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+ 角煮ランチ・・・ 「地方自治」は必要か  二重統治の矛盾解消の発想

2009年08月24日 07時48分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

   

  坂本屋  母と上りて  角煮食い

    馬糞 Bafun

 

 

 

 角煮というのは、豚バラのブロックを柔らかく煮込んだ

料理で、坡煮と言う。

 カステラというと、文明堂かふくさやであるが、東

煮といえば、坂本屋旅館の名物である。

 坂本屋旅館と言うと、明治時代からの老舗旅館である

が、今も繁盛している珍しい旅館でもある。

 

 観光地長崎には、矢太楼はじめ、たくさんの名門ホテ

ルがあったが、今ではほとんど倒産して残っていない。

 タクシーの運転手はホテル名を知っていないと商売に

ならないから、ホテルの盛衰についてため息混じりに話

してくれた。

 ビジネスホテルでさえも、経営が変わり、名を変えて

いることにも改めて気づいたことだった。

 

 そんな中で、坂本屋が残ったのは、イノベーションが

成功してきたからである。

 もし、東坡煮の発明がなかったら、残ることができな

かったであろう。

 

 何しろ、卓袱料理の名門料亭でさえも、多くを残して

いないのだ。

 かつて、諏訪神社の近くに諏訪亭という名門料亭があ

ったが、経営が傾き、大京という不動産屋に買収され、

その大京も、「バブル崩壊」のときに倒産した。

 天皇陛下もお食事をされたと言う名門であり、一度は

行ってみたいとあこがれた料亭だった。

 

 タクシーで乗り付けた坂本屋別館でのランチだったが、

たった1500円のランチで、過ぎた誕生日の乾杯をした。

 満足な一時であった。 

 

 

 

  

道州制再考と九州独立運動の再考


 このブログタイトルは、九州独立運動である。

 道州制ではなく、連邦制に近い構想である。

 日本が独立国家となるつもりがないことにじれた結果

であった。

 

 日本が独立国家とならないなら、九州が独立し、日本

を再統一すると言う大和の国の役割をするまでだという

気持ちがあった。

 また、地方自治のあり方として、公務員を潤すための

仕組みに堕していることが許せなかった。

 かといって、地方自治は必要ないのかという問題もあ

る。

 

 幸福実現党の主張は、現在の「道州制」論議は、中央

政府の無能を地方に飛ばそうというだけのことであり、

地方の財政が一見増えても、中央から移管された公務員

給与で消えるだけのこと、地方の発展はないことに気が

つかなければならない、という。


※ 幸福実現党の道州制批判
⇒ http://www.youtube.com/watch?v=cHXl5ct6xVU

    http://hskenkyu.blog24.fc2.com/blog-entry-240.html

 

 

 大阪の橋本知事が言っている道州制ならば、まさしく

そうなるだろう。

 

 では、かつての幕藩体制でもなく、国政の分権でもな

く、中央政権で国家を建て直すとして、地方自治はいら

ないのか。

 中央官庁の支所がでばって、仕切るということなのか。

 

  

 

 

新しい地方政治は、中央集権の現場主義の創意工夫で


 地方自治という考え方は、民主主義の根本、民主主義

の学校などと教えられてきたし、憲法テキストにも争い

がない。

 ただ、「地方自治の本旨」とは何かが解釈問題として

学生の頭を悩ませてきた。

 

 しかし、独立国家とは、国家自治であって、さらにそ

の中に地方政府の自治があると言う構造自体が中央集権

主義と矛盾する。

 実際、県の中にさらに市町村があって、その中にも政

府があるのだ。

 しかも、大統領制である。

 

 それでも中央集権が成り立っているとすれば、予算編

成権が中央政府にあるからである。

 それまで地方政府に渡せということになると、昔の幕

藩体制と大差ないであろう。

 

 地方の問題は、現場主義の統治システムの問題である。

 国家政治が指導力を持ってしっかりとやってくれるな

らば、地方政府はないほうがよい。

 要は、地方の意見が国政に反映する仕組みを作ればよ

いのである。

 

 では、『立憲女王国・神聖九州やまとの国』は何なの

か、と問われるかもしれない。

 日本が独立国家ではないので、九州が独立国家として

日本を再興しましょうという気概であった。

 九州こそは、日本の原点としての歴史と責任を持って

いるというプライドがあるからである。

 

 国家存亡の危機にはいつでも立ち上がる伝統的国家意

識こそは、地方の文化であり、伝統であり、活力であろう。

 地方政府である必要はない。

 教育があり、祭りがあり、特色を誇る競争心と、人々

のつながりがあればよい。

 

 地方の現場の意見や事情が国政に反映する仕組みを考

えようではないか。

 そのためには、日本国が独立国家としての気概と軍事

力を備えることが肝要だと言っているのである。


 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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