2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

オープンハウス終わる。

2012年04月29日 | ひとりごと
藤岡の住宅作品発表会「つづく家」が無事開かれた。
米田設計の主催ではあるが所員の横堀が実姉の家族のために設計した家でもある。

もともと住宅という分野の設計はごく私的な用途のものであり、建築主との意思疎通が他の建築より、さらに密接なものが要求される。

この点自邸や身内の家ともなると、個人的な嗜好が濃厚に反映されるものだ。
彼の個性を感じさせる数々の仕掛けがデザイン的にも良く昇華され楽しい家庭を想像させるものになっている。
とはいえ設計のベースとなる技術的なものはいままでの仕事で習得されたものが堅実に生かされていた。総合的にはまとまりの良い住宅に仕上がったのではないか。

設計関係の友人たちも多数見に来てくれた。デザインと建築としての基本性能に関してのせめぎあいはいつもある。その境界線の長い壁をどこに引くか、友人たちの批評を聞いていると興味深い。やはり米田設計の伝統は相当手堅いもののようだ。

この住宅をごらんになって横堀と同世代の方々にどう映ったかも非常に興味のあるところだ。現在も70歳代から、30歳代まで幅広い年齢層の建築主の仕事を手掛けているが建築に求められているものがこれからどう変化していくのか、今後の動きに注目したい。

地鎮祭(起工式)

2012年04月17日 | ひとりごと
今朝は早朝より地鎮祭があり、参列した。
官公庁の正式行事では起工式という。
地鎮祭は神道の宗教行事の一つなので政治宗教分離の建前のためにそうなっているらしい。

いつものことながらこれから始まる工事への期待で華やいだ気分になるものだ。
住宅であれば一生長い付き合いになる建物だ。それだけに建築主のご家族の気持ちの高ぶりもひとしおであろう。こちらもこの気持にこたえなくてはならないと改めて思う。

神事は土地に関わる神様をお呼びすることから始まり、御馳走でもてなし、工事の無事をお願いし、敷地を清め、参列者がそれぞれの気持ちをお榊に託し、神様にお願いし、ごちそうを下げ、またお帰りいただくという流れで進む。
キリスト教以前の祖先崇拝の流れの多神教ならではのものだ。

以前とある宗教団体の施設の設計にたずさわった時は仏教、キリスト教の流儀で、それぞれ焼香したり、讃美歌を歌った記憶がある。
起工式というと基本的には地鎮祭、すなわち神道様式が選ばれることが多い。

今はお宮参り、七五三は神道、結婚式はキリスト教、葬儀は仏教というのが多いのではないか。
日本人にとって宗教とは何か考えさせられる。
昨年の大地震に続く原発の損傷によって、日本における全ての権威が信用できなくなっている。
宗教が無批判で受け入れることが出来るからこそ安らぎが得られるのだろうが、ほぼ無宗教の自分は何にすがったらよいのだろうか。

新入生

2012年04月02日 | ひとりごと
事務所が開業21年目に突入。
自身は60歳、人生の節目だ。
今年の同級生からの年賀状には定年だの再雇用といった文字も多く見られた。
一方勤め人ではないので自分で定年というわけにはいかないのである。
そこで自分を「新入生」と位置づけることにする。
何事もメリハリをつけないといけない。過去の延長でこれから先を考えるからしょぼくれるのだと思う。

なにしろこれから体験すること、しなくてはならないは初めてのことばかりなのだと思う。
ここ世界に入ったころの初々しい気持ち。事務所を始めた時の先の見えない不安と希望、とかく忘れがちだ。
もう一度初心に帰ろう。