毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

寒椿

2005年12月31日 21時46分25秒 | 写真


 お隣の寒椿。
 美しく咲いていたので、光がさす午後をねらって。
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亀戸天神

2005年12月30日 03時37分07秒 | 観光


 亀戸天神の灯明。
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伊勢の旅2 猿田彦神社

2005年12月27日 09時37分26秒 | 観光
 バスに乗って猿田彦神社へ。
 ここは太田命の子孫である宇治土公さんが宮司を務めている神社。境内で見かけたが柔和ですばらしい雰囲気を持った方だった。
 天照大神は当初宮廷で祀られていたが、崇神天皇時、疫病などが流行ったため皇女豊鍬入姫命が神託を得て天照大神を祀るにふさわしい場所を求め、各地を転々とした。
 そして、次の御杖代倭姫命が五十鈴の地に祀ったのが今の伊勢神宮である、とされている。その際、倭姫命をその地に案内したのが猿田彦の子孫太田命。
 先祖猿田彦は天照大神の孫ニニギノミコトを案内し、その子孫太田命は天照大神の祀場所を案内する。
 静岡の浜名惣社神明宮は太田命を祀っているが、現在の主祭神は天照大神である。
 どうやら猿田彦を太陽神として崇敬していた人々を天照大神系の人々が征服し、祭神が上に載ったかのように猿田彦(太田命)から天照大神へ変化した、と思える。
 しかし、その一方で太田命が不思議だ。わざわざ征服された者の子孫が案内する必要もない気がするのだ。
 ま、とりあえず猿田彦本殿へ。


 えっ! と、びっくり。千木の先端が平行である。猿田彦は男神であるのに、女神を祀っている?
 と不思議がっていたのだが、一つのヒントを見つけた。
 京都上賀茂神社の摂社大田神社である。この参道入り口にある案内に「天鈿女命一柱一座」とあるのだ。
 つまり、猿田彦神社として祀られているのは、実はアメノウズメノミコトではないだろうか。
 太田命は猿田彦の子孫であると同時に、アメノウズメノミコトの子孫でもあるのだ。
 次回はアメノウズメノミコトについて。
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伊勢の旅1 伊勢神宮外宮

2005年12月26日 13時52分15秒 | 観光
 雪のためバスが津に着いたのは20分遅れ。予定ではそこから1時間で目的地伊勢市駅だったのだが、それが甘かった。津を出てからバスはまるで動かない。朝のラッシュに積雪が重なり、大渋滞となってしまっていた。
 朝8時着の予定が、着いたのが11時過ぎ。1泊2日の旅のうち、半日近くを浪費してしまった。
 まずは徒歩で伊勢神宮外宮へ。
 正殿は塀の向こうで屋根がちょこっと見えるだけ。塀のこちら側の拝殿で拝む形になっている。

 塀の上からちょこっと見える正殿の屋根。さて、この屋根の上に千木というものがある。角みたいな2本あるやつね。その先を見て頂くとわかるのだけれど、先端の面が地面に対して垂直になっている。

 ちなみにこれが内宮の千木。こちらは外宮とは違い、先端の面が地面に対して平行になっているのがおわかりになるだろうか?
 外宮のように千木が垂直に切られているのは、男神を祀っている社殿で、内宮のように平行に切られているのは女神を祀っている社殿である。
 つまり外宮の神、豊受大神(トヨウケノオオカミ)は男神ということになる。 
 実は外宮の豊受大神については記紀の記述は一切ないのである。「止由気宮儀式帳」には、天照大神の御饌都の神として丹波国比沼の真名井から勧請された、とある。要するに天照大神のご飯をなんとかする係の神である。
 羽衣伝説である真名井の天女「トヨウカノメ」と関係があるのかないのか、少し気になるところだ。あるいは「トヨウカノメ」本人だとしたら、女神となるはずだが。

 三ツ石を間に挟み、正殿が向き合っている美しい池。真名井を含め、豊受大神と水は縁が深い。


 これは他の神社を廻ったときも感じたのだけれど、境内の森がよく保存されていて、何か厳かな空気を感じる。またその森の中に多くの木の股信仰を見ることができる。
 外宮を出たのはすでに午後。バスに乗って次は猿田彦神社へ。
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曽我部飛ぶ!

2005年12月25日 19時11分37秒 | 


 ここまでチームを建て直してきた慶応のすばらしさの目立つ試合でした。
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OAZO

2005年12月24日 10時13分00秒 | 観光


 ミレナリオより早いOAZOのミレナリオっぽいイルミネーション。
 ふらふらで東京駅に着きながらもカメラを構えてしまう悲しいわたくしという存在。
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伊勢帰り

2005年12月23日 23時20分43秒 | 観光


 ただいま帰って参りました。
 いやあ、なかなか、雪。
 東海地方は大変でありました。
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伊勢へ

2005年12月21日 17時33分20秒 | 観光

 赤坂日枝神社に置かれている狛犬代わりの神猿。
 ああ、そうだ、明日は冬至。クリスマスがミトラ教の冬至のお祭りを引き継いだものであるように、冬至は太陽神の祭なのだ。
 弱っていく太陽が冬至を境に復活する。
 伊勢は太陽が海から昇る国(それに対して、出雲は太陽が海に沈む国)。
 だから太陽神信仰の国として伊勢には天照大神を祀る伊勢神宮も猿田彦神社もある(日本の太陽神は天照大神とされているけれど、ぼくはそこに猿田彦も加えたい)。
 そんなわけで、ちょいと今晩伊勢へ行ってきます!
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ゆりかもめ

2005年12月19日 10時22分28秒 | 写真


 しながわ水族館横の品川区民公園。車で行くと駐車場と反対側なので訪れないかもしれませんが、なかなか気持ちのいい公園です。
 鳩とゆりかもめがいっぱい。
 タムロンの18-200mmは便利なのですが、AFが遅くチャンスに弱くて………。
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アシカ

2005年12月17日 17時27分32秒 | 写真


 決してかわいい動物ではないような気がする………
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猿田彦重奏曲

2005年12月16日 12時37分44秒 | らくがき

赤坂日枝神社内の猿田彦神社

 猿田彦を調べていくにつれ、一人の神とは思えないほど多くのモチーフが連なっていることに気づいた。それらが時に重なり合い、ときに反発し合い、猿田彦という存在をよりわからなくしているのだ。
 先日「塞の神」について書いたが、天の八街(八方に分かれる境界)にいるところから、塞の神としての役割が猿田彦に預託されている。つまり(1)塞の神としての猿田彦。
 この塞の神としての役割によって、多くの境界にアメノウズメノミコトとともに道祖神として祀られることになりました。(2)道祖神としての猿田彦。
 そしてその異形ぶり。鼻が七咫、背の長さ七尺というから、天狗の様相である。現実猿田彦の面とされるものの多くは天狗そのものである。(3)天狗としての猿田彦。さらに口の脇が光輝き、眼は8咫の鏡のように赤赤と、赤いホウズキのようだ・・・。記紀において外見が詳述されるのは、このサルタヒコと八岐大蛇ぐらいなものだろうが、その描写がそっくりなのにも驚かされる。(4)八岐大蛇としての猿田彦。
 道祖神とも関係があるのだが、アメノウズメノミコトととのコンビにおける(5)セックスによる呪術的な神としての猿田彦。
 以前書いた(6)庚申信仰の猿と結びついた猿田彦。
 さらに二見浦の二見輿玉神社、伊勢の猿田彦神社など、天照大神に先立つ(7)伊勢における太陽神としての猿田彦。
 (8)沖縄の先導する神である「サダル神」としての猿田彦。
 さらに、出雲の佐田神社に祀られる(9)佐田大神としての猿田彦(国つ神で「大神」がつくのは猿田彦のみ)。この考えだと、佐田大神として日の沈む出雲に生まれ、猿田彦として日の昇る伊勢に死んだ神となる。伊勢にも出雲にも潜戸があることも興味深い事実である(佐田大神は出雲の潜戸で生まれたとされる)。

 記紀の記述のように、ニニギノミコトを道案内したあと、伊勢で貝に手を挟まれ溺れ死ぬようなちょい役で済む神ではないように思われる。むしろ、天孫降臨以前、猿田彦という太陽神を祀る古代王朝が存在したのではないか。だから、古代神道の残る沖縄にサダル神信仰が今まで残っているのだ。そして天孫降臨という新しい支配者が来たため、速やかに溺死せざるを得なかったのではないだろうか。
 しかし、その大いなる神の死に寄せる感情がさまざまな性格を猿田彦に賦与し、今に伝えたのだと感じられてならない。
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通勤写真

2005年12月16日 10時53分21秒 | 写真


 昨日は、会社からサンシャイン横のTSUTAYAに寄って帰りました。
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八百善のお茶漬け

2005年12月15日 09時07分51秒 | らくがき


 白髭神社の本殿前に座ってる狛犬くんです。
 これを寄贈したのは八百善四郎(対の狛犬は吉原の松葉屋)。文化12年(1815)の寄贈だということだから、今から190年前。

 八百善というとお茶漬けのエピソードで有名です。
 美食に倦んだ客数人が八百善を訪れて、茶漬けを注文(これは、要するにトゥールダルジャンに行って、パンだけ注文するようなもん)します。
 少しお時間を戴きますが、と注文を受けたものの、一向に出てこない。
 半日待たされてようやく出てきたお茶漬け。さすが八百善、極上ものだったらしい。
 勘定を払う段になって、お茶漬け1杯1両2分(今で言うと10万以上)。
 あまりの値段に訳を聞くと、茶は宇治の玉露、米は越後の一粒選り、中でも一番高くついたのは水。
 玉露に合う水を汲んでくるため、玉川上水の取水口(羽村のあたり。八百善からだと往復100kmくらい)まで早飛脚を仕立てた、と。
 それを聞いて、さすが八百善だ、と客は喜んで支払いました………

 美談みたいな形で扱われてますが、でも、わざわざ水を汲みに100km走らせるところに、客の行儀悪い注文に対する料理屋さんの矜持を感じます。

  詩は五山、書は鵬斎に、狂歌われ、芸者おかつに料理八百善
                            太田蜀山人
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石浜神社

2005年12月13日 15時31分33秒 | 観光


 隅田川沿いのとても気持ちのいいロケーション。特に晴れた日は土手にたたずんでいると青空に包まれる感じがします。隅田川白髭橋近くの「石浜神社」。祭神は天照大神と豊受大神。そう、伊勢神宮の内宮・外宮の祭神なのです。
 天照大神は皇室の祖神とされていますが、ぼくは最近、どうもそんな単純な話ではないような気がしてるんです。じゃあ、なんだ、と聞かれてもまだ考えがまとまっていないのですが………。なんか海に関係があるんじゃないか、と。
 この天照大神を祀る石浜神社も、「浜」がつくぐらいだし、やはり海に関係したのだと思います。この石浜神社、中世にはたいへん栄え、大社として発展したそうです。そのせいかさほど広くはない境内ですが、さまざまな摂社、末社があります。
 その中にあるのが富士山遙拝所。


 人が登るようなものではありませんが、一応山になっています。


 富士山横の末社、稲荷神社。

 ちょっと見づらいかもしれないかもしれませんが、左下に「宇賀神」の碑もあります。宇賀神は蛇形の水神で、弁財天と同一視されることもあり、江ノ島や国立博物館の弁財天像など弁財天の頭部に蛇として載っている場合もしばしばあります。
 ほかにも江戸神社(牛頭天王を祀ったもので、これは神田明神の摂社にもあるものです)をはじめ、いくつもの摂社・末社がまるで集合住宅のようにひしめいているところを見ても、以前の興隆ぶりがしのばれます。
 伊勢神宮と同じ祭神なら、近くに猿田彦を祀る神社があってもよさそうなのですが………。富士山とは別に、次は猿田彦を探しに行きます。
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お茶の水

2005年12月13日 08時16分17秒 | 写真
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