春牡丹 座る姿の 花を撮り
中村 梅士 Baishi
五月二日になった。
下関の赤間神宮では、入水した幼帝・安徳天皇を慰霊
する先帝祭が今日、明日と催されるという。
出かけてみたいものだ。
昨日は春牡丹が気になって、筥崎庭園に出かけた。
カメラはEOS5DⅡ、レンズは200mm望遠をメイ
ンに使った。
重たいセットだ。
牡丹、芍薬に加え、菖蒲が美しかった。
来てみると、その色合いの美しさに魅了される。
人工的園芸の花はあまり好まないが、牡丹や菖蒲、百
合の花などには格別の魅力がある。
日本庭園のような美しさというべきか。
明日5月3日は、憲法記念日ということもあって、改
憲を巡っての生産性のない議論が繰り返される。
因みに、渡部昇一先生は憲法無効論を述べられていた
希少な論客だったと思う。
しかし、これは大衆的議論には向いていない。
革命的論理である。
といっても、改正と言う名の新憲法樹立論として扱わ
れてはいるのだろう。
最大の論点は、自主防衛力を回復する国家の独立問題
である。
国家防衛責任を否定する共産党やミンシン党の国家反
逆罪というべき論理が糺されなければなるまい。
主権国民としても、国家防衛責任がある。
戦争反対という被害妄想では本来の民主主義は成り立
たない。
言論責任こそが、民主主義の基礎にあることを忘れて
はならない。
政治には責任が伴うからである。
国民主権主義とは、国民の国防責任あってこそのもの
である。
因みに、新憲法制定は、無効宣言後に、時間をかけて
具体化してゆけばよいが、柱とするべきことがある。
17条憲法のように、政治の倫理を中心に、基本理念を
重視する構成であるべきである。
議会の定足数や立法要件などは法律事項として定める
べきものである。
参議院の廃止も、法律事項でよいのではないか。
大川隆法草案はその点、よくできたひな形である。
憲法の本質は、独立宣言と国民のための政治という人
権尊重主義であろう。
独立宣言である以上、防衛軍の創設は不可欠である。
国民のための政治としては、マスコミ言論の倫理と政
治責任が明示されるべきであろう。
避けて通れないのは、天皇制をどう位置付けるかと言
う問題である。
天皇制を政治権力の根源とすることには問題がある。
歴史的国民統合の象徴として、神事その他の儀礼を継
承する独立した皇室とし、独立した財政基盤を保障する
としてはいかがだろうか。
独立宣言、国民のための政治、象徴天皇制が新憲法の
基本柱とされたら、大きな不都合はないであろう。
日本の独立宣言こそは最大の政治責任である。
日本独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party