飾り山 花道の日の 見得を切り
馬糞 Bafun
明日早朝、いよいよ、一世一代の追い山である。
博多の町に立っていた飾り山も、今日が最後、明日の朝にはもう、姿がない。
その引き際の潔さに、博多っ子もけじめをつける。
飾り山の博多人形が花道を下がり、飾りを払った博多の町の日の出前、追い
山が4キロの道を走りぬく。
今日は最後の飾り山を楽しむとしよう。
一世一代の勝負あってこその日常である。
【海外の危機は日本の危機】
モラルなき国に堕しつつある日本は、心あるものにとってもストレス社会である。
だらしなく、みっともなく、恥知らずで、汚らしい人間がばい菌のようにうようよ
としている。
なぜそうなっているのか。
教育の崩壊、家庭の崩壊、マスコミの悪質化・・・。
いろいろあるだろうが、国家的な危機意識がないからだと思う。
一日一生、今日を限りの命と思えば、これほどにだらしなくはできないだろう。
危機感とは、外敵によるか、使命感によるか、その両方であろう。
日本には、滅亡迫る外敵がいる。
韓国は、日本の教科書に正面から検定まがいの口を挟んでいる。
政治の局面が苦しくなると、反日の錦の旗を立てるのが常套手段とはいえ、
敵対行動であることに違いはない。
日本には存在理由を問われるべき使命がある。
新文明の種を発芽すべき使命というべきか。
他国の不幸を見過ごしにしてよいはずはないのである。
若者よ、遊びほうけていてよいはずがないではないか。
異性を追廻、金を追廻、夜遊びに徘徊する堕落が許されるはずがないではな
いか。
非常事態宣言を発せよ。
そこから、国民教育が始まる。
梅士 Baishi