すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 梅雨空の龍が吼え・・・ 未来産業開発型自衛隊を大増員せよ!

2009年06月11日 07時17分58秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 

 

 

  

     梅雨空の  龍 大陸に  吼えており

 
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 入梅の季節は、蛍の季節であり、紫陽花や百合の季節である。

 気象衛星からの梅雨の雲を見ると、大和を守る龍が舞っているよ

うに見える。

 

 朝鮮半島から核ミサイルを突きつけられ、竹島、対馬と侵略の矛

先が向けられて及び腰の日本の上空にあって、大和の龍が、番犬の

ように大陸に向かって吼えているようである。

 

 

 

 

 

 

 紫陽花の青は、大和の龍の涙色

 紫陽花の赤は、大和の龍の戦色

 大和の龍よ、そんなに吼えなくてもよい

 深くえぐられたその傷は、今も痛むのであろうか

 

 恐れることはない

 この国は、太平洋の王者である

 その王たる魂が、武士の魂が、今甦りつつある

 

 王の復活を畏れるがよい

 大陸の赤い国よ

 半島の狂気の国よ

 半島の袋小路の国よ

 吼える龍に乗っているのは、

 太平洋の知性であり、

 太平洋の法であり、

 王たるものの気概と巨大な力である

 

 日本の武士よ

 古き龍の皮を脱ぎすてて、

 若き龍にみなぎる新生を世界に示そうではないか!

 

 

 

 

 

 

 

 

未来産業開発型軍隊を大増員せよ


 チャイナの昨年の軍事費が、アメリカに次ぐ世界第二位の規模に

達した。

 その軍事費を供給し続けているのが、「巨大マーケット」におもねる

マスコミや企業群である。

 商売のために国を売っているといわざるを得ない状況である。

 そこで、国際人ぶるのは見苦しい偽装である。

 

 ところで、国内の不況対策について提言したい。

 求人減を補う一挙両得の策である。

 

 すなわち、「自衛隊」を大増員することだ。

 大学院浪人からニートフリーターまで、かき集めて仕事をさせよ。

 

 「自衛隊」の仕事は、戦闘訓練であるよりも、各種ロボット開発、ミ

サイル開発、通信開発、人工臓器などの医療技術開発、人工島型

空母から戦闘機、戦闘ボートに至る船舶開発とそのオペレーターの

訓練である。

 軍事開発は、海底から宇宙に至るまで、未来型産業の開発を兼

ねている。

 国力を増強する有効求人である。 

 

 それが実行できる新政権、新政府を求める。

 

                  立憲女王国・神聖九州やまとの国

                   梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 入梅宣言・・・ 就職難、失業時代は遊び心の時代  着想と投資の時代

2009年06月10日 07時45分25秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  入梅tuyuiri  に  かっぱの皺を  のばしつつ

      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 昨日、博多が入梅したという。

 河童のはげちゃびんの毛ほどにしか、雨は降らなかった。

 空梅雨なのだろうか。

 

 今朝は入梅らしく、雨に始まった。

 紫陽花がうれしそうである。 

 さて、かっぱのしわを伸ばして、出かけるとしようか。

 

 

 

   

 

 

  

就職難時代は遊び心の時代


 今年の就職戦線は、学生があふれているという印象である。

 説明会の予約さえままならないらしい。

 4人程度の求人に、数日で千名を越す応募があったという地場中

小企業もある。

 大学が見向きもせず、冷たくあしらっていた中小企業にも、丁重に

もてなし、求人票にも広いスペースを提供してくれたという。

 手のひらを返したようにということである。

 

 これまで、中小企業に見向きもしなかった大学の傲慢は、そのまま、

学生の傲慢でもあったろう。

 なんとも、気概のないことよと思うのである。

 

 

 就職難の時代とは、企業が人材をもてあます時代である。

 なぜもてあますのかというと、新しい分野を開く発想も意欲もないと

いうことである。

 不況であっても、新しい仕事を開発できる人材であれば、いくらで

も採用したいというのが企業の論理である。

 従来型の仕事は不況でも、新商品、新サービスには客が集まる。

 貧乏の不況ではなく、気持ちの不況に過ぎないからである。

 

 すなわち、不況とは新しい産業を開拓せよというサインでもあろう。

 

 こんなときは、遊び心が大切だ。

 いままでにないことを、あれこれやってみるのが面白い。

 採用試験でも、スポーツ試験を入れるとよい。

 勉強しない学生の風潮を変えるチャンスである。

 

 新しい産業も、遊び心から生まれる。

 葬式ビジネスも、坊主の天下り商売にする必要はあるまい。

 あの世への旅立ちを祝う祝賀会にしてもよいのだ。

 

 車が売れないというが、商売ができる車を売れば、就職難の時代

にはいっそう買い手があろう。

 胃の痛い時代だというなら、香港なみにおかゆ屋、おじや屋がほ

しい。

 

 忙しくて風呂にも行けない人も多かろう。

 だから、洗髪屋があってもよい。

 大繁盛するはずだ。

 

 トイレのニーズも変化している。

 もっと快適なトイレ生活を工夫提供するべきである。

 

 田んぼがないと蛙も鳴かなくてさみしい。

 ベランダ田んぼセットがほしい。

 癒しの時代、農業の時代なのだ。

 

 そんな風に、新しいサービスの着想は無限にあふれ出る。

 そこに投資チャンスもある。

 人材登用のチャンスもある。

 

 失業時代、就職難の時代をおおいに楽しもうではないか。

 貧乏も、滑稽に思えるのが青春である。

 

              立憲女王国・神聖九州やまとの国

               梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ すべもなく花を愛で・・・ 育て、生かしめ、解き放て!  日本滅亡のシナリオとその法理

2009年06月09日 08時37分08秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

                                                                五月の牡丹

 


 

  すべもなく  ため息過ぎぬ  春牡丹


     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 季節はもはや春牡丹の頃を過ぎてしまった。

 なんとも美しい花の色であった。

 美しいという感嘆は、ただ佇み通り過ぎるほかはない。

 すべもなく美しいのである。

 そのような恋心もあったことである。

 

 美しさは無常である。

 この世の美しさを手にとって、わがものとしたい欲望が絵画や写真

なのかもしれないが、それでも眺めるほかはない。

 手に入れたいという欲望は満たされることがない。

 

 親の、子供に対する思いも同様であろう。

 愛すればこそ育て、やがては解き放って自由にするほかはない。

 愛するとは、守り育て、やがては解き放つことである。 

 

 育てた花はいっそういとおしい。

 美しさへの共感は、心の所在でもある

 たくさん、美しいものに共感できる人生は豊かな人生である。

 

 所有にではなく、共感に生きるほかはないのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 ああ、美しいものたちよ。

 その前に立ち、すべもなく佇むばかりであった。

 仏は言う。

 与えることが得ることであると。

 しからば、祝福して立ち去ろう。

 

 その花を育て、生かしめ、解き放て!

 わが子を育て、生かしめ、解き放て!

 その土地を育て、生かしめ、解き放て!

 良きものを育て、生かしめ、解き放て!

 

 わが下を去り、われもまた去る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 【日本滅亡のシナリオ


 日本滅亡のシナリオが視野に入ってきた。

 北朝鮮の狂気の支配者が、その命運尽きる前に、自爆テロの花

を咲かせようと、たくらんでいる。

 

 核ミサイルを日本に連射し、その混乱に乗じて一気に朝鮮統一を

果そうという狂気である。

 もちろん、日本は反撃を控え、国民の犠牲を追悼しながら、話し合

いによる解決を望む。

 「この始末をどうしてくれるのか」と。

 

 北朝鮮放送は誇らしげに宣言するであろう。

 「日本に天罰が下った。わが偉大なる同志に許しを請え」と。

 

 その混乱に乗じて、北朝鮮による朝鮮統一にむけた韓国侵略が

始まる。

 やがて、狂気の沙汰を制圧するという正義のチャイナが韓半島に

侵攻、北朝鮮軍を圧倒して自治州宣言をする。

 

 さらに、日本救済のために大量の人員を送り込んで、救済センター

という臨時政府を設立、自治州としての治安維持体制に移行する。

 これに逆らう日本人は非常事態宣言の下、非国民として処刑する。

 

 空母を配備するまでもなく、日本を制圧する最短距離のシナリオが

実現しようとしているのである。

 

 

 

 

 

 

 

国家滅亡の法理


 滅亡のスイッチが入るのは単純な理屈である。

 この世に存在する理由がなくなったときである。

 この世の存在理由とは何か。

 理想国家建設の理想と志しと気概というべきではないか。

 

 日本は、理想国家建設の気概どころか、独立国家としての気概さ

えも失った。

 その再構築がなるか否かを、今度の総選挙で問われることになる

だろう。

 「日本国憲法」を廃止し、北朝鮮を討つという気概ある政権が立ち

上がらなければ、日本の命運は尽きることとなろう。

 

 北朝鮮には、すでに滅亡のスイッチが作動し始めている。

 独立国家としての気概は十分であろうが、狂気の沙汰となっては

いたしかたない。

 まして、狂気の下に核兵器を実戦配備するという事態は阻止しな

ければならない。

 二、三年のうちに殲滅しなければなるまい。

 日本人を狂気の核攻撃から守るための唯一の方法である。

 

 日本よ、独立国家たれ!

 日本よ、新文明を開く理想国家建設の使命を果たせ!

 しからざれば、太平洋の藻屑となるほかはあるまい。

 

                 立憲女王国・神聖九州やまとの国

                  梅士 Baishi

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 合掌のゆり・・・ simple is the best.  メタボリックをそぎ落とせ 

2009年06月08日 06時12分08秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 手を合わせ 今咲かむとす ゆりの花


   馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 ゆりの季節になった。

 ゆりの花は、つぼみの手を合わせて、花を開く。

 思えば、どの花も合掌して咲く。

 合掌した花のつぼみが、一瞬の静寂を感じさせる。

 神聖であることを忘れてはならない。

 

 ゆりの花には、強い精神力を感じる。

 庭の鬼百合も、二本に増えて背を伸ばしている。

 鬼百合は龍を呼んで雨を降らせる。

 

 ゆりの季節は同時に、アジサイの季節でもある。

 蛙が光り、蛍が鳴くような、栄えある季節が六月である。

 穢れを押し流し、山の水源があふれるほどいっぱいに、六月の雨

が降りますように!

 

 

 

 

 

 

 

 

Simple is the Best

 メタボリックな社会になった。

 社会をロボット化することが進歩だと考えている。

 自動化し、安全装置を組み込み、結果、無責任な官僚支配の構造

を肥大化させてきた。

 

 法律も、肥大化した脂肪に埋もれた骨のように、もはや実態がみえ

なくなった。

 その結果、日本国家は、血の巡りの悪い、動きの鈍いメタボリック

官僚社会主義社会、無法社会になってはいないか。

 

 その証拠に、キチガイが支配する北朝鮮にミサイルをぶち込まれよ

うと、何の抵抗もできないまま、「話し合い、話し合い」と、壊れたレコー

ドのように繰り返しながら自滅する状態である。

 

 もし、北朝鮮に反撃でもしたら、沈没してゆく船の上で、戦争反対、

憲法違反をするなと「平和運動」をしながら、チャイナに許しと助けを

こいねがうという醜態をさらすことであろう。

 それが、マスコミであり、社民党であり、民主党の本性であろう。

 いや、自民党もそうなるであろう。

 

 そういう、メタボリックは、削ぎ落とすしかあるまい。

 シンプル イズダ ベストである。

 

 狂気の沙汰で核攻撃の準備をしている北朝鮮に対しては、先制

攻撃で戦闘力を殲滅するほかあるまい。

 

 その狂気を支えて、漁夫の利を得ようとたくらんでいるチャイナに

対しても、毅然として「侵略の芽は摘む」という姿勢を示すべきであ

る。

 

 

 

 

 

 

 

 法治主義を迷路にして安住している官僚社会主義は解体するほ

かあるまい。

 一般職公務員を三分の一に削減し、権限も大幅に縮小する。

 

 法とは解釈で運用すべきもので、官僚の発する命令で規定すべき

ものではない。

 それが自由主義というものだ。

 

 

 政治家はもっと大胆に発言するべきであろう。

 なぜ、発言しないのか。

 マスコミを恐れるからである。

 

 ならば、政治言論を批判するマスコミに対しても、個人名を挙げて、

その政治責任を追及すればよい。

 NHKを政府の管理下におき、マスコミ責任追及の場にするとよい。

 

 

 

 

 

 正論を吐いたら、チャイナの「巨大マーケット」を失いかねないとい

う卑しい考えとは決別すべきである。

 ヤオハンの失敗を教訓とすべきである。

 

 マーケットとは、約束は守られなければならないという法治と誠実

の上に立つ生かしあいの場である。

 チャイナにマーケットは成立していない。

 

