暑き日も 彼岸に返す 風になり
梅士 Baishi
今日は彼岸の入り、そして、新制敬老の日である。
戦前派の高齢者には、ほんとうにご苦労様と言いたい。
さて、それに続く戦後派、ベビーブーマーの高齢者にも、「敬老」の
気持ちが入るかは疑問である。
日教組連中も含まれているだろう。
国民を食い物にした木っ端公務員連中も入るだろう。
教育をずたずたにし、日本から仏神を追放して唯物論の闇を広げ、
日本国民でありながら売国奴的な商売をし、この日本を亡国の淵に
追い詰めた輩の世代を、老いたというだけで敬うことなどできないこ
とである。
さてさて、彼らのたどり着く彼岸とは、暗くて寒い売国奴の地獄であろ
うと思う。
死ねばみな仏とはゆかぬのがあの世の習いである。
彼岸の入りが地獄とならぬように気をつけたいものだ。
ましてや、日本に降臨した最高大霊エル・カンターレ大川隆法総裁
を誹謗中傷する大罪を畏れよ。
無明とは罪である。
刑法では、過失犯となるのであろうが、罪の自覚なく罪を犯すことほ
ど悪質な罪はないと知らねばならない。
罪の本質は結果責任ではなく危険責任というべきであろう。
刑法理論における近派の理論体系こそは正論であったと思う。
高齢者は、あの世に旅立つ準備段階にある。
後輩たちに敬われる人生であったかを反省すべきときである。
旅立つ前の自分の心境が平静であるか、慈愛に満ちているかを反
省すべきときである。
あの世を信じ、神仏を敬っているかを反省しなければならない。
人間の本体が肉体ではなく、永遠の生命である霊存在であることを
知らないものは、己の死を自覚することなくこの世に祟る悪霊となる。
実に迷惑な話である。
無明ゆえに他人に迷惑をかけていることさえも自覚しないのが悪霊
なのである。
責任論として、あの世を信じない自由は尊重されないことを知らねば
ならない。
すわなち罪である。
自由ということばを、無明なるものとしてはなるまい。
敬老の日の引導、餞(はなむけ)の言葉としたい。
【 儒教の革命思想 】
大川隆法著 幸福の科学出版刊 『世界の潮流はこうなる』は、孔子
様の霊言とキッシンジャー博士の守護霊の霊言で構成されている。
儒教といえば、人間完成への道、王道政治の哲学として知られるが、
久しく訓詁学的に利用されたために、その宗教性については疑問視
されている。
唯物論国家中国においても、世界に誇るべき思想としての儒教の
解禁がおそるおそる進んでいるという。
これに関連して、孔子様は次のように言われる。
「精神性がなければ、世界からは尊敬を受けないということに、中国も
気がついてきたのだろう。しかし、儒教は秩序感覚だけではなく、革命
思想を持っている。すなわち、君子というものは、やはり、天意によって
選ばれてくる、ということである。」
現代政治の革命思想とは、政治に精神性を入れること、すなわち、
祭政一致の原理にあるということである。
プラトンの哲人王政治というのも、同様であろう。
しかし、この革命思想は、政治だけのことではない。
ビジネス倫理であり、商業道徳としても革命思想であるのだ。
消費者のニーズには堕落する欲望と、発展向上したいという意欲と
がある。
堕落する欲望に迎合する供給は、ビジネス倫理に反する。
ビジネスもまた、仏神の教えを知る哲人経済でなければなるまい。
精神性こそは、唯物論的自滅から日本を守り、アジアを守り、世界を
守る要諦に他ならない。
個人においてもまた然りであろう。
精神性とは、『愛に基づく利他業の使命に生きる』という仏神の教えを
知ることであろう。
霊界の秩序を知るということに他なるまい。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi