毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

東京~銀座

2009年12月29日 19時45分03秒 | 観光
 師走の忙しいはずの時期、年賀状作成も放棄してちょこっと銀ブラ。


 鍛冶橋交差点。「橋」と名がついているように、ここにはもともと皇居外堀にかかる橋があった。
 昔、ここから人骨が出たが、そのうちの一体の骨は梅毒に羅患した跡があった。コロンブスがアメリカ大陸から帰国したのが1493年。日本で発生したのは1512年(江戸では1513年)。何ヶ月も冒険的航海を経なければ日本に辿り着けない時代に、たった20年で日本で梅毒が発生したというのはすごい。人間の業を感じる。



 なんてことはない銀座インズ。だけれど、ここには確定した住所がない。川筋を区境にする場所は多いが、ここもまさに外堀を埋立てできた区境。しかも、その川を暗渠にするのではなく、首都高を走らせ、その下に店舗を作ってしまった場所。暗渠にすれば、その道が区境になるのだけれど、お店にしてしまったので、もめる。千代田区はここは千代田区有楽町0番地だと主張する。中央区は中央区銀座西2-2先だと。「0番地」に「2-2先」と、主張しながらも、少々及び腰なとこが面白い。



 三越屋上。池袋西武や東武のように遊べたり、ペットショップがあったり、食事ができたりなどという機能を打ち捨て、ほとんど倉庫のようになってしまっている屋上。
 真ん中に鎮座するのが出世地蔵尊。明治初期、三十間堀川を工事していたら見つかったお地蔵さんを安置してある。右は三巡社。京都の太秦にもある、とてもそそられる神社(神社にそそられるのもいかがなものか、と思うけど)。この三巡社は、本社を隅田川沿いの三巡り神社においている。
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立川談春「赤めだか」

2009年12月25日 18時30分07秒 | 読書

 立川談春著「赤めだか」         扶桑社刊

 名著。
 ぼくは志らくのファンで、彼の独演会で、このままじゃ殺される、と思ったことがあった。たたみかけてくる彼の仕掛けに腹をよじって、もうやめて、もうこれ以上笑ったら死ぬ、と。志らくにはそういう狂気のようなものを感じている。
 一方、談春は違う。もっと楷書の芸だ。破天荒の志らく、楷書の談春。正反対みたいな二人が立川ボーイズなんてやってた。目つきからヤバイ感じの志らくに対して、見た目普通の談春。しかし、もちろん人間そんな簡単じゃない。そんな簡単じゃない談春の、ビルドゥングス物語であると同時に、師匠談志の最良の描写でもある。

 「総数(赤穂藩の武士300人)の中から47人しか敵討ちに行かなかった。残りの253人は逃げちゃったんだ。まさかうまくいくわけがないと思っていた敵討ちが成功したんだから、江戸の町民は拍手喝采だよな。そのあとで皆切腹したが、その遺族は尊敬され親切にもされただろう。逃げちゃった奴等はどんなに悪く云われたか考えてごらん。理由の如何を問わずつらい思いをしたはずだ。落語はね、この逃げちゃった奴等が主人公なんだ。人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいかないと、わかっていてもつい飲んじゃう。(中略)それを認めてやるのが落語だ」という談志の姿に男惚れする。

 ずいぶん昔、勘九郎(現勘三郎)に対して、談志が自分の芸以上のものを背負い込んでしまって苦しんでいる、と書いていた。当時の勘九郎を見ていて、現状の歌舞伎の状況をなんとか突破しようともがいている様子が感じられて非常に納得した覚えがあった。でも、その言辞はまさに談志自身へ突き刺さるものではなかっただろうか。自分の芸だけでなく、落語界そのものに焦慮している彼の姿とも重なるのだ。そうした談志の姿をこの本の中で随所に垣間見ることができる。そこも大変貴重だ。
 最終章、目白の師匠とのくだりは落語ファンなら、ちょいウルウルかも。
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富士見坂

2009年12月22日 18時23分17秒 | 観光


 上野台地の崖っぷりがいい。
 このまま西日暮里に向かってどんどん細くなって、その岬に諏訪神社。
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国宝土偶展

2009年12月21日 22時06分03秒 | 観光
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 上野で「国宝土偶展」。すごい、すごすぎる。素晴らしすぎる。
 伊邪那美命って、すべてを生んだ母なる神であると同時に伊邪那岐命のオルフェウス神話みたいな冥界下り後、人を殺す神となる。生み、殺す。大地母神に潜むこの二面性を縄文人は感じていたに違いない。土偶に現れる生産と死にまつわる神性に目がくらむ。
 日本を代表する土偶の一堂に会する会しっぷりったらない。国立博物館を含む上野のあの空間全体が変質してしまうのではないか、と思うほど。
 ここ数日、母神の持つ二面性に囚われている。
 民話として知られる「山姥と金の鎖」。三人兄弟の母親が外出すると山姥がやって来て家に押し入る。下の子と寝ているうちに、その子を食べてしまう云々、という話。山姥はこの子たちの母親ではなかったのだろうか。
 その意味で吉田敦彦「縄文の神話」はかなり刺激的。

 写真は国立歴史民俗博物館の縄文のビーナス(レプリカ)。「国宝土偶展」は撮影禁止なので。国宝になっている土偶は3点しかないのだけれど、その3点が今回の展示には勢揃い。ほかにも重文ばんばん、全67点。
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早稲田~戸山

2009年12月17日 19時37分03秒 | 観光

 大隈庭園前。
 1年生の頃、夜ここに忍び込んで酒盛りをやってた(未成年だったけどもう時効だ)。
 一緒に飲んでた同級生が夏休みに首つって死んだ。
 もうひとりの同級生は雨の首都高で事故って死んだ。
 半年間に友人2人を亡くした。



 本部キャンパスから狭い一通を抜けると穴八幡神社。
 子供の頃疳の虫があったぼくはここでお祓いを受けたらしい(もちろん、覚えていない)。それで収まったというのだが、どうだろう、にわかには信じがたいのだけれど。あとよく一陽来復のお守りを暮れにもらいに行ってたのを思い出す。
 もともとぼくは生まれが早稲田(の一つ隣の停留所の面影橋)なのであった。



 箱根山へ。
 ここはぼくの青春の思い出。中学・高校とクラシック・ギター部にいたのだけれど、なぜか週一回、ここでトレーニングと称する運動が組み込まれていた。インチキアメフトをやったり、缶蹴りをしたり(高校生も一緒に缶蹴りをするんだぜ、今の高校生からすると考えられない)、あ、あとドロ警も。



 その後この周辺からは人骨がばんばん見つかってちょっとした騒ぎになった。数十体。警察は骨は20年以上たってて事件性がないって言うし、国立博物館はうちが鑑定するには新しすぎるって言うし。ここに旧陸軍軍医学校防疫研究室(731部隊発祥の地)があったことからしても、逆にちゃんと鑑定すべきだった。国の関与を認めつつも、割とグレーのまま納骨されたって、やってることは北朝鮮と変わらないんじゃないか、それ。



 箱根山。尾張徳川家が作ったのは周知のことなんだけれど、ぼくが中学生だった頃は、なんだか異世界のような場所だった。暗く、ジメジメしてて、そしてなんだか漂う手付かず感。今は結構きれいに整理されてる。



 箱根山山頂。
 「箱根山のエロ本」というのが高校時代ささやかれていた。どう見てもここで撮影されたエロ本なのらしいんだけれど、誰も見たことがない、都市伝説的エロ本。
 でも、そんな本が存在するのもうなずけるような、都心の不思議スポットであった。



 戸山団地給水塔。
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東京門前ボタニカルガーデン 滝野川・十条編

2009年12月16日 14時59分31秒 | 観光
滝野川・十条編

 先日ご紹介した西巣鴨編に続く第二弾。
 今回は滝野川から十条へ歩いてきました。












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神田川

2009年12月15日 00時28分33秒 | 観光
 先日うちの前の暗渠を伝わって神田川までやって来たとき、つい勢いあまって神田川から早稲田まで(要するにうちから早稲田までぷらぷらと)歩いてしまった。その神田川編。


 江戸川橋を右に曲がって新江戸川公園へ。満開の時期の桜並木はなかなか見事なものがある。昔、子供の頃、よくここに化石を取りに来ていた。貝の化石など行くたびに取れていたので、化石ってそんなものかと価値をわからずに無造作に扱ってしまった。
 この辺は昔海が来てたんだなと感心したりもした(その頃の気持ちの蓄積が今の縄文好きに結びついたのか、わたくし)。



 右手が椿山荘。ここからも庭園に入っていける。われわれの業界の人間は結婚式っちゃたいていここで、葬式は護国寺か伝通院ってえのが多い。ま、近くでやってくれるのはありがたい。



 椿山荘に隣接する芭蕉庵。
 ここに松尾芭蕉が一時住んでいたのだけれど、ほんとに芭蕉の木が植わってるところがそれっぽくてよし。



 水神社。見事なイチョウ。
 ここで神田川に別れを告げ、北上、早稲田へ。
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街猫6匹

2009年12月14日 19時52分30秒 | 写真
 頭のてっぺんあたりから「チャトラン!」と高音で叫んでみたりする。

 「回向してやったんだ」
 「猫とやっちゃったんですか?」
 「そうじゃない。たむけの句を読んだのだ」
 「え! たぬきとも? 気の狂った畑正憲?」
 立川志らくの「野ざらし」をなんだか思い出しつつ。
















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東京門前ボタニカルガーデン 西巣鴨編

2009年12月13日 00時29分49秒 | 観光
 街を歩いていると、家の前に置かれている植物に目がいってしまう。
 緑を愛する気持ちから置かれた植物なんだろうが、その緑を愛する気持ちが強すぎてしまったのか、大変繁茂している箇所がある。
 人類が絶滅して20年後の家かこれは、と思うものから、もはや家の前の植物ではなく、植物の中の家だろう、というものまで。
 これが楽しい。
 東京門前ボタニカルガーデンのご紹介。



 小学生の頃の地図帳に人口密度によって色分けされた地図があったけど、その地図だとここはずばりインドネシアだ。密度高過ぎ。



 ここは植物もいい感じなんだけれど、実は玄関に独立した瓦屋根がなぜかついている不思議な造り。よく見てもらうとわかるのだけれど、家の寸法より玄関の方がでかい。2階を支える柱が玄関の内側にあるのがわかるだろうか。どういう思想に基づいて建てられたのか、大変興味深い物件。



 東京大学豊島寮。
 ここは金網があってこのアングルしか撮れなかったんだけれど、敷地内ほぼジャングル。ツタを使って移動する半裸の人々が現れたとしても驚かない。



 右側はいまどき珍しいアパートの外の洗面台


 ここに至るとアラン・ワイズマン著「人類が消えた世界」を彷彿とさせる。
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多摩川

2009年12月12日 00時07分57秒 | 観光
 三鷹まで仕事で出かけたので、ついでにちょいと足を伸ばして多摩川へ。





 多摩サイ。そういえば自民党総裁の谷垣さんがこけたのここだ。
 彼が財務大臣時代デ・ローザからアニバーサリーモデルが出て、欲しかったらしいんだけれど、奥さんに反対されて断念したって記事を自転車雑誌で見たことがある。日本の財務大臣も家の大蔵大臣にはかなわない、と。
 それにしてもSPはどうしたんだろう? 一緒に自転車で走ってたんだろうか。ペダルは、SPD? SPD-SL? まさかフラペ?



 スナフキンの末裔。
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ブラタモリ

2009年12月11日 10時16分42秒 | らくがき
 人に勧められ、先週から「ブラタモリ」を見始める。先週の舞台は地元、文京区、23区ちっちゃいものクラブの一員みたいな区。
 2005年から2006年に連載されたほぼ日で、タモリ+糸井重里+中沢新一の鼎談を読むと、タモリが中沢新一に触発されていく様子が手に取るようにわかる。たとえば第6回など。この前後もあるので、ぜひどうぞ。すごく面白い。
 そんなタモリのアースダイビング番組。民放ならあり得ないであろう編集期間。だって、これ収録真夏じゃん。一見歩いているだけなので低予算で作られていそうでありながら、編集期間から考えると、この尺では考えられない予算編成に違いない。
 また服装から見ても、本郷近辺を歩き回るだけなのに複数日の収録。さすがである。
 これで面白くないわけはないのだが、民放だと、「えーっ、すごい」を連発して騒々しい女子アナや「こっちに何があるのか、じゃ、行ってみたいと思います。あっ、あれっ! カメラさん、こっちこっち!」的小芝居満載で興ざめしちゃうこと多々あるのだが、この点もさすがである。
 タモリの興味津々で楽しくてたまらない雰囲気が伝わってくる(タモリは基本的に低温質なのでこの程度の反応で十分伝わるのだ)のに対して、パートナーの女性の「これ、いったい何が楽しいのかイマイチわかりません」的雰囲気がよい。バランスが取れている。みんなで騒がれちゃうと見ている方は引いてしまうのだ。「そんなに楽しいなら、お前らだけで待ち合わせでもしてやってろよ」と。
 冒頭、「そもそもぴんときません」との発言。ま、これも戸田恵子の説明を引き出す小芝居っちゃ小芝居なんだけれど、その辺の呼吸がすばらしい。「なんでもキワがいいんだよ」とタモリがエロスを語ると、彼女が笑いながら「キワモノ」発言。「脱いじゃうと、もうダメ?」
 「本郷もかねやすまでは江戸の内」という川柳を紹介したいのだけれど、「かねやす」が固有名詞なので遠慮している映像が面白い。かねやす前で「見送り坂・見返り坂」を紹介しつつ、タモリがちょっと体をずらすと店頭に飾られているその川柳がうかがえる。NHK的工夫映像。
 それにしても面白かった。昨日の「品川」は録画してあるので、あとでなめるようにゆっくり見よう。今まで見逃していた分がもったいない。
 この番組にはぜひ、赤羽を歩いてもらいたい。あそこは本当にむき出しの縄文地形。

 番組に何度か出てくる地形地図。グーグル・アースをお持ちの方は東京地形地図で見ることができます。おお、ほんとだ、神田川の流れが不自然だと地形図を眺めつつ感心してる、神田川河畔生まれのわたくしでありました。
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戸田橋

2009年12月10日 14時35分11秒 | 写真


 早起きして、行こう、行こうと思いつつ、だいぶご無沙汰の荒川。
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王子

2009年12月08日 17時49分43秒 | 写真


 本を読むために電車に乗る。
 机に向かうよりも電車の中のほうが何倍も集中できる気がするから(当社比)。
 問題は帰り道。
 毎回、毎回山手線の隣の駅で降りて歩いて帰るのも芸がない。
 時には埼京線の板橋や十条、時には京浜東北線の田端、王子や東十条、赤羽、上野だって射程範囲。
 カメラを担いで歩くだけで、ぼくの帰り道は観光旅行。 
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2009年暗渠の旅

2009年12月07日 21時08分08秒 | 観光
 出発点は、まず自分んちの前の暗渠。


 国道を降りると、そこが暗渠。
 この街は古くて、新しい。フランス人の友人はこの街をものすごく気に入って、ニコニコしながら「bizarre!」と喜んでいた。
 でも、それ褒めてないだろ?



 あまりにも当たり前の風景だったから気付かなかったけれど、いや、なかなかの暗渠カーブ。坂下通りと交差して、さらに暗渠は続く。



 いかにもな暗渠でしょ?
 右の塀は豊島ヶ岡御陵。ここに蛇がいるせいで、時々遭遇する。家の前で目が合ったときにはどうしようか、と思ったものだ。



 不忍通りと交差して、進んだ暗渠はやがて鳩山邸にぶつかる。一旦暗渠から離れ、隣の音羽通りへ。



 数メートルしか離れていないのに、暗渠と音羽通りとのヴィジュアルの差は大きい。左の大きなビルが講談社。暗渠は鳩山邸の下を通って神田川へ。
 これがそのままぼくの通学路でありました。
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猫2

2009年12月01日 19時19分13秒 | らくがき
 榎本牧場を後にし、帰路につく。
 再び猫と出会ったところに行き当たって、ああ、ここだったよなあと、しばし佇む。



 すると!
 ご覧いただけるだろうか。左下からとっとっと、と歩いてくる物体。
 あの猫だっ!
 自転車を脇にしたぼくの周りをぐるぐる回り始める。
 なんという手練手管。行きに会うよりも、しょんぼりした帰りに会う方がうれしい。猫に手玉にとられている気がする。肉球の上で踊らされてる気がする。
 約束したかりかりをあげてると、やや、とことことこ、とやってくる小さなものが。



 きみ、子持ちだったのか!
 かわいいぞ、この子たち。
 ぼくがちょっと動くと、びくっとして逃げてしまう。
 なんというかわいい生物。



 彼女の下に潜り込む子猫。
 おいおい、なんだか、きみだけじゃなく、子どもたちまでまとめて面倒みてやるっ! みたいな感情がわき上がるのはなぜだ? 大丈夫、子どもたちもそのうちなついてくれるよ、などとドラマのようなセリフが浮かんでくるのはなぜだ? ぼくはいったい猫と何をしようと?  何を築こうとしてるんだ?
 自分でも訳わかんない感情。
 これって恋?
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