 チャイナ進出は、マーケット育成のための教育的投資である。

 余力でなすべきものである。

 いつでも手を引く体制でなければならない。

 ゆえに、政府は主張すべきは主張し、そのために進出企業が退路

を失っても良しとしなければならない。

 それが、チャイナ進出の覚悟でなければならない。

 

 物事の本質はシンプルである。

 

                     立憲女王国・神聖九州やまとの国

                   梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 雨の楽しみ・・・ 気概とは何か  武士道経済学と文武両道教育、文武両道企業の論理

2009年06月06日 08時11分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  雨の輪に  アイリス色の  傘さして


     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 入梅の季節になった。

 今はしらず、昔の子供たちは雨が大好きだった。

 長靴をはき、ルンルンとして傘をさして出かけた。

 水たまりにはたくさんの雨の輪ができた。

 その水たまりに、かまぼこ板で作ったゴム動力の舟を走らせるの

が楽しみだった。

 

 菖蒲やかんなも雨が大好きな梅雨の花である。

 そんな花たちも、傘の花を開いて雨と遊んでいるようにも見える。

 雨のにおいの中で蛍が生まれ、田んぼは蛙たちの歓喜でにぎわう。

 

 雨の日が憂鬱だなんてとんでもない。

 雨の季節は、子供心で楽しむものだ。

 

 それにしても、水たまりのできない都会では味気ない。

 

 花鳥風月の街づくりとは、少し不便な町である。

 その不便な分は、虫や鳥や植物に残してあげた自然である。

 街のやさしさとは、そういうものではないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

武士道とは、生涯これ文武両道の気概なり

 

 武士道とは、天下国家のために生きる気概である。

 『いざというときは、天下国家のために命も惜しまず』という覚悟を

武士道の気概という。

 

 武士道は、商売道でもある。

 

 今日の経済混乱は、欲望の経済、欲望の商売が招いている。

 資本主義にも社会主義にも共通する病気が、私利私欲、排他、自

己保存の欲望を合理化する遺伝的な病気である。

 心根の悪さが招いている災いである。

 災いであって、経済の周期などというべき合理的物ではない。

 

 新しい経済思想は、経世済民の原点にある。

 それこそは、武士道精神である。

 天下国家のために生きる覚悟である。

 その気概を育てるのが文武両道教育であり、その気概で働くのが

文武両道企業である。

 

 自由主義には目的概念が欠けている。

 だから欲望の自由主義に堕するのだ。

 頭も心もない、ボディーだけの自由主義を加工したところで、ダッ

チロールは避けられない。

 

 それは、資本主義の論理的崩壊でも、自滅でもない。

 いわば、首なし資本主義とでもいうべき化け物である。

 資本主義の魂とは何か、これが論ずべき要点である。 

 

 武士道の経済こそは、日本人が世界に示すべき経済理論の根幹

でなければならない。

 それは、アメリカ流には、プロテスタンティズム経済といってもよい。

 神様にほめてもらえる商売、神聖資本主義経済といってもよい。

 神の心をわが心とする商業といってもよい。

 人生修行の商売道といってもよい。

 

 経済の目的は、修行と発展と救済にある。

 

 その実践的スタイルが、文武両道にある。

 教育の根幹であり、企業活動の根幹でもある。

 

 競争の本質は、スポーツ文化の中にある。

 楽しい競争、成長できる競争とは、遊び心から生まれる。

 遊び心とは、負けるリスクをおそれず、新しいことを試してみること

ではないか。

 羽生名人の将棋には、そんな気概と遊び心があるから感動的な

のだ。

 

 そんな子供心で人生をみずみずしく楽しくしてくれる競争の教育

文化が、スポーツなのである。

 完膚なきまでに打ちのめす勝ち方は武士道の戦いではない。

 相手を見切ったら、相手に応じた勝ち方をするのが遊び心であり、

スポーツコミュニケーションである。

 そんなことも考えさせてくれるのがスポーツなのだ。

 

 文武両道の教育、文武両道の仕事、文武両道の老後を国是とし

て進めたいものである。

 

                立憲女王国・神聖九州やまとの国

                 梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ シャガの花の花供養・・・ 経済団体の使命は、互助会ではなく、天下国家への気宇壮大にこそある。

2009年06月04日 23時00分05秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  シャガの花  地蔵の道に  供養をし


