毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

足利一茶庵

2006年02月28日 16時16分17秒 | 食べ物
 本日はお日柄もよく、というわけで土曜日にちょいと蕎麦を食べに東武線の特急に乗ってきました。

 目指す場所は、そう、栃木県足利市。
 ついに足利一茶庵。
 とうとう足利一茶庵なのであります。
 山手線乗って、日暮里へ出て、そこから常磐線に乗って北千住。北千住で東武線の特急「りょうもう」に。
 こうした場合、感想に多少のバイアスがかかるのは当然。極端には次の二つのケースが想定されます。
 わざわざ手間暇かけて、名店中の名店に出かけたから、もう、何が何でも舞い上がってしまうケース。箸置きに感心し、店のおばちゃんに感心し、傘立てに感心し、蕎麦食って感心し………。
 もう一つは手間暇かかってますから、「なあんだ、その割には………」というケース。こうなっちゃうと箸置きをけなし、店のおばちゃんをけなし、傘立てをけなし、蕎麦食ってけなす………。度を超すと、「足利なんて二度と来るか、室町幕府なんか大嫌いだ」と坊主憎くて地球上のさまざまなものを憎んでしまうことになりかねません。
 だから足利市駅で降りて、ぼくが一番に心がけたのは「平常心」。平常心で電車を降りて、帰りの時間をチェック(総滞在時間は2時間)、なんだか歓迎しているのかしていないのか不思議な面持ちのオブジェに平常心で目くばせ。

 駅から15分ほど歩いて一茶庵到着。平常心で、店に入ります。後に、ここですでに平常心を失っていたことに気づきますが………。
 板わさ、天ちらしをつまみにビールと日本酒。
 さ、ここでお蕎麦を。一茶庵と来たら変わり蕎麦。その中で一番いろいろ食べられるのが五色蕎麦。せいろ、更級、田舎、茶、ゆずの計5種類。
 うん、平常心で接して普通においしい。
 おいしいけれど、5種類全部をちょうどいいように茹であげるのは困難なのかもしれません。少しゆるい。いや、そうじゃない。そう思っていたんですが、同行者が頼んだ「せいろ大盛り」も少しゆるかったそうだから。
 まあ、普通、だ。近所にあったらまた食べに来るだろうと思いました。

 で、帰りは早足で駅へ。そう、お店の写真を撮るのを忘れていたのでありました。やれやれ。

 せめて記念に持ってきた箸入れでも。
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世界ラン展2

2006年02月28日 10時23分17秒 | 写真


 金曜日には東儀秀樹のトークライブショウがありました。
 野球みたいにスタンドに座っての観戦(戦わないが…)でした。
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いらっしゃいませ

2006年02月28日 10時06分42秒 | 写真
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空が大切

2006年02月27日 17時15分58秒 | 観光


 東京ドームで開催されていた「世界ラン展」。
 楽しく、また、感心することしきり。
 大きな飾りなど、すご~い、と眼をまん丸くしたりするものの、写真を撮るとご覧の通り。ほんとはこの写真よりもずっとずっとすごいんです。でも、ファインダーを覗いた瞬間、「あれ?」と。
 そう、花の後ろに空が抜けていない。ドームの暗鬱たる天井と人工照明。
 それだけで花の美しさが全然違う。
 人間の目って便利にできていて、ちゃんと補正するから肉眼で見る分には「おお~」と思うんですが、ファインダーを覗くとだめ。
 以前ニコラス・ケイジの「アダプテーション」を見て、ちょっとランに興味をもつようになったので、行ってみたのですが、催しそのものは素晴らしい。来年も行くつもり。
 帰りに500円の胡蝶蘭練習鉢植えを買って来ました。
 可憐でかわいい花が4つ咲いています。
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飛行機が好き

2006年02月26日 10時19分40秒 | 写真


 羽田にて。
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世界ラン展

2006年02月24日 23時27分42秒 | 写真
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冬来たりなば

2006年02月23日 07時47分52秒 | 写真


 ここんとこ仕事が忙しくてアップアップ。
 毎日喧嘩してるような感じです。
 昨日も重い足をひきずるようにして帰り、今朝も両足に原子力潜水艦をぶら下げたような足取りで会社に。
 途中いつも通る公園に梅がほころんでいるのを見つけました。昨日の夜はなかったのに。
 なんだか、がんばれよ、と励まされた気がしました。
 過剰な意味づけなんだろうけれど、物事に過剰な意味づけをするのがフェティッシュとしての人間だから(意味づけをやりすぎた上に説得力がないと電波、やりすぎた上に説得力があると教祖なんだな)、すなおに励まされます。
 さ、がんばろうっと!
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肖像写真の愉しみ2 ナダール

2006年02月21日 11時00分48秒 | 読書
パリの肖像
      ポール&フェリックス・ナダール  立風書房

 よくジャズなんかの評論に出くわす「時代と寝る」という表現がある。
 比喩として何も「寝る」という言葉を用いなくてもいいじゃないか、と思うけれど、まあ、要するにその時代の空気、匂いを強く感じさせ、まさにその時代でなければできなかったようなことに対して使われる。
 その意味で1820年に生まれ、20世紀まで生き続けたナダールは、その活躍を考えると「時代と寝た」人間であった。
 ナダールはもちろん肖像写真家として有名であるが、彼はほかに風刺画を描き、小説と回想記をものにし、気球乗りとしても有名であると同時に、ジャーナリストであった。
 青年期フランス文壇にはバルザックが君臨する。ナダールの成熟とともに、時代はボードレール、フローベールの時代に、ジュール・ヴェルヌも活躍しはじめる。彼の出世作「気球に乗って5週間」は、ナダールが建造中の気球にヒントを得た物だった(彼の「月世界旅行」の主人公アルダンはナダールのアナグラムである)。まさに文学が百花繚乱と咲き誇る中、ナダールは多くの文人と交遊を結ぶ。いつの時代でも文学しか知らない文学者はいない。ナダールの交遊の中には、多くの音楽家、美術家が含まれる。
 彼の肖像写真の一枚、一枚はその時代をとことん生き抜いたナダールの人生を物語っている。
 大きな店を構えるようになっても、ナダールはとまらなかった。帝政を嫌い、パリ・コミューンに参加、ポーランドの蜂起には兵士として出かけてゆく。コミューンが潰れると敵方の総帥チエールに直談判に出かけ、コミューン側の将軍ベルジュレの国外亡命を黙認させる。ナダールは大いなる反抗者だった。帝政に反抗し、ナポレオン3世に反抗し、ブルジョワに反抗し、コミューン弾圧者に反抗し、植民地収奪者に反抗した。ナダールの人生に美しい友情は多かったが、安定はなかった。70歳で生活費に困窮すると、マルセイユに移り、そこで70歳でもう一旗あげる。
 ナダールのこれらの肖像写真はフランス文化に興味があるものなら、いや文化というものに関心がある人なら、多くの知っている名前を見つけるだろう。ジュール・ミシュレ、デュマ、デュマ・フィス、ユゴー、ジョルジュ・サンド、ネルヴァル(しかもこれは発狂して首をくくる直前のものだ)、テオフィル・ゴーチエ、ゴンクール、ツルゲーネフ、ファーブル、ドーデ、ヴィリエ・ド・リラダン、ゾラ、マラルメ、ユイスマン、モーパッサン、プルースト、文学者だけでもこんな調子。これに画家や音楽家が加わる。
 こうした人々の写真を残してくれただけでも後世の人間はナダールに感謝すべきだ。
 さらにそれ以上に素晴らしいのは、生涯の友人ボードレールの若い頃と晩年の肖像だ。 波乱の生涯を送った長命のナダールと不幸で短命だったボードレール、彼らの交流を思い浮かべてしみじみとしてしまった。
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通勤写真

2006年02月20日 12時07分28秒 | 写真
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ブラックセプテンバー/五輪テロの真実(2)

