手を合わせ 今咲かむとす ゆりの花
馬糞 Bafun
ゆりの季節になった。
ゆりの花は、つぼみの手を合わせて、花を開く。
思えば、どの花も合掌して咲く。
合掌した花のつぼみが、一瞬の静寂を感じさせる。
神聖であることを忘れてはならない。
ゆりの花には、強い精神力を感じる。
庭の鬼百合も、二本に増えて背を伸ばしている。
鬼百合は龍を呼んで雨を降らせる。
ゆりの季節は同時に、アジサイの季節でもある。
蛙が光り、蛍が鳴くような、栄えある季節が六月である。
穢れを押し流し、山の水源があふれるほどいっぱいに、六月の雨
が降りますように!
【 Simple is the Best 】
メタボリックな社会になった。
社会をロボット化することが進歩だと考えている。
自動化し、安全装置を組み込み、結果、無責任な官僚支配の構造
を肥大化させてきた。
法律も、肥大化した脂肪に埋もれた骨のように、もはや実態がみえ
なくなった。
その結果、日本国家は、血の巡りの悪い、動きの鈍いメタボリック
官僚社会主義社会、無法社会になってはいないか。
その証拠に、キチガイが支配する北朝鮮にミサイルをぶち込まれよ
うと、何の抵抗もできないまま、「話し合い、話し合い」と、壊れたレコー
ドのように繰り返しながら自滅する状態である。
もし、北朝鮮に反撃でもしたら、沈没してゆく船の上で、戦争反対、
憲法違反をするなと「平和運動」をしながら、チャイナに許しと助けを
こいねがうという醜態をさらすことであろう。
それが、マスコミであり、社民党であり、民主党の本性であろう。
いや、自民党もそうなるであろう。
そういう、メタボリックは、削ぎ落とすしかあるまい。
シンプル イズダ ベストである。
狂気の沙汰で核攻撃の準備をしている北朝鮮に対しては、先制
攻撃で戦闘力を殲滅するほかあるまい。
その狂気を支えて、漁夫の利を得ようとたくらんでいるチャイナに
対しても、毅然として「侵略の芽は摘む」という姿勢を示すべきであ
る。
法治主義を迷路にして安住している官僚社会主義は解体するほ
かあるまい。
一般職公務員を三分の一に削減し、権限も大幅に縮小する。
法とは解釈で運用すべきもので、官僚の発する命令で規定すべき
ものではない。
それが自由主義というものだ。
政治家はもっと大胆に発言するべきであろう。
なぜ、発言しないのか。
マスコミを恐れるからである。
ならば、政治言論を批判するマスコミに対しても、個人名を挙げて、
その政治責任を追及すればよい。
NHKを政府の管理下におき、マスコミ責任追及の場にするとよい。
正論を吐いたら、チャイナの「巨大マーケット」を失いかねないとい
う卑しい考えとは決別すべきである。
ヤオハンの失敗を教訓とすべきである。
マーケットとは、約束は守られなければならないという法治と誠実
の上に立つ生かしあいの場である。
チャイナにマーケットは成立していない。
チャイナ進出は、マーケット育成のための教育的投資である。
余力でなすべきものである。
いつでも手を引く体制でなければならない。
ゆえに、政府は主張すべきは主張し、そのために進出企業が退路
を失っても良しとしなければならない。
それが、チャイナ進出の覚悟でなければならない。
物事の本質はシンプルである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi