2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

今年最後のブログ

2006年12月31日 | ひとりごと
5月にMixiに登録したのがきっかけになりブログをはじめた。
日記のようなものをWeb上に公開するのはいかがなものかと思ったが、先に始めた人のブログを読んでいると、その人の近況がわかったこれもよいかなと思って続けてみた。
東京にいる娘もMixiに登録していることがわかり、お互いに近況がわかって面白かったのだが一方的に切られてしまったので今は彼女の日記は読むことが出来ない。年頃とて親には知られたくないこともあるのだろうがちょっと心配と嫉妬。

自社のホームページも法人とはいえ極私的な企業であるから自分史のようなものである。ブログは日記的な要素が強いから後で読み返すといろいろ思い出すこともあるのだろう。そんなわけで備忘録。

文責のないブログは無責任な部分も多いが、権力のフィルターをくぐっていないだけ真実を伝えることもある。多くの情報から真実をつかむ技術と勘を養わなくてはと思う。
えらそうな記事を書いている全国紙の新聞だって日華事変以来、戦争協力をずっとしてきた挙句、戦争が終わったら社会主義のお先棒を担ぐ始末なのだから今も絶対に信用できない。
日記という形をとりながら自分の考えをまとめつつ狭い範囲でも意見を発信していきたいものだ。

今年も沢山の人と出会った。
新しい作品もいくつか作ることが出来た。
住宅のコンクールで入賞したり、雑誌で取り上げられたり実りの多い年であった。
年末にはプロポーザルで医院の仕事を受注することが出来た。
年明け早々大変忙しくなりそうだ。
今年に増して充実した年にしたいものだと思う。


今年最後の偏頭痛

2006年12月27日 | ひとりごと
今年最後の偏頭痛(そうなればよいのだが)
今朝、早朝よりガンガン。
菅野先生に診ていただこうと思ったが、車の運転が出来そうにないのでタクシーで往復する。なんと往復4000円。鉄道やバスが廃止になって困っている山間部のお年寄りの話題が最近良くTVで放映されるが、バスが通っていても普段月間2000㎞も走っている身としては、孤立しているのも同じ。
まったく健康には気をつけなくては。
そんなわけで仕事結局全部終わらずじまい。どうしよう。

もういくつ寝るとお正月

2006年12月25日 | ひとりごと
時間の流れが加速してもやはり正月は時間の節目の時のようだ。
仕事の話題はもうすっかり来月のことばかりなのだがおっとどっこい今年中にやらなくてはならないことも。
なんとか仕上げて心気一転、来年に備えよう。
来年まずすること
ダイエット。目標79キロ。1月18日に人間ドック受診。これまでに負荷を軽くしなくてはと。
歩くこと。すっかりサボる。まず歩こう。
体力が全てだ。

天皇陛下御誕生日

2006年12月23日 | ひとりごと
天皇陛下誕生日で本日は事務所はお休みといいたいところだが仕事。
前橋市内の住宅の1年検査の立会いあり。
きれいに使っていただいているのでうれしい。
竣工とほぼ同じく生まれたお子さんも立派に成長されている。
危険防止にあちこちカバーがかけてある。危険な箇所を指摘されているようで少しドキッとした。

先週も土曜日は「幸塚の家」・・昨年のぐんまの家の入賞作品の2年検査。
こちらも経年劣化が少なくほっとする。
ディテールにいろいろ考えをめぐらせたことを思い出した。
結構細かい工夫をしている住宅だ。

経年次点検で思わぬ改善点を発見することがあり、その都度改善を続けているが、その住宅固有の工夫したことなどがつい忘れられていることに気づく。
改善も大事だが創作に一層関心を払おう。

今日もガンバッテイルゾー

2006年12月18日 | ひとりごと
今日もガンバッテイルゾーというのはがんばっていないということ。
対応する案件が多すぎて、前後左右漂流状態。
所員が帰ってからようやくタービンが回りだす。
今週が実質的に今年最後の週。
やり遂げねば。・・・・・・

渋川の住宅

2006年12月15日 | ひとりごと
渋川の住宅の請負契約が調印になり監理業務に移行。
100坪以上ある明治期と思われる農家を解体することになる。
立派な民家だったが住む人がいなくなると維持できないのだ。
同じようなことがあちこちでおきている。
島村にしてもそうだ。

時にニュースで取り上げられるが大きな家を維持するのは時間とお金が必要。
何とかならないものか・・・・

東奔西走

2006年12月13日 | ひとりごと

新前橋の住宅が基礎のコンクリート打設。
木造住宅とはいえ構造計算を本格的に行なったので鉄筋は非常に多い。
逆にいえば構造計算をしないと不足しているかもしれない。
埼玉で木造の住宅で構造計算に不正があって建築士が処分されたとのことだが建売の木造住宅の規模では経営的に構造計算まで行なっていたのでは間尺に合わないのだろう。
しかし構造に関心があるのであればやはりきちんと強度を確かめるべきだと思う。
愚直に技術者としての良心を貫きたい。

