雨の輪に アイリス色の 傘さして
馬糞 Bafun
入梅の季節になった。
今はしらず、昔の子供たちは雨が大好きだった。
長靴をはき、ルンルンとして傘をさして出かけた。
水たまりにはたくさんの雨の輪ができた。
その水たまりに、かまぼこ板で作ったゴム動力の舟を走らせるの
が楽しみだった。
菖蒲やかんなも雨が大好きな梅雨の花である。
そんな花たちも、傘の花を開いて雨と遊んでいるようにも見える。
雨のにおいの中で蛍が生まれ、田んぼは蛙たちの歓喜でにぎわう。
雨の日が憂鬱だなんてとんでもない。
雨の季節は、子供心で楽しむものだ。
それにしても、水たまりのできない都会では味気ない。
花鳥風月の街づくりとは、少し不便な町である。
その不便な分は、虫や鳥や植物に残してあげた自然である。
街のやさしさとは、そういうものではないのだろうか。
【武士道とは、生涯これ文武両道の気概なり】
武士道とは、天下国家のために生きる気概である。
『いざというときは、天下国家のために命も惜しまず』という覚悟を
武士道の気概という。
武士道は、商売道でもある。
今日の経済混乱は、欲望の経済、欲望の商売が招いている。
資本主義にも社会主義にも共通する病気が、私利私欲、排他、自
己保存の欲望を合理化する遺伝的な病気である。
心根の悪さが招いている災いである。
災いであって、経済の周期などというべき合理的物ではない。
新しい経済思想は、経世済民の原点にある。
それこそは、武士道精神である。
天下国家のために生きる覚悟である。
その気概を育てるのが文武両道教育であり、その気概で働くのが
文武両道企業である。
自由主義には目的概念が欠けている。
だから欲望の自由主義に堕するのだ。
頭も心もない、ボディーだけの自由主義を加工したところで、ダッ
チロールは避けられない。
それは、資本主義の論理的崩壊でも、自滅でもない。
いわば、首なし資本主義とでもいうべき化け物である。
資本主義の魂とは何か、これが論ずべき要点である。
武士道の経済こそは、日本人が世界に示すべき経済理論の根幹
でなければならない。
それは、アメリカ流には、プロテスタンティズム経済といってもよい。
神様にほめてもらえる商売、神聖資本主義経済といってもよい。
神の心をわが心とする商業といってもよい。
人生修行の商売道といってもよい。
経済の目的は、修行と発展と救済にある。
その実践的スタイルが、文武両道にある。
教育の根幹であり、企業活動の根幹でもある。
競争の本質は、スポーツ文化の中にある。
楽しい競争、成長できる競争とは、遊び心から生まれる。
遊び心とは、負けるリスクをおそれず、新しいことを試してみること
ではないか。
羽生名人の将棋には、そんな気概と遊び心があるから感動的な
のだ。
そんな子供心で人生をみずみずしく楽しくしてくれる競争の教育
文化が、スポーツなのである。
完膚なきまでに打ちのめす勝ち方は武士道の戦いではない。
相手を見切ったら、相手に応じた勝ち方をするのが遊び心であり、
スポーツコミュニケーションである。
そんなことも考えさせてくれるのがスポーツなのだ。
文武両道の教育、文武両道の仕事、文武両道の老後を国是とし
て進めたいものである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi