紅葉の 暦を散らして 葉の寒く
梅士 Baishi
今日は12月8日、日曜日である。
キリスト教徒であれば、クリスマスの準備もあって、教会に行くのだ
ろうし、幸福の科学教徒であれば、エル・カンターレ祭にゆくのだろう。
今年は、12月14日Sat.に幕張メッセで「智慧の挑戦」と題して開催
されるらしい。
かつては数万円かけて駆けつけていたものだった。
教団の基盤を作る大事な時期だいう使命感に燃えていた。
今はそれほど熱狂する気持ちはない。
教団が整ってきたからである。
遠い序列の裾野にあって、大衆救済の政治・教育・経済・科学など
の指針を受け止めている。
地上に近いリーダーの指針が説かれている時期なのだろう。
リーダーというのは、感化力というべき、一定の影響力を持った実力
である。
個々の人間性よりも組織力を重視する戦略思考がなければリーダー
にはなれない。
リーダーの愛は、生かす愛だというが、そこにも許す愛がなければ
生かせないものである。
霊的発展段階の上には存在の愛というのがあるそうだが、下層の
愛をも包含した土台であるともいえる。
存在の愛の上に、さまざまな愛が育まれ成長する。
すなわち、四次元霊界にも存在の愛や許しの愛がベーシックにあ
ると考えられる。
誰しも、狭い人間関係の中ではあっても、あなたがいてくれるだけ
で支えられているという存在感をもっているものだ。
六次元世界にあっても、宗教的許しの愛がなければリーダーのし
ごとはできないものである。
不埒であっても未熟であっても許せなければリーダーシップは発揮
されない。
リーダーとしての器というのは許しの愛の部分である。
思えば自分の器は盃タイプで、美酒を注がなければ満足しないと
いうべきかもしれない。
ちゃんぽんのどんぶり程度の覚悟がなければなるまい。
エル・カンターレは、大宇宙をどんぶりにしているのだから、太っ腹
ではある。
暴れ馬をあやすことができる人は偉いと思う。
ぎゃーぎゃーと泣きわめく幼児をあやす母親もまた、偉いのだろう。
反抗期を受け止める力、暴れる元気を愛する包容力、それが人を
育てる力、リーダーの器なのであろう。
学ばなければならない。
潔癖、わがままでは、人は育てられない。
他方、同様にスパイを使って部下を監視するやり方で人心掌握し
ているつもりのリーダーもいる。
伝聞情報は讒言の温床となりやすく、疑心暗鬼を生む。
また、人事に関しては、優れた人材への求心力を失う手法である。
らっぱを使った情報で分かったつもりが、実は危うい。
中国はまさに讒言と疑心暗鬼で自滅するその姿である。
人民を生かす政治ではない。
【 共産主義という神への逆恨みをどう解くか 】
共産主義というのは貧乏神のマインドである。
それは、繁栄の神への逆恨み、いじけた心であろう。
いわば、神も仏もあるものかという自己中心の思想であり、非行化
して不良になった人間たちの思想である。
その中で親分子分の序列が生まれ、暴力で序列が維持される。
それが共産主義の本質的マインドである。
筋金入りの不良は思想では救われない。
彼らの畏れる力は金であり、暴力である。
彼らは倒錯した正義感に施錠され、投獄された囚人のようである。
日本共産党も本質的にはそのような組織であると言ってよい。
反抗は裏切りであり、暴力で粛清される組織原理を持っている。
嫉妬と恐怖感が共産主義の暴力を生んでいるのである。
では共産中国をどう正すべきか。
旧ソ連と同様、経済的破綻を進めることだ。
囚人はまず処刑されなければならない。
その意味で、中国に雇用を生んでいる企業は、共産主義の癌組織
に養分を送り込んでいる癌組織というべきであろう。
不名誉なことである。
中国にはさらなる天罰が下されるべきであろう。
組織的な暴力支配を混乱に陥れる天罰が求められる。
直下型北京大地震と上海大地震が灸のように効くのではないか。
そのとき、中国人民の良識が革命に動き出すに違いない。
日本は革命勢力の兵站を担えばよいのである。
結局、マルクス・レーニン主義思想はヘーゲルの思想では粛清で
きない。
ヘーゲルの闇の部分だからである。
ヘーゲルは神を言葉のベールに隠したが、マルクスは言葉で否定
した。
闇の法則こそは闇を粛清する。
すなわち、禍を招き自滅する。
天変地異が正当化される所以というべきではないか。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党