2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

完成発表会

2010年10月24日 | ひとりごと

来週の日曜日、10月31日に軽井沢の離山のふもとで設計監理をしていた別荘「離山の家」が仕上がり、親しい方々にご覧いただく機会を作った。
オープンハウスとは建築主が近所へのごあいさつのために行うもののようだし、完成見学会というのも語感が僭越の様な気がしたので「完成発表会」とした。

当日は現在設計中の建築主の方も幾組かお見えになる。言葉や図面で説明するより、実物をご覧いただくのが一番だ。軽井沢在住の友人もお見えになる。地元の方がどのように評価されるか、楽しみだ。

建築主とは30年来のお付き合い。長い間の気持ちの繋がりが形になったようでうれしい仕事だった。

折しも軽井沢は紅葉の最中。どなたもご覧いただけるので関心のある方は「米田設計」までご連絡いただければ現地をご案内するのでご一報ください。

作品概要

秋冷え

2010年10月24日 | ひとりごと

曇天だと気温が上がらなくなってきた。
昨夜は少し飲み過ぎたので朝起きたらもう7時30分。やっと8時過ぎにロードバイクを引き出す。
嶺公園から空っ風街道までのぼり赤城神社に参拝。赤城インターまで赤城南麓を横断し引き返す。
冬空の様な空。いよいよ秋が深まっていく。

パンク

2010年10月18日 | ひとりごと

久しぶりにパンクする。2年ぶり。
先週1号機のタイヤを交換したばかりだったので落ち着いて予備のチューブの交換を済ます。
それにしても災難はいつ来るかわからないものだ。デライトに寄ったらタイヤはコンチのゲータスキンなのでサイドに補強が施されていてこれがなかったら帰還できなかったかもしれないと説明される。それ以外にも不具合があり、調整してもらう。
工具があれば自分でもやれそうな気がするがなにせ命を預けているのだがらたいがいにしておこう。

朝、久しぶりに大正橋まで上り、そのまま利根川CRを下る。気候がすこぶる快適なのでそのまま館林まで走る。
来月開院する「ハートクリニック」の様子を覗こうと思ったのだ。
設計の打ち合わせからあっという間に1年以上たってしまった。その間毎週のように打ち合わせを重ねていたので引き渡しが終わり出向く機会が少なくなるとさみしい感じもする。

妙義山

2010年10月11日 | ひとりごと

久しぶりに仲間とツーリング。妙義山方面に出掛け、下仁田の「鍋屋」のかつ重をお昼にいただく。
ルートラボ
単独走の時は自分の都合のよい速度域で走行できるがツーリングはそうはいかない。
遅れて道に迷ったり足がつったりで散々迷惑をかける。走ることに夢中で景色もろくに覚えていない。
大変肩身の狭い思いをしたがたまには無理して速度を上げて走ることも必要のようだ。
備忘録100rpmと名称を変えたのもこのためだ。

これは日常の仕事などにも言えること。事務所も多くの仕事を抱えまさに正念場。ガンバロウ!

残るもの

2010年10月10日 | ひとりごと

館林近代美術館でりょうもうの美術館名品展を見る。
両毛地域にある多くの美術館の所蔵品の展覧会だ。
著名な作家から地元の人しか知らない作家まで様々な作品が並ぶ。
絵画に生涯をささげた作家の生きた痕跡とはいえ今となってはごく周辺の方たちしか知り得ない作家のものもある。

ふりかえって今作り続けている建築たちは死蔵されることなく多くは後世まで景観の一部となって存在し続ける。
自分は無名で終わったのちも多くの人々の目に触れる機会を持っていることは作家として喜ばしいことではないか。
それだけに絶対におろそかにできない仕事だ。

CBCクリニック 内覧会

2010年10月03日 | ひとりごと

CBCクリニックの内覧会にうかがう。
院長夫人の妹に当たる方が歌手でイタリア在住とのことだがこの日のために帰国し、素晴らしい歌声が待合ホールに響いた。
記念講演も地元高崎市とCBCクリックを結び付けての講話で開院にふさわしいものだった。
もともと院長夫人が高崎出身ということもあり、夫人の知人も多数駆けつけ賑やかな内覧会となった。

いよいよ5日から開院だ。
順調な滑り出しを祈念する。


上毛新聞 10月2日付け 記事・・連論

2010年10月02日 | ひとりごと

友人の勧めで上毛新聞に文章を掲載させていただく。
人とヒトー場の共有に「地域固有の家造り」という題で掲載された。
前橋市内建てた住宅の建築主とのやり取りに日頃考えていることを加えて文章を作った。

ブログとは異なり他人に読んでいただくための文章である。
勝手が違い友人や編集の方に幾度もチェックを受けやっとまとまった。
自己流で書いている文章の直さなくてはいけない点も多々あることが分かった。
国語の勉強もさせていただいた貴重な経験となった。

10月です。

2010年10月01日 | ひとりごと
今月から備忘録100rpmとする。
ロードバイクでケーデンス100rpmで走ること。
もう少し頑張ること。現状に甘えないこと。


事務所の新しい期がはじまる。

1990年、事務所設立を決意した。そして翌1991年4月事務所の業務を開始した。来年で開業20年の節目を迎える。
さらに再来年は60歳と老人の仲間入りである。
事務所の名前には自分の姓をとり「米田設計」とした。
組織事務所に長年勤務していてやはり自分の意思が通った建築の仕事をしたいという思いから開業を決意したので自然な気持ちで姓を使ったのだが、20年の間建築主を始め非常に多くの方々のおかげをもって続いてきたことを改めて感じる。
建築の設計は自分の力で出来ることではないのだ。

自分の姓を使っている以上、一人になってもこの仕事やり遂げるべきだし、集中力が切れた時は潔く身を引く必要がある。
しかし建築はおそらく自分より末長く残っていくものだ。
法律に求められるまでもなく、長い間の維持管理にも関わらなければならない。
小さいとはいえ建築士事務所の業務の継続のあり方を真剣に考えなくてはならないときに来たようだ。