見つけたり よき美人かな 百日紅Sarusuberi
馬糞 Bafun
さて、美人と言うのは、それらしくいるのかもしれな
い。
しかし、だから何なのかというと取り付く島がない。
男の女に対する恋愛感情のことを美人と言うのかも知
れない。
ということは、どうも厄介なことのようである。
しかし、そんな心配もなく、美人だなあと思えるのが
百日紅の花である。
夏場の花は少ない。
そんな中で、肌つやもよい百日紅の花は一番の美人花
である。
人間の美人も、そこに文化が介在すると、その文化を
通して女の花を楽しむことができるのかもしれない。
音楽、舞踊、茶道、スポーツ・・・。
恋の汎用性こそは文化というべきかも知れない。
文化人になって、花のある人生を楽しみたいものだ。
【宗教とは偉大なる教養人を目指す生涯学習のブランドである】
宗教に対する無理解ないし不審は、無教養に見える。
信仰を持たないものは信用するに値しない。
信仰を持つものは、その信仰が問われる。
邪教は罪であり、危険だからである。
さて、東西文明を結ぶ世界宗教『幸福の科学』が、日
本滅亡の危機を看過できず、急遽『幸福実現党』を立党
したが、マスコミ権力によって、完全に村八分にされて
いる。
日本を救おうとしているのに、その日本国民によって
阻害されているのである。
そのような日本人であるならば、滅亡してかまわない。
しかし、阻害している日本人は、全体の一割程度の勢
力であろう。
その一割のために、日本滅亡をよしとするわけには行
かない。
まず、内戦に勝たなければならない。
一割の敵対勢力、亡国の勢力は、マスコミを支配し、
教育を支配している。
悪魔の勢力拠点である。
マスコミの崩壊は時間の問題であるが、北朝鮮による
危機はさらに切迫しているのである。
心ある日本人であるならば、善悪を見定めよ。
宗教がいかがわしいとは、どういうことなのか。
己の無教養以外の何者でもあるまい。
世界の大半がキリスト教かイスラム教か、仏教に帰依
しているのである。
その大半の人々の国を、いかがわしいとでも言うのか。
しかし、宗教にもイノベーションが必要である。
転換期には新しい文明の法が説かれなければならない
ではないか。
それが、幸福の科学で説かれている法である。
それを、『オウム真理教』の邪教と同じに考えている
人がいるらしい。
正邪の区別がつかないというのだ。
驚くべき無教養であると思う。
超能力を身につけるのが世界宗教の本質か。
ピョンピョンと胡坐をかいて飛ぶのが悟りなのか。
水の中に長く息を止めているのが悟りなのか。
サリンを撒いて、失明させて殺すのが人類救済なのか。
そんなオウム真理教との区別がつかないと言うのだか
ら、唖然とする。
それが、良識ある教養人のつもりなのか。
無知に気づかない無教養は、邪教の一種である。
宗教の本質は、偉大なる良識人を育てる教養のブラン
ドである。
占いでもない。
信心したら努力しないでも棚ぼたでよいことが得られ
ると言うものでもない。
むしろ、努力せよというのだ。
また、超能力を身につけることが悟りなのでもない。
死んで霊になったら、みんな超能力者である。
超能力とは、霊としての特性のことを言うのだ。
三次元的生活にとって、霊能力はルールとして抑制さ
れなければならない。
しからざれば、修行にならないからである。
だから、宗教とは霊的存在としての本質理解を探求す
るものではあるが、それこそは、精神的存在としての人
間の本質を理解することに他ならないのである。
精神的鍛錬である。
それが、欲望のままに振り回されない、人間の良識で
あろう。
宗教とは、人間の知性、理性、悟性の最高ブランドを
言うのだ。
宗教をいかがわしく思うことは、日本人として恥ずべ
きことである。
形にとらわれず、真実を見よ!
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi