2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

011メモ 「2021ぐんまの家」設計・建設コンクール「土間のある平屋の家」が優秀賞を受賞しました。

2021年10月22日 | ひとりごと

「2021ぐんまの家」設計・建設コンクール受賞作品発表になりました。
群馬県WEBサイト
https://www.pref.gunma.jp/04/bi01_00102.html

米田横堀建築研究所の作品「土間のある平屋の家」が優秀賞を受賞しました。

米田横堀建築研究所 WEBサイト
https://www.y-archi.co.jp/housing/detail/post-95.html


包丁研ぎ

2021年10月17日 | ひとりごと

今日は父が包丁を研いでくれた。母が骨折の養生で家を開けてから5ヶ月がたった。未だ帰宅の目処が立たない。
その間、食事の世話をすることになり父の台所に立て怪しい手付きで包丁を握っている。
使い放しの包丁は流石に切れが悪い。林檎の皮を向いていても皮が滑ることも。
後で見ていて包丁を研ぐと言い出す。父の横で包丁を研ぐ様を注視する。
こんな時間、いつ以来だろうか。91歳になり体こそ頑強そのものだがほとんどのことが息子のほうがまさることになった。
しかし自分にはできないこともある。包丁研ぎは一度もやったことはない。
ちょっと得意そうな父を見ていてホッとする気分になる。

メモ010 卵焼き器を落とす

2021年10月13日 | ひとりごと
造作キッチンの例

朝、昼の弁当のための卵焼きを作っていて蓋をかけ火を止めていたしばらくして粗熱のとれたので弁当箱に詰めようとして蓋を開けたら卵焼き器がバランスを崩し落下、キッチンの床に飛び散る。
最近ドロップインガスコンロはIH機のまっ平らな表面に刺激され五徳が小さすぎる。五徳がつながったタイプであれば中身を入れたまま引いて移動もできるし、とにかく鍋の直径よりも五徳のほうが小さいなどデザイン不在だ。
これはとんでもない改悪であるし、ガラストップだけ真似をしてもガスバーナーの構造上の違いは解消できないのだ。
であればIHに移行したくなるのだが裸火を制御できないのはなんだか人間をやめるようでさびしい。

少なくともリンナイのドロップインコンロhttps://rinnai.jp/products/kitchen/gas_conro/gc_dropin/st_dropin_point
またはハーマンの+DOコンロhttps://www.harman.co.jp/products/builtin/plusdo.html
外国製でもたくさん出ている。国産メーカーもIHに日和らず、使いやすいコンロを出してほしいものだ。

メモ009  ロードバイクと建築計画原論

2021年10月11日 | ひとりごと
建築計画原論とは少々古い言葉で現在では「建築環境工学」といったほうが一般的だ。
地球温暖化への建築生産のあり方が問われている今、いかに環境負荷を小さくすることができるか、建築においては行き詰まったデザイン論より遥かに重要な意味を持つ。

ロードバイクと建築環境工学がどのような接点を持ったか、これは全くの私的な事情ではある。
高血圧、高脂血症、肥満と不摂生の積み重ねがのしかかってきた50歳代中盤、ついに胆石により胆嚢摘出手術を受けることになった。術後は良好でああったものの所員が自転車通勤を始めたのを横目で見ていて自分もやってみるかと久しぶりに自転車を購入、半年で物足りなくなり、ロードバイクに手を出し、更に還暦の時に現在のバイクを記念に購入した。半年足らずで10kgの減量に成功したが現在はまた半分くらい戻ってしまった。

自転車はペダルを踏む回転運動をチェーンや歯車を伝って車輪に伝達し、自分のエネルギーを運動エネルギーに変換する仕組みだ。
極めて頼りない出力ながら、ロードバイクともなると軽快に非常に長い距離を走ることができる。ただしその非力故に上り坂や風の影響により疲労度が全く異なる。
自然に天気予報を見る習慣ができてきた。ここでは気温や湿度より風向と風力が重要である。注意してみると風向は一日のうちでも変わることがある。当然のことではあるがこれに走行コースの道路勾配と組み合わせし、楽に走れるコースを組み立てるのだ。まあ楽をしたいばかりであるが。

微気候という言葉がある。大きくは世界の気候から始まり極小は住宅の所在地の気候が建築計画に大きく影響することを改めて知らされた。
つまりエアコンだよりの閉鎖的な空間ではなく、外気と一体なった暮らしを望むならまずその土地の年間温湿度の変化、風向、特にこれは近接する自然環境、人工環境が大きく影響することに注目したい。
ロードバイクで皮膚から、筋肉から自然の力を感じることがその後の住宅設計方針に大きく関わったという次第。

メモ008 日本美の再発見

2021年10月09日 | ひとりごと

日本美の再発見とはドイツの建築家「ブルーノ・タウト」が遺した文章の訳文集である。
拙い記憶では桂離宮も彼が評価しなければ今ほど知られなかった言われている。



戦前、ドイツから亡命し、群馬県高崎市の少林山達磨寺に身を寄せ工芸について指導したという記録がある。
今年、日本建築家協会関東甲信越支部群馬地域会ではブルーノ・タウトにちなむ研究者やタウトのデザインした椅子が出てくる小説を書いた横山秀夫氏を少林山達磨寺に招き講演会をオンラインで開催する。

JIA群馬クラブ 建築学校2021
テーマ「エリカ&タウトとノースライトの建築」
【開催日時】2021年11月6日(土) 10:00~16:30
 (少林山 達磨寺からリモートでの公開セミナー)
【開催場所】Zoomによるオンライン配信
【参加費】無料
【定員】300名(申込先着順)
詳細はJIA群馬地域会WEBサイトまで https://jia_gunma.typepad.jp/jia/


少林山達磨寺におけるJIA群馬クラブ建築学校2015の画像

高崎市の実業家「井上房一郎」は美術家などの後援者として名高く、ブルーノ・タウトを招聘したり、群馬音楽センター建設にあたってもアントニン・レーモンドとの橋渡しをした。
戦後まもなくの頃まだ混乱の収まらない時期に映画「ここに泉あり」という映画でも紹介された群馬交響楽団など高崎市民の文化的レベルの高さを伺わせる。
磯崎新の設計した群馬県立近代美術館建設にあたっても大きな役割を担った。



今日は書架の「日本美の再発見」を久しぶり読む。私自身も訪れたことのある建築が取り上げられているから文字の中に埋もれている景色を思い出させてくれた。

飛騨高山の長瀬旅館、タウトが泊まった部屋を案内していただいたがなんと廃業1ヶ月前だった。

最近はすっからネット情報の受け売りに終止しているがたまには文字を追いかけるのも悪くはないものだ。



メモ007 建築デザイナーと建築家

2021年10月08日 | ひとりごと
偏った意見であることを承知の上で自分へのメモです。

ひところ「デザイーズXX」などというのが流行り、建築でもデザイナーズマンションなるものが登場した。
居住空間の設計をする人を建築デザイナーと呼ぶとして建築士という称号もあるし、建築家という呼称もある。
法規上建築設計監理業務を許可されているのは建築士なのだがこれは建築技術者の資格であってデザイン行為までは評価されていない。
また「建築家」というのも本来尊敬の念を伴って使われるべき言葉だがこちらもその定義が極めて曖昧だ。

住宅分野の限って建築家の有り様を考えたい。
住宅は産業施設や医療福祉施設、また行政施設とは異なり個人、少数の同居する家族のためのものであり所有者と使用者が一致するとうことも他の建築と大きく違うところだ。
そして建築に関して専門的知識を持たないものと海千山千の施工業者とのBtoC取引でもある。
この状況の中で消費者たる建築主の権利の保護ができるのは建設会社や不動産業者に属さない建築士、すなわち建築家しかいないであろう。

もちろん住宅メーカーや工務店にも建築士は所属しているし、制度上は建築士でなくとも建築士事務所は開設できるから建築士事務所所属の建築士という立場である。
ただし当然仕事の目的は所属する組織の利益追求の一手段であるからそのための忖度や偏った判断が求められるのは言うまでもない。
典型が姉歯事件である。以後住宅メーカーでも様々な不正事案が露呈した。

しかし独立している建築士だからといって全て当てになるわけではない。
建築家に設計を依頼することをためらっているいくつかの原因がある。
1.好き勝手な家を作られないだろうか、こちらの希望を聞いてくれるだろうかという不安
2.そのために予算オーバーしないか。
3.TVで広告を売っているようなメーカーと違って経営規模が小さすぎる。将来に渡ってメンテが受けられるだろうか
等々、耳の痛い話も聞こえてくる。
実際全国規模でフランチャイズチェーンを組織している企業はこの点をたくみについて建築家にはデザインに専念してもらいコストコントロールは工務店側ですると広告上でも公言している。

すべての建築家にとってこれらは克服しなくてはならない課題だ。
そもそも建築デザイナーや住宅メーカー工務店の建築士と何が違うか、日頃の行いでこれを示さなければならない。
表面的なデザインは似たようなものでも実は似て非なるもので先に述べたとおり建築主から依頼を受け建築主の権利保護を業務の中心にできる立場と所属する組織の利益追求が目的という立場は決定的に違う。

建築家の立ち位置は極めて脆弱であることは事実である。
しかしこの世界に覚悟を決めて飛び込んできたはずである。ないないづくしの中でとにかく住宅設計に執着して精進している仲間をたくさん知っている。
バーチャル空間で世界中の建築を見ることができるようになった。しかし建築家はネットサーフィンをしているわけではない。
学校教育の時代の基礎知識からから師事した建築家のこと私淑した建築家のことを絶えず研究し更に様々な知識を整理し自分のものにしてきたはずだ。
一時の流行に左右されず常に未来を見据え設計をしているはずだ。建築主以上の知見をより良い方向に導く責任を追っている。

建築デザインを求めに応じ誰にでも売る商売をしているのを建築デザイナーとすれば
建築主の権利保護、更には周辺環境との調和も視野に入れ、近隣関係を醸成する配慮まですることができれば建築家と呼んで良いと思う。



メモ006 建築士のこと

2021年10月05日 | ひとりごと
建築士、この場合一級建築士のみで考えてみよう
一級建築士は専門業務型裁量労働制が認められる 高度専門職として個人に建築設計の独占資格、また建築士という名称独占を認められまた応分の個人責任を負わされているものである。
不正をした場合は懲役刑までの処罰が対象となる。
昭和22年、荒廃した国土はようやく復興の途についたものの無秩序な危険な建築も横行し将来が危ぶまれる中、集団規定と単体規定により建築基準法および建築士法が誕生した。
その過程で欧米並みの建築設計者資格も検討されたが時期尚早とされまたこれが現在に至っている。
当時建築士は建築の基本技術を持てば本来の設計能力はなくとも試験に合格すれば付与される。実務経験も2年以上(受験コースにより異なるが)必要とされるがかつては建設関連企業に所属すれば設計経験がなくとも受験することができたが現在は設計部門での実務経験(所属長の証明等)と明確化された。さらに実務経験がなくとも資格取得後実務経験を経ることで有効となるようになっている。
諸外国では実務経験と継続職能研修に重きをおいている例も多く、まだ諸外国並みとはなっておらず、外国からは日本で仕事をする際の資格相互認証の足かせになっているとの指摘もある。

国土交通省の資料によれば 一級建築士は371184名登録されているが建築士事務所に所属しているのは74732名となっている。
出典 国土交通省WEBサイト https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/content/001376908.pdf

建築設計監理を行として行うのには建築士事務所に所属登録されていることが必要である。このことは姉歯事件によって表面化した下請け事務所の実態から運用を厳格化するために定期講習を3年毎に受けることなど制度の厳格化によって実際に業務に携われる建築士があぶり出された結果である。単純に登録された建築士に対して20%という割合でもある。すでに物故者となった先輩や引退された建築士も多くあるであろうから日本における現役の建築設計者は74732名と考えて良い。
さらに企業の管理者や研究職、行政職も含まれる可能性がある。

一方年代別のデータも公表されている。
出典 読売理工医療福祉専門学校 https://www.yomiuririkou.ac.jp/column/architect/architect2021_4.html

私を含めすでに定年を過ぎた階層が一大勢力を締めている。

全国で約74千名が多いか少ないかはともかくこれらに日本の将来の建築環境が委ねられているのだ。

メモ005 戦後の住宅設計

2021年10月02日 | ひとりごと
このブログは私的な備忘録。身の回りのことを書いてきたがふと自分の足跡をたどりたくなることもある。50年前と比べる建築設計を巡る環境は随分変わった。
当時は「公庫代願」という看板を掲げた建築士事務所が町のあちこちにあった。公庫とは言うまでもなく住宅金融公庫のことである。
建築確認申請と住宅金融公庫融資工事が建築士事務所の大きな仕事であった。
つまり建築士としての本来の仕事ではない。代願という事務手続きだけでそこにはデザイン行為はなかった。

一方1970年代になると鹿島出版会から「都市住宅」という雑誌が発刊され一般市民も住宅設計を建築家に依頼されるということがわかり始めた。
ニューハウス、モダンリビング、新しい住宅の設計といった雑誌でも建築家が紹介されるようになった。
東京地方ではいち早く建築家が一般住宅を手掛けるようになったが地方ではまだまだ建築家が設計するようにはならず、ごく限られた存在だった。

勤務時代は企業のオーナーなどの住宅を数件しか経験していないが開業してからは住宅中心の仕事になった。
ここからフルセットでの住宅設計の仕事が始まった。設計図書を公共工事レベルで全て必要な図面を揃え、監理も定期監理を実施するということだ。

設計料も東京並に10%を目指すものの周囲との相場とあまりにも離れていてその克服には20年以上かかった。
クライアントもかならずしもそこまでの内容を求めていなかったかもしれないがこちらで必要と思われることの理解を求め続けた。

なぜそんなことに執着するか。一つにはJIA日本建築家協会の存在がある。必ず自分たちの存在が必要とされる時が来ると信じている。
JIAについては後日詳細に書き込む。

メモ004 コンクリートと共に

2021年10月01日 | ひとりごと
コンクリートは建築では身近な材料。歴史も古い。
セメントと石と砂と水と添加物の混合物で水和反応と呼ばれる化学反応で固まる。
化学反応が始まって1時間ほどで凝固しはじめ約1ヶ月で所定の強度が発現する。もっとも外気温に左右されるし、実際には現場では早期型枠解体のために配合するセメント量増やしたりして1週間で80%くらいい強度が出ることも少なくない。
外気温に関しても冬期に強度の発現が遅れるので温度補正と称しわざわざ強度を上げ工期に間に合わせるきらいがある。じっと待っていればよほどの寒さでない以上はいつかは強度は出る。弊害としては高強度ほど施工に注意しないと亀裂が多くなる。(と思う)。うっかりしていると防凍剤(塩化物)などを散布する監督がいるがコンクリートのアルカリ性を損なうので厳禁である。(塩化物出ないものも存在する)

大敵は寒さだけではない。夏の日照りのほうがより深刻である。朝、型枠にちょっと水を撒いたくらいではすぐ蒸発してしまう。夏素手で鉄筋を触ってみればよい。まず火傷をする。コンクリートが水和反応に必要とされる水分が蒸発するとドライアウトといった減少が起こり十分強度が発現しなくなったり、表面に亀裂を生じる。これは強度の発現が早すぎるのが原因として考えられる。とにかくコンクリート工事前には仮設水利の確保が重要である。
また強風のときも表面の熱を奪われ亀裂の原因になるから防風処置も必要だし。打設後はシート等で覆う必要もある。
といった具合にコンクリート打設に付き合うと現場での品質管理が非常にデリケートなものであることはわかる。

いくつか記憶に残る現場がある。
当日が台風襲来の予測。200立米ほどの打設量だったと思う。打設を始めたら中止は非常に難しい。現場所長の判断一つで大変な損害を出すことにもなりかねない。幸い台風はそれたが腕組みをしたまま東の空を眺めていたことを覚えている。指揮者の判断力と胆力がいかに大切なことだったか。無事打設を終えた。

農協の事務所のコンクリート打設だった。朝から打設を続けたが夕方に差し掛かりあたりは真っ暗。投光器の下での打設。足元の水たまりは氷が張り始める。それでもスラブのコンクリートに埋まった長靴はポカポカ。水和反応を足先が経験した。

雪の朝、チェーンを巻きながら現場に向かった。打設前のスラブには雪が薄っすらと積もる。現場員は総出でプロパンガスの火炎放射器で除雪。こちらは鉄筋をあぶらないようついてまわる。薄日がさしてきてなんとか雪も水和反応も手伝い無事終了。その小学校も先年ついに廃校になってしまった。 高速道路から今も姿を確認できるがさびしいものである。