夏至の雨 田に水をやり 田植えをし
馬糞 Bafun
ずっと晴れの予報だったが、今日は蛍雨、田植え雨である。
子飼いの龍が、ずんだれた梅雨前線をずりあげてくれたのだろう。
久しぶりの雨音が心地よい日曜日である。
じめじめだろうが、蒸し暑かろうが、それが日本の梅雨である。
そうでなければ、蛙も、アジサイも、カタツムリも元気が出ない。
夏至の長い一日を、雨音とモーツアルトでのんびり楽しむとしよう。
子飼いの龍よ、しばらく遊んでゆくがよい。
雨乞いの 花咲かせたり 蛍川
白川 馬草 Magusa
紫陽花は雨の花。
蛍のために花咲かせ、
蛙のために花咲かせ、
雨乞いのために花を咲かせる。
花は虹色、涙色。
青い目をしたあじさいは、ブルーの涙を花にたたえて、
太陽をください、雨をください。
太陽もください、雨もください。
ああ、紫陽花の花の、移り気なこと。
空は晴れたり曇ったり。
竜神さん、
紫陽花の涙が枯れないように、
行き場のない蛙たちのために、
心細い蛍たちのために、
雨の日にも吼える、維新の志士たちのために、
雨降らせたまえ、
雨降らせたまえ、
雨降らせたまえ。
【武の衰退に歯止めをかけよ】
義務教育の崩壊、学校のいじめ問題、子供たちの非行、独立国家
としての気概を失った政治家、図に乗って国を売っているマスコミ、
日本人としての気概のない経営者、「中国の時代」を推進している
自治体や経済団体・・・。
いずれも、一言で言えば、もののふ(武士)としての気概を見失っ
た現代日本人の多数の姿である。
その原因は、「日本国憲法」路線、すなわち、戦後の日本否定には
じまる植民地化にあるが、それは、独立国家の意識というもいうべ
き武の精神を失ったことを意味している。
教育の柱は、文武両道にある。
あるいは、知育、体育、徳育の三本柱といわれる。
ところが、実際には、武道教育はなくなり、体育、徳育もなくなって
いる。
残っているのは、知育の小さな一角としての体育に過ぎない。
しかも、進学には必要なく、就職試験で問われるわけでもない。
だから、体育はしかたなくやっている程度である。
では、体育とはいかにあるべきか。
体育の目的は、運動による健康、コミュニケーション能力、気概、
モラルの習慣を養うところにある。
しかし、現代の体育は、形骸化するか、スポーツ少年の育成に傾
斜するかのどちらかである。
本来の日本の体育とは、武道練習の習慣を柱に鍛錬し、その効
果を享受せしめることにある。
知育に並び立つ教育の幹として、武道教育を行うことである。
もちろん、その周辺に、娯楽スポーツの基本教育があってもよい。
さらにスポーツをしたければ、部活でやらせればよい。
毎日、2時間を費やすカリキュラムが必要である。
それくらいで知育との文武両道のバランスが取れるであろう。
武道には、護身術としての気概と技がある。
人の道としての礼節と、いざというときは命がけで国を守るという
覚悟がある。
武の教育が行われれば、今日のような卑劣陰湿ないじめは影を
潜めるであろう。
首相の靖国神社公式参拝に対してチャイナの抗議に屈することは
ないであろう。
北朝鮮のミサイル発射を傍観することもなかったであろう。
教育の建て直しは、文武両道の原点に戻って、武道体育の太い柱
を立てるところから始めたい。
これを受けて、入学試験、就職試験にも、必ず、体育試験を実施し
ていただきたい。
試験官と立ち会う、社員グループとスポーツ競技をすることで、健
康と社会性と気概を見るのである。
軟弱であることを反省したいものだ。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi