2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

赤城町(村)の更科の野菜天ざる

2006年09月30日 | ひとりごと

今期最後の土曜日
雑用少々、

お昼は赤城村の更科。結構量が多い

午後、三原田の住宅の半年検査。
標準設計に近い住宅だが、きりりとした表情。これも大工の腕と監理を一生懸命やった賜物と思う。普通の住宅を普通でないきりっとした住宅にするのって地味でむずかしい。

午後は大利根町の住宅の最後の手直しの立会い。こちらもきりっとした仕上り。

新前橋の住宅の建て主を紹介くださった方が急に来所。大利根町の住宅をご案内する。空気環境はまずまずと講評をいただいた。ほっとする。
それにしても化学物質化敏症、および原因物質の究明はむづかしい。


市役所のBランチ

2006年09月29日 | ひとりごと

市役所のBランチ かけうどん、コロッケ、サラダ、八宝菜丼
結構すごいメニュー。・・・

朝、少しずつ歩き始めた。神明様の前で小沼さんとすれ違う。6時おきで歩いているとのこと。

まだ前橋公園に下りない短縮順路。
体が慣れてきたら勧銀の坂、諏訪橋西詰め、前橋文学館、比刀根橋、厩橋、雷神橋、など広瀬川河畔を歩き、神明町の小路を源英寺の墓地の石塀沿いに風呂川の堤まで登る。

臨江閣の下の階段をくだり前橋公園に出て幸の池沿いをしばらく歩く。もとの検察庁の下の階段を再び上り群馬県警の裏から県庁内に入り、本庁舎のロビーを横切る。

県庁前通りを横切り市役所の前から市立図書館の庭を抜け、カソリック協会の裏から国民金融公庫の信号を渡る。締めて50分8000歩の順路。

神明町から先は米軍の空襲での消失を免れている地域なので、明治、大正、戦前の昭和の雰囲気を残している。

写真の石川橋からみた広瀬側の界隈の様子は室生犀星や萩原朔太郎が遊んだころの面影を強く残しているとのこと。
しかしまもなく作り変えられる。何の名物の無い前橋のこと、こんな小さな橋一つぐらい前橋が華やかだったころの記念に残しておいてもよさそうなものを。

そう、過去の記憶といえば今日も比刀根橋のたもとの防空壕のあとの記念碑には千羽鶴が手向けて合った。535人以上の民間人が米軍によって虐殺された昭和20年8月5日の夜、多く方がここで亡くなったのだ。

自分がものごころついたころ広瀬側にかかる橋の欄干が無かった。戦争中に金属供出で持ち去られたとのこと。当時も水の勢いは強かったからとてもこわっかった記憶がある。

町名が拙速に変えられてから大分経つ。
自分が育った家は連雀町23番地。生まれたのは隣のお産婆さんの家。

本町、相生町、田町、堀川町、田中町、前代田町、桑町、紺屋町、榎町、小柳町、芳町、立川町。これが中央小学校の校区。

隣の桃井小学校区が曲輪町、南曲輪町、北曲輪町、石川町、紅雲町、神明町、
あとは・・・・・

千代田町、大手町、文京町、・・・最悪でしょう。東京コンプレックス丸出し、利害関係の調整が出来ず妥協の産物。本町、紅雲町、あたりがかろうじて面目を保つ。いまだに千代田町4丁目がどこだか見当がつかない。

そうだ。このブログは旧町名で書こう。何の責任も無いことだし。

仕事は計画仕事を仕事場でぼちぼち。来月分の仕込み。
新前橋の住宅は湧水は止まらないものの排水溝を掘り、水中ポンプで汲みながら進行。

市役所地下のBランチ

2006年09月28日 | ひとりごと

朝から沼田の住宅の監理。あたりはすっかり秋。
だいすきなコスモスが咲き乱れている。
望景園(りんご園)に寄って「りんご」を3かご注文。
お昼に早速食べる。新鮮なりんごはおいしい

午後は久しぶりにパリッシュを訪問。
先方も多忙な様子。
藤岡の住宅も廻って事務所に戻る。

夕方から渋川市内の新規の仕事の打合せ。
旧家の改築だが、当主が転出して不在なので、残念ながら小さな住宅になる見込み。これはこれからこの地域では同じような工事が出てくるのだろう。

近留の野菜天丼

2006年09月27日 | ひとりごと

近留の野菜天丼をお昼に。決して胃袋に優しくないのだが醤油が恋しくなる時がある。

朝一番でラッフルズ関係で市役所へ手摺りの国交省の調査だそうだ。
きたづめの工事がいよいよ始まる。引退する先代も見守る。引退する寂しさより、新しくなる店が楽しそうな様子。ほっとする。
午後は新前橋の住宅の用壁の根切が始まる。思いのほか湧水あり。

安倍政権発足だそうだ。「美しい日本」が標語だそうで・・・・
自分より年下の初めての総理大臣。
祖父の岸信介はやはり若いころ満州国建国や国家総動員令の深く関わった革新官僚と言われた一人だそうだ。戦争遂行に関与しながら結局戦前の人脈を使って総理にまで上り詰めたといわれる。

安倍にそのDNAが受け継がれているとすると独善的な行動が懸念される。
中国や韓国を大事にしないことがアメリカコンプレックスから来るものだとすると、戦前の日本の指導者と同じではないか。

日本は神武天皇以来2700年に渡って一つの国が続いてきた世界でもまれな国である。今ではエンペラーと呼ばれるのは昭和天皇のみで他国の王室はキングと称され区別されている。
しかも江戸期には300年も戦争もせず、文化が発展した歴史がありもともと平和志向の国なのだ。
しかし明治以降、アジアを植民地にしようと殺到したヨーロッパやアメリカ、ロシアと抗争を続けるうちに性格が悪くなり、最後はアメリカにはめられて大東亜戦争を引き起こしてしまって、完全に挫折してしまったのだ。

この辺を冷静に考えて本当に「美しかった日本」とはをきちんと考えて欲しいものだ。
拝金主義のアメリカに追従する限り、稲作の共同作業で培われた仲間と共に生きようとする倫理観は再生しないであろう。なにしろ出し抜くことを国是として、黄色人種の先住民の土地を取り上げて作った国なのだから。


内食

2006年09月24日 | ひとりごと
昨日祝日、今日休日、明日は定休日と所員はいない。
こんな時は経理のチェック。今期も終わるというのにさあ大変。
書類をにらめっこでパソコンで分析。
当たり前にしなくてはいけないことを当たり前にするこの難しさを実感。

赤城高原SAのテンプラそば

2006年09月23日 | ひとりごと
午前は施主を交えて沼田の住宅の打合せ。主要部分の材料の色彩を決める。
コスモスが咲いたり、稲穂がたわわに色付き、すっかり秋の風情。りんごの収穫も始まっている。

午後は藤岡の住宅の打合せ。こちらもいよいよラストスパート。造作家具の打合せを行なった。

お彼岸のお中日であたりも静か。

お昼抜き

2006年09月23日 | ひとりごと
体調不良につき、午前中は仕事を休む。

夕方からJIA群馬セミナーを受講。
群馬の養蚕と養蚕農家について学ぶ。

養蚕はすでに過去のものになってしまったが、われわれの原風景の一つとしてしっかり根付いているのを感じる。
一方建築を考える時に気候風土との関連を重視しているといいながら、身近な生活の歴史について断片的にしか理解していないことを痛感する。
もっと郷土のことを学習しなくてはと思う。

実際風土というのは大変厄介なものだ。同じぐんまの地方都市である前橋と高崎や桐生の空気の違い。この差は厳然とある。こんな身近なことも原因を考えていかなくては風土云々は語れないのかもしれない。

グラン・ボアのサンドイッチ

2006年09月21日 | ひとりごと

午前8時より新前橋の家が起工式。前橋東照宮宮司により地鎮祭が行なわれる。
来年7月の完成をめざす。工期が長いのは木材加工に入るまでに人工乾燥、自然乾燥により木材を整えるため。

赤城町(村)の製材工場で原木を建築主とともに確認。
魚を食べるのに市場まで行って確かめるような、せっかちな世の中にあっては貴重なこと。長く付き合う住宅だからこのくらいこだわってもいいのでは。

