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大ニセモノ博覧会

2015年04月18日 22時11分07秒 | 観光
  もし展覧会に「ニセモノ」が展示してあったらどうだろう。いつぞやの三越での「古代ペルシャ秘宝展」が巻き起こしたスキャンダルのような騒ぎ(いつぞやって、相当古いけれども)に発展するかもしれない。その一方で、国の立派な施設で堂々と「ニセモノ」が展示されている場合もある。たとえば国立科学博物館にある始祖鳥の化石は、「ホンモノ」ではない、という意味で「ニセモノ」である。始祖鳥の化石は世界でも10個ほどしか存在しておらず、たいていの博物館で展示してあるのはレプリカという「ニセモノ」である。
 単純に「ニセモノ」=悪ととらえがちだけれども、それはちょっと世界を狭めているような気がする。
 国立歴史民俗博物館で開催されている「大ニセモノ博覧会」はその逆手をとって、展示物のほとんどが圧巻の「ニセモノ」。そこには人をだまして利を貪ろうとする「ニセモノ」から博物館のレプリカのような学術目的のものまで多士済済。そのニセモノの森を散策している内に、先ほどの「ニセモノ」=悪という単純な図式がぐらついてくる仕掛けになっている。素敵な異化作用。
 たとえば歌川国芳「源頼光館作妖怪図」。当時大変人気を博した浮世絵であるのだけれど、これが幕府批判と取られて絶版。見たい庶民の願望をかなえたのが正規版のコピー、今で言う海賊版である。
 また江戸時代にも古地図ブームなるものがあって、江戸初期の地図をそのままコピーして販売したりもしていて、これも古地図のオリジナルに対してコピーという点で「ニセモノ」。
 このように「ニセモノ」には私たちがどちらかというと貶める意味で使っている「フェイク」のほかに「コピー」「イミテーション」「レプリカ」というものがあり、それぞれ違った機能を果たしているのではないかとこの展覧会は感じさせてくれるのだ。
 縄文時代の貝輪の展示もあって、字の通り貝で作られた腕輪なので、当然海の近くでなければ材料を入手するのは困難である。では内陸部ではどうしたかというと、なんと土を用いて見た目そっくりに作っていたのだ。要はイミテーション。
 先ほどの国芳「源頼光館作妖怪図」といい、この縄文時代のイミテーション貝輪といい、現実と人々の欲望との折り合い部分にニセモノは存在しているかのように感じられる。
 そもそも近代的自我なるものが発達する以前、個性とかオリジナリティといった概念そのものがなかったわけで、一概に近現代のわれわれの感覚でニセモノをあげつらってもあまり実りはないのではないかと思う。
 その他にも人魚やかっぱのミイラ(人魚に至っては詳細な製作法まで教えてくれる)、地方の名家での宴席におけるニセモノの書画の役割(そしてニセモノで飾られた宴席まで再現!)、楽しくて面白くて考えさせられる濃い内容の大ニセモノ博覧会。
 千葉県佐倉の国立歴史民俗博物館で5/6まで。
コメント (2)
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