あさがほや 螺旋の蔓を 風に巻き
中村 梅士 Baishi
やっぱり朝顔を見ないと季節感に物足りなさを感じるも
のだ。
注文した朝顔の種が届いたので、今日は季節外れの種ま
きを試みることにする。
今週は残暑気味の暖かな気候が続くが、日曜日以降は急
に冷え込む予想である。
一転、初冬の寒さになる。
朝顔には試練である。
とりあえず、8粒蒔こうと思う。
今朝は日本音楽コンクール最終予選声楽部門をFM放送
で聴いた。
学生の頃、声楽家に憧れた時代があった。
音大に進まなかったのだから、その時点で終わっていた
のだが、憧れというものは個性の一面でもある。
プロの音楽家の世界は、もはや技巧領域の問題ではない。
心の琴線に触れる波動の問題というべきだろう。
悟りの領域が求められているのだと思う。
登竜門に求められるのは熱情というべきものだろう。
たしかに、聴いていると、元気のない声、ドラマの臨場
感に欠ける歌など、気になる演奏はプロレベルの技術を磨
いていても感動にはつながりにくい点で落選するのだろう
と思う。
しかし、厳しい一芸の世界にチャレンジする人というの
は、それ自体非凡だと思う。
さて、今日も一仕事を終えて一日の日が暮れた。
少し腰を痛めていたので、走らなかった。
歩けばよいのだが、歩きたくなるような道もない。
明日は走るとしよう。
久しぶりの我那覇チャンネルで、堤未果の『デジタル・
ファシズム』という今年八月末の新刊本が紹介されていた
ので早速注文した。
NHK出版文庫というのが気に入らないが、GAFA問題も
あるので読んでおこうと思う。
それにしても、U-Chu独裁の言論弾圧は度を越している。
使わなければよい、と言う問題ではない。
言論の広場で商売をする者は言論の思想的統制をしては
ならないからである。
それが公共責任と言うものである。
もちろん、蛆虫ヒロシのような下劣な誹謗中傷を許して
はならないが、それは思想の問題ではなく、知性の欠片も
ない犯罪の問題だからである。
それにしても、デジタル庁を作った菅の悪政はデジタル・
マキャベリズムというか、悪魔の所業というべきであろう。
まあ、地獄でしょうなあ。
神からの自由論は皆、地獄に堕ちることになりますな。
唯物論科学、共産主義、偽宗教・・・、これを合わせる
と地球人類の過半数になるのではないか。
つまり、地獄化しているということになる。
やはり、殺菌、切除が不可欠な状況ではないか。
手遅れにならないうちに、大手術が必要ですな。
およそ、病巣は確定したのではないか。
そう思うのだが、主・エル・カンターレはまだ待ってお
られるのであろう。
信仰者がまだ十分に目覚めていないからだろう。
何とももどかしく、厳しい状況である。
しかし、結局は、アルファ様も、エロ―ヒム様も悪魔勢
力との戦闘になって、悪の勢力を闇に封印されたのである。
エル・カンターレの時代もそうなる。
しかし、弟子の時代には千年にわたって苦境に立たされ
るという。
ああ、そうなんだ、で終わるわけにはゆかない。
そうなってはならないのだ。
国際的な教育の課題であり、海外伝道の課題である。
次の強い救世主を探し、育てなければならない。
そういうことではないだろうか。
かつての予言では、タイのバンコクに救世主が現れると
言われたように思う。
堕落した小乗仏教と腐敗した軍事政権の闇に覆われてい
るが、教育投資を通した活動はできるのではないか。
タイを見捨ててはならない。
その次はオーストラリアである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party