拾いたき もみじは後の 風に待ち
中村 梅士 Baishi
桜紅葉もだいぶ染まってはきたが、まだ拾いたくなる
ほどではない。
明日は山奥の寺で護摩焚があるというが、残り仕事を
片付けて出かけるか・・・。
ならば、少し急ぐとしよう。
目当てはおでんと、鹿肉やイノシシ肉の料理である。
天命というものが誰にもあると思うが、自分のことに
なると、見つからなかったのではないかと思う。
結局、職業的専門技能は何も身につかなかった。
では、弁護士ならよかったのかというと、それで何を
したいというのでもなかった。
音楽家には憧れを感じたが、そうならなかったのだか
ら天命はそこにはなかっただろう。
小さな天命が何かあるのかもしれない。
幸福の科学のお勉強かなあ・・・。
お勉強で終わりたくはないのだが。
小学生の頃か、狐の屁玉というキノコのことを読んだ
ことがあるように思う。
屁のように一瞬に現れてはじけて終わるので、ほとん
ど人目にかかることがないという説明ではなかったか。
実際にキツネの屁玉というキノコはホコリダケの一種
で、オニフスベという食用キノコだそうである。
まあ、人生の終わり掛けにキツネノヘダマのように天
命がはじけてめでたしめでたしとなるのかもしれない。
天命と平凡は紙一重ということか。
過去世で禅坊主で終わったのだとすれば、今世はその
カルマを刈り取るべき使命があったかもしれない。
来世は食堂のおっさんくらいには出世するかもしれな
い。
メシヤである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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