午後は高崎の新規の案件、また前橋に出来るマンションの打合せ、旧宮城村の住宅の打合せと大忙し。文字通り東奔西走であった。


グランボアの菓子パンいろいろ

2006年12月13日 | ひとりごと
川原町のグランボアが入っているノースショアが消防検査。
赤い消防車が登場。
菓子パンをおやつに買う。

沼田の住宅の新築祝いにクリスマスリースをエムズガーデンで作ってもらう。
あの場所には不釣合いかもしれないが、これも一興かと思い送ることに。
思い切り赤くして欲しい旨頼む。

早いものでもう二年出来てから経つ。

結城屋の田舎蕎麦

2006年12月11日 | ひとりごと
仕事の都合で結城屋で少し早くおひる。本当は仕事にかこつけていっぱいになってしまわないうちに寄りたかった。本当にお昼休み時間に合いたいお客さんがいたのだ・・・・
普通なのに普通においしい店。

先月伐採した杉丸太を見に寄る。直径が太いものは60センチ以上あり、料理のし甲斐がありそう。

しかし旧宮城村にはやたらと大きな民家が目立つ。阿久沢家などはそれほど大きくないから近代になってから養蚕などで潤ったのだろう。赤城山と屋敷杜を背に上州らしい風景。外来種の変な(失礼?)住宅が目障り。魚と同じで負けてしまうのだろうか。

昨日は渋川の住宅の最後の詰め。少々変更が出たが良い家になりそう。師走の街は大渋滞で打合せが遅れた。(におくれたのにあらず。)

土曜日は木住研のセミナー。
担当するのはこれで終わり。人前でしゃべることそのものが苦手なのにさらに調べごとで多くに時間を割き大変だったが、知識の再確認や自分の考え方をまとめるには大変良い機会をいただいたと思う。終わった後はいつもの通り「伊丹」で反省会。JIAと違い、飲むための反省会で昔風。さらにスナックにお付き合いし、久しぶりのカラオケも。
JIAの忘年会はJIAの会議室で持込の惣菜や飲み物で「建築」を肴といった感じでなじめる。
いずれにせよ行動が次のステップにつながらなくてはいけないのでは。



3日めの忘年会終わる。

2006年12月08日 | ひとりごと
群馬県中小企業家同友会前橋支部の忘年会に出席。
JIA中心に動いているので同友会は欠席がち。
久しぶりに会う顔も、新人のまだ知らない人もいろいろ。
長い付き合いなのでほっとする。
いつもの村山さんの最中と蕎麦、横堀さんのきのこ汁などなどおいしい。
帰りに山猫館書房に立ち寄り「朝香宮邸」の本と「宮殿」二冊を購入する。
どちらもじっくり読みたい本。

昨日はきたづめで事務所の関係者と忘年会。
関係者には初めてのお子さんの誕生や、二級建築士合格、福祉住環境コーディネーター合格、お子さんの大学合格、新しい就職先の決定などなど明るい話題でいっぱい。この調子で来年も良い年であって欲しいと思う。
きたづめでは初めての宴会。良心的な料理内容できっと地元の人たちから支持されるだろう。

一昨日はJIA住宅部会の忘年会。
久しぶりに顔をだす。地域会の代表のほうが忙しく,私的な住宅部会にはなかなか参加できない。同友会同様来年はこちらにも足を運ぼう。こちらも久しぶりに会った会員が声をかけてくれてうれしい。

明日は木住研の住宅のセミナー
「シックハウス・バリアーフリー」について話す。
英語を日本語にどう訳すか。ここから話を始めるつもり。
表意文字系の日本語文で表わせないということは内容を理解していないことだと思う。

市役所地下のきつねそば

2006年12月04日 | ひとりごと
市役所地下のAランチはカツどん定食だったので迷わずきつねそばに。
なぜかここのところ食欲旺盛。かつ運動不足。
6日からは連続4日の忘年会。
6日はJIA住宅部会。会員の近況報告を兼ねるのでかなり楽しみ。
7日は「きたづめ」で研修をかねて事務所の少し早い忘年会。
8日は中小企業家同友会前橋支部の忘年会。JIAの代表を終わればまたこちらの会で経営の勉強。
9日は木住研のセミナー後、反省会兼忘年会。
実は10日は渋川の施主と夜会食。
11日は「ミカミ」さんの忘年会なのだがこんな調子なので仕事がたまっておそらく欠席させていただくつもり。
体力勝負だあ・・・

沼田のトミタのひれかつ定食

2006年12月01日 | ひとりごと

沼田の住宅はいよいよ明日引き渡し。
これに先立ち、工事完了検査を受ける。また竣工写真の撮影に立ち会う。
地味ながら良い素材に恵まれ、立派な仕上りだ。

お昼にトミタによる。
偏食がひどく、豚肉が食べられなかったころ初めてひれカツを食べた店。
もう30年も前のことだが昭和村の糸之瀬農協の事務所の監理に行っていたころ初めて寄った。なにしろ幼稚園の給食の唯細切れの肉が入っていた遠冷めしたカレーのまずかったことがトラウマになってしまったのだ。これを食べてから徐々に肉が食べられるようになった恩人のような店。
しかし偏食がなくなったら今は当時より20キロ以上も体重が増えてしまった。