毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

忍城

2007年07月30日 01時06分54秒 | 観光


 行田市にある忍城。
 明治初期、ここには4ヶ月間だけだったが忍県の県庁が置かれていた。
 で、この忍県(江戸期には忍藩10万石)にも伝わるお菊さん伝説。いわゆる播州皿屋敷のお菊さんである。
 恐がりのくせになぜか自転車に乗ってそんなところへ行ってるわたくし。
 この忍藩のお菊さん伝説(敬称つけますよ、そりゃ)はなかなか凄惨。
 忍藩家老の山田某は女中お菊さんを妾にして寵愛したのだが、これをやっかむ前からの妾たちは家老の飲む味噌汁に縫い針を入れ、お菊のせいにする。お菊は蛇やらムカデやらのつまった長持ちに入れられる拷問を受け、「末代まで呪ってやる」と言い残し死んでしまう。
 蛇にムカデの長持ちって、イメージ的にすごくイヤ~ンな感じである。
 それから山田家老の家には、凶事があれば笑い声がし、吉事があれば泣き声がする。
 これが播州皿屋敷として姫路の方の話になったのは、忍藩の藩主松平忠明が播州の藩主になったことによる。
 でも、今の忍城はそんな雰囲気のまったくない普通の観光地。城そのものは明治に壊されたので、今のは新しく再建されたもの。こうして物語はだんだん土地の神話と離れていく。
 行きは荒川を大芦橋まで走り、帰りは面倒なので電車。


 こんな風にして帰って来ました。
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荒川堤櫻

2007年07月26日 11時28分01秒 | 観光


 場所は芝川が荒川に合流する鹿浜橋近く。
 足立区の都市農業公園のあるところ。この都市農業公園の自然環境館のwebの中に、「どんな活動をしているの」と活動の紹介をするバナーがある。そこのバナーの一文、「自然について、心にしみるような活動をしています。」。いいねえ。あまりバナーに「。」は見かけないが、この「。」まで含めてなんだかいい。
 明治の頃、ここの堤に3000本以上の桜が植えられた。ソメイヨシノ一種類ではなく、様々な種類の桜が植えられたため、荒川の五色桜と呼ばれ、行楽地として多くの人々が訪れた。
 まだ、我々の知っている下流の荒川がなかった頃だ。荒川は今の隅田川に繋がっていたが、さんざん洪水を起こしたため、明治末期、新しく開削。北区赤羽岩淵から隅田川と別れ、別のルートを通るようになった。
 この開削工事や堤防の改修によって名所荒川五色桜は消えてしまった。
 しかし、完全に消え失せたのではない。
 大陸がゲルマン系の異教徒に荒らされる中、アイルランドでその灯火を保ち続けた中世期のカトリックのように、荒川五色桜はその命をなんとワシントンで灯し続けたのだ。
 そう、ポトマック河畔の桜。あれは当時の東京市長尾崎行雄がここの桜を贈ったものだった。
 その桜が戦後2度里帰り(一度目は全滅してしまった)し、ここ荒川堤に植えられている。
 サッカーの話はしません。っていうか、サッカーってなに? それって食べられるの? という態度で今日一日を心穏やかに過ごしたいと思います。
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晴れに飢える

2007年07月24日 17時36分19秒 | 写真


 今日は久しぶりの青空!
 こりゃ、走るしかない。
 そんなわけで行田までちょこっと。
 写真は大芦橋の近くの水管橋。
 
 実は昨日はぼくの誕生日。この年になると別に誰もプレゼントをくれたりなんてことはない。ぼくも全然期待していなかったのだけれど、ヴィノクロフが2度の落車にもめげずに昨日ステージ優勝。
 あの姿に励まされました。いい誕生プレゼントでした。
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百丈

2007年07月20日 00時55分18秒 | 食べ物


 屋号「百丈」は黄檗宗の百丈懐海にちなんでるらしい。日本では臨済禅の一派みたいに捉えられているが、中国では黄檗宗から臨済宗が出ているわけで、日本の受容の仕方が逆だったせいだろう。
 国の登録有形文化財に指定されている店は3階建て。3階部分は展示スペースとして貸出も行っている。
 使う蕎麦粉の産地も表示されていて、この時期は十割で打っていると貼紙が。おお、ラッキー。川越へ出かけた理由のひとつがこの店だから、これは嬉しい。
 ビールのつまみに鴨と豆腐を注文する。
 豆腐もうまいが、絶品は鴨。うわあ。こんなにやわらかく、肉の味のよろしい鴨肉はもしかしたら初めてかもしれない。


 実は、このあと頑者に行く予定だったので、鴨と豆腐だけで蕎麦を注文。
 運ばれてきたお蕎麦。星がきれいに入っている見るからに美しい蕎麦。
 口にしてみると十割にしてはコシのあるきれいな歯ごたえ。喉ごしもいい。つゆもきりっと辛口でぼくの好みの味。うーん、幸せ。
 こってりとした蕎麦湯の愉悦に浸っていると雑事を忘れる。
 街並みもいいし、この建物もいい。
 大人になってよかったな、と少し思った。 

 お店は川越市役所の向かい側。
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荒川

2007年07月18日 01時11分31秒 | 観光
 「秩父山地から流れ出る荒川は、東京湾まで流路173キロ。埼玉県を流れる一級河川160本のうち実に99本を支流として抱き込み、その流域面積は圏内の三分の二に及ぶ。そこは山地や雑木林、広大な河川敷など自然も多く、知られざる動植物の宝庫でもあるのだ」(「荒川新発見」東京新聞社編)

 東京に住んでいると鳩や烏、犬猫以外の動物ってあまり見かけない。
 うちの近所にアライグマを飼っている人がいて、毎朝首輪をつけて散歩させているのをみたことがあったが、どんな動物であれ、野生は遠い世界のように思っていた。
 それが自転車に乗るようになって、荒川沿いを走ると、結構野生の姿に出会うことがある。蛇を轢きそうになったこともある。タヌキの死骸を見たこともある。携帯電話で話していて、「カエルの声がすごいんだけど、どこにいるんだ?」と尋ねられたこともあった。リスも見た。昆虫も食べた。いや、食べたかないんだけれど、口あけて走ってると飛び込んでくる。ヴェテランは虫を「タンパク源」と言い切るのだけれど、あまりいい感じはしない。虫は厳しい。走っていると結構ぶつかる。それなりに痛かったりする。狐もいた。


 携帯で撮った上に、ちょこまかと動くの見にくいかもしれないが、キジ。
 さすがにこれにはびっくりした。おまけにこれを撮ったのは東京23区内。キジ、日本の国鳥である。国鳥を狩りの対象にしちゃうのは世界でも唯一日本だけ。ま、もっともフランスでも国鳥のニワトリ食べちゃうもんね。でも、ラグビーでもサッカーでも、フランス代表チームの胸元には金のニワトリがマークとして君臨している。日本はラグビーのマークは桜、サッカーはカラスだもんなあ。国鳥たるキジはどこにシンボライズされているのだろうか。
 ああ、なくなっちゃったけれど、穴八幡んとこにあった万福のキジ焼き重が食べたい。
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秩父

2007年07月17日 11時39分40秒 | 観光
 最近登山してないなあ、と台風明けの空を見てふと思う。自転車で平地を走り回ってばかりいて、埼玉へはよく行くのに、方面はいつも行田や熊谷。
 そうだ、今日は秩父に行こう。
 そう勇んで家を出たものの、なぜか時季はずれの北風。
 入間大橋で荒川サイクリングロードから入間川サイクリングロードに乗換。このあたりでちょうどうちから50km。
 前日までの台風のせいで入間川も高麗川も増水。音をたてて流れる様はなかなかたのもしく横を走っていて楽しい。


 前から気になっているのだけれど、西武文理学園の裏手にあるこの変な河童像は誰がなんのため?



 入間川サイクリングロードの終点まで来て、今度はR299へ。一路秩父を目指す。細かなアップダウンを経て目の前の山を見たとき、やっぱりやめようかと。秩父はこの山の向こう。
 地図を見ると、しかし、この国道の先にトンネルの表示が。
 ということは、山を登り切らなくてもトンネルを通れるのではないか、と。
 意を決して正丸まで登っていく。
 向かい風の中70kmほど走ってきたので、脚がなくなりつつある。
 汗がだらだら流れ、呼吸はハアハア。
 辛い。
 いや、ランスなんか癌の手術、それも生存率のきわめて低い手術のあと、アルプスを登ったんだ。レモンなんか散弾銃で撃たれたあと、アルプスを登ったんだ。ヴィノクロフだって、落車して3カ所を縫って(しかもかなめの膝は15針も)今、まさに今激痛に耐えながらツールを走り続けてるんだ。
 頭の中で偉大な選手たちを思い浮かべ、自分を励ましていく。
 走り出して4時間半。汗がとまらず、ここまでで1.5リットル給水。ナトリウム不足が心配になる。途中正丸駅の茶店でラーメンを食べて塩分とカロリー補給。



 そして正丸トンネル。
 これ、ものすごーく、怖かった。
 帰ってネットで調べたら絶対心霊スポットとして紹介されてるに違いない、前もって調べておかなくてよかった、知ってたら自転車で通ろうなどとは思わないよお、などとぶつぶつ言いながら進む。
 しかもこのトンネル、およそ2kmもある。車道に余裕がない上にダンプがどんどん通るので、一段高いところを進むのだけれど、これが狭くて、おまけにところどころぬかるんでいて、さらに、ゴミが捨てられてあったりして。



 とても正丸トンネルで写真を撮る気にならなかったので、これは次のトンネルで獲ったものなんだけれど、こういうところを走っていくわけよ。すぐ横をダンプが飛ぶように走っていくわけよ、地響きたてて。
 で、帰って「正丸トンネル 心霊」でググッてみたら、案の定出るわ出るわ。
 でも、みんな車で通って怖い、怖い、と言ってる。
 そんなに怖いもん好きなら一度、歩いたり、自転車で通ってみろ、と言いたい。
 次秩父に来るときは遠回りの上、山越えだけれど、正丸峠を越えて秩父へ向かおう。こんな怖いところはこりごりだ。
 で、トンネルを抜けたら、あとは登った分だけ、結構な下り。
 スピードメーターがぐんぐん上がる。爽快だが、一般道なのでアンダーステアが出てふくらむと車にひき殺されるので50kmほどのスピードまでで抑える。



 西武秩父に到着。
 入間川サイクリングロードに入ったり遠回りした割には案外短い110kmほどの走行距離。


 走り終わったら、今度はこれで水分補給。
 ぼくは缶ビールを直接飲むのが嫌い。一回コップに移した方が絶対うまいと思う。ビールのCMで感から直接ゴクゴク、プハーみたいなのがあるが、二ついやな気分になる。ひとつは直飲み。そしてもひとつ。なぜ喉を鳴らす? そういう飲み方は品がないと習わなかったのか? わざわざ人に聞かせる音じゃないだろう? と。
 ビールに限らず缶コーヒーも何もかもゴクゴクやってるところを見ると、多くの人はOKなのか、とも思う。ぼくが神経質なだけなのか、とも思うんだが、やっぱりいやなものはいや。
 なわけで音をたてずに、酒屋さんからもらった紙コップで美味しく飲んで、レッドアローに乗り込んだのでありました。
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伊藤礼「こぐこぐ自転車」

2007年07月09日 08時36分46秒 | 読書
伊藤礼 「こぐこぐ自転車」              平凡社

 たくまないユーモア、肩の力がふっと抜けたような文章。
 還暦間近になって自転車に乗り始めた著者。これくらい大人な人になると、はまってしまうとすごい。財布が違う。わずか3年かそこらの間に6台の自転車を買ってしまう。それもなかなかの高級車。
 そして70過ぎてからも、仲間と一緒に日本中を自転車で旅し続ける。
 房総半島一周しようとする。
 東京から軽井沢まで行こうとする。
 北海道を周遊しようとする。
 旅の刺激がよほどきいているのか、彼らは年齢に関わらず若い。行く先々を楽しみ、坂にチャレンジし、とにかく一々びっくりしたり、感動したり、毎日が楽しそうだ。
 
 著者が初めて自転車を飛行機に乗せて、無事北海道で受け取ったときのくだり。
 「飛行機による輪行ははじめてだったから、釧路空港で自転車の無事な姿をみたときはヤッタという気分だった。もう大丈夫、という気分でもあった。私たちの自転車生活の前途は、今後とも日本航空が飛んでいる限り明るかった」
 大袈裟である。
 このユーモラスな大袈裟ぶりはちょっと東海林さだおのエッセーに近いノリだ。
 その北海道で彼らは坂に挑戦する。
 「いちど横を、後ろのほうからやってきた自動車が二台、私を追い越して平気で坂を登っていった。せっかくの坂道なのに、と私は考えるのだ。ガソリンに頼ってああいうふうに平気で登ってしまうのは間違っている。坂道は味わいながら登ってこそ価値があるのだ。自動車の存在が悪いというのではない。エンジンが大きすぎるのが哲学的な間違いなのだ。エンジンはもっと小さくする。そうして坂道はセコンドとかローに落としてエンジンを唸らせて、人間がそうであるように苦しそうに登るのが本当は大事なことなのである」
 ぼくも同感だ。
アクセルを踏むだけで坂を登っていくより、自転車を振りながら必死に漕いでいくのがいい。ハアハア言いながら坂を登るぼくの横をバイクが轟音とどろかせて抜いていくときなど、「バイクが速いだけで、別にお前が偉いわけじゃない」と思う。
 
 この本を読んでいて、北海道に行きたくなってしまった。

「自転車に乗り始めるとひとはなぜ北海道を目指すのか。それははるばる来たなという最果て感を味わうためである」

 今年の夏、最果て感を味わってみようかな。
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さきたま風土記の丘

2007年07月06日 17時11分25秒 | 観光

 千葉からわざわざ取り寄せた巨大な石で古墳を作った者が古代の埼玉にいた。
 われわれの意識する古墳や聖跡はその後の政治状況からほとんど関西以西のものだけれど、東にも東なりの政権があり、聖跡があった。
 ただ、レイラインなどの魅力的な概念を用いて関東の聖跡を眺めようとする人がいないのか、資料が少ないのか(あ、鹿島・香取・息栖神社とかあるか)。
 だけれど、このさきたま古墳群はすごい。見た目からしてすごいのである。
 なにがすごいって、一カ所からの視界の中にごろごろと古墳があるのだ。尋常な風景ではない。
 自転車で遠出するようになって埼玉県の地図を買ったのだが、ここに限らず、埼玉にはかなり多く古墳が存在する。奈良、京都、大阪など古代から政治の中心であったところ以外ではトップか、トップ下、あ、いや、トップ下はそういう用語ではない、2番目の座を福岡や佐賀と争うってとこだ。


 何気ない風景のなかに古墳が何気なくたたずんでいる。
 ここはもともと誰も保存しようとも思わず野ざらしの状態であった。そのため、明治から昭和にかけて開発、干拓などで古墳はどんどんつぶされてしまった。
 ところでここの古墳たちはとても気持ちのいい場所なのであった。
 芝公園や上野、あるいは水稲荷神社の富士塚など、どことなく異界とのチャンネルのような不思議な、そしてちょっと背筋の寒くなるような雰囲気ばかりの古墳を歩いていて、ここの気持ちよさは異質な感じだ。
 若いお母さんが小さな子と犬を連れてお弁当を食べている。
 それが絵になってる。芝生の上を気持ちのいい風が吹き、広がった青空に雲が静かに浮かんでる。
 決して芝公園では考えられない雰囲気だ。


 前方後円墳だって、ピクニックコース。
 うーん、このフレンドリーな古墳たちって、いったい………。
 とても気持ちがよかったので、今度はもっとゆっくりできるときに訪れてみたいな。


 ぼくの自転車も木陰でちょっと一息。
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古代蓮の里

2007年07月04日 10時20分43秒 | 観光
 (前回までのあらすじ)
 自転車道を乗り継いで行くと群馬まで行けることを知ったaquiraくん。途中、幾たびも襲いかかる危険や困難、恐ろしい迷宮も突破して群馬まで辿りついた頃には、めでたく経験値30くらい(スライム30匹分か)獲得、レベルがひとつ上がりました。
 利根川でやくそうを使ってHPを回復したaquiraくんは、今度は帰り道というプチボスを倒すべく立ち上がったのでありました。


 それはそうと利根川大堰に付属の自然観察室。
 この大堰には魚が遡上できる魚道がつけられています。3つの魚道のうち、1号魚道には窓がついていて、鮎や鮭などの遡上の様子を見ることができるとのこと。魚釣り程度の確率なのだろうか。とりあえずぼくが行ったときは見えませんでした。


 さて、帰り道。利根川を離れ少し南下すると行田市古代蓮の里がある。ちなみに今、7月初旬が最盛期。園自体は24時間いつでも入れますので、なるべく朝早く行かれるといいです。ぼくが着いたのは午後1時頃。ギリギリの時間でありました。


 なかなかいい花っぷりのものがなくて苦労しました。これでいっぱいいっぱい。
 行田市大字埼玉(さきたま)から埼玉県という県名が生まれたといいます。さいたま、より、さきたまを重視した方がよいのに、彩の国じゃあつまらない。県のシンボルマークだって、幸魂(さきみたま)からとって勾玉を並べたものなのに。
 「彩」じゃなくて「幸」を使ったキャッチフレーズが欲しかったですねえ。
 そんなわけで、この行田には古墳がいっぱい(勾玉つながりってことでセンテンスのつながりの悪さは勘弁して下さい)。
 古墳にも行ってみましょう。

 おまけ。途中で見かけた人面草。
 この形に食べた虫、GJ!
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この自転車に名前をつけないと

2007年07月03日 14時32分01秒 | らくがき


 リュックを背負えばいいんだろうけれど、背中が汗だらけになってしまう。そこで荷物は自分ではなく、なるべく自転車に持ってもらうことにしてる。
 腰のウェストバックをはずしてハンドルに。輪行袋は2つあるボトルゲージに。アーレンキーや予備のチューブ、空気入れなどはサドルバックに。
 そして利根川河川敷で食べるためのお弁当・飲み物は両ハンドルに。
 ごめん、自転車。なんかすさまじく恰好悪い。
 この恰好のまま、3kmほど走ってしまった。
 「ごめん、自転車」と呼びかけるのも変だから、なにか名前をつけないと。
 でも、名前つけてそれで呼ぶようになったりしたら、何かの規範を越えてしまうか、心の中の。


 お弁当を食べ終わったハンサムな姿。
 前日に赤いタイヤに替えたのだが、それがアクセントになって前よりもハンサム。
 いや、それにしても、ほんと半年前まで自分で自転車のタイヤ替えたり、サドル付け替えたりするなんて考えもしなかった。
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酔いがさめたらうちに帰ろう

2007年07月02日 23時04分46秒 | 読書
鴨志田穣著 「酔いがさめたらうちに帰ろう」      スターツ出版

 なぜかホームレスや閉鎖病棟のアル中の話を聞くと人ごとのように思えない。
 自分がそうならない理由が何一つ見つからないから。たまたま今ぼくはそうなってはいないけれど、近い将来そうならないとは決して言えない。
 いや、それどころか結構近いところにいるように思う、少なくとも精神的には。
 中島らもの「今夜すべてのバーで」を読んだときも、吾妻ひでおの「失踪日記」を読んだときもそれらに展開される世界が自分と決して無関係ではないように思えてならなかった。
 とくにこの著者鴨志田穣は昔から西原理恵子のマンガによく登場していたため、全然面識はないにも関わらず親しみを持っていたし、生まれもぼくと同い年の1964年。
 その彼がアルコール依存症として入退院を繰り返した挙げ句、克服していく。
 子どもの頃から、ぼくの回りにはアル中がたくさんいた。親戚にもアル中がいたし、小学校の同級生の父親もアル中だった。どちらも働いていなかったが、なんとか食えていた。いい時代だったと思う。しかしその反面、当時アル中が病気であるという認識はなかった。
 アル中は病気だ。だから、治すことができるのだ。
 強制にしろ、自主的にしろ、アルコール治療の閉鎖病棟に入る。これが治療の第一歩だろう。
 その病棟での出来事、それから別れた家族とのふれあい。だけれど、彼が閉鎖病棟に入ったのは、少しばかり遅かったのかもしれない。もちろんアル中の治療に遅いことはないかもしれないが、長年の飲酒が肉体をむしばんでいくことについては手遅れだった。
 淡々と描かれる病棟での生活や周囲の人間たち、彼の身体の変化、ちょこっと現れる子どもたち(この子たちは西原理恵子の「毎日かあさん」などでマンガを通じて親しんでいた)。
 この本の最後はこんな風だ。

 
 目が覚めると見なれたベッドの上だった。
 「お帰りなさい、先生から聞いたわ、あなた。これから一緒に生きてゆきましょうね」
 ハスの花が咲いたような妻の顔があった。


 アルコール依存症を克服して、西原理恵子や子どもたちと生活をともにしていくなか、彼は癌で逝ってしまった。
 少しだけでも、酔いがさめて帰れてよかったな。 

ご参考までに、毎日かあさん
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