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第7回恵比寿映像祭

2015年03月08日 09時00分33秒 | 観光
 毎年恒例恵比寿映像祭に行って参りました。いつもの会場である東京都写真美術館は現在改装中。そんなわけで周辺施設での開催になりましたが、やはり例年通り大変刺激的な催しでありました。最近は東京都現代美術館などで開催される現代アートなどに関心が集まったり、キンチョメさんとか、あるいはいろんな意味で話題になったろくでなし子さんやチンポムとか現代美術のアイコンが取りざたされたりもしますが、現代美術は絵画や造形だけじゃなく、映像分野においてもおもしろいんです。で、今回が7回目になる恵比寿映像祭、たくさん出品作のうちいくつかご紹介しましょう。

パヴェウ・アルトハメル「共同作業」
 舞台はワルシャワ。頭から足まで金ピカスーツを身にまとった集団が近所をお散歩。公園でおじさんに話しかけ、池の鴨に一緒に餌をあげたり、スーパーで老人にからまれたり。スーパーでからんでくるおじさんは地元に得体のしれない一群がいることに心底不安をかきたてられているようで、その恐怖心の裏返りとして攻撃してきます。これはこのおじさんだけの問題だけではなく、恐怖心が攻撃に変わる局面は歴史的にも多くあるのではないかと、この映像を見ながら考えてしまいます。マチズムのひとつの表れとして、怖がっているところを見せたくないが故の攻撃、これは結構古今東西戦争の引き金になったりしているので意識的になりたいところです。つまり、「あ、おれはいま不必要に攻撃的になってる」という視点が自己反省的に存在すれば、争わずにいられることも多いのではないか、と。
 しかし、この映像はそうした割りと一般的な思考を越えた方向に舵をとります。まさかのスピ系宗教への潜入。一筋縄ではいかない現代性がそこにあります。


ダンカン・キャンベル「新しいジョン」
 映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出てきた車デロリアン。あの車を量産するために北アイルランドに建てられた工場を巡るドキュメンタリー。北アイルランド問題はただ単なる宗教対立だけではなく、その根底にある貧困が大きな要因になっているわけで、だから工場を誘致して雇用を創出し、貧困を減らそうという試みはどうなったか。その試み自体は悪くなかったかもしれないが、なにしろ車がデロリアン。ダイムラーやジャギュアの工場を誘致するのとは違って、あくまで奇をてらった徒花一発、当初バンバン売れてみんなウハウハだったのが、次第に飽きられ、資金繰りにも苦しむようになって工場は閉鎖。残された失業者とさらに深くなる分断と対立。もともとあった宗教的な対立に加えて、イデオロギー的な対立、さらにはジョン・デロリアン個人に対する評価の対立など、工場建設以前よりも深い対立が生まれていく様が描かれています。



佐々木友輔「土瀝青 」「Camera-Eye Myth」
 非常に心打たれた作品。
 郊外を語るとき、時として「文化の欠如、伝統的な地域社会や共同体の欠如」(佐々木友輔 以下かぎかっこはその引用)といった否定的な単語が用いられることがままあります。小説や映画にしても、「妻のヒステリー、夫の浮気、娘の援助交際、息子の少年犯罪、得体のしれない隣人の不気味さ」などの背景として郊外が取り上げられることがあります。確かに郊外と呼ばれる地域の国道を走っていると、他の街とほとんど変わらない画一的なロードサイドのチェーン店、派手なパチンコ店など目につき、ぼくも最初それを文化の欠如として捉えていた時期がありました。
 しかし、郊外についてもっと別な切り口があるのではないかと作家は考え、それを映像化します。一見そうした郊外も「そこに人が住む以上理念としての神話は存在するはず」だ、と。人々の物語を朗読し、そこに郊外の風景を重ねます。そこには、郊外という場所にまつわる物語(神話)にふさわしいと作家が考えたイメージとロケ地における現実のあり方が二重写しになって存在しています。
 そしてそうした理念で作られた映像のなんと身近でみずみずしいことか。何気なく見落としている当たり前の風景に人々の物語が重ね合わさるとき、その風景が奇跡の場所にも思えてくるのです。ずっと佇んで見入っていました。


 ほかにも恵比寿ガーデンプレイスを中心に5箇所で違った物語が上映される瀬田なつき「5windows」、懐かしい牧歌的な風景や事物がスクロールしていくうちにつれ、ボッシュ的な悪夢めいてくる榊原澄人「E in Motion No.2」など素晴らしい作品が目白押しでありました。
コメント
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