天空を 舞い納めたり 飾り山
馬糞 Bafun
博多祇園山笠は、明日早朝の追い山を待つばかりとなった。
飾り山は、その役目を終えて、解体に入った。
明日の朝には、すっかり、姿を消している。
その勇士を、その華麗な博多人形の舞を、確かに、見納めた。
追い山の後、博多の夏は、余熱のような暑さが尾を引くばかりである。
清めたる 舁(か)き山笠が 鼓動して
馬糞 Bafun
追い山を待つ舁(か)き山笠は、神が光臨したかのように、静かに脈を打ち始
めた。
山のぼせの男たちの鼓動が、伝わってくるようである。
この静と動の緊張感が、博多祇園山笠の魅力である。
その緊張が、追い山を待つ夜に、鼓動を始めるのである。
神おわす 博多祇園の 朝を追い
馬糞 Bafun
清い水 舁(か)き山笠の 通り雨
馬糞 Bafun
清い水を浴びるたびに、
舁き山の男たちは水を得た魚のように、
ぴちぴちと跳ねる。
滝登りをするかのように、
明日の追い山の、5キロの清い道を駆け上がるのである。
わずか1時間ほどの勇走のあとには、通り雨のように水溜りが余韻を残すの
である。
千代流れ 虎の飾りを 霊にして
馬糞 Bafun
追い山に 千代二千旗は 怒涛せん
馬糞 Bafun
神々は かき山笠に 移りたり
馬糞 Bafun
追い山は、風神、雷神が舁き山に乗って雲を呼び、雨を打ち、怒涛の走りを競
い合っているかのようである。
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