毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

バリケードの中のジャズ

2010年05月27日 21時33分19秒 | らくがき
 最近の田原総一朗があまり好きじゃない。政治家を前に結論ありきのような発言を繰り返すイヤなジジイになる前、昔の彼は病的に尖っていた。

田原「いろんな番組をいくつも作ってましたよ。例えば、全共闘くずれの連中の結婚式の取材に行って、列席者の男たちと花嫁がセックスをするというのを撮りに行ったの。(略)参列者は全員裸。もちろん僕ら撮影スタッフも全員裸。そしたら花嫁が「まずはディレクターとやりたい。やらないなら、この取材はなかったことに」と言い出した。(略)そのディレクターってのは僕なんだけどね(笑)。しょうがない。僕が裸になって。(略)やった。オンエアでは僕の背中とお尻が映ってましたよ。(略)しかもこれをゴールデンで放送したしね。『日本の花嫁』っていうタイトルだったね」(浅草キッド「濃厚民族」)
 吉田豪がインタビューした時、このエピソードに触れ、「だから、俺はAV男優1号なんだ」と自慢していた、という。

 今回ご紹介するのは、山下洋輔。最近スガダイローが気に入っていて、U-streamなどでライヴを見ているのだけれど、山下洋輔は彼の師匠にあたる。




田原「例えばね、山下洋輔って知ってる?(略)彼にどんなところでピアノを弾きたいか聞いたら、「弾きながら死ねればいい」と言ったの。じゃあ、弾きながら死ぬシーンを撮ろうと。当時は日本中の大学が全共闘運動で盛り上がっていた頃でバリケード封鎖中だった早稲田の大隈講堂からグランドピアノを持ち出そうってことになったの。そのピアノで法学部の地下ホールで演奏会をやろうと。そしたら学生たちが乱闘騒ぎになって、山下洋輔がピアノを弾きながら巻き込まれて死ぬだろうということで、これは面白いからやろうと。(略)実際やったんだけど、学生たちが来て乱闘騒ぎになるかと思ったら、みんな静かに聴いちゃってね(笑) これは誤算だったな~」

 この映像の7年後、ぼくはこの学校の隣の中学に入学して、電柱に「~の死を忘れるな」という水死体の写真入りアジビラを見てショックを受けることになる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

烏川・榛名白川サイクリングロードっていうか、尻つぼみな休日

2010年05月26日 20時05分14秒 | 観光
 やらなくてもいいってことをやってしまうことに関しては、人並み以上の才能あるんじゃないか、と自分でも自覚しつつ、要するにそれって、地雷踏むことと同義だろという自分へのツッコミをも忘れない、そろそろ梅雨入りなわたしです。
 今日は、何かの勧誘の電話(ソフトバンク代理店なのか、先物取引なのか、内容はわからない)に向かって、一心不乱に一方的にサザエさんの主題歌を歌った挙句、「ありがとうございました」と電話を切りました。だって、相手の反応怖いじゃん(いや、説明して欲しいとこ、そこじゃないし、と思ってる人多数かも)。でも、相手に「イマイチですね」とか言われたら落ち込むでしょ。どこまでともなく、落ちていくでしょ。だから。一方的に歌、一方的に切る、と。それに2番知らないし。
 そんなわけで、休みの日に9時半頃起きて、さて、どうしよう、この半端な時間と思いいつつ、条件反射的に自転車またぎ、気がつけば高崎。ぼくもさ、どうかと思うんだ、我ながら。とりあえず、何していいかわからないから、高崎って、高崎も迷惑してるって。うわ、暇つぶしにまた来たよ、あいつ、とか。おいおい、暇だからって来んじゃねえよ的な? って、なぜそこ半疑問?
 結局3時半頃、高崎にいて、さてどうしようか、と(このブログ関西の方も読まれているので、東京~高崎を直線距離で言うと、大阪~相生って感じ。あるいは京都~中部国際空港。喩え微妙)。
 3時半。半端な時間。あと2時間早ければえっちらおっちら碓氷峠登って軽井沢。あと2時間遅ければ、高崎からそのまま帰る。で、ふと見上げると、長野堰自転車歩行者道の表示。おお、どこに連れて行かれるかわかんないけど、それ乗っちゃおう。そしたら、その道が案外たのしい。


 見沼代用水と同じ用水路なんだけれど、これがちょっと進むと……


 
 暗渠になるんすよ。全然想像していなかったのに、いきなり暗渠探訪。しかもこれ、半分暗渠みたいな感じで、普通橋っていえば、垂直に交わるはずなのに、ずっと川に沿って橋を進んでいくというような暗渠。水音ばんばん響いてます。



 右側に行けば、水の流れも見える、不思議な場所。楽しい。



 数キロ進むと、榛名白川からの取水堰に出くわします。ここから、烏川榛名白川サイクリングロードに接続。群馬はものすごく自転車に対して前向きに取り組んでいる自治体であることが、5月だけで4度も訪れて実感しました。いや、ほんと、至る所に自転車用の標識、走行路など、もちろん未整備のところもいっぱいあるけれど、それでも取り組みの姿勢だけでもこれから期待できます。っていうか、群馬住みたい。



 これが烏川・榛名白川サイクリングロード。ちょっと雰囲気いいでしょ? でも、なんだか足がだんだんきつくなり、そんなに距離走ってないのにもうだめかなあ、と。なんだよ、まるで軟弱じゃん、と自分のヘタレぶりに愕然とする場面も。しかも、突然飛び込んだサイクリングロードなので、どこに向かっているのかすらわからない状況。



 結局ここでリタイア(というかいつの間にサイクリングロードは終わってて、車が通る一般道になってるし)。向こうに見える橋は長野新幹線。頑張ってこのサイクリングロード使って、万が一榛名山に出たとしても、そこからどうすんだ、と。どうやって帰んのか、と。
 仕方なくここで引き返す。そうしたら、ばんばんスピード出る。あ、そうか、ずっと上り坂だったのか、道理できつかったはずだ、とタイミングのずれた納得をする始末。結局高崎まで戻り、そこから輪行。



 連結部分に自転車くくりつけていたら、グリーンアテンダントのお姉さんが「今日はどうせガラガラだから」と座席回して4席使わせてくれ、こんな感じで輪行。結局このコンパートメントには8席あったのだけれど、最初から最後までぼく一人だった。あ、ちなみに写真に写り込んでる琥珀色の液体はノンアルコールビールです。ええ、そうなんです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みうらじゅん「正論」

2010年05月25日 17時30分07秒 | 読書
みうらじゅん「正論」     コアマガジン

 そんなわけで、みうらじゅん対談集「正論」。対談相手を列挙。
峯田和伸(銀杏BOYZ)/山田五郎/杉作J太郎/遠藤賢司/田口トモロヲ/ウクレレえいじ/和嶋慎治(人間椅子)/根本敬/ROLLY/いとうせいこう /安齋肇/猫ひろし/水野晴郎/喜国雅彦/大槻ケンヂ/泉麻人/西城秀樹/久住昌之/しりあがり寿/松久淳/RYO(ケツメイシ)/高木完/内田春菊 /JAGUAR/カーツさとう/清水ミチコ/ATSUSHI(ニューロティカ)/スチャダラパー/はな/リリー・フランキー/南伸坊/泉晴紀/山口隆(サンボマスター)/井筒和幸/久本雅美/吉田豪

 何人か知らない人もいるけれど、ほとんど知ってる(でも、なぜ、ジョー秀樹?)。前回タモリが昼帯に進出するようになって、サブカルは消えた、と言ったのは、こういうことだ。彼らはあの時期を境に、「サブ」ではなく日本の「メイン」カルチャーになってきたわけだ。
 だって、リリー・フランキーの小説がベストセラーになり、しりあがり寿が朝日新聞で四コマを連載している現在、彼らをサブと呼ぶには抵抗があるだろう。
 あの「不思議大好き」の時代にはみうらじゅん世代が「けっ」と思う権威主義的文化が存在していて、彼らはサブカル(カウンターカルチャー)という形でその権威主義的文化を切り崩していった。彼らのその活動はあまりにも魅力的だった。だから愛好者や追随者は、いつしか彼らが切り崩している権威主義を拡大解釈していった。
 たとえば音楽に関しても、バッハそのものが悪いのではなく、バッハという権威にしがみついている層に対して「けっ」と言ったわけなのだけれど、それが「バッハなんて聞いてるヤツ古臭い」になり、挙句の果て「バッハってなに?」という流れになった。
 つまり、反権威主義が、いつのまに反教養主義に変わっていったわけである。
 だけど、バッハにしがみつく層を批判していた坂本龍一や浅田彰などは、実はバッハをよく知っていたのだ。反教養主義ではなかったのだ。
 そして、反教養主義が完全に日本を席巻した現代、ある日高橋源一郎はショックを受けた、と言う。ついにこの日が、と。なんと東大の文学部の大学院にドストエフスキーを知らない人間がいた、と。読んだことがないのではなく、知らないのだ、と。彼が教えている大学には文庫本を知らない学生が出現した、とも。
 つまり、2010年において、かつて大人の固苦しい権威主義的な文化をあざ笑うかのようなサブカルチャーは存在し得ない。だって、そんな文化(あるいは文化そのもの)なんてないんだもん。

みうら 自分なんて特にサブからだと思って、味を占めて生きてきた人間ですよ。サブカルって何の影響がないから、楽に生きてきたんですけども、段々「サブカルは単なる世代のことである」ってことがもうばれちゃって、俺らの後に続く人もいないわけですよ。単なるジェネレーションのことなんですよ(みうらじゅん&松久淳)

 そう、あの時代のあのジェネレーション、それがサブカルだったのだ。そしてその時代のサブカルを横目で眺めつつ、一部をのぞいて距離を置いた青春時代を過ごしたぼくは、なぜかここ10年くらいサブカルの人たちの仕事を追うようになった。
 そしてこのサブカル大集成対談集。すばらしい。そこかしこに名言が散りばめられている。
 もっとも、その名言がどこに散りばめられているか、と言えば、チンコとウンコとオナニー話の上になんだけど。

トモロヲ 人生って、自分がいかに天才じゃなかったっていうこととの戦いだよね。若い時は、自分は天才だ!なんて簡単に思えるけどね。
みうら  ひょっとして天才じゃないかも?って疑いだした時から悩みが始まるもんね。
トモロヲ 天才は世間のこと気にしないもんね。
みうら  言い方だけで、本当はキ*ガイのことだもんね。キ*ガイにはなりたくないわ、天才にはなりたいわってのはどだい間違ってるんだよね。
トモロヲ 都合よすぎだよね。  (みうらじゅん&田口トモロヲ)

 鋭い。もっとも、この話は、田口トモロヲがライブハウスでゲロ吐くパフォーマンスをハウス側に禁じられたので、脱糞してみせた、というエピソードに続くんだけれど(詳述はしないけれど、このエピソードは細かな部分が大事)。一事が万事、下ネタと根拠のないいい加減な感じで話は進み、そこから名言がつむがれていく。なんというか、名言を生む肥やしとしての下ネタ(なんだよ、それ)。
 リリー・フランキー得意のクンニ話、山田五郎やいとうせいこうの体育会系ディスなど、ニヤニヤさせながら、ところどころ鋭い言が飛び出す、みうらじゅんだからこそ引き出せる名言の数々。素晴らしい対談集。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩渕赤水門

2010年05月20日 19時41分03秒 | 観光

 クリーニング屋さんにツッコミを入れたのち、岩渕の水門へ。
 贅沢というのはこういうことを言うんじゃないか、と思うほど、広い芝生独占。
 近くで買った缶ビールを紙コップに注ぎ、本を読む。川上未映子の対談集。
 人は大したことなくたって、心が震えるほど幸せな気分になれるんだ。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街の校正シリーズ1

2010年05月19日 18時09分37秒 | 観光
 かなり不定期的にやっていこうと思ってます、街を歩いていて、気になるツッコミ物件のご紹介。
 第一回はこちら。赤羽近くで見かけたクリーニング屋さん。



 もう少し「ツ」と「シ」を区別しましょう。なぜか、下に行くにつれ、「ツ」が「シ」と化してく。また、クリーニング屋さんって、やに「ツ」が多いんだってことを改めて認識しました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インビクタス 負けざる者たち

2010年05月18日 22時22分22秒 | 映画
 この映画のすごいところは言葉による説明がほとんどないこと。映画の主題として観客に説明するポイントって3つあると思うんです。一つはラグビー(ルールと南アにおけるラグビーというスポーツのポジション)、もう一つがマンデラ大統領の26年間の苦難、そして最後がアパルトヘイト。この3つを語らなければ映画が成り立たないでしょ。でも、この映画、この3つを言葉で語らないんです。たぶん、わざと。それは安易な説明を避け、映画として充実させるためで、だから、この3つを一切の説明的セリフなしに映像として見せます。
 でも、ラグビー、マンデラさん、アパルトヘイトって実は分かりやすい概念じゃないでしょ。ラグビーはさておき、あとの2つは多くの人にとって感情的理解の範疇にあるものじゃないでしょうか。つまり、マンデラさん、偉い。アパルトヘイト、よくない、という、実はそれぞれに対する具体的知識が欠如しているのに、なんだかわかった気になっちゃいそうな事柄じゃありません?
 でも、この映画は「え、明日から黒人が内閣に入るんですって?」みたいな説明的セリフは一切なく、この3つを語り、映画を進めるんです。
 映画の内容ももちろんだけれど、これすごい、と。安易なことをやらず、シーンを練りに練る。
 まず、ラグビーがどういうポジションか、冒頭で見せます。
 このシーンはほんと象徴的なシーンで、とてもわかりやすいのだけれど、言葉による説明は一切ありません。ただ、2つのグラウンドを区切っている道を釈放されたマンデラさんが車に乗せられて通る。これだけで充分です。過不足ありません。
 グラウンドの状況、人種構成、やってるスポーツ、そしてマンデラさんへの反応。どれもが言葉なしにいろんなことを説明してくれています。
 実はぼくはラグビーが好きで、ワールドカップも第一回からずっと見ています。そんな中、変だな、と思ったのが、日本が今まで出場したワールドカップで唯一勝利をあげたジンバブエ戦。アフリカのジンバブエが相手なのに、選手全員が白人。その時、ラグビーというスポーツの持つ、ちょっとしたいびつさに気づいたのです。それがこの映画にもよく表れていて、ラグビー=白人、サッカー=黒人という図式がその象徴的なシーンで表現されているのです(これと同じことはアジアの香港チームにも言える。あそこも全員白人)。ラグビーは支配者のスポーツ、サッカーは被支配者のスポーツなんですね(国代表という概念もラグビーとサッカーとは違っていて、ウェールズ大会での日本代表のうちキャプテンも含め5人は外国籍でした)。
 まず、そこをちゃんと描いている。ラグビーのルールについても、ボランティアでスプリングボックスが黒人少年たちへのラグビースクールのシーンで語られます。しかし、それも最小限。ボールは前に投げちゃいけないんだよ、と。ラグビーのルールは複雑です。オフサイド一つとっても、モール、キック、スクラムなどそれぞれ違います。でも、それを説明しても意味はないわけです。だって、この映画はラグビー映画じゃないんだから。だから最小限、しかもこの説明ってすごく象徴的なんです。前にパスできない、というのは、まさにこの南アの現状を象徴しているんですね。マンデラさんが釈放されたからすべてがうまくいくわけじゃない。まだまだ問題は山積してる。パスを前に放って、ずんずん前に進むことができない。まさにラグビーは南アの象徴なんですね。
 そして、マンデラさんの苦難に関してはもっとすごいです。
 日本のドラマとかにありがちな、苦労した登場人物が叫ぶ「誰も俺の気持ちなんて分からねえよ」とかのゴミみたいなセリフは一切ないんです。いや、それどこじゃなく、ほんと、一切のセリフなしです。
 とても静かなシーンです。でも、伝わってくるんです。ぼくはここで泣きました。26年間、牢獄につながれる、ということが、声高に叫ばないからこそ、ぼくの中で想像されて深い悲しみが湧き上がってきました。叫べば、叫んだ音しか響かないけれど、沈黙は無限に響くんです。
アパルトヘイトに関しては、すごく大切に描かれています。それは事細やかにいろんなところに。たとえば、黒人のボディーガードたちの部屋に白人の元公安が入ってくる。
 マンデラ大統領の辞令があって、俺たちもボディーガードに任命された、と。
 慌てて黒人のチーフが大統領に面会するわけです。
 公安が俺たちの部屋に来ている、と。
 すると、大統領は「何かしでかしたか?」と聞く。
「いえ、何も」と答えると、「ああ、そうだ、思い出した。彼らはデクラークの護衛もしてたから役に立つ」と自分が任命したことを思い出すんです。
 このシーン、うまいです。白人の公安につい先日までずっと何かやったらすぐにぶち込んでやる、と追われていたこと、そしてそれが一瞬で逆転したことを物語ってる。しかも、その彼らをボディガードとして使う。
 それは、この国の出発点が許しと和解だとマンデラ大統領の信念によるものなんですね。黒人大統領が白人たちに対して、今まで何十年も牢獄に縛り付けた白人に対して報復するのではなく、許しと和解から出発するのだ、と。誰よりも牢獄につながれ、苦労した大統領がそう言えば部下たちは従わざるを得ない。
 そうした基本を押さえながら、この映画は進んでいきます。
 実は、映画を見た後とったメモの1/3も書いてません。
 ほかにもイングランド戦とワールドカップとの違い、イングランド戦でマンデラ大統領が得た手応え、理想主義者ではなく現実の戦略家としてのマンデラ大統領の描写、国が変わっていく中で、なおそれを拒否するアパルトヘイト時代の国旗がひるがえるワールドカップ会場、ニュージーランドが強い要因として挙げられた個人に対して南アはどうしたか、で、その対策にこそ国の行く末があったこと、そしてショショローザ。
 あ、長くなったからここで切り上げようと思ってたのですが、ショショローザに関してだけは一言。冒頭にちょっとショショローザが流れます。あとはまるでドビュッシーの「とだえたセレナード」みたいに断片だけが提示されます。で、最後っすよ、スタジアムに響くんです。白人のスポーツであるラグビーの会場に黒人の労働歌ショショローザが。もう、この演出の憎いこと。イングランド戦では、自分の国が失点すると喜んでいた黒人たちの歌が流れる。これ、しかも実話なんですよ、だって、俺生放送見てたんだもん。フィクションだったら、ねえよ、嘘くせえって話なんですが、実話なんですもん。
 で、うまいのが(この映画、ほんとにうまい。この「うまい」って小手先のことではなく、本当に練って練って考え抜かれたシーンばかりなんですよ)、最後のタイトルロール。どううまいのか、言いません。ぜひこの映画見てください。
 そんなわけで言いたかったことのほんと1/3程度なんですが、これ以上長くなっても仕方ないんで、ここらへんで。いや、映画っていいな。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渋川への道(4)

2010年05月17日 19時09分28秒 | 観光
 前回渋川の大正橋まで走り、これで利根川サイクリングロード完走とラッパ吹き鳴らし威張り、街中をパレードするためオープンカーの予約までしたわけなんですが、これがとんだ間違い。コメントを頂き、慌てて群馬県のwebを調べてみると、国道17号線をちょっと乗って、そこからまた利根川サイクリングロードが続いているんです(mura様、情報ありがとうございました)。オープンカーをキャンセルして今度こそ終点目指し走りだします。
 前々回は江戸川サイクリングロードから利根川へ、前回は芝川~見沼代用水を使ったのですが、今回はホームの荒川サイクリングロードで熊谷、そこから一般道で妻沼から利根川inを目指します。



 榎本牧場近く。こういうのがゴロゴロしてる風景が楽しい。
 おまけに近くにホンダエアポートがあるため、セスナとか低空をバンバン飛んでいるので眺めていて楽しい。

 自転車乗り始めた頃、「熊谷に行く」ことはそれ自体が大いなるイヴェントだった。
 今じゃあたいも擦れっ枯らしさ、熊谷、はは、イヴェント? 冗談じゃないよ、そんなネンネみたいなこと言ってんじゃないさ、と少し女囚さそりが入り込む熊谷行き。



 岐阜多治見とともに日本一の高温を記録した熊谷。あの日は、もうワクワク、ドキドキ。熊谷がんばれ、多治見に負けるな、と思わずドライヤーつかんで熊谷に駆けつけようと思ったほど。結果は同点、なんだか2002年の日韓ワールドカップみたいな決着に少し拍子抜けした思いがありました。



 妻沼近くの食堂で補給。今回はおにぎり3個持参の上で、この補給。
 とりあえず炭水化物とタンパク質をください、と身体の要求に応えたメニュー。これに納豆を追加して割とミッションコンプリート。自転車に乗って、その身体が要求するものがこういう食品になることが興味深い。



 いいなあ、この山並み、俺は今関東平野の際にいるんだという気持ちがムクムクと湧いてくる。



 前回終点だと思っていた大正橋を過ぎ、なおも走る。片側が畑になっていて、そこにいたおっちゃんに、おおい、と話しかけられる。あっちにある水道使っていいんだかんね、遠くまで走んなら持ってる水(自転車にくくりけてあるボトルのこと)大事に使いなあ。
 群馬人、素敵だ。このあともサイクリングロードですれ違う度に「こんにちはー」と挨拶されたり、ただでさえ小栗忠順に関してほんと群馬人に感謝しているこの身からすると、もうステキフラグ立ちすぎ。絲山秋子が群馬に移住した、その気持ちよくわかる。



 終点近く。こういうとこで子どもたちが水遊びしてる。
 こいつらにはきっとカッパ見えるはず。ぼくたちが失ってしまったものが、まだまだ脈々と生き続けているはず。思わず一緒に遊びたくなったけれど、俺、パンツはいてないから………。



 そしてようやく利根川サイクリングロード終点へ。
 5月になって、群馬走るの3回目、で、そして3回目にしてようやく到達。もう少し朝早く出れば草津あたりまでは行けそうな気がしてる2010年5月、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 さて、ほぼ多くの方に飽きられてきたことは重々承知の利根川サイクリングロード北行。ええ、これでおしまいっす。次回こそ、「インビクタス」か「第九地区」について(で、思い切り「500日のサマー」について書いてたりして)。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渋川への道(3)

2010年05月13日 22時42分17秒 | 観光
 前回の教訓。
 その一 国道4号線と利根川が交差するところで利根川を失わない。
  先生からの注意:そうならないよう、4号線より西の地点で利根川と出会いましょう。
  生徒の反省:江戸川サイクリングロードではなく、見沼代用水を使います。
 その二 加須での催し物とうどんは要注意。
  先生からの注意:注意力が散漫です。気をつけましょう。
  生徒の反省:加須より西で利根川に入ります。

 そんなわけでこの2つを克服するため、荒川サイクリングロードを北進(前回江戸川サイクリングロード経由のときは南進)、都市農業公園から芝川サイクリングロードへ。江戸川もここもそうだけれど、やはり荒川に馴染んだ身体には物足りない。江戸川や芝川のように土手の上を走るサイクリングロードは狭い。遅いライダー、歩行者を抜くのに大変苦労する。おまけに土手上の道は橋のたびに一般道と交差して、その都度停車しちゃ、車の途切れたところを見計らって渡っていかなくてはならない。
 ところが、荒川は違う。河川敷のサイクリングロードなので、橋はすべて頭上を通過して行く。おまけに土手上と比べて広大な河川敷。道幅も4倍くらい。
 ストレス溜めまくりながらも芝川サイクリングロード終点。そこから見沼代用水ヘルシーロードへ。デジカメを起動させ、写真を撮ろうとしたものの、デジカメは知らんぷり。一向に動こうとしない(あとでわかったのだけれど、バッテリー切れ。前もって言えよなあ、昨日までバッテリーの表示なかったじゃんか)。
 仕方ないので、今回は不本意ながら、携帯電話での写真。
 いや、それにしても、今回は4号線と交差しないから利根川見失わないと思っていたら、この見沼代用水を2回も見逃す大イリュージョン。不思議だ。


 そうこう言いながらも、途中、元荒川に出る。見沼代用水はこの元荒川と垂直に交わっている。つまり川同士の交差点。これをどうするかというと。



 見沼代用水をここで暗渠にして、元荒川の下をくぐらせる。川の下に川を流す。うーん、わくわくのポイント。携帯電話じゃなくて、ちゃんとデジカメを持ってきたかった。
 しかもこの場所、今でこそコンクリートで作られているけれど、暗渠自体は江戸時代からあった。もともと利根川は東京湾に注いでいたものを治水の関係で今の銚子に付け替えたとき、見沼をうるおしていた水が枯渇するというので作られたのがこの代用水。江戸時代の治水もなかなかすごい規模。そこらへんは、たぶん多くの人の聖書的存在、鈴木理生「江戸の川東京の川」という名著を参照下さい(この本と鈴鹿千代乃「神道民俗芸能の源流」を合わせて読むと海人族に関して大変興味深い読書ができるはず)。
 それにしても、見沼代用水を上流に遡るにつれ、なんだか寂しい気持ちになる。他の川が上流に行けば行くほど細くなっていくのに対して、見沼代用水はその反対。上流に行けば行くほど広くなる。普通の川は源流から流れ、その途中、湧水や支流を集め、次第に川幅を広げていくのに対して、人工の見沼代用水は利根川で取水されたときが最大で、あとは方々で水を供給し細っていく。なんだか、ジリ貧の人生みたいで、思わず抱きしめたくなる。いいんだ、いいんだよ、きみは。そんな川もあるよ、と。
 だが、同情から始まる恋愛は往々にして、割と短期間で破局を迎える。
 ぼくも利根川に突き当たったら、さっそく見沼忘れたもん。
 ここから利根川を西進。



 2日前、ここで利根川サイクリングロードを諦め、高崎・伊勢崎自転車道に乗り換え、高崎へ向かった場所。しかし、今日はまだまだ日が高い。前回は東京より西の渋川に行くのに、わざわざ東の千葉から行くという大回りをした結果断念。今回はそれほどのロスはない。



 高崎を通り過ぎ、前橋へ。前橋商業の高校球児たちが河川敷のグラウンドで練習をしている。結構ギャラリー多い。もしかしたら、Fマリノスの練習見に来る人より多いかもしれない。群馬のみなさん、ザスパ草津もよろしく。
 それにしても、ここまで川の近くを走れる場所はほとんどない。川からの風が火照った身体に気持ちいい。



 そして渋川大正橋着。利根川サイクリングロード、北の終点。
 近くにはカメラを構えた鉄ちゃんがうようよ。ここに何か珍しいもんが通るんだな、と待ってようかなと思いつつ、こいつら場所取りとかの関係で半日待ってるとか当たり前だし、付き合ってられないと、とりあえず渋川駅へ。



 字面が怖い「かみつけ信用組合」。
 駅へ向かう途中、聞こえる汽笛。ああ、さっきの鉄ちゃんたちはこれが目当てか。
 カンカンカンと落ちてくる踏切。携帯カメラを構えるわたくし。



 携帯反応遅いよ。



 自転車をたたみ、渋川から特急草津で上野へ。高崎や前橋なら、いつもは特急ではなく、普通車グリーンを使うんだけれど(特急券は1300円、グリーン券は750円で、しかもグリーンの方が遥かに乗り心地がいい)、渋川からだと、上越線か吾妻線で高崎に出て、高崎線か湘南新宿ラインに乗り換えなきゃいけない。面倒だったので、一本で行ける特急をチョイス。たぶんいつもはガラガラなんだろうけれど、GWだったので、結構混んでる。それでも、本を読んだり、自転車旅を振り返ったり、楽しい車窓。行きの自転車、帰りの電車、この組み合わせが、ぼくには極楽。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TOKYO WALKER 2010

2010年05月13日 09時41分30秒 | 観光
 高崎から帰った翌日。久しぶりの遠出で少し足が張るので、歩くことにした。TOKYO WALKER2010。
 うちは池袋の隣駅。人に聞かれると言ってもどうせわかんないだろうから、いつも「池袋のそば」と答える地味な場所。ま、とりあえず歩く。


 茗荷谷。あまりに谷が深いので、地下鉄が表に飛び出してしまう。毎回見ていて、「あ、いやあ、こんなはずじゃ」みたいな風情で地下鉄が地表に出てくるところが飽きない。楽しい。「出るつもりなかったのにぃ」と「恨みます」みたいな表情で羞恥に震えながらこちらを眺めてる地下鉄が楽しいのだ(なんだか変な雰囲気の文体になってきた気がする、前回あたりから)。



 茗荷谷から後楽園方面へ。こないだ教授が殺された中央大学横の東京都戦没者霊園から東京ドームホテルを見る。下にあるオームみたいなのが東京ドーム。来ちゃだめえと叫び、ラーンランララランランランとナウシカを一くさり。霊園に地図があり、各地域で亡くなった人の数が描かれている。そのとてつもない数にたじろぎ、また数として計上された人たち一人ひとりが今の自分と同じ生の重みを感じていたことに、また、たじろぐ。



 水道橋。
 今はもう、かつての水道橋はなく、地名にのみ残っているけれど。
 この日は巨人戦があったらしく、東京ドームの横を通っていったら、ものすごい人だかりだった。最近は野球でもレプリカユニフォームを着ていて、ジャイアンツの格好をした人が多かったんだけれど、不思議に思ったのが、背番号4桁の人たちが結構たくさんいたこと。あれはなんだろう? ファンクラブの会員番号とか?



 金のコガネムシ像。
 造形うんぬんよりも、そもそもの出発点からしてわからないよ。説明文があったけれど、それを読んでもわからない。神田橋近く。
 神田橋の真ん中に妙齢の女性が佇んでいて、何をするのでもなく、ただ立っていて、それでいて、美人なので、たぶん、彼女はこの世のものではないと瞬間的に判断し、目を合わせなかった。たぶん、目が合ったら、ぼくは神田川に引きずり込まれ、黄金のコガネムシに関する由来を得心ゆくまで語られたに違いない。人を待つ風でもなく、何かを眺める風でもなく。



 その神田橋で、彼女に背を向けるようにして撮った一枚。かつての石垣が今でも残っている。



 大手町で地下街に入る。このあたりの地下街は広大だ。駅で言えば、二重橋、大手町、東京、有楽町、日比谷、これらの駅が地下で繋がっている。いつか、ドラクエのように全部歩いてやる。どちらかの手を壁についていけば、理論上すべて歩けるはずだ。



 丸の内に出る。時はラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン。丸の内がショパンに染まってる(来年はシューベルトだっけ?)。



 東京国際フォーラムの広場では生演奏している横に屋台。ビールやワイン、食べ物を楽しみながら音楽が聴ける。



 どんどん南下して歌舞伎座。
 もうすでに機材が入って取り壊している。で、裏に回って写真を撮る。



 そこから新橋演舞場へ抜け、金田中。
 若い頃、業界の偉い人に、頼みごとがあるから銀座で待ち合わせようと言われ、タクシーに乗せられ、新橋演舞場方面に。おい、まさか、金田中? 俺、金田中デビュー? マジ? 車はそのまま新橋演舞場を通り、金田中のところに。「こっちだよ」と連れて行かれたのは、隣のちゃんこ料理屋さん。ま、いや、別に金田中に行きたいわけじゃないし。いいの。でも、そのちゃんこ料理屋さん、すごく美味しくて、若乃花もこういう店にすればよかったのに、と今になって思う。そしてそのちゃんこ料理屋さんは今でも健在だった。



 築地市場前。
 たぶん、どなたにもわかってもらえないと思うけれど、この場所は、そう、「ハナタレナックス」で滝沢先生に代わって林さんが登場する、あの場所。



 築地市場。
 何度来てもフォークに追い回される。普通は歩行者優先だが、ここは違う。ここはね、真剣勝負の仕事場なのだ。流れをわきまえず、ちんたら歩いている方が悪いのだ。と、わかってるものの、身の置き所がないほどのフォークリフト縦横無尽。これで事故が起きないのだから、よほど不文律が行き渡っているのだと思う。



 結局勝鬨橋まで歩き、本日の筋肉慣らし終了。あそこのデニーズは昔は普通のレストランで、あれを貸切にして結婚式をやったことがあった。むかしね。
 さ、足もストレッチしたし、明日こそ渋川へリベンジ。そう、この企画、GW3日間でやった企画だったのでした。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渋川への道(2)

2010年05月12日 21時03分41秒 | 観光

 うどんを待つ間、ふらふらと外に出て菜の花鑑賞。なたね油をぎゅっと絞って、じゅじゅっと絞って飲んだら空腹おさまるかな、いや、しょせんは油。んなもん生でごきゅごきゅ飲んだら気持ち悪くなるだけだ。
 おや、あ、いい。
 気持ち悪いことを思い出すと少し空腹感が減る。べしょべしょになった天ぷらの放置姿。うわあ。暑いなか忘れてて数日出しっぱなししちゃったえび。これは、来るなあ。甲殻類。
 ほぼ自分をいじめつつ菜の花鑑賞。ちっとも嬉しくない。



 出てきたうどん。やっぱりうまそう。北埼玉のうどん水準恐るべし。何しろ地元産の小麦粉で手打ちだもの。ずいるずいると脳髄響かせ完食。



 食べ終わってサイクリングロードに戻ると、なぜか怪獣映画の避難シーンみたいになってる。なんだよ、これ。もちろん、自転車で走れるようなシチュエーションではありません。後ろで戦ってるのは、なんだ、自衛隊か地球防衛軍か? そして君たちは一体、何から逃げ、そしてどこへ逃げるんだ? 違う太陽のもとに逃げたとしても、結局自分からは逃げられないのだ、などと悪態ついて、河川敷見ると車が一杯止まってる。なんてこった。マナーとかないのか、加須には。河川敷に車を乗り入れるな。一体どうなってるんだ。この辺の住人は。



 と、よく見たら、ディノじゃん。なんで? なぜ、フェラーリの246ディノが? 横テスタロッサだし。
 気づいたら、ここでクラシックカーの展示会が開かれていたのでありました。
 うわあ、うわあ、すげえ、すげえ、トヨタ2000GTだ、ショーン・コネリーが「007は二度死ぬ」で乗ってたやつだ、あ、ホンダのライフ、初代のシルビア、すげえ、S20型エンジン積んだスカイラインもある、白洲次郎の乗ってたベントレーだってさ、けっ。お、ロータス・ヨーロッパ、356ポルシェ。240RSがなかったのが残念だけれど、いろんな名車が目白押し。



 懐かしのダイハツミュゼット。
 知り合いがわざわざ手に入れて乗ってる。家族はイヤだろうなあ。エアコンもないだろうし。



 そんな中で一番欲しかったのが、オースチン・ヒーレー。いいなあ。古い車の持ってる空気が好き。アルファのジュリエッタとかシトロエンのDS(これは「深夜プラスワン」の影響大)、方向はまったく違うけれど、ニッサンの240RSとか、すごく好き。ぼくが初めて買った車はシェカー・メッタの乗った240RSと同じ形のシルビアターボだったが、中身は全然違う(向こうはFJ24型DOHC2400CC、ぼくのはS18型SOHC1800ターボ)。それでもよく走るマニュアル車だった。加速途中から聞こえてくるタービン音、ぐいぐい上乗せされるトルク。ターボ車も楽しかった、と、ずいぶんむかしの車好き気分が最高潮に盛り上がったところで、渋川に行くって言ってるのに、うどん&車ですでに1時間半費やしていることに気づく。
 さあ、そろそろ出かけないと、と思っていたら、アナウンスがあり、これからジャンボ鯉のぼりが上がります、と。風をはらんでパタパタ空を泳ぐと。しかも1年でこの日2回30分ずつしか上げないんだと。クレーンで上げるのだけれど、極度の集中が必要なので1回30分が限度なんだと。
 見るよね、ここまで言われれば見るよ。そう、あの避難民たちはみな、ジャンボ鯉のぼり見物の人々だったのだ。



 ご存知ジャンボ鯉のぼり。クレーン左側にちょろっと見えてるやつ。あれが一般的な鯉のぼり。彼としても、「え、何? 普通俺一番大きくて立派な飾りもんなんすよ。ここじゃ、あれっすか、ただの比較っすか? 標本の横に置かれたタバコみたいなもんすか? それって、え? それって、どうなんすか? 尊厳とか? そういうの一切無視すか?」などと心千々に乱れていることだろう。でも、まあ、きみも所詮鯉だから。
 で、ご存知ジャンボ鯉のぼりは、口の直径10m、体長100m。いいね、この巨大さ。おお、バカみてえ、と思うほどの巨大さは、逆にあっぱれな感じ。あっけにとられてしばし楽しむ。結局4号線との交差で迷った挙句、加須で2時間のロス。
 遅れを取り戻そうと走るも、結局高崎で日没サスペンド。次回のリベンジを期っした夕暮れの高崎。ヤマダ電機の灯りがまぶしいぜ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渋川への道(1)

2010年05月11日 21時07分18秒 | 観光
 今回の予告で「第九地区」を取り上げます、と言った舌の根も乾かぬうちにまったく違うことをやり始めてしまう、そんな気まぐれなわたくしがいます。
 というか、もう1回見たいかも、と思ったので、もう1度見てからにします。先に「インビクタス」のことを書くやもしれません。どちらも絶賛レビューになる予定です。

 何しろ終わってもうしばらく経つので、ほやほやの内に、GWの旅のことなどを。利根川サイクリングロードがどうやら群馬県の渋川まで整備されたらしいので、じゃあ、久しぶりに200km超えサイクリングを楽しんでこよう、そんな思惑で出かけたわけです。まずはいつものように荒川サイクリングロードへ。国道6号線まで南下します。今度は6号線を東に中川を渡り、江戸川へ。今日は江戸川左岸、千葉県松戸に出て、そこから江戸川サイクリングロードを北上します。途中、例のキッコーマン城を通って関宿城に至る城廻り。


 関宿城。ここでアイスクリーム(チョコバナナチップス!、いや、別にびっくりマークつける必要はないんだけどさ)でカロリー補給。10km=100kcalという計算なので、全然追い付いていません。80km走って120kcal。特に夏、自転車で走るということは、走ること自体よりも、どういう風に胃袋を納得させてモノを食わせるかが重要なポイントになってくる。水分をいっぱい取った胃袋は甘やかすと、食べ物まで入んないよ、まじ、ムリだって、と自己主張。そこを敢えて詰め込まないとハンガーノックに陥る。しかし、敢えて食べると当然気持ち悪くなる。このジレンマ。
 今は空腹でも何でもないけれど、30km先のハンガーノックが怖くて食べる。しかもアイスがギリギリで、実は甘いモノがほとんど食べられないやっかいな体。すき焼きですら、頭が痛くなる。中華料理を店で食べると大量に入ってる砂糖と化調で頭痛。
 さて、関宿で利根川に入り、西進。びゅんびゅん進みます。進むのはいいのだけれど、相変わらず国道4号線との交差で利根川を見失う。あんなでかいもん、どうして見失うことができるのか、ほんと、自分でもびっくりする。なぜか栗橋駅にたどり着き、地図を見て、自分の位置を確認、そろそろおなかがすいてきたので、加須未来館で手打ちうどんを食べようと再び利根川へ。



 おなかがすいてたまらず、ここなら何か食べられるのではないか、と立ち寄った何か童謡の記念館。何も食えないし、休みの日なのに、ほとんど人がいない。もう完全に無駄な施設。道の駅「童謡のふる里おおとね」で十分だろう。



 空腹で泣きそうになりながらたどり着いた加須未来館。やたら人がいる。中のレストランに行きおおもりうどんの食券を買い、差し出す。店は満員。座るところがないので、立って待つ。店員さんが出来た順番に番号を読み上げる。「76番さん、77番さん!」 ぼくの食券の番号は12。おい、嘘だろ、まさか、このまま99番で行って、そこからの折り返しかよ。
 案の定、うどんが出てきたのは40分後だった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音無川 その三

2010年05月10日 22時57分01秒 | 観光

 さて、尾竹橋通りと分岐する暗渠道へ。降りおろせば長ネギみじん切りできそうなビルの右側が尾久橋通り(以前ここを尾竹橋通りと間違って書いてしまい、申し訳ありませんでした)、左側が暗渠道。この道は狭いんだけれど、暗渠に見られる区境。左側が荒川区東日暮里、右側が台東区根岸。
 落語だとお店(「おみせ」じゃなくて「おたな」と呼んで欲しい5月の夜)譲って隠居所を建てるのが、たいていここ根岸。で、知りもしない茶の湯なんか始めて、でも「知らない」とは言えない爺さんが回りに迷惑かけたりするわけだ。



 初代御行の松。現在植わっているのは3代目。
 安藤広重や江戸名所図会にも描かれた松。志賀直哉の「暗夜行路」にもこの辺が出てくる。また、さすが根岸、落語と縁が深い。「お若伊之助」で、お若が生んだ狸の双子を埋めた因果塚はこの松のほとりにあった、と。もちろん、ない。だって、圓朝作のフィクションだから。この圓朝の怪談や三題噺など本当に素晴らしい。怪談乳房榎とかもゆかりの地を巡ったりした。
 奉納者の中に「根岸三業会」があった。三業って、案外暗渠と関係ある。大塚の三業地も小石川の暗渠だし。



 暗渠を歩いていると、こういう暗渠広場のような場所に出くわす。こういうとこに猫がいるといい絵になるんだけどなあ。



 区境に従って、ここを右折。まだまだ暗渠歩きは続きます。
 でも、次回は暗渠歩きをちょっとおやすみ。たぶん、映画「第九地区」について。たまには映画も褒めなくちゃ(「泳げたいやきくん」の節で読んで下さい)。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音無川 その二

2010年05月09日 10時33分31秒 | 観光

 田端近くの暗渠沿いに貝塚。つまりこのあたりは縄文時代の水辺にあたる。たとえば中沢新一「アースダイバー」についている縄文地図とともに歩くと、暗渠歩きはさらに魅力的になる。はるか昔、縄文時代と繋がっていることを実感する散歩。



