芙蓉花 真白き恋を するような
梅士 Baishi
尖閣列島に始まったチャイナのばい菌が尖閣諸島を手始めに侵略を
開始したように、寝冷えのばい菌が鼻から喉へと侵攻して来た。
気温より10℃高い37.5℃、三年ぶりの高熱で、へたれ犬のような
気分である。
サツマ芋先生の薬は効いているのだろうか。
炎症というのはどこに発生しても四苦分の一の苦しみである。
最近、信仰告白を余儀なくされている。
わが立憲女王国神聖九州やまとの国の所在が、身近な人たちに知
られていることが分かった。
もはや密教主義ではいけないようだ。
本気で生きなければならない。
しかし、本音でずばりと切り込むところは止められそうにない。
草薙の剣を抜き放って、愛する人を守った日本武尊ようでありたい
と思う。
そこに、死に甲斐と言う活路が開かれるであろう。
まして、エル・カンターレの法剣であるならば、おそれる事はあるまい。
そこに、希望があるからである。
主の獅子吼がその法剣に宿っている限り。
チャイナの言いなりになるような、そんな弱腰をよしとはしない。
あちこちに散らばるチャイナを恐れてはなるまいぞ。
熱のせいか、ちょっと「名月赤木山」風になったかも・・・。
【 路頭に迷っている者たちよ、生きがいとは死に甲斐である 】
物欲に支配されている者は、意外と路頭には迷わないのではない
か。
純粋な心を持っている者が、何ゆえに生きるべきかと路頭に迷って
いるのではないのか。
しからば、失ったる者たちよ、死に甲斐をこそ求めようではないか。
愛する者を知る者は幸いである。
その者のために、命を尽くすことができるではないか。
誰を奪うことができるであろうか。
命を尽くすこと以外に、愛は成就しない。
愛する国を知る者は幸いである。
その国家の為に、命を尽くすことができる。
国家とは権力ではない。
愛する者たちが住む理想の社会である。
その国を売ろうとは、何事であるか!
清貧の思想など、糞食らえである。
ああ、何と長いこと、自己処罰に生き、貧困の牢獄を住処としてきた
ことか。
それは、間違った考えである。
もはや、われ豊穣をこそ愛する。
豊穣を生むものとして挑戦したい。
それが、仏神の思いだからである。
だから、資産家に生まれた者は、遠慮なく父母の財産を受け取って
よいのだ。
何を遠慮することがあろうか。
子らの未来の為に、国家の未来の為に、愛の星地球の未来の為に
投資できるではないか。
なんと罪深い相続税の制度であることか。
財産を簒奪するずるがしこく悪しき者たちを警戒せよ。
ジャンヌダルクのようであれ!
愛において強くあれ!
財産も遺産もないが、豊かなる者を救いたいとさえ思うのである。
そこに、正義がある限り。
貧困の為に、死に甲斐などあるものか。
人々よ、豊かであれ。
しかし、奪うことなかれ。
豊かさとは、お金に生きがいを与えることで得られる兵站である。
ビジネスもまた、新世界建設のための死に甲斐でありたいものである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi