毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

坊ちゃんの時代

2005年06月30日 09時53分40秒 | 読書

 明治時代の権力は、ぼくを狭っ苦しい気分にさせる。維新(瓦解)を成し遂げた、あるいはその準備を整えた人々の中には立派な人物も多かっただろう。だが、その立派さに応じて順番に暗殺されていったような気がする。
 したがって生き残って、威張りくさった人物は立派さではなく、立派さの序列の低さによって救われたようなものである。その人々が様々な制度を現代に残した。
 ぼくにとってその威張りくさったちんぴらの代表が山縣有朋である。こういうちんぴらに限って自分が権力を握ると自分を棚に上げて、軍人勅語など精神論をふりかざすものだ。山城屋事件というとんでもない事件を起こしながらも、責任をとらず、陸軍の予算も減らされず(緊縮で、文部省が半額に減額されても)、精神論を説く。その精神構造が陸軍を特殊な怪物にしていったのではないだろうか。
 そしてこのまんが、関川夏央原作、谷口ジロー絵「坊ちゃんの時代 凛冽たり近代なお生彩あり明治人」。読んでいるうちに、明治という時代の新しさ、悲しさ、沈鬱さ、軽佻さ、そして重々しさ、そうした雰囲気がせつせつと伝わってくる。全5部だが、維新という新しい局面から、時代が次第に閉塞感を帯びる様が悲しい。その悲しさは、仮死状態の漱石が見た夢でクライマックスを迎える。あの夢は個人の夢であるとともに、明治という時代の夢なのだ。
 「坊ちゃん」はただのユーモア小説なんかじゃなく、校長山縣有朋、赤シャツ桂太郎という妖物とつましく生きる庶民とを対比させた漱石の憤激、そして、それでも結局妖物たちが勝ち時代を支配していく、という悲劇、それを描いた作品なのだと。その結論に至るまでの過程の描き方も卓抜である。
 是非お勧めの1冊(いや、正確には5冊、か)。
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24時間テレビ

2005年06月29日 12時09分15秒 | らくがき
 日本ほど幼児性が尊ばれる国は少ないのではないか、と、テレビで女性タレントのしゃべっている姿を見て思った。目を覆いたくなる幼児性や未熟であることが人に訴えかけるらしい。
たとえば「24時間テレビ」なるものがある。マラソンの素人にマラソンをさせるのだが、ぼくは基本的にマラソンはマラソン・ランナーにさせればいい、と思う。歌手は歌を歌ってぼくを感動させて欲しいし、コメディアンは大いにぼくを笑わせて欲しい。そしてその芸によって募金を集めればいいのだ。別に走る必要はない。歌のプロなら歌で、笑いのプロなら笑いで、と。
 パリにいるときテレビをつけたら、やはりチャリティー番組をやっていた。日本と違うのは、明確に一つの目的(たとえばある病気の研究所を作る基金集めをする、それについていくら必要だ、と金額まで明示して)のために行われる。番組ではその病気で苦しむ子どもたちが映像でメッセージを送ったり、歌手が歌を歌ったり、手品師が手品をする。電光掲示板にはあといくら必要なのか表示される。出演をあらかじめ依頼してある芸能人のほか、その番組を見て駆けつける芸能人もいる。そして自ら寄付をしたり、自分のファンに対して寄付を呼びかけるよう訴える。ぼくが見たときはアメリカのソプラノ歌手バーバラ・ヘンドリックスがドビュッシーを歌っていた。
 チャーミングなドビュッシーを楽しく聴いた。
 ぼくは、バーバラ・ヘンドリックスの歌は好きだが、別に彼女がハアハア言いながら走る姿は見たくない。
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砂場総本家

2005年06月27日 13時41分38秒 | 食べ物
 福永武彦に「廃市」という小説がある。大学生の主人公がゆっくり論文を書くために訪れた堀割で知られる美しい柳川。何一つ新しいことが起きる気配もなく、ただ死んでいくのを待っていくような街。時の停滞。ジョルジュ・ローデンバッハの「死都ブリュージュ」がもとになっている美しい話だ(大林宣彦の映画も秀逸)。「私の郷里柳河は水郷である。さうして静かな廃市の一つである。」(北原白秋「水郷柳河」)。
 そしてここにも廃市があった。都電の終点三ノ輪橋。 

 ここジョイフル・ミノワ(三ノ輪橋商店街)に一歩足を踏み入れると、そこは昭和50年代を最後に時を刻むのを放棄してしまったような印象を受ける。

 荒川区政50周年ポスター(昭和55年)。あなたはいったいどなたなのでしょうか?
そして、目指すお蕎麦屋さん「砂場」

 蕎麦というと江戸、という感じだが、発祥は大阪。大阪城築城の際、その砂の置き場(砂場)にあった「いづみや」や「津の国屋」などの店が蕎麦のルーツ。徳川家康の江戸入城にあわせて職人も江戸に入り、蕎麦がもてはやされるようになった(虎ノ門砂場の暖簾には「大坂屋砂場」と今でも書いてある)。現在東京には200軒近い「砂場」を名乗る店があり、巴町、虎ノ門、室町の砂場など名店も多い。その砂場の総本山がこの三ノ輪の「砂場総本家」である。建物は大正元年建設。
 入るとそこはぼくが子どもの頃行ったお蕎麦屋さんそのもの。ちゃんとテレビもついてる。店内にはさまざまな古いものが情け容赦なく飾られている。最初は意図的じゃなかったかもしれないが、今は結構意図的に飾ってんじゃないか、という感じもする。うきうきしちゃうね。柏の竹やぶ以来だ、店に入っただけでウキウキしちゃうのって。
 なぜか、「apaisez le soif(渇きをいやしてください)」とフランス語でグラスビールを勧める紙が貼ってある。なぜ、フランス語? それも墨で。不思議だ…
 ここを支配しているのは、ぼくとは別の論理のような気がする。
 トイレには鍵がない。「扉を押さえながらやれってことか?」とあたりを見回すと、棒。
 その棒で扉を押さえろ、と。棒だよ。マンガじゃアトムが飛び交う21世紀なのに、棒。
棒を見て、もう何を見ても驚かないぞ、と思ったが、やはり驚いたのが座った後ろにあった、これ。「ご自由にお遊びください」って。

 どう、ご自由に遊べばよろしいのでしょうか。
 食べ終わって、店の外に出ると、正面右下に鉄道模型のディスプレイがあり、心底楽しませてくれます。

 そんな砂場とすてきな三ノ輪をもうちょっとご紹介(味の話はないのか、とお思いの方もいらっしゃることと存じますが、そいつは野暮ってもんだ)。


 ディスカウント・ストア。いろんなものがお安く売っています。もとは何屋さんだったのだろうか、いろんな店名の上に無造作にディスプレイされています。


 うそ。やってませんでした。
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桃井かおり

2005年06月27日 10時56分56秒 | 観光

「あたしって、アンニュイとか最初言われててぇ」と桃井かおりの口調を思い出して頂けたらうれしいです。

 鎌倉円覚寺にて
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恵比寿

2005年06月27日 10時49分24秒 | 観光
 割とお気に入りの街。いつもどっかで撮影してて、メディアへの露出が多い街ですね。で、同級生二人(主婦と記者)と駅下の恵比寿さん前で待ち合わせ。今日も何かの撮影。

 上に行くとガーデンプレイスやウェスティン、下はおしゃれなのと庶民感覚のお店とのざったに混ざった不思議な街です。途中、記者をやってる子(?)が「ウェスティンに泊まったことがある」と失言。
 「誰と? 東京に住んでてなんでウェスティンに泊まるのよ?」
 「恵比寿の町中で華麗な性生活についての告白をしたいわけ?」と突っ込みの嵐。
 かわいそうだが、おいしそうな話題にはとことん食らいつかせてもらう。
 久しぶりに恵比寿神社に。

 ここに恵比寿神社があるからこの土地を恵比寿と呼ぶようになった、のではない。エビスビールの工場ができたからここを恵比寿、と。で、恵比寿という名の土地だからってんで、できたのがこの恵比寿神社。
 何年か前に入って、こりゃすぐに潰れると思った神社そばの駄菓子バーが健在なのにびっくり。

 そしてこれ。松坂屋ストアの坂より一本駅寄りの道にあった、これ。これなんだと思います?


 これね、寺。浄土真宗本願寺派の泉明寺。法事とかやる寺の会館ではなく、本堂。檀家さんたちがこれにOK出したのがすごいね。そこらへんが恵比寿、か。

 大阪の四天王寺そばにも、なんか極度に近代的な寺があったっけ、そう言えば。
 こんな仁王さんがいて。


 で、結局このあと、こじゃれた料理屋さんのハッピーアワーでがぶ飲みして、焼鳥屋でホイスを飲んで、What the Dickens!ってえクラブで飲んで、しめが「なゝ樹」の蕎麦と酒。
 次の日5時起き。我ながら、なんてタフ。

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水滴

2005年06月20日 15時23分48秒 | 観光

明神ヶ岳にて。
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パリの東京通り

2005年06月17日 15時17分57秒 | らくがき
 パリの街で感心するのはタクシー。東京と違って番地を言えば間違いなくそこへ連れて行ってもらえます(ロンドンもそう)。番地は道路名とセットになっていて、人一人がようやく通れそうな小さな道にもちゃんと名前がついているんです。ちなみに「日本通り」もあります。昔は「東京通り」もパリにありました。廃止されたのが1945年。
 へ? とお思いになった方、あなたはなかなか鋭い。だって、戦争中は「東京通り」があったのに、終戦の年に「東京」の文字が外されたなんて、ちょっとおかしいと思いません? フランスは第二次世界大戦では連合国に属していて、イギリスやアメリカとともに日本と戦ったはずだろが、と。
 実はそこにフランスのねじれがあるんです。フランスは首相ペタンがドイツと休戦し、北部・西部をドイツ軍に占領されますが、残る部分はフランス国として独立しました(イギリス以外の国はフランス国を承認。これも知られていませんせが、アメリカと国交さえあったのです)。で、そのフランス軍と日本軍はインドシナの空戦でフランス機が2機撃墜されたのと、日本の使節とフランス軍との間の協定を知らない関東軍の攻撃があったぐらいですぐに停戦になりました。仏領インドシナは日本軍が占領し、フランスが統治する、という日仏の不思議な共存状態が続いていたのです。この関係は、日本とヴィシー政権との協定無効をド・ゴールが宣言し、日本軍によるインドシナ政庁クー・デターの起こる1945年まで続いていました。
 いつか、パリに再び「東京通り」ができることを願ってます(だって、京都広場はあるんだよ)。
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ベルリンの至宝展

2005年06月10日 14時45分17秒 | 読書
 東京国立博物館で「ベルリンの至宝展」を見てきました。平日にも関わらず大混雑。先史時代から順に巡って行ける展示方法なので、テーマとして統一感はないものの、人類の「形を作ろう」とする情熱の変遷をたどっていける感じがしてよかったですね。
 エジプトものが充実していて、ティイ王妃の有名な像にため息をついたり(今僕の中で姑にしたくないNO.1だ)、重量感あふれる牡羊の下半身に4000年前のボテロを見たり楽しめます。小さなアメン神の像では、若い子が急に「きゃっ」と。像の大きさからすると巨大な男性器を左手に握りしめています。これは、もしかしたら、そこから出た血でなんかの神を作った、という神話の表現なのかもしれませんが、うろ覚え。
 ギリシア・ローマ。「ウェヌス・マリーナ」は模刻なので、webのギャラリーにも載っていないのですが、大理石に含まれる成分のせいで、星のように光る粒が白い肌に浮かんでいるんです。それがなめらかな肌の上で汗が光っているかのようで、とてもエロティック。「カラカラ帝」の強い意志と暗い情念の表現、「ミトラスに捧げられた奉納浮彫」での線の太さと動的な表現など感じ入るものが多いです。
 イスラムの美術は、前に上野で見たケルトを思い起こさせました。過剰なまでの装飾性。何もない空間に対する人類の初源的なおそれすら感じます。書見台での蔓草文、アラベスク文など、すごいです。
 で、中世。もう出だしっからリーメンですから。LDの機械を買って、初めて買ったLDが、リーメンシュナイダーをたずねて南ドイツを旅する、というNHKのものでした。好きなんです。そのリーメンシュナイダーの「使徒マタイ」。ドレープの表現はギリシア・ローマの方がはるかになめらかなんですが、表情や手の表現に力点が置かれている感じ。
 靴屋さんの守護聖人「聖クリスピニアヌス」の優しさ。サン・クリスピンという靴屋さんがありますが、あれはここからとったんですね。
「聖アグネス」はどの絵もそうで、見るたびに「これって親父ギャグ?」と思うんです。必ず「羊」が出てくる。仏像なんかもそうで、聖者・聖女の絵って持っているものが決まってるんです。で、アグネスの絵に羊が出てくるその理由ってえのが、羊ってラテン語でagnus、で、アグネスagnesと似てるから……。もちろん容赦なくここでも羊が描かれています。
 近代美術に入ると、ロットの「聖セバスティアヌス」に目が釘付け。ロットはだいたい甘やかな絵を描くんだけれど、これは甘い、を超して「やらしい」。三島由紀夫が初めてエクスタシーを感じたグイド・レニのhttp://w_passage.at.infoseek.co.jp/art/art-reni.htmの精神性をみじんも感じさせないやらしさ。だからと言って自分でもやってみることはないような気がする>三島由紀夫 http://homepage2.nifty.com/weird~/saint.htm (好き嫌いが別れるから見る人は注意して見てね)
 ボッティチェルリの「ヴィーナス」。バックが黒だから、繊細に描き込まれた金色の髪のタッチがさえてる。はじらうポーズもいい。
 ベックリンの「死神のいる自画像」。後ろで死神がヴァイオリンを弾いている。だいたい、なぜか悪魔とか死神って、ヴァイオリンとペア。いろんなところに出没するからかなあ。こっちとしても、いきなりグランド・ピアノかついで来られても、置き場に困ったりするわけで、死神なりの配慮かもしれません。この時代、先日bunkamuraで見たクノッフをはじめとする絵画、ボードレールやポーなどの詩、このベックリンにしてもそうですが、現実を現実としてではなく、内面化することによって、そこに夢想や象徴を継ぎ足し作品を作っていったように思います。そしてそれはエロスよりも強くタナトスに引きつけられている傾向にあります。この作品でのベックリンは死神を拒否していません。むしろ、死神の世界から芸術のインスピレーションを得ようという感じさえします。つまり、この絵は、タナトスこそわたしの芸術の源なのだ、というベックリンの宣言であるのではないでしょうか。

 そんなこんなでとても楽しく充実した展覧会です。展示されているものの一部はこちらで見られますので、是非一度見てみて下さい。
http://www.asahi.com/berlin/index.html 
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花園神社

2005年06月04日 17時14分27秒 | 観光
 「親の因果が子に巡りぃ…かわいそうなのはこの子でござぁい。さあ、あいちゃん、お客さんによおく見てもらいな」
 花園神社ってえとやっぱり見せ物、それからアングラ劇場のイメージ。
 寺山修司の歌を口ずさみながら花園神社に。
 「地下鉄の鉄骨にも/一本の電柱にも/ながれている血がある
  そこでは/血は/立ったまま眠っている」
 昔友達の6畳一間のアパートに大勢集まって酒盛りをしたことがあったっけ。なぜか昔のことを思い出す。寝る場所がなくてブーブー言っている友人にぼくは言った。
 「立ったまま寝ろよ。血だって立ったまま眠るんだ」
 「何わけわかんないこと言ってんだよ。自分は布団奪って寝てるくせして」
 「いいんだよ。俺は……俺は体が弱いんだから……」
  スマン。今深く反省しているから許してほしい。
 気を取り直して神社に向かう。

立派な本殿である。
それに引き替え………

 富士塚はあまりにもこぢんまりとしている。1人ならなんとか立てるが、2人は無理。

ちょいアップ。眼をこらすと、横の石碑に「十五、十六…」などと刻まれているのがごらんいただけるのだが。そう、藤圭子(今では宇多田ヒカルのママ、の方が通りがいいのかな)の「圭子の夢は夜ひらく」の石碑。藤と富士かい? 芸能関係に御利益がある神社なのだそうだ。名前も富士浅間神社ではなく、芸能浅間神社。

はい、この通り。

 こちらの稲荷社には、男性の性器が祀ってある。
 芸能と性器。
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水稲荷神社

2005年06月04日 09時58分22秒 | 観光
 大学がばんばん新しいビルを建てたりして街が変わりつつある早稲田。新しい道路なんかもできちゃって以前の面影が失われつつあります。実は大昔ぼくの家は早稲田にあったので、まあ、故郷(記憶のない頃だけれど)とも言えます。
 その新しい道路のところにあるのが水稲荷神社。甘泉園という庭園に隣接しているところです。ここらあたりも昔は高田の馬場があったところで、堀部安兵衛の碑もあります。


 本殿はなかなか立派な造りで、全体的に周辺の人の崇敬を集めている感じがします。


 富士塚は社殿裏にあるのですが、足を踏み入れたとたん、何かすご~くいやな、というか、底の知れないこわさ、というか、そんなものを感じました。ぼくは霊感とかまるでない人間なんですが、それでも肌がこわばる感じがします。


画面中央は横穴式古墳。そう、この富士塚は古墳なのです。古墳の上が公園になっているところもあるし、別段古墳だからどうの、ということではないのですが、ここの雰囲気は異様。これは写真がわからなくなるので、ずいぶん補正をかけているのですが、本当は昼間でもかなり暗いんです。


 登山道を経て、

 頂上。

 この怖さはいったい何なんだろう?
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鳩森稲荷神社

2005年06月03日 11時27分00秒 | 観光
東京の富士山第2回目。
千駄ヶ谷駅を出て、東京体育館の方向に進むと、そこに「鳩森稲荷神社」があります。隣には日本の将棋の総本山将棋会館があります。

なわけで、将棋堂。「将棋がうまくなりますように」などの絵馬がかかっていました。


登山口前の案内板。砂走りや烏帽子岩など細部まで再現されています。


登山道入り口。なかなか立派です。


登山道。護国寺の富士山よりずいぶん手がかけられている感じがします。


頂上からの風景。この富士山は東京都指定の有形民俗文化財だそうです。
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護国寺の富士山

2005年06月01日 15時24分18秒 | 観光
護国寺本堂(重文)

 徳川五代将軍綱吉の生母桂晶院ゆかりのお寺です。ここに小さな富士山があります。


 まずは寺参りの基本、野性味ゼロの猫。


 富士山の登山口。ちゃんと「富士道」と碑があります。


 登山道はこんな感じ。

 およそ2分で登頂に成功。

 頂上には定番の「富士浅間神社」(ミニチュア版)。

 それにしても道々に並べられた講の石碑の多さに驚きます。いろんな団体がここにお参りをして、そのあとの宴会を楽しんだことでしょう。
 
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