業によると、この瓦は東京駅丸の内駅舎で戦後使用されたスレート瓦。同社が補修し、復元される駅舎の屋根の約25%に使われる予定だったという。
 社長の熊谷秋雄さん(46)は、がれき撤去作業で重機が瓦を踏みつぶす恐れがあるため、3月半ば社員に呼び掛け、約10人が2週間にわたって瓦を集めた。「家や家族を失った社員もいた。みんな泣きながら作業をした」という。
 熊谷さんは、被災しても作業を続ける理由について、「東京大空襲で壊れた東京駅と、大地震に見舞われた東北地方のどちらも被災者。駅舎の復元は、私たちの復興と切り離せない」と話す。
 熱意を後押しする動きもある。市民団体「赤れんがの東京駅を愛する市民の会」は15日、JR東日本に要望書を提出。同会代表で作家の森まゆみさん(56)は「瓦は東京と東北がつながっていることのシンボル。使えるものは使ってほしい」と訴えた。
 東京駅丸の内駅舎の復元工事では来年3月ごろ、3階部分と屋根が復元され、当時の姿がよみがえる予定。
(2011/04/15-20:03)


かつては北の玄関口は上野駅であったが新幹線の延伸により現在は東京駅がその任を担っている。
経済効率の面はあるかもしれないがJRはその公共性に照らしてぜひ宮城県産の使用をぜひ積極的に採用してほしいと思う。
コメント

世界と日本

2011年04月12日 | ひとりごと
ACの広告等で「日本」という言葉がたくさん出てくる。
たしかに日本の危機に日本人が心を一つにしなくてはならないときだ。

一方、現在日本は全世界にとんでもない迷惑をかけつつある。
大気汚染、海洋水汚染を続けている。

海に放出された放射能は希釈されたしかに「直ちに」危険は少ないかもしれないが国境を持たない魚介類は海流に乗って太平洋各地に移動し、人の口に入る。
このことによって原因を作った日本以外に多くの被害をもたらすのだ。

日本は加害者として放射能汚染を甘受しなくてはいけない。
海外の被害者に対して加害者としての自覚を持たなくてはいけない。

直接の原因を作ったのは電力会社、および原発を推進してきた行政当局であるが、
日本というくくりを主張すればするほど日本国民一人ひとりが世界の人たちに贖罪意識を持たなくてはならないのだ。

ただ日本だけの問題としてとらえることは許されないのだ。
コメント

お花見ツーリング

2011年04月11日 | 自 転 車

月曜日は定休日。土曜日は顧客とゆっくり打合せが出来る日なので一日ずらしている。
若い所員にはこの仕事の事情を良く納得してもらっている。

花曇りのなか、鬼石まで往復する。
サイクリングロードは河川の管理用道路を利用したものが多い。
堤防の上を走る。かつて台風で決壊をしたことがあるとはいえ海なし県のありがたさ。
極めてのどかなたたずまいだ。
今日も利根川、烏川、神流川の三つの河川沿いを走る。

桜が満開である。足元には菜の花、花大根、タンポポと一斉に咲いている。
今年は花になど目がいかないうちにどんどん春が進んでいく。
里山も芽ぶきで山全体が白く光っている。

想定外=想像力の欠如 
使用済み燃料プールは1500tもの水が入っているらしい。
1500tといえば木造住宅10戸分にもあたる。小学校プール6個分である。
放水車の水も届かないような高いところに設けるというセンスはいかがなものか。
技術者は大まじめに与えられた課題を解いたのに違いない。
40年以上前のことである。タイガーの手回し計算機、計算尺、そろばんの時代にだ。

コンクリートは一般用でも比重は2.4
一見塊の様だが、一つの建屋を造るには何度ともなく継ぎ足して造っていく。
この継ぎ目は非常に材料的に不安定で「コールドジョイント」と呼ばれる粗の部分が出来やすい。
地震で亀裂が生じなくてもここを水が通り抜ける可能性は高い。

原発工事だからといっていくら慎重に施工しても100%大丈夫とはいえない。
海水に高濃度の汚染水が出たとしても少しの不思議ではないのだ。
とにかく後始末がきちんとできることを祈るしかない。


コメント

米田設計のホームページが全面改訂

2011年04月04日 | 建    築
米田設計のホームページが全面しました。一時的のよくアクセスできない場合がありますが再度アクセスしてみてください。

http://www.yonedasekkei.jp/

より読みやすく  ホームページ全面改訂

最新情報
当事務所のホームページは1997年に開設されました。
インターネット環境がまだ整わないなかでのスタートでした。
画像情報等も当時の通信速度に制約され、限定されたものでした。
通信状況の向上に伴い数度改訂を重ねてきましたが事務所設立20周年を迎えるにあたり、
さらに未来志向のWEBをめざし、今回の改定となりました。

デザインの要点は地域や伝統文化を尊重したいとする方針に基づくものです。
また今まで培ってきた感性や技術をお伝えすること。この二点です。

お送りする情報とともに、このWEB画面も刻々と変化します。

当事務所が掲げる理念
より良い建築設計を通じて豊かな環境の創造に寄与します。
を実現に向かって今後も上質な建築の設計・監理につとめてまいります。
今後ともこのWEB及び米田設計をよろしくお願いいたします。

2011年4月4日   一級建築士事務所 株式会社米田設計 代表取締役 米田雅夫
コメント

なにがあっても春が来る

2011年04月03日 | 自 転 車
悪夢のような震災があっても確実に春が来る。
昭和村でも畑の準備が始まる。まだ芽吹いたばかりだが緑色のカーペット。そして稜線の向こうに純白の谷川岳や武尊山がまだ冷たい空気のお蔭ですぐ間近に見える。
美しい。
いよいよロードバイクの季節だ。

久しぶりに「奥利根ワイナリー」による。あいかわらずイノセさんは元気。ちょうど高校の先輩が見えていて引き合わされる。

帰路「カフェ・アウル」にもよる。やはり話題は震災。

萎縮していても何も生まれない。
元気で元気で
コメント

友人からのはがき

2011年04月02日 | 建    築

建築作品展中止の連絡をしたところ、友人カネコシンイチ氏から自筆の絵ハガキをいただく。
中学校時代の同級生である。
喫茶店を経営していたが病を得、長期療養を余儀なくされたが回復して元気に働いている。
妙に絵のセンスの良い男である。ずっと書き続けているのだろう。
元気な様子が伝わってうれしい。
コメント

20年前の4月1日

2011年04月01日 | 建    築

長年務めた事務所に暇乞いし、初めて現事務所の第一歩を記した日。
この日東京は桜が満開だった。
古くからの知人の紹介で都内の設計事務所の下請け仕事の打ち合わせに出掛けた。
ほぼ成算なく勢いで始めてしまった事務所なので知人からの応援は非常にありがたかった。
3年目に下請け仕事を断る。仕事が全くないという恐怖感をその後何回か味わう。

しかし地元にいる有難味をつくづく感じる。
小中高と地元の学校で一緒だった友人、行きつけの飲食店で知り合いになった友人などわずかながら仕事が繋がるようになる。

その縁でレストランの仕事のために一週間渡仏して食べ歩くことが出来た。
画像はカフェドラペのリースリングの空き瓶である。
いつかまた欧州に出掛けたいと思っているがなかなか機会がない。

そして現在3人の若いスタッフと忙しい毎日を送るまでになった。
来週には事務所のホームページを全面改訂する。
編集をしながらいろいろな人、家が浮かんでくる。
少しづつであるが充実してきていると実感する。

建築作品展は延期したが近々必ず実行する。
いままですべて自分で判断してきたがスタッフが力をつけてくるとそうはいかない。
CGや模型、PCの扱いなどすでに彼らのほうが上手であろう。
自分の最期の砦は経験と判断力、「研ぎ澄まされた感性?」である。
相乗効果があれば現在の事務所は最強の状態だ。

もっともこれはこれで結構疲れるもので油断も隙もない。
このへんのことは故宮脇壇が書いていた。
「平面図だけは渡さない。」

新しいホームページではスタッフすべて実名で紹介した。
皆すでに一級建築士で伸び盛りだ。ブログもリンクして自己アピールをしたいそうだ。
彼らのパワーに負けてはいられない。





コメント