2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

金子進一 個展

2013年05月19日 | ひとりごと
故金子進一の書き残した絵画の原画を奥様のお許しを頂いて画像保存したいとの思いから預かっている。
そろそろお返ししなくてはならないので級友を呼んでわずか一時間余りの「金子進一 個展」を開いた。

30点余りの作品のなかには昨年のクラス会で配られた絵ハガキの原画シリーズもあり、一同彼を偲んだ。
絵心という才能、人を楽しませる才能。自分には劣る部分に嫉妬さえ覚えるものだ。

人生の半分が病との対峙というなかで残していった作品の数々。
今感傷に浸るのではなく自分がこれからどうするか考える日々。
後ろから蹴とばされている思いがする。


五月の臨江閣

2013年05月18日 | ひとりごと
今日、5月18日、前橋市臨江閣本館で景観建築研究機構の年次総会が開かれた。
同組織は日本建築家協会群馬地域会の有志が中心となって設立されたNPOである。
昨年度は3件の歴史的建造物の調査活動を行った。
この臨江閣もその調査業務の一つであり、その縁で年次総会を開催した次第だ。

古い建物は時に寿命を待たず解体されてしまう事がある。
すなわち建物の用途と需要の不一致に起因する事態だ。

今日は多くの見学者やコンサートも開かれ結構にぎやかだったし、結婚式の前撮りの定番になりつつあるとかでかなり活用されているようだ。
古くなったといってもとはいえ遠くは浅間山や妙義山、また榛名山そして直ぐ下には館名の由来ともなった利根川が流れる絶好のロケーションである。
どんどん使われて、ずっと残っていって欲しい建築だ。夕方室内から明かりが漏れると日本建築らしいやさしい表情に包まれた空間が美しい

総会では今年新たに始まる業務も発表された。
着実に実績を重ねているのが設立に係わったものとしてうれしい。

画集

2013年05月16日 | ひとりごと
今年の1月に亡くなった金子進一の書き残した作品を奥さんから借り受け、複写した。
いずれ画集をまとめるつもりだ。また今度の日曜日には級友にも原画を見てもらう。

彼が絵を描いていたのは知っていたが、残された作品を見ていると彼の無念さが伝わってくる。
30年前の結核発症以来いつも死と隣り合わせの生活を送ってきた。
その生活の中で絵の中にひとつの安らぎを得ていたのだと思う。

彼との50年にわたる交友も断たれてしまったが残された絵がまだ彼に繋がる糸として残った。

2013年の春休み

2013年05月06日 | ひとりごと
米田設計では春休みと称して連続休暇をいただいている。
私たちの仕事は住宅でも丸一年の長い時間のかかる仕事だ。
一方、その工程が順調にいくためにはいつも時間外に多くの時間を割いているのも事実だ。
そんなわけで年に3回休みを集めている。といっても年間休日を調整しているだけなので官公庁や大企業のように土日を休んだうえさらに祭日、また有給休暇等という世界とは別である。
もっとも私は労働基準法によって週5日、一日当たり8時間という制限を受けているわけではないので24時間、365日働く権利がある。
ただしこの権利を行使するだけでは人生味気ないので、こそこそと休みをいただいている次第。



そんな今年の春休み、自転車三昧と思っていたが四月は風邪の様な体調不良、雨天、等々、散々でほとんど走れなかった。
そこで4月29日は赤城山麓、同30日はつつじが岡公園と近場を徘徊してリハビリ。



5月4日、5日と去年挫折した直江津行きを決行した。ここのところ2年続けて一泊で走っている。
しかし、おととしは帰路軽井沢で雨で中断、昨年は飯山で車両故障で中断となかなか完走できていない。
そこで完走を目標にコースを立てた。もっとも直前、天候が不安定なため自宅からの自走はあきらめ軽井沢まで輪行、飯山一泊、富倉峠を越え直江津とした。



軽井沢8時30分に出発。まだ肌寒い。しかし新緑で風もなく追分付近以外は下り坂なのですこぶる気持ちが良い。1時間ほどで小諸懐古園。信州にいると実感。



千曲川に向かって下り、川に沿って走り海野宿で休憩。きれいに修景が進む伝統建造物群保存地区は祭日でもあり、日章旗が掲げられ、明治時代にでもタイムスリップしたよう。



再び千曲川に沿って走り上田駅前に出る。大好きな飯島商店前で記念撮影。最初見たときは古い銀行かと思ったらあの「みすず飴」の店。年配の案内係の人がスーツ姿でドアを引いてくれる素敵な店だった。今年はその姿が見えず心配。



