2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

Eディフェンス

2009年10月28日 | ひとりごと
Eディフェンス(独立行政法人防災科学技術研究所 兵庫耐震工学研究センター)の

実物大実験の見学に所員とともに神戸を訪れる。
仕様の異なる2棟の木造3階建ての実物大モデルに建築基準法の1.8倍の水平力をかける実験だが予想とおりにはならず、いずれ正式なコメントが出るだろうがこれが実験の大切なところといえる。

免震構造で再建された「沢の鶴資料館」、また安藤忠雄の建築群、北野異人館、姫路城とレンタカーを駆り、二日間兵庫の町を駆け回る。
震災の面影をほとんど留めない活気にあふれているように見受けられる。
当時支援活動に参加した灘区内もすっかりきれいになっていた。

夜は安藤忠雄の灘浜ガーデンバーデンで旅の疲れをとり、北野の「スイスシャレー」で会食をする。ワインをしこたま飲みホテルに戻り昏倒する。

いえ イエ 家 展 

2009年10月23日 | ひとりごと

INAX東京銀座ショールームでJIA住宅部会の展示「いえ イエ 家展」の搬入があり上京する。住宅部会の会員の多くは在京の会員であり、地方からは数は少ないのだがただ観る事よりも同じ空間においてみると比較対照もしやすい。
若い会員の参加が多いので「新建築」風の住宅作品が多い。こちらはといえば極く普通の家を出展する。隣の作品は切れが小気味良かった。

今回出展者の中にかつての勤め先の上司の子息の名前があり、会えるかもしれないと楽しみにしていたら少しお母さん似かなと思われる立派な青年になっていた。
お互い退職してからは疎遠になっていてお子さんに会うこともなかったのだが建築の道に進んだことは聞いていた。
親の職業と同じ道を歩くということは父親の仕事の姿勢に魅力を感じてのことだろう。今後の活躍を期待しよう。



赤城に遊ぶ

2009年10月19日 | ひとりごと

今期、「妙義山」「榛名山」に続いて「赤城山」に挑む。19日月曜日は事務所の定休日であるが設計スタッフ2名を道連れに難所に挑む。紅葉シーズンも終わりに近づきつつある赤城山は朝からかなりの人出であった。はじめて組むメンバーでもあるし、まずは完走を目指す。何とか3時間半で白樺牧場へ。昼食は青木別館で済ませ、小沼経由で忠治温泉方面に下る。
この路はかつては雨になると川になるような砂利道だったが混雑期の抜け道でもあるので車の往来も多い。急坂、急カーブの連続でブレーキのコントロールも儘にならない。もっともこれは体幹で乗れていない姿勢の問題とのこと。そうはいっても筋力不足。課題である。
なにはともあれ上毛三山制覇。来年こそは渋峠を目指そう。


山名の家のお別れ会

2009年10月15日 | ひとりごと

山名八幡宮の祭礼と叔母の命日に合わせ山名の家のお別れ会が開かれる。
ここには父の長兄に当たる叔父夫妻と従兄弟、祖母が暮らしていた。
従兄弟は二人とも嫁ぎ、住む人も絶えた。しかも従兄弟のうち長女も他界し残された従兄弟夫妻と亡くなった従兄弟の夫が家を守ってきたがついに家を処分することになったので親戚や親しかった近所の人たちと家のお別れ会となった次第。

小さいときはよく従兄弟と遊んだものだった。なにしろ同じ年が4人もいたし、お盆や正月には顔を合わせていた。昨年電車で前を通ったときも気になっていたのだが故人の面影がますます遠ざかっていってしまうのか。

母方の親戚は農業系の家が多く、父方のほうは勤め人が多く家風が違っていて、
子供ながら山名の家に来るとなにかモダンな空気を感じたものだった。


祖父の歩いた路をたどる

2009年10月12日 | ひとりごと

父の父、祖父は昭和20年に亡くなっているので当然のことながら生前の記憶はない。父の兄弟もすでに他界、いとこの誰も面識がないのだが墓碑に刻まれた出身地のことがみんないつも気になっていた。
場所は現在の松本市郊外、旧白瀬渕村である。
市役所を定年退職したいとこの亭主らが松本市を訪れ、なんとか探し出す。
祖父は26歳のときには高崎に来てその後なくなるまでこちらで暮らした。

祖父の子として唯一生存する父と甥、姪、その家族、そして自分と7名で現地に向かう。
先祖の墓は正連寺の墓地にあったが生家はすでに他人の手に渡っていたがご好意で見せていただく。屋敷の中の門のみが残ってた。瓦に家紋があるのを発見する。

美ヶ原に続く山のふもとのしずかな里である。
現在墓を守る現地の親戚筋の方たちから手厚いもてなしを受ける。年配者が使うのこ地方の方言から前橋と松本の距離を感じつつも祖父もきっと同じような言葉で育ったのだろうと思うと不思議な感動がある。


雨上がりの松の沢峠

2009年10月04日 | ひとりごと

今日は天候が回復するという予報だったので榛名山を登る予定を立てたのだが外に出てみればポツリポツリ。一時間ほど待機してから出発する。
榛東村の井戸尻から松の沢峠を目指す。
アックスというログハウスのレストランがかってあったがいまは別荘のようになっていた。レストランでなくなったので残念だが一部面影が残っていてなつかしい。
パン屋さんは定休日で残念。
雨上がりで路面が濡れたままでなんとなく脚力をロスしている感じ。前輪がすべる感じがしたので無理せず急勾配の区間は一部押す。
さすがに急坂の連続で久しぶりに太ももや腰が悲鳴を上げた。もちろん心臓も肺も・・・
ようやく峠を抜け湖畔に。さすがに寒い。
やせおね峠を一気に伊香保まで下り蕎麦屋で休憩。また旧有料道路を渋川まで下り、TCRを前橋まで走る。
妙義、榛名と登り、あとは赤城、これが難関だ。
群馬サイクリストとしては超えなければならないハードルではある。