 田端駅の崖下沿いに暗渠道は続いていきます。
 京浜東北線は何か素敵な雰囲気が漂う楽しい沿線だったのに、上野を出発点に次第に現代的なビルが広がっていくのが残念。田端にも再開発の魔の手が………。



 田端~西日暮里間にある貨物船の踏切。
 尾久駅の手前から別れた東北線が常磐線の三河島に接続する線路が近くにある。東北線なのに、そのまま、常磐線を走っていくのは、もちろん乗用ではなく、貨物。鉄道に乗るのも大好きなんだけれど、最近貨物線が気になって仕方がない。自転車で彩湖に行き、向こうに見える武蔵野線を貨物列車が走っていたりすると、思わず見つめてしまう。貨物に萌えてる自分がいる。



 西日暮里駅周辺の暗渠繁華街。このまま、日暮里まで流れ込んでいく。



 西日暮里~日暮里間にある常磐線の踏切。上を京成線がふさいでいるので、高架化したくてもできないでいる。しかし、この踏切を特急スーパーひたちなんかが通るとその風景のアンバランスさが楽しい(ある種、山形新幹線のアンバランスさにも似ている)。



 暗渠は日暮里駅前を通り、150mほど尾久橋通りと合流したあと、再び小道の旅に出る。
 日暮里は最近タワーマンションは建つわ、駅はリニューアルされるわ、なんだか寂しい限り。かつては池袋を境に、西側が山手線太平洋側、東側が山手線日本海側と呼ばれ、その日本海側で育ったぼくには、失われつつある風情が生きてきた雰囲気そのものなのである。そういえば、大塚駅もリニューアルされたし、そろそろ赤羽移住を本気に考えなくてはならないかも。
 次回は、尾竹橋通りの先を歩いてみます。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音無川 その一

2010年05月06日 16時58分16秒 | 観光

 写真奥が明治通り、その向こうに石神井川の親水公園があるんだけれど、石神井川自体は明治通りの手前、音無橋で暗渠になり、王子駅を過ぎて再び姿を現す。この石神井川から分水されたのが音無川(下郷用水または石神井用水)。
 今回はこの音無川をふらふらとさまよってみようか、と。



 もう少しするとあじさいが満開になってこの小道はにぎわいを見せる。右の緑、全部あじさい。



 この道はここでおしまい。これから右へ急坂を登っていく。ほんと、ここらへん崖。
 では、このあたりの雰囲気をお楽しみ下さい。








 次回はここから田端~日暮里辺りを歩いてみます。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マット・ラフ「バッド・モンキーズ」

2010年05月05日 00時24分33秒 | 読書
マット・ラフ「バッド・モンキーズ」   文藝春秋社


 そんなに他人を全面的に信頼するわけなんかなくって、口じゃそう言ってるけどほんとは違うこと考えてるんじゃないか、とか、普段他人と接しているとき、いろいろ思うことあるんじゃないか、と思う。
 でも、なぜか、小説を読むときは語り手の言う事を全面的に信用してしまう。ああ、そんなことがあったんだ、と。
 現実の他人には真意を問うのに、なぜ小説の語り手は疑わない? もしかしたら、前未来形で自分を語っているのかもしれないじゃない? 語ることによって、自分をそう思ってもらいたいという欲望に基いて物語を語っているかもしれない。語りは、いつの間にか騙りへと変貌し、文学空間とはすなわち騙りの地平に広がっていく曖昧模糊にしていくつもの内側へ折り重なる襞によって形作られるのかもしれない。
 たとえば田山花袋の「蒲団」は、確かにいやらしい自己意識が解剖学的に語られているけれど、あれがすべてだったかどうか、誰にも断言できない。もっと卑劣なことを考えたり、もっとスケベなことを蒲団にしたことを隠蔽するために書かれたという見方を誰が否定できるだろう(この場合、田山花袋が考えたこと、したことではなく、あくまで「蒲団」の語り手のこと)。
 書かれたことが読者に与えられたすべてであるにも関わらず、それが何かを隠蔽するために書かれたテクストであるかもしれない疑いを私たちはぬぐい去ることができない。
 小説を読むときに語り手を疑う。これは小説の楽しみ方の一つとして重要なんじゃないか、と思う。
 たとえば「そんな風にして私は殺されました」という文。もちろん、コンテクストからレトリックとしての死が語られたんだと了解される場合もあるだろうけれど、どうやら、おいおい、この主人公、ほんとに死んじゃったみたいだよ、という場合、私たちはどうしたらいいのだろう。この主人公はどこから語りかけてきているのだろう(それを逆手に取って「うまい」小説を若くして書いたのが乙一。彼の「夏と花火と私の死体」は、しかし、あのジャンルだから許されている部分もあるんじゃないか)。
「オンリーワンで本当の私」なんてもんが気持ちの悪い妄想のように、「本当の語り手」など存在しない。小説とはすべて騙りの地平で編まれながら、良質なものは真正な力を持つ不思議な存在だと思う。
 で、長々とマクラを振ってきて、この「バッドモンキーズ」。語られる内容はまるでパルプ・フィクションなんだけれど、そのパルプぶりが最近楽しいと思うようになってきた。インチキっぽい光線銃、悪と戦う秘密結社、斧を持って後部座席で控えていた助っ人(のようなもの)、どれも薄っぺらいパルプぶりで、その薄っぺらな活躍が楽しい。
 そして、この小説の荒唐無稽さを支えているのが、語り手が信用できるのかできないのか、その判別を保留にしたまま語られる危うさにある。ものすごいバランスの上に成り立っている小説だと思う。そしてその心意気は、実はアニーという、いつもワケの分からない言葉を口走っている登場人物に現れている。この小説、ぼくが一番評価するのはアニーという登場人物を存在させたこと。アニーという存在は、まんま小説全体を象徴している。ワケの分からない言葉を口走っているアニー、頼りになって誠実なアニー、その二面性は語り手であり、人間そのものであり、この小説の枠組みそのものだって、そしてただのパルプ・フィクションじゃなくて、ちょいメタで異化作用のある作品なんだよ、という作者の「気づいてよ」サインのようにも思えた。
 なかなか楽しめた作品。装丁も本文の紙質もパルプ・フィクションっぽくていい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする