毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

神楽の夕べ

2010年10月26日 00時14分23秒 | らくがき

 週末は早稲田で神楽の映像を見る会。
 ものすごく久しぶりに文学部キャンパスを歩き、教室をおさえてくれたTくんにいろいろ話を聞くと、ほんと浦島状態。知らない学部一杯できてるし、佐賀や大阪に係属高校できてるし、二文なくなってるし。「でも、結局慶応に負けてるよねえ」「ですよねえ」
 神楽を見る。
 演じ、舞う姿を見ているうちに、その場の特殊性に気づいた。神楽は「神を楽しませる」という言葉だと昔聞いたけれど、それはきっと違う。言ってみれば神の音楽だ。その音楽に合わせて舞うことで、人は自分を抜け出し、自分とは違う存在、あるいは人とは違う存在に変化する。たとえば、安部公房の「他人の顔」を読むと実感できるのだけれど、人間の自己同一性のかなりの部分は顔に依存している。だから、顔を隠すことは、他者に変貌することへの大いなる助走となりうるのだ。祭、能、その他、舞う人の多くが仮面をつけることは理にかなっている。
 神になることは、その名乗りをあげることだけでは足りない。「ぼくイザナギ、今んとこまだ童貞っす」「わたしイザナミ、まだ処女でーす」「二人合わせて国生みでーす」そうした名乗りだけでは、舞人は神になれない。舞人は、神の事蹟を演じ、舞うことによって神となる。神の顕現は、舞にあるのだ。そこが踊りと違うところだ。
 神となった舞人は群衆を寿ぎ、そして、何かを投げ与える。これは、神からの贈与であり、そのとき、神楽の場は、神の世界と人間の世界との境界線と化す。財は、その境界線上に生まれるものだとかつて人びとは思っていた。そこら辺の岩に描くのではなく、ラスコー人は境界を求めて、洞窟に入り、その暗闇の中、向こう側の世界との接点=境界線上に彼らの財の絵を描いた。
 そして、そうした聖なる者の顕現が境界をこの世界に示現させるものであるならば、つまり、聖なるものは周縁性とも同義となる。世界の中心として考えられる聖なるものと、共同体の外れ、いわば場末と言われれる周縁とがひとつに重なる。それが神楽の舞台に現れる。痙攣的なリズムと笛(そして、笛の音もまた異界から何かを呼び出す装置としてさまざまな舞台に登場する)の音に酔いしれながら、反対のものが一致する空間に強いリアリティを感じた夕べでありました。
 しかし、最後に見た「茅の輪」。あれはひどかった。
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この夏 その三

2010年10月17日 00時45分49秒 | らくがき
 間があいてしまってごめんなさい。
 もしかしたら大したことのない体験なのに、大騒ぎして恥ずかしかったり。あるいは、身体が訴える違う気持ちの問題もありました。
 ゴロゴロ転がりながら、なにしろ両手を上げることすらできない状態でいろいろ考えた、というか、身体に訴えかけられたのですが、最後の訴えは、この体験をどう語ろうか、という問題でした。よく「言葉にすると嘘っぽくなる」という言い回しをするじゃないですか。身体が体験したことを言葉にして語る。これがとても辛いことでした。どう辛いか、それを語ることすら難しくて、なんだかうまくまとまらなくて。
 気づいたのは、体験をすべて語るのは不可能だということ。それは、技術的なレヴェルではなく、語るという行為そのものに起因する、そもそもの構造的レヴェルでの不可能性でした。語る、ということは、言ってみれば解剖のように体験を分節し、それを腑分けし、そして息の根を止めます。語ることは、体験の語られないことを固定化して、永遠に消え去るよう要請します。つまり、語ることは、体験のうちの生き残る部分と死にゆく部分とを峻別する作業でもあるのです。
 これは体験の存在感が大きければ大きいほど、厳しい作業になります。どの体験も、どの一瞬も、そのときのぼくの反応もどれをとってもかけがえがないのに、語ろうとした瞬間、指の隙間からすくった砂がこぼれ落ちるように、さまざまな瞬間が消え去っていきます。そしてもう二度と戻ることはありません。
 それは、時間の不可逆性をまたひとしお、ぼくに実感させました。語ることと、時間の不可逆性とは表裏一体の人間の条件、人間が身体を持ち、そしてそのことを意識する、そうした人間の基本的な事象のことなんだと、強く強く思い知らされました。
 うまく書けていないことはわかっています。ぼくの身体が感じたことのうち、ぼくがなんとか掬い止めたものだけ、ものすごく焦りながら、でも、うまくできずに歯噛みしながら、時間の流れから掬い上げたものです。その技量や技術に大きな問題があるのはわかっています。もう一回やればもっとうまく語れそうですが、もうそれは勘弁して下さい。
 今もぼくの右手は力が入らないし、薬指と小指に違和感が残っています。でも、この夏の体験は、逆説的かもしれないけれど、本当に素晴らしかったと思うようになりました。これだけいろんなことを身体が感じることって今までなかったわけで。
 この3回に渡ってグダグダ書いたことにコメントを寄せて下さった方々、ありがとうございました。来週からは、今までの脳天気なシモネタ満載ブログになります(嘘です、ごめんなさい)。
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この夏 その二

2010年10月09日 22時23分15秒 | らくがき
 効かない身体で七転八倒していく内に、ぼくが気づいたのは、時間の不可逆性、その一瞬のどうしようもない貴重な存在でした。
 それまでのぼくは、何年間か撮っていた写真をハードディスクのクラッシュで失っても、まあ、別にまた新しい写真撮ればいいや、と思っていました。それでいて、たとえば、穂村弘が著書で生の一回性について語るのを読んで、「ああ、そのとおりであることだ」と思っていたり。でもね、全然わかっていなかったんです。生の一回性は、頭で理解することではなくて、むしろ身体で感じることだったんです。だいたい、身体があることで生の一回性が生じるわけなのだから。
 七転八倒しながら、強烈に突然訪れた自分の体の不自由さを思いながら、生の一回性が身体と一体であることを強く感じました。どの瞬間も二度と訪れない瞬間だという真理、それこそ鴨長明も言及しているぐらい何度も耳にした真理は、理解すべきことではなくて、身を切られる経験の上に存在するものなのだ、と。瞬間、瞬間、身を削られていく、そしてそれはもう二度と戻らない、どんどん損なわれていく身体、これこそが生の一回性と同義の概念なんだ、と。今、冷静に書いてますが、そのとき感じた恐怖と後悔にどれだけ身を切られたかわかりません。もう、だめだ、もう、あれもこれもすべては過ぎ去って、二度とぼくは同じ感情を手に入れることはできない。
 しばらくして左手が少し使えるようになったので、ツイッターにアクセスしたら、ある方に言われました。「書くことは肉体的なパッションだと教わりました。夢想ではないと。」たぶん、そのパッションは情熱ではないでしょう、それは「La Passion」、すなわち受難のことなのではないか、と思いました。身体の受難(また後日「ヒックとドラゴン」などについても書きたいと思うのですが、あれもまさに身体の有徴的受難の物語でした)と「書く」こと、この二つはもしかしたら同じ出発点なんじゃないか、と。それこそ、最初の人類が抱いたどうしようもない喪失感(これは多く、目覚める前のユートピアの喪失として描かれています)こそが、語る、書く、描く、こうした行動を生んだのではないか、と。
 今、まさにこの身体的受難が生そのものをおびやかしている時、ああ、今がぼくにとってのハイリゲンシュタットの遺書の時なんだ、と強く思いました。この試練は、ぼくに必要な試練だったのだ、と、とても自分に都合よく解釈し(しかし、世の中はそんなに甘くもないし、暗示的でもありません。ただ、ぼくは自分の身体的欠落をそのように解釈したかっただけなのかもしれません)、ここ、この状況を書くことによって乗り越えるんだって、寝床から二足歩行のなまこのようにノロノロと這い出して、今書かなくていつ書くんだと、パソコンの前に座り、そして、だから、両手が使えないから苦しんでるんじゃん、と絶望的に気づいたのでありました。

 字数多くてごめんなさい。あと、もう一回書かせて下さい。
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この夏 その一

2010年10月07日 23時09分51秒 | らくがき
 今週は、この夏にぼくが体験したことを書こうと思いました。でも、なかなかうまくいかなくて、おまけに長くなってしまって。
 ぼくは、自分の経験を言葉にすることで全体から何かが失われていくような気がしてしまったのです。でも、それはもしかして、そのこと自体が大切なような気がしてきました。つまり、言葉にすることで失われる、ということ自体が。ですので、今週、あと数日ですが、ここにこの夏の経験を書きます。来週からは、今まで通りのノリでやりますので、小面倒な字面多いブログはイヤだ、とうい方は、どうか来週またいらして下さい。
 ええと、8月の終わり、寝方が悪くて、朝起きたらぼくの両腕は麻痺していました。指をうまく動かすことができない、という細かな麻痺ではなく、腕全体が動かない。特に腕を上げる動作がまるでできなくなりました。あら、こりゃやっちゃったな、と最初は軽く考えていました。
というのも、以前これと同じことをぼくはしでかしていたのです。昔、酔っ払って山手線で寝て、ぐるぐる回った挙句、浜松町だかどっかで目覚めたとき、ぼくの右手は麻痺していました。おまけに財布は取られるわ(現金よりも免許やクレジットカードが面倒くさいんだよ)、さんざんでした。脛骨の関節の幅が平均よりも狭いらしく、首に負担をかけると腕が麻痺してしまうとのことでした。
 弱ったな、と思いつつ、軽く考えていたぼくは夜中「やっちゃいました」などとノンキなことをブログに書きました。10日くらいで治るかな、などと。
実は、そこからかなり苦しみました。暑い夏でした。暑さの中、ああ、帰ってシャワー浴びて、ビール飲んだら気持ちいいだろうな、そんな風に酷暑を耐えた人も多かったのではないかと思います。しかし、その時のぼくは、シャワーを浴びようにも腕が上がらない、ビールを飲もうにも手に力が入らない、なにより一番辛いのは、本来そうした快楽に結びつく行動がことごとくストレスでしかなかったことでした。つまり、どんな行為もすべてストレスなんです。以前の欲望のままにビールを飲もうとして、缶ビールのプルトップを開けようと脂汗流しながら格闘しているうちにどんどん気持ちが追い込まれていき、エアコンの真ん前にいても、とまらぬ汗がどくどく流れていきました。おいしいものを食べたり、暑い夏に冷たいビールを飲んだりすることはストレスの逆の行為のはずなのに、それらがすべて強烈なストレスなんです。汗で前髪が垂れます。それを戻そうとも、手が上がらない。どうにか上げても、すぐに気になってしまう。映画の上映中にトイレを意識的に我慢すると却って行きたくなってしまうように、手が上がらないぼくは、顔の汗や垂れた毛に異常に敏感になってしまいました。その姿は、自分でもいやになるほど醜悪でした。
 8月の終わり、ぼくは、生き続けることがしんどくて、もう、じっとしてられず、狂ったように街を歩き続けました。そのとき、ぼくには欲望がありませんでした。食欲も性欲も。眠くはなかったけれど、今のこの状態を眠っている間だけは忘れることができるなら眠りたいと。そのためにも馬鹿みたいに歩きまわりました。帰って鍵を開けるためにまた汗だくになるであろう自分の姿にもぞっとしていました。そして気づいたのは、欲望がないってことは、生きることそのものを否定しているんだ、ということ。食べることも、飲むことも、プラスの行動ではなく、ただストレスを増すだけの行いだとしたら、それはやりたくないし、やらない方がまだまし。じゃあ、そんな状態の時に何をやりたい? 何もやりたくないんです。欲望が全然ないんです。じゃあ、それは欲望から逃れて幸せか、と言えば、全然幸せなんかじゃなくて、ただ生きていることが辛いだけ。
 そのとき思ったのは、人間は欲望をなくすことが大事なのではなくて、その欲望をどのように抑圧していくか、それが個性であったり、文化であったりするのではないか、と。生きるということを支えているのは欲望なんです。で、その欲望を際限なく出し切ることが人生の幸せかと言えばそうではなくて(多くの場合、あなたの欲望の源は「他人」の欲望であったりするわけだし)、欲望を原動力にしながら、その欲望を抑圧していく過程に意味があるんじゃないか、と。
 欲望を持つことができず、七転八倒しながら、それでも、周囲のぼくを気遣ってくれる人たちに申し訳ないし、痛いのヤだし、死ぬことを選ばなかったぼくは身体の持つ大きな意味を悟りつつ、身体からいろんなことを教わりました。
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前橋

2010年10月01日 22時34分19秒 | 観光
 よその人間からすると、どうだっていいだろうと思うような細かいことへの執着を見せる人がいる。「ああ、駒込にお住みですか」「いえ、本駒込です」とか。良い子のみんな、説明しよう。文京区本駒込は割と高級住宅街なのに対して、隣接する豊島区駒込はきさくな感じの下町。谷田川の暗渠が流れるすてきなところだが、なぜか文京区民は豊島区と混同されることを嫌がる偏狭な区民である。え、ぼくんち? 文京区大塚、え、違うって言ってんだろ、豊島区にあんのは南大塚と北大塚だって言ってんだろ、豊島区と一緒にすんなって! はっ………、いや、その、偏狭な区民性はいかがなものか、と。
 さて、そういうこだわりで言うと他県人からすると理解不可能なのが高崎と前橋とのいさかいである。かたや新幹線が停まる街、かたや県庁所在地。群馬県の市長会議でも、高崎市長が「人口が群馬一になりました」と発言するや、前橋市長が「富士見町と合併して高崎を抜きます」と宣言する、仲の悪さ。出身大学の学閥よりも「たかたか」(高崎高校)か「まえたか」(前橋高校)かがモノを言う県。ちなみに普通他県人からすると「たかこう」と呼びたくなるが、「たかたか」の人間はそう呼ばれることを嫌う。「たかこう」(高崎工業)と一緒にするな、と。ああ、面倒くせえ。全県民合わせても横浜市より遥かに少ないのに、互いのメンツのためにどちらも市立大学を持つ、負担でかいだろうにと他人にヤキモキさせるそんな北関東の小都市。
 愛してます。
 いや、ほんと、実はぼく、高崎も前橋も好きなんですよ。猛暑の前まで週イチで行ってたくらい、自転車で。で、帰りよく買い物をしてたイトーヨーカドー前橋店が閉店だと聞き、駆けつけました。ありがとう、イトーヨーカドー、と。


 なぜか、横並びの信号。



 前橋は生糸で栄えた街で、その名残りのレンガ造り倉庫なんかもそこここに。だいたい、県庁所在地だって、最初高崎にあったのを生糸で儲けた人が、私財使って、手狭で使い勝手の悪い高崎の県庁よりいいもん作ってやるからと前橋に持ってきちゃったもんだから。



 弁天さんのあるアーケード。こういうの京都にもあったような気がする。このアーケードは東京の人間には想像つかないんだけれど、車も通ります。ただねえ、シャッターアイランドなのよ、ここも(使い方違います、シャッターアーケード)。



 アーケードそばにあった、前橋パルテノンと命名させて頂きました、建造物。どういう経緯があったんでしょう。好きです、こういう物件。



 街を流れる広瀬川。市内の川っていうと、京都の鴨川とか東京の荒川とか、ゆったりするのを想像するんだけれど、この川はワイルド。今にも、「ファイトーいっぱーつ」などと叫びながらラフティング乗りが通過しそうです。
 そんな楽しく、風情ある街、前橋。みなさんもぜひお出かけください。
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