2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

二十年目のストリートビュー

2013年04月19日 | ひとりごと
最近時々古いフィルムをデジタル化している。アナログ時代のほうが一枚一枚を丁寧に撮っていたとはいえ、膨大な量の中から選ぶのは骨の折れることだ。
二十年前のシャルトルの水辺をスキャンした。丁度連休前の同じ時期であるはずだ。
記憶がよみがえる。

Googleでストリートビューと云うのが話題になっている。
いたずら心で記憶をたどって撮影箇所を探す。
あたかもシャルトルの町をさまよっているよう。

しばらくして発見、特定する。
二枚の画像が二十年の年月を感じる。
変わったもの、変わらないもの、様々である。
あっけない海外旅行。
古い町にも二十年の間に現代建築が増えている。
現代の建築家ががんばってみても時空を超えた景色に溶け込むのには未だしばらく時間がかかりそう。

今年からJIAの支部保存問題委員に赴く。
新陳代謝を良しと時代からストックを尊ぶ時代間隔の変化。
しかし取り壊されないほどの建築を作ることの覚悟こそ問われる時代。
さあたいへんだ。

住宅作品「ひかりの家」発表会終わる。

2013年04月15日 | ひとりごと
「ご来場ありがとうございました。貴重なご意見、御感想を今後の活動に役だたさせていただきます。」

4月13日(土)14日(日)、住宅作品「ひかりの家」二日間の発表会が終わる。

改めて開催を快諾していただいた建築主、そしてお越しいただいた方々に感謝の意を表したい。
幸い好天にも恵まれ、100名を超える大勢の方々にご覧いただくことが出来た。

やはり、様々なご意見、肯定も否定も大変ありがたいことだ。
肯定の中に埋もれる否定、否定の中に埋もれる肯定を時間をおいて冷静に受け止めたい。

「ひかりの家」オープンハウスに寄せて

2013年04月12日 | ひとりごと
今週末、4月13日、14日と「ひかりの家」オープンハウスと称して住宅作品の発表会を開く。
まずは入居前の新居を外部の方に公開をするという厚かましいお願いを快諾していただいた建築主に謝意と敬意を申し上げたい。

オープンハウスという発表会の場合、多くの条件が整わないと開催することが出来ない。
まず、建築主の承諾がいること。完成に至るまでトラブルなく、かつ期待以上のものが仕上がらねばとても承諾いただけるものではない。
また入居前の公開を厳に嫌う建築主もおられる。当然のことである。こちらも会場運営には細心の注意が必要となる。
工事の遅延も心配なことの一つだ。竣工から入居まで様々な理由で時間が取れないことのほうが実は大きい。
その意味で今回のオープンハウスは次第点に届いたかなというところだ。

オープンハウスの準備は竣工の2カ月前から始まる。
担当者はオープンハウス開催へのハードルをいつも意識しながら現場監理に当たらなくてはならない。
正直普段見過ごすような些細なことまで気になるものだ。
今回は建築主の床の塗装まで立ち会った。床に肘をついて舐めるように床の状況を見ながらの作業だ。
しかしこれらの経験が次の仕事の集中力を高めるのに非常に大きな経験となる。
開催中は朝から晩まで現地に詰める。ほぼ住宅の一日を体験できる時間でもある。
ここで設計意図が正しかったかどうかじっくり反省できる場でもある。

今回も多くの専門家の皆様をご招待した。
日頃気が付かないことをお指摘いただければ幸いだ。

私たちが作品と位置づける建築の設計行為だが当然所有者である建築主の意思のもとその具現化と深化をお手伝いする行為である。
初めて作品展を開いたのは開業後5年、本音でいえば良く5年館持ったなというのが実感で、それでも現事務所が当時画廊であったころ写真や模型を集めて開催した。
このとき友人の紹介で撮影をお願いしたのが現在に至るまで主要写真を撮影していただいている齋部功さんだ。
撮影に立ち会っていてプロの撮影に対する強烈なこだわりというのを感じるとともに「みられる建築」ということを初めて実感した。

なにせ齋部さんは名だたる建築家の作品を撮影している建築写真のプロである。
そのプロがファインダーを通して見ている画面に映る我が作品、
ものすごく恥ずかしくなった。
自分の立ち位置を理解せず撮影をお願いした後悔とともに次の作品展までには胸を張って撮影をお願いできるようになりたい。
この思いはその後の設計態度の微妙に影響したと思う。
事務所のブランドイメージの安定化のためにもなんでも建築主の要望に沿えないこともある。
そのことによる仕事の停滞も覚悟しなくてはならない。

そんな懸念もおかげさまで良いほうに外れ、群馬県の住宅設計コンクールではたびたび入賞を続けるようになった。
その後「風の家」「響きの家」「里山の家」「北郊の家」の現地発表会、2011年の20周年記念作品展、2012年「つづく家」現地発表会と開くことが出来た。
これらの機会が事務所に質の向上につながることを願って明日からの会に備えようと思う。



建物の完成、住うことの始まり

2013年04月08日 | ひとりごと
住宅という建築に求められるのはまずシェルターとして自然界から家族の保護、
いっぽう地球温暖化をはじめとする環境悪化への対応。
そしてここちよさというスケールの当てようもないあいまいな評価軸。

いずれにしても質への要求は高まる一方である。
そんなおり、最近完成した住宅では半完成の状態で引き渡されたものがある。

戦後のある時期まで、白木の床を糠袋で拭き上げるのが一般的であった。
障子貼りも自分でする。
塗装された合板フロアーが一般的になって以来、床の手入れも変わってきた。

今回は床の最終塗装を建築主のご家族が行った。
もちろん塗料や道具、塗り方まで米田設計のスタッフが一緒になって手配した。
そもそも設計事務所サイドが施工にそこまでかかわることが良いことかどうか評価のわかれるところである。
すなわちプロの職人さんに混ざって仕事をするなど大変僭越なことなのかもしれないのだ。

しかし住宅は工事の完成をもって完成ではなくむしろスタートであるといえる。
建築主の価値観によってしつらえられた空間が家族の成長とともに変化していく。
熟成も劣化も両方ある。
しかし過ごし時間とともにその住まいは存在し続けるのだ。

品質管理だとか、現代では責任論ばかり先行していてとかく保身にばかり走る世の中だ。
半完成の状態であとを建築主にゆだねるということはいわば現代的な思考とはいえないかもしれない。
しかし、こと住宅のように消費される存在ではなくむしろ増殖していくととらえれば、工事引き渡しは時間軸の中ではほんの一瞬なのかもしれない。

新しく仕上がった住まいが成長していく様を見守りたい。

一票の格差

2013年04月04日 | ひとりごと
一票の格差が違憲であるそうだ。
一方群馬の各地では小中学校の統廃合が進んでいるらしい。
私が設計を担当した中学校も廃校になるらしい。
ロードバイクで群馬の山道を走ると限界集落にであうことも多い。
あるいはすでに廃村になっているところも。
人口が首都圏に流入する傾向は一向に変わらない。

東北地方もより深刻のようだ。
人が住まなくなった国土をどう今後守るのだろうか。
隣接国の侵入のことはなにも沖縄だけのことではない。
長大な海岸線を持つ日本である。線的にも管理しきれないのではと不安だ。

一票の重みも大事ではある。
しかし荒廃しつつある国土全体に気を配る覚悟なしに単純に票の価値を論じてよいものか。
特に首都圏の人に問いたい。

裁判所の判断は単純に法律の判断でよい。
一方政治の次元ではもっと大きな視点を求められるのだと思う。
政争の具にしている時間はない。