2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

やれやれ土曜日。

2019年11月30日 | ひとりごと
何となく一週間が終わる。まずはのんびり。
中曽根元首相がなくなる。「首相公選」の大きな看板が記憶にも残る。旧長州勢が幅を利かせる政界にあって上州といういわば傍流から結局首相に上り詰めた。
中曽根元首相が心を砕いたされる日韓関係はギクシャクしたまま。ネトウヨはもはや韓国は赤化したと突き放すような論調だが大陸の端にあっていつも大国に圧迫されてきた国の舵取りとは容易なものではないのだろう。現に南北分断は自由主義陣営と共産主義陣営との対立の結果だった。ドイツやベトナムが統一されたのに未だ朝鮮半島には2つの国が存在している。なんとか韓国を自由な国の仲間として手助けできないものかと思うが計算高い彼の国の心を開くのは容易なことではなさそうだ。

上京して研修会

2019年11月29日 | ひとりごと

一年に一度の弁護士会の住宅紛争処理に関する研修会に出席。改正民法と基礎構造の2つのテーマについて聴講する。
住宅をめぐる揉め事は後をたたない。こちらもいつ当事者になるかわからない。善意が通じないこともある。
弁護士と建築士が一緒に講義を受けるという独特の雰囲気の会場。専門用語が飛び交い、頭をかしげながら午後の時間を過ごす。
それにしても人が多い東京。

冷え込んできた

2019年11月29日 | ひとりごと

11月も残りわずか。いよいよ冬の気配。お昼は井野駅前の「オリーブ」というカフェでドライカレーを食べる。この店のメニューは懐かしいものばかり。グランドピアノが2台もあるフロアーの明るい店内で軽いクラシックを聞きながらのランチも悪くない。ちょっとした気分転換。

デザインすること

2019年11月26日 | ひとりごと

最近撮影で山に入ることが多い。カメラバッグはショルダーバッグタイプを使い続けていたが片掛のアンバランスからか、腰痛を引き起こし、とうとう背中に背負うことにした。登山用品は機能的にできている。普段使いにも使い勝手が大変良い。いつの間にか身の廻りのものが登山用品に変わってしまった。今通勤にいただきもののミレー リュック クーラ 20を背負っている。さすが登山用品で実績のあるメーカーで把手一つも吟味されている。胸の位置のバンドをロックさせる部位に小さな手掛が付いている。これだけですごく使いやすい。デザインが実用をきちんと支えている。



昨日、自動車を運転していてハッとなった。対向車の前照灯が小さく見えたので右折しようとしたら思いの外すぐ近くまで来ていた。
タングステン電球の時代と異なりLED等新型の灯具の光源はレンズ設計により非常に小さくできるから目付きの悪い車が増えた。
40年前はシールドビーム全盛で179Φ丸型2灯式の灯具は互換性があり、ヨーロッパ系のハロゲンランプもシトロエンなどをのぞくとほぼ規格の丸型だった。
アメリカが変形レンズを認めるようになってからなんとも変形レンズが普通になってしまった。

それはともかくレンズの大きさがまちまちというのは暗い道では遠近感に錯覚を呼び寄せる。最近モデルチェンジした国産車には特に多い。予防原則からして困ったものだ。つまり美しいものは機能的ではないかもしれないということだ。デザインは芸術ではない。技術だ。

冬支度

2019年11月25日 | ひとりごと

山の方では雪の便りもちらほら。紅葉も終盤。道端の菊もすっかり姿を消してしまった。寂寥感がつきまとう。
ともあれ一時の華やぎが秋がおやり冬が来ることを伝えている。今日は木枯らしも吹き小枝が揺れて焦点が合わず一苦労。


台風の跡

2019年11月24日 | ひとりごと

久しぶりにロードバイクを乗り出したが北行は大渡橋を過ぎて直に通行止め。だいぶ路肩が傷んだらしい。引き返して井野川サイクリングロードに入ろうと思ったらこちらもフェンスがすっかり路肩ごと川に落ちている。身近には被害が少なかったからのんきでいたが身近でも台風の爪痕を間近に見ることになった。路面は大量の落ち葉に覆われハンドルを取られないように慎重に走る。



それでも群馬の森は紅葉の見頃。多くの人でで賑わっていた。新柳瀬橋経由で関越の側道を北上して帰路につく。サイクルコンピュータのセンサーが不調で距離数はわからないがおそらく30km程度の走行であろう。風もなく気温も少し高めでまずまずのコンディション。お尻が痛くなったのはサボって皮が薄くなったせいか。久しぶりの爽快感を味わう。

冬が来た

2019年11月23日 | ひとりごと

どんより曇り空から冷たい雨に変わる。仕事場も旧に冷え込み暖房機のスイッチを入れる。朝から入れるのは半年ぶりくらいだろうか。
新しい仕事場に移ってもうすぐ一年。冬から春、夏、秋と季節は巡りもうすぐ一巡。あっという間の一年だった。

JIA住宅部会の日

2019年11月22日 | ひとりごと

JIA住宅部会の11月部会の日に出席のため上京。早いもので来月はもう忘年会。年が明ければ早くも次年度の行事決定。その前にOZONEで市民講座のコーディネーターの仕込み。慌ただしいものである。
今日はWEBサイトの更新と、会員のヨーロッパ見学旅行の報告会。環境問題における理詰めのドイツの取り組みはなんとなく目先の経済優先の日本とは大違い。相当差が開いてしまった。かつて世界一の科学技術国だった伝統は途切れていないようだ。モノマネに終始してきた日本とのの差も感じる。

極東情勢が一層混沌としてきた。薄気味悪さを感じられずにはいられない。朝鮮半島の紛争に巻き込まれなければよいが。
韓国と北朝鮮が合併した場合、日本海が最前線になる。アメリカは国連軍として韓国に多くの軍事技術を残してきた。例えばF15Kなどそう安々と朝鮮に渡すとは思えない。なにかの口実を作って軍事介入をすることは十分考えられる。その場合嘉手納や岩国、厚木、横田、三沢などアメリカの後方基地になるから北朝鮮のミサイルは十分届く距離である。日本全土が戦争に巻き込まれることになる。更に日本海側に避難民が大量に漂着。
桜の愛でている場合ではないのだが公私混同の甚だしいのんきな日本の首脳はどう対峙するのであろうか。

沢尻エリカは尿から薬物反応が出なかったそうだ。もっとも薬物使用を自白しているとか。芸能人はかつてといわれ素人とは明確に線が引かれていた。今は素人の集団が低いレベルで跋扈している。沢尻エリカは芸能人らしい芸能人なのかもしれない。

川崎市立日本民家園

2019年11月19日 | ひとりごと

GICC群馬インテリアコーディネーター協会の11月勉強会は川崎市生田の日本民家園見学。ここを初めて訪れたのはかれこれ48年くらい前だろうか。
この世界に飛び込んだ頃、高校の3年先輩に当たる林伸彦さんに大変お世話になっていた。高円寺の4畳半のアパートに転がり込んでいたこともあり建築についても大いに影響された。写真を始めたのも林さんの影響が大きい。オリンパスOM1を使っていたと思う。部屋にはモノクロの写真が沢山飾ってあった。クリアホルダーなるものを知ったのも林さんの部屋だった。



日本民家園なるものがあると聞かされ初夏のある日、初めて日本民家園を訪ねた。そのころ街から流れていた吉田拓郎の「結婚しようよ」が妙に今でも頭の中に残っている。古い民家群だから今更新しいも古いもない。時間を経たものだけが持つ風格には変わりなかった。48年の間に少しは民家の知識も増えた。その後何回か訪れているがそのたびに新しい発見がある。機械加工などなかった時代の職人龍の手仕事、そして地域の人達の結に見られるような共同作業、現代と違った暮らし、様々な想像力をかき立たせるものがある。今年は紅葉の時期に訪れる事になった。少し早かったが晩秋の里山を楽しんだ。


遅れる紅葉

2019年11月19日 | ひとりごと

梅田の山に紅葉を撮りに入る。期待していた渓流の効用は始まったばかり。今年の紅葉はいつになく遅いようだ。もっとも緑から紅に変わりつつある鮮やかな紅葉も見ることはできた。自生している紅葉である。渋い色もまた趣がある。今年はまだしばらく楽しめそうだ。

それにしても沢尻エリカ残念。もっともマスコミ報道には大きな疑問。なぜ週刊誌の盗撮など堂々と朝の番組になど垂れ流しにするのだろう。容疑者とはいえ個人のプライバシーをどう考えているのだろう。芸能人だからニュースバリューがあるからと興味本位の扱い。厚顔なコメンテーターとやらがもっともらしい話をして極めて気分悪い。NHKのニュースの序列でもなんと「桜を見る会」問題より上。ますます「マスコミ」から「マスゴミ」に傾いていくのか。

充電

2019年11月17日 | ひとりごと

スマホの充電に失敗して出先であたふた。最も今日は自身の充電日。あわただしかった選集を振り返りながら片付けごと。
午後散髪に行く。ずっと町内の理髪店に御世話になっていたのだが仕事場が高崎に移って以来時間がなかなか取れない。
薄くなったからもっと散髪に気を遣わねばと思う。
仕事場の近くの理髪店に行くことが多い。スタッフの人たちとも顔なじみになった。
町内は高齢化が著しい。生活に密接な店が成り立ちにくくなってきた。まさに過疎地の体。

やれやれ週末

2019年11月16日 | ひとりごと

今週が終わりそう。少しの解放感。近所を徘徊。今朝は久しぶりに電車出勤。用事が貯まるとどうしても就寝が遅くなり、朝の寒さも手伝って起床が遅れる。
08:24分の列車に乗るにはやや駆け足になることも度々。自動車の気ままさに慣れ親しんでいるのでこの辺の窮屈感には未だ馴染めない。
一方乗ってしまえばお気楽なものだからとにかく早起きするしかない。

今日もろくでもないニュースばかり目にする。あーそうなんだと傍観するばかり。良くない流れに身を任せている諦観。