2006年02月17日 12時55分14秒 | 映画
 まず選手の格好をさせた警官たちを占拠されたビルの屋上などに配置し、突入させようとした。その姿を見て思わず一言。「バレバレじゃん」
 各国のトレーナーを着てライフルを持った人間がビルの屋上などをうろうろしているのだ。ものすごい光景だ。そして案の定、その姿が全国にテレヴィ放送されていることを知り、この作戦を断念(最初から考えとけよお、と突っ込みの嵐だ)。
 ゲリラ側も長引くことによる消耗を恐れ、逃走用の飛行機を要求。人質とともに安全な国へ出国しようとした。
 ドイツは要求通り逃走用の飛行機を用意し、空港まで人質とともにヘリで輸送。
 その一方でその飛行機には警官を乗り込ませ、空港には狙撃手を配置、ゲリラを制圧しつつ、装甲車を突入させて人質の確保を目指した。
 しかしドイツはこの3つのこと、飛行機の警官、狙撃手、装甲車、すべてに失敗する。
 まず飛行機に乗った警官たちが、全員一致で「危ないから」飛行機を降りてしまう。そう、作戦に無理があるのだ。しかもこのことが狙撃手に知らされていない。
 次に狙撃手。8人のゲリラに対し、用意されたのはたったの5人。しかも無線機を付けていないので、狙撃の指令も状況の確認もできない。
 最後にもっともすごいミスは装甲車。警察はこの手配をなんと「忘れた」のだ。しかもミュンヘンに装甲車はなく、隣町から渋滞する道路を走ってくるハメになる。装甲車が駆けつけたのは、銃撃戦が始まって一時間もあとのことだった。
 ヘリから降りたゲリラのリーダーは確認のため飛行機にやってくる。そして誰もいない飛行機を見て、罠だと気づき騒ぐ。ゲリラが何人いるか知らなかった狙撃手たちは、無線機がないので命令を受けることもできずに、ただ、なんとなく、そう、なんとなく銃撃戦が始まる。照明が撃たれて、あたりが真っ暗になる中2時間にわたって銃撃戦が繰り広げられる。飛び交う弾丸、炸裂する手榴弾。
 そして最悪のシナリオ。人質は全員死亡。ゲリラは5名死亡、3名逮捕。
 カメラはドイツの対応のまずさを糾弾する如く、容赦なく、無惨な遺体を映し続ける。
 焼けた遺体に無機的におかれた数字のプレート。
 悲惨な結末がイヤと言うほど伝わってくる。
 事件から7ヶ月たったある日。不思議な事件が起こる。
 女性や子どもの乗客が一人もいない上に、数人の客しか乗っていない大型ジェット機がハイジャックされる。犯人の要求はドイツに逮捕された3人の釈放。ドイツ政府はイスラエルに打診することもなく、早々に要求をのみ3人を出国させる。
 映画では政府関係者は否定することもなく曖昧な表情をしていたが、そう、これ以上パレスチナ問題に関わることをいやがったドイツ政府の芝居であった。
 この事件に関するドイツの対応、その責任の取り方には非難されるべきものが多くあると思う。
 大きな事件の単なるドキュメントを超え、この映像のもつ力はすごい。巧みな編集、貴重なインタビュー(とくにジャマール・アル・ガーシー)、DVDにもなっているそうなので未見の方にはお勧め。
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ブラックセプテンバー/五輪テロの真実(1)

2006年02月17日 12時17分38秒 | 映画
 1999年アカデミー長編ドキュメンタリー賞受賞。たぶんスピルバーグの「ミュンヘン」上映がきっかけで放映されたのだろう。しっかりとした作りで瞬く間に画面に引き込まれた。
 この映画とは関係ないが、グループ名「ブラックセプテンバー」をミュンヘン五輪テロが9月だったからと勘違いしている人が多い。彼らのグループ名の9月はミュンヘン五輪の1972年ではなく、1970年9月にちなんでいるのだ。ヨルダンとPLOとの関係が悪化し(かなり単純化した言い方だが)、ヨルダンのフセイン国王は1970年9月PLOを弾圧。その際のPLOの死者は5000人とも伝えられている。もちろんこれはヨルダン側が一方的に悪いわけではない。ヨルダンはPLOのよき支持国であり、訓練基地などの提供もしていた。それに対し、PLOがしだいに横暴化し、ヨルダン国内で資金調達と称する強盗を働いたり、パレスチナ人から搾取したりし始める。決定的になったのは5件のハイジャック事件だ。ハイジャックした機をヨルダン国内のドーソン基地に着陸させ(失敗したり、滑走路が短くて着陸できない場合もあったが)、ここから各国に政治犯の釈放などの要求をした。
 さすがのフセイン国王もこれにはキレた。今まで我慢しためていた鬱憤が爆発。戒厳令をひき、国王親衛隊のベドウィン兵にPLO討伐を命じたのだった。これが1970年9月。PLO側はこの事件を「ブラックセプテンバー」と名付け、これ以降国際テロをするときのグループ名にしたのだ。
 映画の内容に戻る。
 まずは当時のセキュリティー観念のなさに驚く。夜中銃をもったゲリラたちが塀を乗り越えて難なく選手村に入っていく。しかも酒を飲んでいて閉め出されたアメリカ人選手たちと力を合わせて。アメリカ人たちと「ありがとう」を言い合って別れたあと、彼らはイスラエル宿舎へ向ったのだ。今では考えられない。
 そしてすごいのは、この証言をした人間。これを証言できるのは実行犯だけだ。そう、この映画には実行犯最後の生き残り、当時18歳だったジャマール・アル・ガーシーが出ているのだ。今でもモサドに狙われているので、もちろん顔は隠してだが。
 事件の時間に沿って映画が進むに連れ、驚くのはドイツ側のこれでもかこれでもかという程の対応のまずさだ。ドイツというともっとしっかりした国や人を思い浮かべていたのだが(実際にミュンヘンに行ったとき、いろんな人間と話していてそう思ったのだが)、このドイツの対応の悪さは犯罪に匹敵するほどだ。現にその悪さが惨事をエスカレートさせた。
 ドイツはミュンヘンオリンピックを支障なく続行できるように、とにかくスピードを優先した。

 長くなるので続きます
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肖像写真の愉しみ

2006年02月16日 16時34分56秒 | らくがき
 かつてPHOTO JAPONという写真雑誌があった。フランスのPHOTO誌の日本版で今のベネッセ、当時の福武書店が出版元だった。日本の写真雑誌は半分カメラ雑誌みたいなもんだが、この雑誌はまったくの写真雑誌。単にフランス版の翻訳ではなく、独自の企画・写真を多く載せたいい雑誌だった(83年10月~86年10月号)。坂本龍一若~い! などとつぶやきながら20年前の写真雑誌を眺めるのはとても楽しい。
 そして今更ながら思うのは、肖像画の面白さだ。昔の肖像写真は面白い。今ももちろん面白いものはいっぱいあるんだけれど、そこに時間というどうしようもないファクターが加わることによって、一枚の写真には歴史というとてつもなく巨大な歯車の一端が見え隠れするようになる。それでまた一段と面白くなるのだ。ここが写真の持つ真実らしさや記録性といったものだろう。構図と人物の存在感そのどちらもが強く訴えかけてくる。
 PHOTO JAPON創刊2号に載った無頼派と呼ばれる小説家たちの肖像(写真は林忠彦)。バーで足を組む太宰を下から撮った写真、散乱した紙の中に埋もれるようにして原稿に向かう坂口安吾を今度は上から撮った写真、どれもこれも面白い。その人物の味がよく感じられる。創刊3号ではミキライフ(三木淳)の撮った政治家たち。吉田茂、浅沼稲次郎、池田勇人、三木武夫、佐藤栄作などなど、どれもやはりその個性を強く感じさせる。
 そして今ぼくがなめるように愉しんでいる2冊の写真集がある。
 一つめがユサフ・カーシュの写真集。
 カーシュはアルメニアに生まれ、トルコによる迫害を逃れてカナダに渡り、ケベックに住む叔父の写真スタジオで修行し、写真家となった。
 カーシュの名前を知らない人でも、あなたが思い浮かべるヘミングウェイの写真は、たぶんカーシュのものだろう。そして彼の名前をもっとも知らしめたのは、あなたが思い浮かべるウィンストン・チャーチルの写真だ。
 そう、厳しく口元を締め、右手を椅子の縁に、左手を腰にあて、こちらをにらみつけている、あの肖像写真。1941年。カナダ議会で演説。「3週間以内にイギリスは鶏のように首をひねられるだろう」といったフランス軍の将軍の言を引用し、「鶏にも、首にもいろいろある!」と激した調子で言いはなった。その演説の直後、議長室でカーシュは1枚だけ、という許可を得て撮影しようとした。カメラを向けても一向に葉巻をかみ続けるチャーチル。カーシュはチャーチルの元に歩み寄って、「お許し下さい、閣下」とチャーチルの葉巻を取り上げて、むっとするチャーチルの姿をカメラにおさめたのだ。これが世界的にチャーチルの肖像として広まった。
 ここには各国の政治家、作家、芸術家、俳優、などなどさまざまな人の肖像がおさめられている。そのどれもが、すさまじい存在感で迫ってくる。手の写真もすごい。ルービンシュタインやハイフェッツ、ランドフスカの手。その隣にはムハンマド・アリの手。クルト・ヴァイルの手。ああ、すごい。手の存在感が、手を超え、何かを訴えかけてくるのだ。
 ユサフ・カーシュ「巨人の風貌」 講談社
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室町砂場 日本橋本店

2006年02月16日 08時57分03秒 | 食べ物


 JR神田駅から日銀通りを2,3分行くと角にあります、室町砂場。1869年創業。
 6時頃入ると店は大入り。ネクタイを締めていないのは、2,3人の女性のみで、あとはみな背広姿のサラリーマン。それも若者ではなく、そこそこのご年齢層。たぶんぼくが最若年かも。店は広く天井が高いので、客が多くても圧迫感なし。店先の坪庭もまた広々感を出している(雪吊りしてあったけれど、あれは冬用のディスプレイなのかな)。
 ビールに、つまみ、初めてのお店なので冒険せずに鳥わさと玉子焼き。お通しにクラゲを梅で和えた物が出てきたけれど、これがなかなか美味。
 鳥わさは、普通においしいが、玉子焼きは少し甘めの懐かしい味。しかも絶品。
 さ、蕎麦を注文。今回は更級をもらう。
 別製ざる、という名。
 ざる、と言っても海苔がついてきたりはしない。普通のそば粉を使う「もり」に対して、更級を使う「ざる」ということである。名店盛りだとの評判を聞いていたので最初から大盛り(1150円)を。
 すごい。
 シャープでエッジがたっている上、コシも絶妙。喉ごしはまさに快楽。
 つゆは素晴らしい蕎麦を十分に受け止める超辛口。もともときりっとした辛口のつゆが好みなのだが、このつゆはほんとうにいい。辛さとダシとが両雄相立っている。
 ただ名店盛りは覚悟しなくては………。大盛りでも、少ない。柏・千住の竹やぶを彷彿とさせる。
 あとは店のスタッフのすばらしさ。名店と呼ばれる蕎麦屋さんのおばさんは実にすばらしい。メニューを手にしただけでスッと寄ってくる(しかも威圧感なく自然に)。客が多いのに、待たされるストレスは皆無。


 店を出ると運転手付きの車が待機中。神田の藪や九段の一茶庵あたりと同じ風景だ。
 アイドリングストップ運動にご協力しろってんだ。
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はなから、二回転って言えよ

2006年02月14日 08時56分11秒 | らくがき


 盛り上がっているのか、盛り上がっていないのか、人様の動向がよくわからないんです、トリノオリンピック。
 ラグビーから帰った晩、何気なくぼんやりと男子スノーボード(談志スノーボードじゃないよ、IME)を見ていました。何一つわからない競技なんですが、しばらく見ているとだんだん、こっちの方がいい、あっちの方がいい、と多少目が肥えてきます。アナウンサーの実況もわかってくる。
 わかってこないのが、技。
 「でたぁー、テンエイティ、お、次はナインハンドレッド」
 どの辺がテンエイティで、どのあたりがセブンツーなのか、よくわからない。
 しばらく見る。ずっと見る。
 おや? 
 もしや……… 
 あ、やっぱり
 これ、角度なんだな。テンエイティ1080度、3回転、ナインハンドレッド2回転半、セブンツー2回転………。
 けどさあ、ちょっと角度が足らなくたって、ナインハンドレッドをエイトハンドレッドエイティーフォーとか言わないだろ? 分度器あてて計らないだろ?
 なら2回転でいいじゃんか。
 だめか、だめなのか? どうしてもだめなのか?
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ひとしずく

2006年02月13日 11時40分18秒 | 写真


 それは 夜に漂う
 巨大な泪の一滴であった
           ヴィクトル・ユゴー
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