2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

つながるということ

2013年09月26日 | ひとりごと
一昨日、娘夫婦に女の子が生まれる。
妊娠初期から出産までずっと体調が不安定だったので初孫の誕生を喜ぶというより、とにかく母子共々無事であったことが嬉しい。
また自分のfacebookのページに娘のページにも匹敵する「いいね」を頂いた。
自分もまた多くの方々との交流を持つことができた人生と改めて嬉しく思う。

一方なんとも忘れっぽい自分である。
JIAの長井淳一さんがfacebookにシェアしたのを見てドキッとした。
手のひらに太陽の家プロジェクトの件である。
https://readyfor.jp/projects/tenohirani_taiyou

ひと環境計画の濱田さんからのお誘いで今年2月に同所に宿泊した。
http://blog.goo.ne.jp/feb02041952/e/6cb574e8e81a1dbf72a421a39b511e94

こちらは福島第一の事故で屋外で遊ぶことが制限された福島県の子供たちのための保養施設だ。
現在も福島県の子供たちは深刻な状況に置かれている。
東京オリンピックで浮かれていはいられない現実がある。
小さな施設である。とても大勢の子供たちを受け入れられる施設ではない。
しかし、行政ではなく民間ボランティアが運営することに意義がある。

東北は津波だけでなく福島第一事故など大きな痛手を負った。
震災後三度現地を訪れた。
あの異常な光景は目に焼き付いてはなれない。
あまちゃんの世界そのままだ。
地元の人達が中心になって助け合うことの一つがこの施設なのだ。
これをモデルにこのような施設が増えることをまだまだ必要としている。

しかし現実は厳しい。
施設を作るときの熱気は時とともに薄れていく。
施設を運営してくための運転資金に赤信号が灯っているようだ。
そこで今回の支援要請。

娘たちの無事出産を見届けた記念にわずかばかり応援させていただくことにした。
しかし11月15日までに支援金のめどが立たないと今回の企画は流れてしまうそうだ。
関心のある方はぜひご支援のほどよろしくお願いい致します。

岩崎さんを見送る。

2013年09月12日 | 訃報

岩崎(岩崎明)さんの葬儀に参列した。帰路群馬県生涯学習センターに立ち寄る。岩崎さんが群馬県の設計事務所の選抜メンバーをまとめ設計を担当された建築である。

岩崎さんはかつて勤務した福島建築設計事務所の上司であり、一級建築士として先輩であり、日本建築家協会の会員同士でもあった。
職名は企画室長であったから自分は退職するまで岩崎室長と読んでいたが退職後は岩崎さんとしてお付き合いいただいた。
勤務が重なった期間は15年ほどであったが、多くのことを学ばせていただいた。

岩崎さんは群馬県庁の技師出身で仕事の関係で中村順平などとも交流があり、東京で事務所を開設されていたが、福島建築設計事務所の所長に乞われて群馬に戻り、入所以来事務所の代表作を次々と手がけ、長年屋台骨を支えた。

岩崎さんは」福島建築設計事務所に着任されると、いくつかの改革を進めた。
図面の基準線をJIA製図通則準拠に改めた。X座標、Y座標、Z座標の表現を厳密に適用するやり方である。
現在福島建築設計事務所出身のいくつかの事務所はそれを引き継いでいる。

要は基本がブレないことを大事にされた。
建築の設計は設計者によって感覚の差異から図面表現そのものまで変わってしまって建築の共通言語である図面の意思疎通にまで支障をきたすことになってしまう。
書き込む内容は個人差があっても表示方法は基本に忠実にということであろう。

設計図に書き込むことは十分吟味し、現場で安易な変更をしないこと。だから米田設計も図面の量が多い。
実際建築主の中には気分屋で気が変わりやすい人もいるのでそれを通すことは至難の技なのだが。

岩崎さんのデザインは近代建築の影響が強い。戦後の混乱期から高度成長、バブル崩壊と激動の昭和平成の建築界を見続けてこられた。
そのなかで一貫して近代建築の路線を歩まれたようだ。
やや全体に重たいプロポーションの建築が特徴であった。

今振り返ってみると、基本がブレない設計手法は受け継ごうと思った。
当然寸法感覚は異なるから出来る建築は全く違うものだ。
建築士事務所として何が継続していくのか。また可能なのか。遺影を拝見しながら福島建築設計事務所時代のあれこれを思い起こした。



国立競技場

2013年09月08日 | ひとりごと
1964年10月10日、学校からの帰り道の快晴の空の色は忘れられないものがある。
アンツーカーの鮮やかな色のトラックを日本選手団が整然と行進していく姿。
そして演奏されていた「東京オリンピックマーチ」。国立競技場を初めて知ったのもこの日だった。

この競技場はまもなく屋根付きの競技場に生まれ変わる。設計はイギリス在住のイラクの女性建築家「ザハ・ハディッド」である。
日本の妹島も最後までコンペの戦いを続けたが及ばなかった。
偏見はないつもりだが外国のしかも女性の建築家が設計するというのも国際的に成熟した日本の姿であろう。2回目の改築となる競技場はどのような姿を見せるのだろう。