移動時間に川原町のグラン・ボアでサンドイッチを購入。
繁盛しているようで設計者としてはうれしい。




アレグレのランチ

2006年09月20日 | ひとりごと
県庁に所用があり、お昼はJIAのメンバー3人とアレグレで食事。JIAの例会のあとでよくお世話になる店。昼寄るのは久しぶり。利根川の眺めがすばらしい。鮎釣りの人が遠望できる。

午後は藤岡の住宅の監理と大利根町の住宅の手直しの打合せ。こちらは着々と造園が進む。金木犀も根付いて甘い花の香が漂い始めている。引越し前に写真撮影の予定。 

夕方、館林市議会選に立候補したJIAの仲間の荘司ゆりえさんの陣中見舞い。
ぜひ当選して欲しいもの。女性候補が一人とのことだが、一人でも十分活躍できる人だ。



味の店の「ひるご飯」

2006年09月19日 | ひとりごと
いよいよ炉ばた・寿し きたづめの工事が始まる。11月末オープンの予定。
いきなり忘年会シーズン。そういえば今年もあと3ヶ月。

お昼は前橋の「味の店」の「ひるご飯」。先日の「風の庭」に通じるところのある店。自然・安全・健康食にこだわった店だ。煮物の盛り合わせと味噌汁、五穀米のいたって素朴な料理。知る人ぞ知る店。

忙しかった仕事も一段落。ホームページの改変も一区切り、
外では秋の虫の音が・・・・・

こんな静かな夜には沢山反省しよう

五省

一、至誠に悖るなかりしか
 
一、言行に恥づるなかりしか
  
一、気力に欠くるなかりしか
  
一、努力に憾みなかりしか
  
一、不精に亘るなかりしか


終業後、一言一言かみしめてみる。

  

コンプレアンノのリゾットランチ

2006年09月19日 | ひとりごと
老人の日だが自分にはもう少し時間がある。
どころではなくこのままでは引退などできないぞ・・・・

月曜日なのだが休日でもあり、辺りは静か。平日にぎわうコンプレアンノも今日はさすがにすいている。

よるルコンフォールの閉店ということで親しい人たちでご苦労さん会。集まったメンバーの家族は出産、またはもうじきと、明るい話題。ルコンファールの新しい門出に期待しよう。

旧境町 島村の「風の庭」の大盛り蕎麦他

2006年09月18日 | ひとりごと

JIAの先輩の事務所が島村地区の近代養蚕農家の調査業務をするというので、事前観察に同行させていただく。
明治期に蚕の種(卵)を輸出したことで有名な「田島弥平家」をはじめ多数の養蚕農家や種やの建築が点在する地区である。新しく建てられた住宅と混在しているが、その巨大な遺構は当時の繁栄を物語っている。

島村地区は利根川を挟んで両岸にある。利根川をきちんと堤防で区切られるまでは川は気分で村内を流れていたらしい。今でも県営の渡し舟が両岸を結んでいる。

そんなわけでお昼時偶然飛び込んだところが蕎麦の「風の庭」だった。大盛り蕎麦、野菜てんぷら、ごんぶときんぴら、付きだしを食す。絶対にどこかわからない場所に係わらず、満席。なかなかおいしい。松田マヨネーズタイプが店主とのこと。風力発電で蕎麦粉を挽いたり、WCの洗浄水に雨水を使ったりしていることがあとで調べた解った。
もう一度行ってみたい店だ。


上海鶏老虎閣の坦々麺

2006年09月16日 | ひとりごと
ついに暖かい坦々麺を食べる。冷たいほうが衝撃的においしかった。

一日中、社長業をこなす。今月決算。決算書は社長の通信簿。どんなに格好の良いこといっても赤点もらうと進級できず。そんなわけは無いのだが蛸の足食いと同じでもう足をほとんど食べてしまっておたまじゃくし状態。
中小企業家同友会で学んだように善と得を両方とも手に入れなくては事務所をやっていく意味が無い。
月別の出来高管理だとか入出金予測だとか現実から目を放すわけには行かないのだ。