その後、上田のたぬき亭で昼食休憩。10年前の設計で一年近く通った現場だ。自分が手がけた店が繁盛している様を見るのも楽しみの一つだ。



ここまではすっかり観光モードになってしまったので、ロードバイクがかわいそうなのでピッチを上げる。と言いたいところだが午後になり向かい風が強くなりペースが落ちる。



河川敷の宿命で堤防の上を走るので体を隠す場所もない。せっかく菜の花や遅い種類の桜、桃も等咲いているのに目に入らない。風が恨めしい。昨年は追い風で絶好調だったのに。しかも堤防工事で迂回を迫られ閉口。
それでも川中島の広い河原を過ぎ小布施橋で右岸に渡る。桜堤の花見で賑やか。やはり春が遅いかな。



15時00分、小布施駅で休憩。100km走破。後25km
長野電鉄は小田急のロマンスカーやNEXが余生を送っている路線。スノーモンキーに出会う。



相変わらずの向かい風、しかも気温が下がり始める。コンビニで思わずHOTドリンクを飲む。ちょっとした登りもきつい。平均時速がずるずる下がっていく。



やっと飯山の街にたどり着いて16時30分。
昨年、帰りの列車を調べてくれたりお世話になった「風の蔵」により、マスターと再会。
今夜の宿泊先はと尋ねられ「飯山館」と答えるとよくご存じとのこと。



そもそも「飯山館」のご主人には出発前からお世話になった。
通常インターネット予約をするのだが情報が輻輳していたので直接電話で予約する。
その際峠の天候を心配され、そのアドバイスで菅平越えは断念した。
何とも気さくな方だ。やはりインターネットだけの世界はつまらない。



明治時代の建物だそうだ。雁木が残る素朴な建物。おそらく雁木が連なっていたのだろうがこの通りでは今はこちらだけになっている。
17時30分、硝子戸を引いて土間に自転車を置かせていただき、二階の客室に通される。階段は幅は広いが急な箱階段。時代を感じさせる。



のんびりお風呂につかり、夕飯のごちそう+地元の「水尾」という日本酒・・・これがうまい。でそのままおやすみ。夜の徘徊ならず。



翌5日、朝早くに目が覚める。時間がもったいないので出発の準備を始める。結局8時30分出発。まず対岸にある「飯山の家」、もう現場は終わっているが様子を見に行く。異常なし、
楽しい現場だった。とにかく地元の施工会社には良くしていただいた。
北国独特の融雪パイプの錆で赤く染まった舗装路も懐かしい。



また千曲川を渡り、仏壇町の雁木のある通りを抜け、富倉峠を目指す。直江津の海までおおよそ50km、富倉峠は登り6%4kmの峠道。道幅は広いのだが平地ばかり走っていたのでいきなり続く坂道に少したじろぐ。まあ奥利根ワイナリーに上ることを考えれば大したことはないと暗示をかけつつ登る。ややあっけなく登り切り、トンネルを抜けると同時に下り勾配。富倉集落に入る。かつては小学校もあったようだが、やはり今はさびしい印象。



そのまま快調に下り始めるが新潟県側に入ると道幅も狭くなり、路面も荒れていて油断出来ない。それでも芽ぶきから新緑に山が変わり、やがて前方には山が見えなくなる。
海が近い予感。高田城址を過ぎ直江津地区に入るとただの市街地の連続。信号だらけで飽き飽き。それでも鳥の声がひばりから海鳥に変わる。いよいよ海間近か。



北陸線の陸橋を越えるとすぐ海岸。やっと到着。11時15分
海水浴シーズン前の海岸は漂着物と捨てられたごみでややがっかり。でもこれが現実。
気が済んだので昼食を駅前で摂り13時02分のはくたかで帰路に。
在来線特急の室内の少しタイトな空間が好きだ。旅行している気分。
新幹線は仕事でいつも使っているせいであろう。この特急も北陸新幹線ができると廃止であろう。国内最速特急(新幹線以外)も乗り納めかもしれない。
越後湯沢でたにがわに乗り、両毛線前橋駅で小旅行は終わる。
さて来年はどこへ。

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