     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 山一面にシャガの花が咲き競っていたのは5月初めの頃のことだった。

 シャガの花は、一日花ともいわれる。

 遍路道の山の中にたくさん群生していたが、その花はその日限り

の花である。

 たくさんの地蔵のように、小さな命を供養しているようだった。 

 

 また、山歩きなどしてみたいものだ。

 

  自治体は、楽しく、安全に山歩きができるように、ソーラ発電を利用

した携帯電波基地の整備、湧き水を利用した水飲み場の整備など

を観光振興事業としてやるとよい。

 

 山歩きの楽しみになるように、登山口には温泉とおいしい食事どこ

ろを用意し、高齢者観光をおおいにPRするとよいのだ。

 

 あるいは、読書を楽しめる庭園カフェーや、スポーツと授業ができ

る田舎の移動学校を作るとよい。

 

 温泉とスポーツと移動オフィスがある観光地もほしい。

 

 そうした新しい観光を、地方テレビ局はCMしてやるとよい。

 先行投資型CM事業である。

 

 そんなところがあれば、仕事を抱えてでもでかけて行くのだが・・・。

 

 

 

 

 

 

まずは愛国産業たれ


 今日の金融不況を招いたのは、ハイエクの唱える新・資本主義に

由来すると聞いて驚いた。

 ハイエクの市場主義経済の原点にもどれと唱えた先が欲望のマ

ネーゲームの理論的支えだったというのか。

 

 市場主義経済の根源にあるのは、愛と奉仕である。

 経世済民の精神である。

 貧困を克服しよう、国を豊かにしようという志である。

 

 それを忘れたところには、健全な経済社会は生まれない。

 使命なくして経済なし、愛なくして経済なし、修行なくして経済なし

である。

 愛をなくしてもいけない、修行の精神を失ってもいけないのである。

 

 経済は、利他行である。

 新産業を興し、新産業を育てるべし。

 そこにこそ、成長があり、発展がある。

 

 

経済団体の目的


 九州にもいくつかの経済団体がある。

 官製団体がほとんどであるが、中小企業家同友会のような、法人

化していない純粋の民間団体もある。

 独立精神にあふれた、いわば無認可経済団体である。

 

 現代日本において、無認可事業体こそは、官僚支配を忌避する独

立不羈の精神を持った、新しい時代を切り開く勇士であると思う。

 しかし、互助会になってはいないか。

 

 経済団体は、ビジネスの公益性をさらに越えた、天下国家のため

の活動や国際貢献の活動をこそ、目指すべきである。

 小さな一社ではできない、大きな貢献事業をするための団体活動

である。

 それがあってこそ、本業のやる気も、誇りも、使命感も確かなもの

になる。

 

 経営者よ、日本の危機を救おうではないか。

 為世為人の使命を気宇壮大に実践してゆこうではないか。

 経済の本質は、経世済民なのであるから。 

 

 

                   立憲女王国・神聖九州やまとの国

                    梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ すずめ、庭の初枇杷を食う・・・ 皇室のこと  新政党『幸福実現党』への一縷ののぞみ

2009年06月02日 16時25分30秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 

 

  雀らが ちゅんとゆうて食い 庭の枇杷 

 

          馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 庭の鉢植えの枇杷が、一年間の水遣りで花を開き、その花をメジ

たちがあやしてくれて、やっと、ひよこのように実った。

 

 その宝物のような枇杷を、雀たちがちゅんちゅんとつついて食べた。

 茂木枇杷にはない、上品な香りと味がした。

 雀たちの間でも評判の気高い枇杷であることよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の覚悟、皇后の覚悟


 天皇陛下、皇后陛下のなんとお歳をめされたことよ。

 その半生をいかが思われていることか。

 マスコミとの戦いであったろうか。

 官僚との戦いであったろうか。

 敗戦という憲法の呪縛に耐えた生涯であったろうか。

 

 食べるに困らずといはいえ、おいたわしいことである。

 食べられないで死ねる民のほうがよほど幸せであろう。

 自由に生きられることの幸せは、国家という伝統と誇りあってのも

のである。

 

 だから、主権国家として独立しなければならない。

 敗戦憲法の無効を宣言すべきである。

 

 天皇は国家の象徴であり、国家元首である。

 ただし、政治の実権は国民の代表に委ねられた。

 それこそは、民主立憲君主制というべきものである。

 君臨すれども統治せずという不文律が、象徴としての伝統を守っ

てきたのである。

 

 

 

 

 

 

 国家政治の伝統的権威は天皇に由来する。

 それは、神聖政治の象徴でもある。

 政治は、神聖でなければならない。

 

 国民主権などというあいまいな言葉は必要ない。

 国民選挙による、国民代表の、国民のための政治であればよい。

 そもそも、どれほどの国民に主権者としての責任の自覚があろう

か。

 

 国事行為などという意味不明の言葉も必要ない。

 政治と無縁の国事行為などありえないことである。

 それこそは、敗戦憲法の呪縛である。

 

 天皇は、国家元首として堂々と振舞われればよい。

 政治の仕組みは法定されていればよいのである。

 

 天皇陛下も皇后陛下も、お国のためにその私利私欲を捨てておら

れる。

 命をささげておられる。

 その国家元首に対して、最大の感謝と尊敬をお返しするのが、国

民の、人としての誠意ではないのか。

 

 国家存亡の危機にあって、憲法無効の宣言をすることこそは、次

の新政権に委ねられる責任であると考える。

 

 『幸福実現党』という若々しい新政党が結党されたという。

 残されたわずかな時間の中に、一縷の望みを託したい。

 北朝鮮を討ち、チャイナやコリアの野望を抑止する力強い政府が

生まれることを願ってやまない。

 

                立憲女王国・神聖九州やまとの国

                 梅士 Baishi 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 博多祇園山笠の衣替え・・・ ファッションの本質  『この世の舞台を演出する舞台衣装』という考え方

2009年06月02日 12時06分46秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

   衣替え  山笠yama の男の  初草履

 

     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 夏服に衣替えする季節になった。

 六月にしては、風が少し肌寒いが、北風のせいだろう。

 北風は、いつも新鮮でなければならない。

 北の国家よ、北風を汚すことなかれ。

 

 衣替えといっても、街にはそれほどの季節感はない。

 まあ、気持ちの問題かと思っていると、季節感が歩いていた。

 博多祇園山笠まで一ヶ月。

 待ちに待ったやまのぼせたちの初会合なのか、そろいの浴衣に雪

駄を履いて闊歩し始めた。

 

 いよいよ、博多の初夏が始まった。

 

  

 

 

 

 

 

ファッションの本質


 着道楽という。

 いい服を買いたい、着たいと思う人がいる。

 貧乏な若者でさえも、何万円という服を買う。

 何十万円という服もあり、それ以上の服もある。

 一見華麗なファッションの世界がある。

 

 道楽というのであれば、俳諧も同じだ。

 しかし、縛られるのであっては道楽ではない。

 お金のかかる道楽は、分相応であるべきだ。

 

 ファッションの本質は、この世の舞台衣装である。

 その人の役柄に合わせて、舞台衣装を選ぶ。

 役柄を演じてこそのファッションであると心得たい。

 

 だから、これからのファッションは、ドラマと役柄による、舞台衣装と

してショーをするとよい。

 パリコレクションの時代はもはや前世紀の遺物となろう。

 

 ヨーロッパファッションは、貴族のためのファッションである。

 ヨーロッパ貴族への憧れが、ブランドを育ててきた。

 日本には貴族はいない。

 珍しさと、欧米かぶれの意識が今日まで続いている。

 

 その点、民族衣装を貫いているアラブファッションは立派である。

 新しい時代をはじめるにあたって、ファッションの原点にもどり、日

本は、和服の原点から現代的役割や美意識を融合した新しいファッ

ションを問題提起してはいかがだろうか。

 

 政治家もまた、和服で公式の場にでてはいかがだろうか。

 それが、主権国家、独立国家日本の決意を世界に示すことにもな

ろう。

 ビジネスファッションもまた、新しい武士mononofu の服として、衣替

えしてほしいと願う。

 新しい、志を持った経済の時代を演出するためにも。

 

 ファッションデザイナーよ、舞台衣装をデザインせよ。

 日本という国が、世界を舞台に活躍する衣装を。

 苦学生が世界のリーダーとなるまでの衣装を。

 おしゃれな農作業服を。

 スポーツが楽しめるストリートファッションを。

 

 そして、この世の舞台を退場するときの別れの衣装を。 

  

                   立憲女王国・神聖九州やまとの国

                    梅士 Baishi

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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