ちょっと横になったら時計の針が大分進んでしまった。また特に書きたいことがないと記録する。
(以降追記)
と思ったが落ち着いたらカメラのことを思い出した。Nikon(ニコン) 接眼目当て DK-19に換装した。
未だマニュアルフォーカス、つまりピントリングを指で操作し、目標を捕捉するのでカメラのEVFと目の間から光が入ると結構見づらいのだ。
なかなか具合が良い。facebookの「SONY α series Japan」というグループに登録していると有用な情報が入ってくる。
もともとミノルタが先陣を切ったAFだったが今はプロ用機材といえばニコンかキャノンだ。α7Ⅱのようないわゆるミラーレスといわれる機種は一格下に扱われるようだ。
なぜこの機種を使いたいと思ったかというと旧ミノルタのMCレンズを所有していたことにある。ミラー構造がないので撮像面とレンズの取り付け位置がMCレンズの場合43.5mmに対しEレンズでは18mmと小さく、変換アダプターで調整することで変換接続ができるのだ。これはライカのMマウントも28.8mmなので可能だ。もっとも財布が許さない。
MFのSRT101からAFのα7700iに変えた際、なんと便利なものかと思ったが、気がつくと目標を注視しなくなっていた事に気がつく。そして鉛筆で書き写していたことの意味を再認識もした。NEX6を購入するきっかけはそんなところだ。さらに撮像素子がフルサイズという35mmフィルムの大きさのα7シリーズが出てレンズ本来の機能が使えるようになったのでα7Ⅱに変えた。
一眼レフは鏡とプリズムを組み合わせてレンズ内の像を直接確認して撮すという機構だ。カメラ上部にプリズムガラスを収納する突起が出ている。ライカのレンジファインダーやローライフレックスの二眼レフなど様々な機構のカメラも一旦一眼レフに落ち着いたかに見えたがデジタル化を突き詰めればミラーも不要になっていくだろう。
OVFに比べEVFは電子的な画像であるから不自然さはあるもののMFの場合ファインダー内の像を簡単に拡大が出来、老眼には大変優しいのだ。
現在SONYはレンズ交換式の二種類のカメラを作っている。ミノルタから引き継いだαとミラーレスのEレンズだ。
ミノルタはMCレンズをあっさりやめAレンズに変えたことでプロ用の需要を失ってニコンやキャノンの後塵を拝するようになったといわれる。
規格をEレンズに一本化するにはまだ時間がいるのであろう。
熱心な一眼レフマニアにはミラーレスに対し、一種の警戒感と蔑視の眼差しがある。もちろん特定用途に於いてはまだまだまさることもあるだろう。
しかしもう中にはフィルムははいっていないのだ。LRなどで現像の自由も手に入れた現代だ。レスというネガティブな表現から一眼レフも含め「レンズ交換式スチルカメラ」というカテゴリーに収斂してしていくのではと思っている。
ライカのレンズが未だプレゼンスを放っているように像を切り取る道具である。とにかく撮ることを楽しもう。
夕食に本町通りの「インドレストラン パナス」による。
通りを歩いていて香辛料の香りが漂っているので寄りたいと思っていた。
様々な香辛料の合わさった味わいは日本食にはないもの。
ナンを右手でちぎるのに四苦八苦しながらインドカレーを味わった。
後一日で連休に入る。もっともすぐ2日仕事をして本格的には3日から。
憲法が改定になったら3日の休みはなくなるのかと不謹慎な発想。
経済優先での米国追従で真の日本の安全保障というものをないがしろにしてきたつけがここに来て朝鮮半島問題で吹き出した。
これは与野党双方の責任だ。水道や種子法の改悪など売国行為であろう。
総理府からの空襲対応のチラシはまさに噴飯物だ。戦時中のバケツリレーから一歩も前に出ていない。
ミサイルの発射ボタンを押す人は落ちた先での悲劇を直接目にすることはない。いまだ阻止する有効な手段はないとされている。
ここに至るまでなぜ外交努力を怠っったのだろうか。日本の指導者層に期待できないことが悲しい。
事務所の鉢植えの木香薔薇が咲き始めた。昨年より1週間程度遅いようだ。
2006年の画像辺りから登場するのでもう11年咲いていることになる。
最近少々花のつきが悪くなってきたようで心配だがこの花が咲き始めるといよいよ今年一年が動き始めるのだという実感が湧く。
小さい花だが頼もしい。
JIA住宅部会のメンバー3名が5月23日の「住宅部会の日」の企画について打ち合わせのため前橋まで出向いてきていただいた。
今年の住宅部会のテーマは「職能」である。
職能というのは一般的にはあまり聞き慣れないが仕事の背骨としていつも意識していなくてはならない概念である。
一方経済活動という側面で住宅生産という観点で見た場合、時代とともに設計者の立場は様々に変化してきた。
これからも社会にとって必要とされる存在で有り続けることができるのか、岐路に立たされている。
足元をもう一度見つめ直すときが来ている。
とはいえ、「パーラーレストランモモヤ」でソースカツ丼の昼食、また住宅の工事現場や竣工案件をご案内し、貴重なご意見もいただけたし、田舎ののんびりした風景も楽しんでいただけたようで、貴重な交流の機会になった。
お越しいただいた皆さん、ありがとうございました。
街中をざわざわさせた桜も花筏とともに季節の流れに乗っていってしまった。
気がつくと白や紅色のハナミズキの派手な花があたりを明るくしている。
外来種だけあってぼってりした花びらは繊細さはには欠けるが丈夫そう。
又一つ季節が進む。
JIA住宅部会の4月例会は渡辺武信さんと郡山毅さんの対談。
お元気な渡辺武信さんのお話を聞くことが出来た。
人生における建築との関わりについて深いお話、今、我々の立ち位置が見えにくくなっている時代だからこそ大変示唆に富んだ内容であった。
こういうお話が聞けるのもJIA、あるいはJIA住宅部会ならではのこと。口にすることでわかることもある。懇親会でも有意義な話をたくさん聞くことが出来た。
久しぶりの終電。
総会も今日が最後。「JIA群馬地域会(公益社団法人日本建築家協会関東甲信越支部群馬地域会)」の総会が前橋市内の「さくらホテル」で開かれた。
今日は議長を務める。1時間強の総会となったが無事終了。この会に入って30年。顔ぶれも少しづつ代わる。今日見えなかった皆さんお元気であろうか。
年度初めは総会シーズンでもある。今日は群馬インテリアコーディネーター協会の総会。
前身の群馬インテリアコーディネータークラブに参加したのは開業直後のことであった。
建築設計というハード、端的に言えば箱物をずっと手がけていて、いざ住宅分野の仕事を始めて大きな壁に突き当たった。
什器備品工事とか窓装飾工事といったいわば建築工事の傍流が非常に大きな意味を持つのが住宅分野だ。
このクラブの勉強会でいわばその入口を教えていただいた。その後も少し違った分野の人達との交流は大切なことであり、ずっと続いている。まだまだ目の話せない同協会である。
この備忘録というブログは2006年に交通博物館が閉館になる際に見に行ったところから始まった。
古い書類箱を整理していたら小学3年生のときの絵が出てきた。1960年4月6日と記録がある。


初めて交通博物館を見学したときの上京途中の車窓からカーブに差し掛かり見えた先頭寄りの列車を描いたものだ。
この光景は今でも高崎線に乗ると思い出す。もっとも今は住宅などが建て込み面影はない。
地図を見ると倉賀野から新町にかけての風景ではないかと思う。
記録を調べると高崎線の電化は昭和27年。配属されていた電気機関車のうちEF58だけが斬新な外観で戦前からの車種とは一線を画していた。
EF55は流線型といわれながらも妙に古臭く感じたものだ。この絵のときはEF55のような気がするし、途中で機関車を交換したような気がするが定かではない。
現在の群馬トヨタ本社のあたりに蒸気機関車用の高崎第一機関区の扇型車庫が有り、沢山の蒸気機関車がたむろしていた。客車は雑多な車輌が混ざり、色はあせ、かつ石炭のばい煙でくすんで見えた。この絵を見ると電気機関車だけ色が赤く塗ってある。客車の色がくすんで見えたのに対し機関車は新しく光っていたのであろうか。とすると新製配置のEF58か。
流石にそこまでの記憶はない。
古い書類箱を整理していたら小学3年生のときの絵が出てきた。1960年4月6日と記録がある。


初めて交通博物館を見学したときの上京途中の車窓からカーブに差し掛かり見えた先頭寄りの列車を描いたものだ。
この光景は今でも高崎線に乗ると思い出す。もっとも今は住宅などが建て込み面影はない。
地図を見ると倉賀野から新町にかけての風景ではないかと思う。
記録を調べると高崎線の電化は昭和27年。配属されていた電気機関車のうちEF58だけが斬新な外観で戦前からの車種とは一線を画していた。
EF55は流線型といわれながらも妙に古臭く感じたものだ。この絵のときはEF55のような気がするし、途中で機関車を交換したような気がするが定かではない。
現在の群馬トヨタ本社のあたりに蒸気機関車用の高崎第一機関区の扇型車庫が有り、沢山の蒸気機関車がたむろしていた。客車は雑多な車輌が混ざり、色はあせ、かつ石炭のばい煙でくすんで見えた。この絵を見ると電気機関車だけ色が赤く塗ってある。客車の色がくすんで見えたのに対し機関車は新しく光っていたのであろうか。とすると新製配置のEF58か。
流石にそこまでの記憶はない。

久しぶり、本当に久しぶりに利根川CRを走る。諸葛菜が最盛期。薄紫に沿道が染まる。
吉岡温泉付近は枝垂れ桜の並木が満開。染井吉野より濃い色が目に飛び込む。

大正橋付近で115系電車に遭遇。群馬の山にはやはり115系が馴染む。

赤城自然園、こちらはまだ早春の山。かたくりの花が見頃。山の春は遅い。