毎日が観光

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「私はマリア・カラス」

2019年01月20日 22時52分29秒 | 観光
「私はマリア・カラス」 @TOHOシネマズシャンテ



 若い頃からオペラが好きだった。ただその視線はヴェルディを除けば、イタリアに向くことはなくて、モーツァルト、ヴァーグナー、R.シュトラウス、ヤナーチェク、ベルクなどへの偏愛だった。ヘンツェの「若き恋人たちのエレジー」を聴いたことがあるのに、レオンカバレッロの「道化師」すら聴いたことがなかった(ただ高校生のときに来日したミラノスカラ座でのアバド指揮の「オテロ」とクライバー指揮の「ラ・ボエーム」は、もうなんというか別世界での素晴らしい出来事だった)。
 だから小さい頃亡くなったマリア・カラスはもちろん、クラシック音楽に夢中になっていた高校時代に亡くなったデル・モナコに対してもそれほどの気持ちを持っていたなかったくらい。
 イタリアオペラに多少関心が向いたのは、皮肉にもイタリアとあまり関係のない、南米アマゾンの密林を舞台にしたドイツ映画「フィッツカラルド」を観た大学1年の時だった(アマゾンでドイツだと、イタリアのイの字もないね)。アマゾン河を航行する船から朗々と流れるカルーソーの歌声。それはなんだか味わったことのない映像だった。そしてラスト、船上で演じられるベッリーニの「清教徒たち」のシーン。
 そんな風に世界的な名歌手マリア・カラスとは縁遠い生活をしていたのだけれど、美咲さんに教えられて「私は、マリア・カラス」を観て、もうね、びっくりですよ。歌の威力はもちろん、オペラの舞台ではないガラでも発揮される演技力、表情、目線、声の出し方、それらが総合されるマリア・カラスという楽器のすごさ。
映画の構成力、ドキュメンタリーでの演出の巧みさ、そしてなによりマリア・カラスという素材の爆発的威力。
 プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」からの「o mio babbino caro」が流れると思うシーンで、ピアノ演奏になってしまって、でもその物悲しさが映像と相まって感動的。そしてタイトルロールになって流れる「o mio babbino caro」。本当に心にしみました。マリア・カラスという存在を忘れていた自分にお灸をすえます。
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映画「ボヘミアン・ラプソディ」

2019年01月03日 20時29分44秒 | 映画


 遅ればせながら、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観てきました。中学生時代、ある日FMから流れてきた「バイシクルレース」という曲を聴いて、なんととりとめのない変な音楽だろうと。中学時代のぼくは懐が広くないし、度量も狭いので、当時マーラーの交響曲も不純だと毛嫌いしていたくらいで、とても馴染めない音楽でした(当時はバッハとドビュッシーに夢中でした)。そんなクイーンと縁遠い人生を歩んできた人間にとってもこの映画は大変心動かされるものがありました。
 新しいものを作る、その生き生きとした現場に立ち会うのは本当に感動的です。シューベルトを題材にした1930年代の映画「未完成交響楽」でも、音楽が生まれる瞬間のシーンでの、ある種の祝祭感が素晴らしかったのですが、それを思い出してしまいました。あのレコーディングでのさまざまな工夫(ライムスター的に言うとkufu)のなんと誘惑的なこと。まったく自分もその仲間に引き込まれるようでした。
 そして歴史的事実はさておきつの経緯を経てのエンディング。最初のシーンがそこへの導入で、ラストがあのシーンですから、ぼくたちはそこへと至る過程を体験させられるわけです。そしてあのパフォーマンスですから、ぼくは号泣でした。
 何度も聴いたことがある同じ音楽でも、的確な場所で、的確なタイミングで奏でられると、それはまったく違う文脈での響きになって感動を喚起するのですね。ああ、そう言えば、農鳥小屋で朝焼けの中聴いたウラディミール・マルティノフの音楽のかけがえのなさ。そんなことを思い出しました。
 クラシックオタク的に面白かったことをいくつか補足的に。
 プロポーズのシーンに流れるプッチーニのオペラ「蝶々夫人」。幸せなはずのシーンに、夫が日本の現地妻を捨ててアメリカに帰り、彼女は自殺するという、悲劇が流れ、この結婚が決して順風満帆ではないのだろうという暗示を感じました。
 それからボヘミアン・ラプソディをシングルにするかどうかでもめていたシーン。あそこではビゼーの「カルメン」からカルメンのアリアが流れていました。あの歌詞は直訳すると「恋はボヘミアンの子だから、法律なんか気にしない」とシーンを象徴するかのようなBGMでした。
 そして、窓越しの電話のシーンで流れるのはプッチーニの「トゥーランドット」でのリューのアリア。王子に従順なリューが「王子様、もうリューは耐えられません、リューの心は砕けてしまいます」と歌います。乾杯しようとして彼女がグラスを持たなかった、あのシーン。あそこでこのBGMです。クイーンの音楽のみならず、ほかの音楽も本当に考えられて使われたのだと思いました。
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