最初の競技場は雨の学徒出陣式の映像で記憶される。
狂気の時代、昭和18年のことである。この時の行進曲が陸軍分列行進曲であり、現在も陸自の行事で必ず演奏される行進曲である。

改築後の競技場での東京オリンピック開会式は赤のブレザーが印象的だった。
東京オリンピックマーチは古関裕而作曲の明るい曲想の行進曲だが当時の陸自中央音楽隊の演奏最近の海自東京音楽隊の演奏を比べると時代が時代が豊かになったことを実感する。7年後の東京大会の開会式はどんな行進曲が演奏されるのだろう。

こういった楽しみと裏腹に今朝の日本国首相の安倍の無責任極まりない福島第一の事後処理に関する発言には冷水を浴びせかけられた。
安倍に如何様な責任が取れるというのか。
そもそもオリンピックがスポーツショービジネスとなって久しい。
高円宮妃殿下まで担ぎ出しての演出として格好良く言い切ったつもりでも極めて虚しい。

現在、ようやく東北地方の復興の兆しが見えて来たようだ。
現在建設業界では人材不足、資材不足にの消費税増税問題が追い打ちをかけてコストが急騰し始めている。
ここのところ職人の手配のめどが立たないと見積もりすら断られるケースが出てきている。
設計仲間も同様のこのとを言っているから自分のところのことだけではなさそうだ。

このような情勢下、オリンピック関連施設のために東京地方に工事が集中すると事態は更に深刻になる。
本来震災復興に優先的に配分され無くてはならない。人的、物的資源が東京に集まるとしたら本末転倒であろう。
国、東京と地方との溝がますます深まる感が強い。
福島第一の後手に回る復旧の目処も立たないのに世界への恥さらしを覚悟の上のオリンピック。
もう浮かれていないで慎重な対応を望む。

エコな住まいの創り方

2013年09月04日 | ひとりごと
10月13日のグリーンドーム前橋で開かれるイベントでのセミナー講師を引き受けた。
エコな住まいの創り方という題を戴いている。
エコ住宅だとかいう言葉を聞くようになって久しい。
シックハウスという言葉が出始めた頃、建築主の奥様から一冊の本を渡された。
「健康な住まいを手に入れる本」という本だった。



何気なく扱ってきた住宅建材の危険性についてあまりに無知であったことを思い知らされた。
そして後に著者の一人であった「高橋元」さんとエコバウツアーというドイツの環境建築(ちょっと変な言葉であるが)の見学ツアーでご一緒することになる。



高橋元さんの訳書「エコロジー建築」から「本当に健康で快適な住宅とはを突き詰めていくと単に住宅内部空間の問題ではなく地球規模での視点でのエコロジーの概念と無関係ではないことを知った。

人類が今や地球の最大の害敵となったことは福島第一原発での事故をみれば明らかだ。
3.11の大地震によって露呈した現代人の浅はかな知識水準。
今は環境負荷をいかに小さくして生きていくことによって地球の延命を考え無くてはならない時代となった。
このことは直視しなくてはならない。

エコな住まいとはこのような時代を生きるために人類に試された最後の課題であろう。

平成32年(2020年)画期的な法律が施行される。
http://www.kenken.go.jp/becc/index.html

年間使用一次エネルギーの基準を上回る住宅の新築を禁じるという(見方によっては)法律である。
あえて厳しい言い方をした。
新築住宅は年間使用一次エネルギーの基準を上回ってはならないとすれば柔らかくなるが本質は同じだ。

来月からは本格施行に先立ち省エネ算定基準が施工され、住宅融資などのインセンティブとして採用される。
ここでは断熱性能だけではなく家電製品の積極的高性能化まで求めるものだ。
国土交通省より二酸化炭素排出の責任を負う経産省からの口出しが多いのが特徴でもある。

年間一次エネルギーを規制するということは安易な設計においては全くつまらない住宅を量産することになりかねないが我々独立系の建築士のドン・キホーテ如くの戦いが本格的に始まる。

それはさておきこれから住宅建設を検討中の市民の方々に何を伝えるべきなのだろうか。
JIA環境データシートのことにはぜひ触れてみたいと思う。
紙ベースでの見える化でも十分省エネになる。



実は毎朝体重、血圧を測っている。1キロ増えたら即摂食制限をかければリバウンドも最小限で抑えられる。これと同じだ。
季節依存型と非季節依存型を分けて考えると行動を起こしやすい。
季節依存型とは冷暖房費のことで非季節依存型とは生活全般、照明、給湯、換気などのことだ。
季節依存型消費については建築でまだまだやれることが多い。
日本建築伝統の深い庇の日射遮蔽や、敷地の微気候や屋根形態をうまく利用しての通風、換気
調湿効果のある仕上げ材など先人の知恵を拝借してのドンキホーテの戦いどころがまだまだある。



そもそも環境負荷の小さい家がエコ住宅である。
高性能家電製品てんこ盛りの家のことではないはずだ。

我慢少々、快適少々な暮らしをどう実現するか。
住宅設計のテーマが変わっていく。