すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

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+ 白芙蓉・・・ 路頭に迷っている者たちよ、生きがいとは、死に甲斐であるぞ。

2010年09月28日 20時44分23秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  芙蓉花  真白き恋を  するような   

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 尖閣列島に始まったチャイナのばい菌が尖閣諸島を手始めに侵略を

開始したように、寝冷えのばい菌が鼻から喉へと侵攻して来た。

 気温より10℃高い37.5℃、三年ぶりの高熱で、へたれ犬のような

気分である。

 サツマ芋先生の薬は効いているのだろうか。

 炎症というのはどこに発生しても四苦分の一の苦しみである。

 

 最近、信仰告白を余儀なくされている。

 わが立憲女王国神聖九州やまとの国の所在が、身近な人たちに

られていることが分かった。

 もはや密教主義ではいけないようだ。

 本気で生きなければならない。

 

 しかし、本音でずばりと切り込むところは止められそうにない。

 草薙の剣を抜き放って、愛する人を守った日本武尊ようでありたい

と思う。

 そこに、死に甲斐と言う活路が開かれるであろう。

 まして、エル・カンターレの法剣であるならば、おそれる事はあるまい。

 そこに、希望があるからである。

 

 主の獅子吼がその法剣に宿っている限り。

 チャイナの言いなりになるような、そんな弱腰をよしとはしない。

 あちこちに散らばるチャイナを恐れてはなるまいぞ。

 

 熱のせいか、ちょっと「名月赤木山」風になったかも・・・。

  

  

 

 

 

 

 

 路頭に迷っている者たちよ、生きがいとは死に甲斐である 】 

 
 物欲に支配されている者は、意外と路頭には迷わないのではない

か。

 純粋な心を持っている者が、何ゆえに生きるべきかと路頭に迷って

いるのではないのか。

 しからば、失ったる者たちよ、死に甲斐をこそ求めようではないか。

 

 愛する者を知る者は幸いである。

 その者のために、命を尽くすことができるではないか。

 誰を奪うことができるであろうか。

 命を尽くすこと以外に、愛は成就しない。

 

 愛する国を知る者は幸いである。

 その国家の為に、命を尽くすことができる。

 国家とは権力ではない。

 愛する者たちが住む理想の社会である。

 その国を売ろうとは、何事であるか!

 

 清貧の思想など、糞食らえである。

 ああ、何と長いこと、自己処罰に生き、貧困の牢獄を住処としてきた

ことか。

 

 それは、間違った考えである。

 もはや、われ豊穣をこそ愛する。

 豊穣を生むものとして挑戦したい。

 それが、仏神の思いだからである。

 

 だから、資産家に生まれた者は、遠慮なく父母の財産を受け取って

よいのだ。

 何を遠慮することがあろうか。

 子らの未来の為に、国家の未来の為に、愛の星地球の未来の為に

投資できるではないか。

 

 なんと罪深い相続税の制度であることか。

 財産を簒奪するずるがしこく悪しき者たちを警戒せよ。

 ジャンヌダルクのようであれ!

 愛において強くあれ!

 

 財産も遺産もないが、豊かなる者を救いたいとさえ思うのである。

 そこに、正義がある限り。

 貧困の為に、死に甲斐などあるものか。

 

 人々よ、豊かであれ。

 しかし、奪うことなかれ。

 豊かさとは、お金に生きがいを与えることで得られる兵站である。 

 ビジネスもまた、新世界建設のための死に甲斐でありたいものである。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

  

 


 

  

 

 

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+ ネコジャラシの手・・・ 宇宙科学の時代  UFO日帰りツアーの楽しみ 

2010年09月28日 08時13分47秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  ネコジャラシ  その手をとって  なでており 

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 三年ぶりに風邪を引いてしまった。

 白鵬が62の連勝記録を更新中であるが、わが免疫記録は残暑

ら急な秋風の落差にずっこけてしまったようである。

 まわりの若者が次々と風邪に倒れる中、意気軒昂であったものをと

惜しまれる。

 

 しかし、久しぶりにかかりつけの耳鼻科に顔を出そうかと思い立って

訪ねてみると、「院長急病のため閉院」という張り紙があった。

 硝子戸の向こうは灯が消えて、夜逃げのようにがらっとしていた。

 仕方なく近くの新しい耳鼻咽喉科を訪ねた。

 サツマイモのようにもっそりとした医者だった。

 

 閉院のことを話すと、「あれから三日後でしたか、亡くなられましたよ。

早かったですね。すい臓癌だったそうです。見つかったときは手遅れ

で肝臓に転移していたそうです。すい臓癌で助かったという話は聞い

たことがないですね。未だに、原因不明の病気ですよ。糖尿病とは関

連がないようですよ。うちの親父も糖尿なんですけど、すい臓癌の兆

候はないですね。」

 小説を読むように話してくれた。

 

 また一つ、時代の歯車のカチンという音がしたようだった。

 来月は、親父の一周忌である。

 えのころ草の季節であったか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙科学の時代 】 

 創意工夫が求められる時代である。

 学生の就職試験を、オーディションと称して実施している企業がある。

 私も、就職試験はオーディションだと思えと指導していた。

 買い手市場の就職のことだ、ぴったりだと思う。

 

 人材に熱心な企業が求めていることは、やはり発想力、考える力を

重視しているように思われる。

 「七次試験まであるんですよ。」

 人材育成、商品開発こそは、企業の競争力である。

 

 私の企業ビジョンのひとつに、旅行業がある。

 ウンモ星人から中古UFOをリースして、月面ステーションまでの日帰

りツアーをするのである。

 ランチは、ムーンライトランチ。

 美しいプレアデスの女性に会えるのも楽しみの一つである。

 「その時はわたしを雇ってください。」

 

 もしかしたら、その日は近いかもしれない。

 それまでに、宇宙食開発をするのが良いだろうと思う。

 時間をかける食事と、短時間に済ませたい食事がある。

 宇宙食のニーズはきわめて大きい。

 

 宇宙時代を構想すれば、明るい未来が見えてくる。

 学生たちには、ジョークと夢のある就職活動をして欲しい。  

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

  

 


 

  

 

 

 

 

 

 

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+ ニラの花とモンシロチョウ二つ・・・ 恋愛のモラル  男の暴力をジェンダー左翼思想に悪用すべからず

2010年09月28日 07時29分47秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  蝶二つ  花の軌道に  軌跡して 

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 彼岸花と一緒に咲いていたあの白い花はニラの花だろうか。

 その白い花の周りを二人の蝶が手をつなぐようにして軌跡を描いて

いた。

 どこにもいるようなモンシロチョウだが、飛んでいる一瞬の姿を夢中

で追った。

 紫外線波長で見ると、オスと雌とでは色が違う。

 彼らの複眼は紫外線を捉えている。

 

 平安の時代の宮中は、通い婚だったという。

 女が男の訪問を待つ。

 そのような文化は、万葉の時代に始まっていたと思われる。

 

 『君待つと わが恋おればわがやどの 簾動かし 秋の風吹く』

 額田王が天智天皇に贈られたとされる歌である。

 これは、おそらく単なる恋歌ではないであろうが、恋歌として通用す

るところに初期万葉の魅力がある。

 

 額田王は、後の天武天皇である大海人皇子の妻だったが、天智天

皇の皇位継承に伴って、姉の鏡王と共に天智天皇の妻となった方で

ある。

 先の額田王の歌への返歌とされる鏡王の歌がある。

 『風をだに 恋ふるは羨し(ともし) 風をだに来むとし待たば 何か嘆

かむ』

 風にあの人の訪れを期待するだけでも幸せではないか、私にはもう、

そんな期待さえなくなってしまったのだから・・・と。

 鏡王は後に藤原鎌足の妻として天皇からさし与えられた。

 鏡王を得た鎌足は、その喜びを次のように歌っている。

 『われわもや 安見児得たり 皆人の 得がてにすとふ 安見児得た

り』と。

 よほどうれしかったらしい。

 

 「妻」とはいっても、現代的な夫婦家族という風ではなかっただろう。

 それは、宮中における、官位を兼ねた女性の地位というべきだった

かもしれない。

 二人とも皇位継承に欠かせない物部氏の娘であると思われる。

 

 相聞歌を単純に恋歌と見てはならないが、その中に、当時の恋愛

観がみてとれるのではないか。

 大らかな時代である。

 

 恋と言うのは、思うに任せぬ非日常の中にこそ、切なく思うものなの

であろう。

 通い婚も、女性が自立していた時代にはそれなりの合理性がある。

 

 イエスキリストの時代の結婚は、できちゃった婚であったという。

 マリアもまた、預言の成就とはいえ、この世的にはできちゃった婚で

ヨセフと結婚したのだという。

 結婚とは、子供を育てる制度という実質が直視されていたということか。

 

 イスラム教世界では一夫多妻制であり、時代を遡れば逆の形態もあっ

たという。 

 一夫一婦制も、必ずしも永遠の真理ではない。

 だから、あまり不倫の罪意識で悲劇をつくるべきではない。

 

 妻にとっても子供にとっても不幸であれば、離婚は許されるべきで

ある。

 恋の結末は、ドラマチックではあれ、幸福への軌跡でありたいもので

ある。

 

 豊かな時代になればなるほど、男女のモラルが欠けることが多くなる。

 単にモラルを欠いてはなるまい。

 無秩序であってはならない。

 しかし、そこに新しいモラルが発見されるなら、それもまた自然なこ

とであろう。 

 

 文化的な恋とすれば、恋は別腹?

 そうでもなければ、小説は生まれないだろう。

 それとも、『一即多、多即一』という如来入門かもしれない。

 

 赤い糸があまり当てにならなくなった現代ではあるが、やはり、恋に

は精神的な純粋が欲しいものである。

 子供たちの早熟な恋が、希少価値を失ったバーゲンのように思えて、

少し心配である。 

 「25歳を過ぎるまで、手をつないで歩くな」と言っているが、荒唐無稽

に思えるらしい。

 

 確かに男と女の関係は、一種の事故で実現するのかもしれない。

 しかし、恋こそは、「原因において自由な恋」なのではないか。

 願わくば、「原因において自由な恋」が、犯罪的ではなく、芸術的な

花であって欲しいものである。

 

 ちなみに、刑法有責論における、「原因において自由な行為」理論を

もじったジョークである。

 知る人ぞ知るであろう。

 実質を把握することが肝要であるということであろう。

 

 芸術の秋に蝶二人という美しい情景を素直に喜びたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 性的虐待という左翼平等主義の落とし穴 】 


 幼児虐待が増えているというが、夫の暴力に苦しむ「妻」もたくさんい

るという。

 暴力には、大方悪霊の影響が大きいであろうが、その悪霊を招いて

いるのは本人の心である。

 正常ではない。

 

 しかし、これをジェンダーフリーという左翼思想に乗せて、性的虐待

というべきではない。

 単純に弱いものいじめをする暴力である。

 これを左翼思想に悪用するべきではない。

 弁護士に左翼が多すぎるのは問題である。

 

 こうした暴力は、左翼であろうが右翼であろうが純粋保守であろうが、

許しがたいものである。

 幸福の科学であれば、悪霊撃退の秘儀で撃退できるかもしれない

が、法的正義としても、暴力にペナルティーを課し、被害者は救済され

るべきである。

 

 ところが、厳格な事なかれ証拠主義で、警察は守ろうとはしないケー

スがあまりにも多いのではないか。

 強盗とは、暴行・脅迫によって金品を強奪する罪であるが、実質的な

強盗を許してはなるまい。

 

 この世の成功とは、スポーツのごとく、潔く正々堂々と戦った結果で

なければならない。

 しからざれば、その成功は地獄の花、毒花である。

 仏神の前に恥じるものであってはなるまい。

 

 自由とは、仏神への探求でなければならない。

 仏神からの自由であってはならない。

 仏神の御心にかなってこその成功だからである。 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

  

 

 

 

  

 

 

 

 

 

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