毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

Fマリノス対ジュビロ

2009年04月30日 23時51分14秒 | 


 今週は大人しくしていようかと思ったのに、ついつい出かけてしまった横浜、開港150周年おめでとう。
 ようやく2勝目なんだけれど、どちらもホーム。アウェイでも勝ちたいね。
 写真は今回勝利した瞬間の客席風景っす。
 トリコロールのパラソル(通称トリパラ)がくるくる回り、みんながルンバ(曲はコーヒー・ルンバ)を歌う、とても幸せなひととき。写真だと暗くなっちゃってるけれど、客席上方までずっとトリパラの渦。
 このトリパラをいっぱい回せるといいんだけどね。
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利根川サイクリングロード

2009年04月29日 12時57分37秒 | 観光
 風邪をひいて、「江戸川サイクリングロード」の続きをアップできませんでした。
 なんだ、風邪状態書いてるんだから、ちゃんとやれよ、とおっしゃる方、すいません、一応写真を選んだり、縮小したり、いろんな作業があるんすよ。
 今日もね、横浜(ニッサンスタジアム)に行く予定なんで、とりあえず完結させちゃおうって感じで。
 いや、ぼくも、別にやっつけちゃおうってわけじゃないんだけど。
 っていうか、そろそろ2勝してくんないかな、Fマリノス。


 そんなわけで、近所のコンビニで食料調達。
 せめて豆腐でも食べればタンパク質を調達できるかな、と。
 それにしても、晴れた日に、自転車こいで川原で昼食、それだけで幸せな気持ちになれるぼくは、なんというか、とても燃費のいい男であるように思う。幸せの閾値の低さは、幸せな人生の条件かもしれない(ま、そのためには自転車で70km走ってここに来ないといけないんだけどさ。あ、それって燃費悪いかもしれないな)。
 写真には写ってはいないけれど、もしかしたらこの横に、自転車乗るときにはほんとは飲んではいけない黄金色で発泡する液体なんかもあったりするかもしれなかったりする。
 あと紙コップも。昼間っから。
 それにしても閑散としたサイクリングロードである。食事している間、一人の他人もすれ違って行かなかった。静かで晴れた川原。ああ、いい気持ち。
 食事をして、利根川を西に進んでいく。
 途中、サイクリングロードがなくなる。一般道を延々と迷ってようやく川に戻る。
 未舗装路もちょくちょくあって、利根川サイクリングロードは難しい。


 戻ったと思っていたのだけれど、この標識を見て、絶望。
 って、利根川じゃないじゃん。なんか不必要にフレンドリーだし、「利根川から2kmです」って。敬語使ってるし。
 ここは利根川ではなく、渡良瀬川。結局7km迂回して利根川に戻ったものの、気持ちは折れてしまってた。
 おまけに栃木県には入れずじまい。茨城、栃木、群馬と横に並んでいると思っていたのだが、なんと栃木県だけは背伸びをしていた。茨城、群馬は利根川の北側にあるのだが、栃木の部分だけ、どういうわけか、利根川の北側に埼玉県が出張ってきて栃木進入を阻んでいるのだ。


 結局東京から、千葉、茨城、埼玉、群馬と走って、東武線川俣駅から帰る。
 関宿VORもだめ、茨城・栃木・群馬の北関東制覇もだめ。
 無駄に100km以上自転車漕いだ日。
 なんだか何一つ成し遂げられなかった週末。
 ま、こんなこともあるか。
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江戸川サイクリングロード

2009年04月24日 20時53分08秒 | 観光
 すべてが失敗しちゃった日。長く生きてりゃそんな一日も必ずある。
 それがこないだの週末。
 ぼくは飛行機が大好き。ドイツのFW190が好きで、BMWを買ってしまったほど。ライヴァルだったスピットファイアに積まれていたのがロールスロイスのエンジンだったのは、今となっては皮肉な話かもしれない(BF109はね、いまいち好きじゃない。翼じゃなく、機体についてるランディング・ギアが華奢だし)。
 そんなぼくはマイクロソフトのフライトシミュレータが大好き。あれはなかなかすぐれもので、ちゃんとVORやDME局が組み込まれていて、世界中を計器飛行できるようになっているのである。
 関東地方の空港から飛び立とう、あるいは降りてこようという人間にとってMORIYAとSEKIYADOは、特別な名前。江戸川サイクリングロードを自転車で利根川まで北上して初めて、SEKIYADOは関宿だったのか、と知った。
 ならば、関宿VOR詣でへ行ってみようか。VORというのは、方角情報と距離情報を発信している放送局みたいなもんで、その信号を受信して飛行機は方角や位置を知ることができるわけです、要するに。


 まずは葛西臨海公園へ。いや、自分としても、北上するのに、わざわざ25kmも離れた葛西臨海公園まで南下しなくてもいいか、と思う。どんだけサイクリングロード好きなんだよ、と。
 都立の公園なので、都のオーディションにうかった大道芸人がパフォーマンスしている。石原都知事って、とてもうさんくさいんだけれど、この制度を作ったことだけは評価してる。この人は、このあと、曲がるはずのない方向に足を曲げたり、ジャグリングしたり、大活躍だった。


 葛西臨海公園は荒川と旧江戸川を結んでいる。
 旧江戸川「健康の道」はあまり走りやすくないんだけれど、この水門のところでようやく江戸川サイクリングロードにつながる。
 江戸川も荒川も、ともに東京湾に注ぐ。でも荒川は源流があるのに、江戸川にはない。江戸川は利根川の支流なのである。もともと利根川は東京湾に注ぐ川で、江戸時代に銚子へ流れるよう付け替えられた。その名残が江戸川。江戸川には、だから源流がない。あるのは利根川からの取水堰だけ。


 江戸川沿いに見つけた工場と城。
 なんだ、これ、と思ったらキッコーマンの工場だった。
 「殿! このままでは城が落ちまする」
 「なんびとたりとも、この城には近づけるな!」
 などというような労働争議をキッコーマンに期待してしまう。がんばれ、キッコーマン。

 そんなこんなで関宿近くのグライダー場へ。ここから東へ走って関宿高校を見つければ、その隣が関宿VORのはず。
 ところが、ふと気づいたんだけれど、VOR局の目印に関宿高校を考えていたんだが、じゃあ、どうやって関宿高校へ行けばいいのか、そこが白紙なのである。みなさん、考えてみたら、どっか行ったこともない学校に行こうと思ったら、そこへの目印考えるでしょ? いやあ、落とし穴だ。関宿高校を目印にしていながら、その目印にたどり着けない。
 ほうぼう迷う。


 迷っているうちに、利根川に達してしまった。
 じゃあ、じゃあ、しょうがないから、関宿VORはあきらめて、利根川サイクリングロードを西走しようか。ああ、そうだ、北関東には茨城、栃木、群馬と3県が並んでる。今見えてる、対岸が茨城。じゃあ、茨城から群馬まで利根川沿いを走って北関東制覇してしまおう!
 とりあえず、お昼になったので、一度利根川から戻り、近くのコンビニへ戻って昼食調達。
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なぜか高崎

2009年04月23日 18時28分29秒 | 観光
 鎌倉、つまり日本の中世初期って、剣呑な「木綿のハンカチーフ」だったなじゃないか、と思う。都会の色に染まらないで帰って~、と願ったものの、染まっちゃった義経、実朝。歌だと涙を流すだけなんだが、剣呑ですから、殺しちゃう。
 東国は、ちょっと問題じゃないかと思うほど血の穢れとか気にしなさ過ぎ。家康も死の二日前に遺す刀を試し切り(もちろん、相手は人間)させたり。西と東を分けるポイントは、血のタブーかもしれない。

 鎌倉から帰るために電車に乗る。時間によっては乗り換えなしの電車もあるんだけど、残念ながら大船乗り換え。大船で湘南新宿ラインに乗って池袋まで帰る。
 でも、池袋で降りなかった。
 なんだかこのまま電車に乗っていたくなって、終点の高崎まで、ぼうっとテツの旅(関西だと米原から京都まで帰るのに、なんだかこのまま新快速に乗っていたくて神戸まで行っちゃう感じ、と言えばわかってもらえるでしょうか)。
 せっかく高崎に来たんだから、信越線に乗り換えて群馬八幡、そう、少林山達磨寺へ行こうっと(なぜ、鎌倉から高崎なのか、それはたまたま偶然。湘南新宿ラインは大宮で高崎行きと宇都宮行きとに分かれる。宇都宮行きが来ていたら宇都宮に行っていただけのことなのである。ぶらり一人旅のいいとこだな、こういうの)。
 人によって、気持ちのいい場所ってあると思う。
 ぼくの場合、この達磨寺というのは、なんだかとても気持ちがいい場所なのである(京都の鞍馬寺も大好き)。
 時間があると来てしまう。



 なんだろう、波長が合うというのか、ここにいると穏やかな気持ちになる。大好きなお寺だ。
 もっと近くにあったら日参するのに、残念なことにうちから100km以上離れてる。


 噴煙たなびく浅間山と碓井川。
 達磨寺から駅までの帰り道。
 橋を渡る。
 北関東の風情は素敵だ。
 って、言いながら先日北関東再来。群馬まで自転車で行ってきました。
 明日は更新できないかもしれないので、明後日お会い致しましょう。
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佐助稲荷神社

2009年04月22日 11時53分51秒 | 観光

 田村麻呂、通称タムちゃんによって文明を知った東国。それ以降、東国は朝廷文化の土俵に乗せられ、その尺度で田舎者、遅れてる、などと評価され、東国もなんとかあか抜けた朝廷文化に近づこうと努力するようになった。
 そんなとき、「俺たち田舎者だけど、なにか?」と敢然と開き直っちゃった人たちがいた。俺たちは俺たち、朝廷の物差しで測るのはやめてくんないかな、と自我の芽生えた10代みたいなことを言い出す始末。こうなりゃ、次にやってくるのは自主・独立の精神。東国反抗期の代表が、つまり鎌倉幕府なのであった。
 幕府は徹底的に朝廷から独立し、また朝廷の価値観にはまらないよう努力した。
 義経も実朝も朝廷に取り込まれそうになると容赦なく殺してしまう。
 鎌倉幕府はなんとなく源氏の幕府のように考えられるけれど、源氏などあっという間にいなくなってしまう。平安末期から鎌倉にかけての戦いは、都会の平氏対田舎の平氏と言ってもいいんじゃないだろうか。田舎の平氏(北条氏)は都会に違和感を感じ、自分たちの価値観の上に独立を果たそうとした。
 たとえば「関西」という言葉。この言葉が最初に出てくるのは「吾妻鏡」なんだけれど、それまでの方角とはすべて京都から見たもの。西国は九州で、東国は関東地方から東北。それをこの「吾妻鏡」は関西という概念によって、東の鎌倉、西の京都と二つを並べようとした。
 東京なんか掘ってもせいぜい明治や江戸時代のものしか出てこないのに(それから縄文まで飛ぶ)、鎌倉には中世があった。ついそこにある中世に触れたくて、東京から多くの人が鎌倉に訪れる。自分たちの土地にはない歴史がそこにある。
 鎌倉以降、政権は東国が握った。栃木出身の足利氏、群馬出身の徳川氏(これについては源姓欲しさじゃないかとも考えられるけれど)。明治維新はずっと東国に握られていた覇権を西国が取り返そうとした抗争としてもとらえることができるんじゃないだろうか。

 伊豆に流されていた頼朝(佐殿)のもとにこの稲荷神が翁の姿で顕現し、挙兵を勧め、助けたことから佐助稲荷神社と名づけられたところ。そうした伝承以上に古い霊場であったと思う。この神社にある御塚などは、沖縄の御嶽と同じで、相当古い来歴がそこにあるはずだ。

 近くにある銭洗弁天。この洞窟の中で弁天さんを祀っている。
 鎌倉には洞窟のイメージがある。墓もやぐらと呼ばれる洞窟状のものが知られているし、江ノ島の弁天さんも洞窟の中にいる。洞窟のイメージは、だけど、晴々としたものではない。どちらかというと暗く、怖く、この世のものではないものと触れ合える場所。中世都市鎌倉に、そんな死の匂いを感じてしまうのは、ぼくだけだろうか。
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物見山

2009年04月21日 11時27分22秒 | 観光
 初めて物見山に行こうと思った。
 荒川サイクリングロードを走る者の間でよく話題にのぼるものの、なんだかバリバリのローディーがトレーニングしてそうで敷居の高さを感じてしまっていて、行かなかった。ぼくなんかがさ、行ってもさ、的な。
 まあ、行ったことのないとこは、とりあえず実際行ってみるのがいちばん。
 荒川を北上するんだけれど、この季節の天気予報ってよく「北の風、のち南の風 晴れで………」などと言いません? 言うんですよ、うちの近所の天気予報だと。で、北に向かって走っていると向かい風が急に追い風に変わる瞬間を体験できたりするんだけれど、その瞬間は、なんというか、クララが立ったのと同じくらい衝撃的な瞬間だったりする。向かい風と追い風って、上り坂と下り坂くらい自転車にとって大きな違い。坂はその違いが目に見えるけれど、風が変わると見た目変わっていないのに急に足が回る、スピードが出る、自転車が自分から進んでいく、全身の細胞が活気づく。「風立ちぬ いざ生きめやも」の瞬間。快楽とも言える特権的瞬間。ああ、ヴァレリー。
 思わず「論理のパラドックスを破壊するのは、論理じゃなくエラン・ヴィタールだあ!」などと叫んだりする、あたりを見回して(見回してって思わずじゃないだろ?)、小声で(しかも小声かい)。
 50kmほど走り、鳥羽井沼で荒川サイクリングロードを降りて、西に数キロ進むと今度はこども動物自然公園自転車道に行き当たる。

 長いよ、名前。荒川と違って道幅も狭く、スピードは出せないが、なかなか雰囲気のかわいい道。ちんたら進む。途中、なぜか自転車道を見失い、一般道を経て、こども動物自然公園着。バス停を見たら、「物見山登山口」と。OK。
 ふもとのコンビニでとりあえず補給。客にローディーが多いんだね、他のコンビニと比べて、カロリーメイトやら一口ヨーカンやらソイジョイなどのラインナップが豊富、おまけにそれらのローディー御用達補給食物が一棚占拠。
 ぼくは埼玉銘菓ガリガリ君で糖分補給、ポカリスエットで水分補給して、上り坂に取りかかる。アクエリアスよりポカリスエットの方がカロリーがあるので、多少なりともいいかな、と。
 どこら辺が物見山なのかわからないので、たまたま前を走っていた二人組のローディーのあとをついていく。結構な勾配が延々と続く。あ、ここが頂上かと思うまもなく、今度は下り坂。ものすごいスピードが出る。自転車で50km以上出すと、少し恐怖を覚える。快感といっちゃ快感なんだけど。また上り坂。ああ、今度こそ頂上かと安堵のまもなく、またまた下り坂。これが延々続き、気がつくとスタート地点に。おお、なるほど、このアップダウンを周回してトレーニングするわけね、ってぼくは別にトレーニングしたいわけではないのだ。

 結局最初の上り頂上近くに物見山山頂は存在していた。ひっそりと。
 物見山は坂上田村麻呂がここで周囲を見回したことに由来するとのこと。出た! 坂上田村麻呂起源。空海起源に並ぶ頻出度である。
 東北の昔話には「昔々」で始まるのではなく、「大同年間」や「大同2年」という具体的な年号で始まるものがある。これも坂上田村麻呂(長いから以下タムちゃん)由来。要するにタムちゃんに征討されて初めてわれわれは文明に浴しました、タムちゃんの蝦夷征伐にわれわれの歴史の起源があるのです、という感情のあらわれ。征服されて、でもそれがわたしのよろこび、うふ的な、そんな、どMっぽい気性を感じてしまう。
 毘沙門天が東北に数多く存在するのも、そんなねじれた感情を表しているかのようだ。
 関東、東北に数多くあるタムちゃん伝説は、その多くがタムちゃん賞賛の色に染まり、タムちゃんをもって、「未開/文明」の切り替えスイッチとしている。
 じゃあ、次の旅はあそこだ。



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荒川サイクリングロード

2009年04月20日 12時04分24秒 | 写真


 ちなみに自転車を漕いでいるのはぼくではありません。
 あそこに誰か通ってくれないかなあ、としばらく待っていて隠し撮り。
 いいところでしょ、荒川サイクリングロードって。
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久留里から上総中野 写真編

2009年04月17日 11時02分17秒 | 写真
 今回は昨日の千葉旅思い出集。


 いすみ鉄道と上総中野駅で接続する小湊鐵道。この鉄道も美しい。
 どちらの駅にもカメラを持った人たちがいっぱいいたのだけれど、みんな車で来てしまっている。電車にも乗ろうよ!



 高滝湖。
 ダムによって誕生した人工湖なんだけれど、ほんといい雰囲気。TVドラマ「時効警察」でもロケ地として使われていました。



 養老渓谷。人気(ひとけ)のない遊歩道を歩いていると、別世界に紛れ込んだような気がする。



 養老渓谷、弘文洞跡。
 崖ではなく、洞だったのだが天井部分が崩落し、現在のような地形に。



 駅名失念。いすみ鉄道の沿線駅。
 花の季節の夕方の美しさは唖然とするほど。
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久留里から上総中野へ

2009年04月16日 12時55分39秒 | 観光
 今回の旅は鉄の旅。前から気になっていた鉄道に乗る旅。
 でも、ただ鉄道に乗るだけじゃつまらない。
 自転車も運んで、観光しつつ、鉄道に乗る。自転車好きで鉄道好きなわたしにぴったりな企画なのであります。
 気になる鉄道とはJR久留里線。もうね、名前からね、「くるりせん」だもん。
 乗ってみたくなるでしょ、そりゃ。
 木更津からJR久留里線に乗って久留里で下車。そこから自転車で高滝、養老渓谷を観光して、今度はいすみ鉄道に乗り、外房の大原へ。自転車で走る距離は40kmほどだけれど、車か鉄道かで鉄道を選択してしまうと、この辺りには交通手段がなくなるので自転車が必須。
 さっきから電車と言わず、鉄道と言っていることに違和感を感じた方もおられようが、そう、ここは電化されていないのである、JRもいすみ鉄道も。
 なわけで電車は走っていない。


 JR久留里駅まで輪行。
 左のオリーブ色の包みが輪行袋。中に自転車が入ってます。
 ひなびた感じのいい雰囲気。
 かつて久留里城の城下町で、今は復元された天守閣などもあるらしいが、今回はパス。久留里城にはいろんな武将が入ったが、その中でも里見氏は馴染みがある。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の里見氏なのだ。


 道はこんな風で走りやすい。
 ゲタゲタゲタと蛙の鳴き声以外、静寂に包まれている。
 東京で過ごしている時間とここに流れる時間とが同質のものであるとは思えない。場所によって、そしてそこで過ごしている者によって時間は等質ではない。物理学で言う時間とは別に、生きられた時間も存在する。
 そんな時間に包まれて自転車をこいでいるのはとても幸せだ。
 高滝湖、養老渓谷、どこへ行っても気持ちのよい静けさがある。素敵なところだった。


 上総中野駅でいすみ鉄道に乗る。
 毎年赤字を計上している第三セクター路線なので、今年も赤字なら廃止されるかもしれない。しかも、堂本知事が後継指名し、森田健作と千葉知事選を戦ったのは、このいすみ鉄道の社長であった(立候補するために辞職したが)。彼が敗れてしまったため、ますますいすみ鉄道の存続は危ういことになっているのである。


 車内には手作りの飾りが。こういうところに弱いんだよ、わたしゃ。
 がんばれ、いすみ鉄道と応援したくなる。
 しかも、この鉄道、乗ってみるとわかるのだけれど、沿線がとても美しいのだ。
 笑顔の花々が手を振って迎えてくれる、いすみ鉄道はそんな鉄道でありました(って、アド街かよ)。
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桜・2009年

2009年04月15日 10時11分13秒 | 写真
 今年の桜の備忘録。


 飯田橋~市ヶ谷



 同じく。
 飯田橋のボートハウスに長蛇の列ができていました。



 ここからは荒川サイクリングロード編。
 赤羽岩淵水門。



 菜の花も美しい吉見桜堤公園。



 同じく吉見桜堤公園。
 およそ2kmにもわたる桜のトンネル。



 熊谷堤。
 自転車で熊谷まで80km、花に包まれた楽しいサイクリングでした。
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北関東横断最終回 岩宿(後編)

2009年04月14日 12時02分14秒 | 観光
 「そういう社会では年長者がもっとも大事にされます」彼女の説明は続いた。
 「生きていく上での知識の蓄積が大切だから?」
 「そうです、そうです」
 なるほど。ちょっと前から気になっていたことのヒントになりそう。村社会には、村を運営していく日常的な団体と、お祭りなどに関わる非日常的な団体があるのだけれど、たいていの場合、非日常的な団体は年齢階梯制を取ることが多い。
 たとえばその起源を旧石器的な思考(決して旧石器時代に生まれた、というわけではなく、その思考法が旧石器時代の人類に由来するということ)に求めることはできないだろうか。なんかいいヒントをもらっちゃったYO、と少しなぜかラップ調に。 
 ヘイ、YO。「脳なんか一歩も進化してないよ、3万年前からずっとこんなもんよ」なんて感じで(って、なんで?)。

 「環境破壊とかいろんな問題がある中、もう一度この時代の考え方に触れることも大切なんじゃないかと私は思うんですよね」と彼女。「温暖化で海が広がっていくなんてことは前にもあったことですし」
 「縄文海進とか」
 「ええ、そうです」

 博物館をあとにして、森山大道の言葉をつぶやいてみる。「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」


 博物館近くの岩宿ドーム。
 中に岩宿B地点の剥離した地層が展示してある。関東ローム層がはっきり見えて面白い。かつては発掘している途中、ローム層に行き当たった段階で発掘を中止していた。ローム層が堆積している頃、日本列島に人間はいなかったとするのが学会の常識だったからだ。
 この常識をくつがえしたのが、このあたりを行商をしていた考古学ファンの相沢さんだった。
 博物館の彼女の言う通り、彼は納豆を行商し、明治大学の考古学研究所まで自転車で往復した。博物館の中で流れた映像に彼が自転車に乗る姿があったが、あの重そうな普通の自転車で往復240km日帰りで走ったのか、我が身の未熟さを感じる。好きなことは、これだけの熱意を注いでやる。その先に行かないと見えないものがある。


 岩宿駅からまた両毛線に乗り、前橋を目ざす。
 電車が岩宿から遠ざかるにつれ、博物館で丁寧に説明して下さった女性との距離も離れていくんだな、と実感。もう二度と顔を合わすことはないだろうから、いい印象しか残さない人。旅がもたらす感慨には、そういう人との出会いも含まれる。会津で結果的には定休日のラーメン屋さんだったけど、親切に教えてくれた人。川越の博物館でこれまた丁寧に説明してくれたボランティアの人。
 みな旅がもたらしてくれたぼくの財産だ。


 最終地前橋。両毛線の終点は高崎なのだけれど、時間さえあえば前橋から高崎線に直接接続している路線があるのでそれをチョイス。なぜなら、帰りの電車は、ぼくにとって宴会場。新幹線を使わないかわりにグリーン車で一人酒盛り。乗り換えなしに少しでも長い方が楽しいじゃない。湘南新宿ラインの方が池袋へ行くので便利なのだけれど、あれはそのまま神奈川まで繋がっているので、グリーン車が混む(大宮から横浜へ行く人とか)。それにひきかえ、高崎線は上野停まりなので、それほど混まない(というか、この日は1車両にぼくを入れて2人)。宴会にはぴったりなのだ。
 そんなわけで前橋で唯一行ったのが駅前のイトーヨーカドー。無類のスーパー好き。お、これは東京じゃ売ってないぞ。この野菜安い! 帰りのつまみはこれにして、お弁当はこれ、あ、こっちは20%引きになってるぞ、とスーパー三昧、楽しんで電車に乗り込む。
 本を読んだり、ウォークマンを聴いたり、撮ったデジカメの写真を眺めたり、ゆるやかに夜は過ぎていく。
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北関東横断4 岩宿(前編)

2009年04月13日 13時35分12秒 | 観光
 三度両毛線に乗り、岩宿で下車。

 知ってるでしょ、みなさん、習ったでしょ、子どもん頃。
 そう、ここは日本にはないと言われていた先土器文化(旧石器文化)の遺跡が初めて発見された場所。発見者は相沢忠洋さん。


「学歴は尋常小学校の夜学しかありませんでした」岩宿博物館で、係の人がついてきて説明してくれる。ぼくはなぜか人の説明欲をそそるらしく、いろんなところで説明される。ありがたいことである。彼女の説明は、相沢忠洋に対する尊敬と敬慕に裏打ちされていて、好ましいものだった。「私の知ってる相沢さんは納豆売りのおじさんでした」

 展示の最後は当時狩りで使われた落とし穴の模型。動物の大きさに比べてかなり小さな穴。こんなんじゃ落ちないだろ?
 「この穴に片足を突っ込んで転ばせるんです」あー、なるほど!「足を折って動けなくなって弱ったところを捕まえたんでしょう。穴に落としちゃうと引き上げるのも大変ですし」
 「すごい。ぼくなんかよりずっと頭がいい」
 「そりゃ、そうです。生きるためには今なんかよりずっと頭も身体も使わないといけませんから」
 彼女の話を聞いていて、ぼくは内田樹のこんな文章を思い出した。

 「今の日本では、「子どもをどうやって社会的に生き残らせるか」という問いは「子どもにどうやって金を稼がせるか」という問いに書き換えられる。「生き延びる力」と「金を稼ぐ力」は私たちの社会ではイコールに置かれているからである。
 繰り返しここでも書いていることだが、これは人類史の中ではごくごく例外的なことである。人類史の99%において、「生き延びる力」とは文字通り「生き延びる力」のことであった」(内田樹「こんな日本でよかったね」)

 そして「生き延びる力」が別種の意味を持つようになって、人間は別種のことで死ぬようになる。

 「ローンとか生活態度とか進路とかいじめとかいうのは、すべて社会関係の中で起きている「記号」レベルの出来事であり、生物学的・生理学的な人間の存在にはほとんど触れることがない。
 でも、そのような記号レベルの出来事で現に毎日のように人間が死ぬ。
 社会が安全になったせいで、命の重さについて真剣に考慮する必要がなくなった社会では、逆に命が貨幣と同じように記号的に使われる。
 社会はあまりにも安全になりすぎると却って危険になる」(同書)

 われわれの社会は、外部の社会によって映し出されたとき、今まで当たり前で気づかなかった姿をかいま見ることができる。空間的視点(たとえばモンゴルから見た日本とか)、時間的視点(平安時代から見た現代日本とか)の異なった鏡は、社会の内部にありながら社会を把握するという、自己言及にとって不可欠なのだ。
 考古学は古いものを調べるだけでなく、私たちの現在を照らす学問でもある。
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お江戸の火消し

2009年04月11日 12時15分59秒 | らくがき
 最高!
 「Smoke on the water」っていや、あの誰も知ってるジャッジャッジャーってフレーズが有名だけど、それをこんな形で演奏するとは。
 同じ趣向で「We will rock you」もあるので、そちらもぜひどうぞ。
 ロックなどの音楽をオーケストラで演奏すると、強拍部の違いからなんだか居心地が悪かったりするんだけれど、そこに邦楽が加わるとまるで変わる。邦楽に西洋風の強拍・弱拍の観念がないから、音楽全体が中和されるんだな。鼓が忠実に2拍、4拍を打っていたりするとこもかわいい。


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北関東横断3 鑁阿寺

2009年04月10日 09時57分26秒 | 観光

 鑁阿寺(ばんなじ)参道。
 足利は東の小京都と名乗っているけれど、そこまでの規模はないだろう。どっちかってえと、北の小鎌倉ぐらいがちょうどいいか、と。
 鑁阿寺の前に行くと、なんだか、ふと京都の東寺を思い出した。なんだか佇まいが似ている。同じ真言宗だからかな、と思ったが、ああ、掘り割りの雰囲気が似てるんだと気づいた。
 全然関係ないけれど、最近「雰囲気」って言葉をTVなどで聞くと「ふいんき」って言ってる人多くないっすか?


 足利氏の祖霊堂。
 同じ境内に大酉様の堂があるけれど、あちらはもともと足利尊氏を祀ったもの。
 ところが明治になって、尊氏が逆賊だって騒ぎになったので祭神の変更を余儀なくされた(神田明神も明治になって平将門公を祭神からはずした)。幕末にゃ、京都等持院の足利三像の首が切り取られ三条大橋にさらされたり、なんだか幕末からこっち、狂信者たちのやることなすこと愚かしいのだけれど、これが第二次世界大戦まで続いたところにこの国の不幸がある。
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葛西臨海公園

2009年04月09日 10時34分46秒 | 写真

 葛西臨海公園までのいつものサイクリング。
 鑁阿寺編はまた後日。
 春だねえ。
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