毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

王子近辺

2010年01月31日 22時33分18秒 | 観光
 石神井川というのは、とても面白い川で、たぶん、興味のある方はたくさんいらっしゃるのではないかと。豊島園でジェットコースターに乗ったことのある人なら、「あれ? なんで遊園地ん中に川が流れてるの?」と不思議に思ったこともあるんじゃないでしょうか。ジェットコースターで渡る園内のあの川が石神井川。小金井カントリー倶楽部の湧水を水源として、現在は隅田川に注いでいる。なわけで、荒川水系。荒川、隅田川、利根川などに関して詳述するのは大変なので省きます。縄文時代からの川の営みに興味のある方は鈴木理生「江戸の川・東京の川」をぜひどうぞ。名著です。
 今回は石神井川が一度暗渠になる王子周辺をお散歩。


 田端、駒込あたりの崖にある不思議に斜めに連なる住宅。このカーヴは暗渠っぽいのだけれど、ここは違う。ここは山手線の内側を走ってる湘南新宿ラインが山手線を横切り北へ走るところ。そう、山手線と交差するため、ここはちょうどトンネルの真上なのだ。もっとも、ぼくは最近鉄道と川って一緒なのではないか、と思っている。そう考えると、ここは川の上の暗渠。でも、普通の暗渠が道になっているのに対し、ここは、家の建っているところがトンネルの上(これ、すごく珍しいと思う。でも、こんなの耐震上だめだろう? 今は廃墟)。


 最近できた飛鳥山のモノレール。かなりの急勾配を登っていく。最大斜度50度。ぼくね、札幌オリンピックやった大倉山ジャンプ台行ったことあるんすよ。もうね、このジャンプ台滑るヤツ人間? 下いっさい見えない。滑るというか、落ちるだよ、と。その斜度が35度。50度って、格好いいよ、これ。もちろん普通のモノレール形式じゃ登れない。歯車かまして登ってきます。無料です。用がなくても乗るべし。左脇えぐるように乗るべし。



 王子から赤羽(もっと言うと田端から赤羽)というのは、テツの人にも面白い場所だと思う。車両車庫があったり、旧赤羽線(現埼京線)と湘南新宿ライン・宇都宮線・高崎線との絡み、日本製紙の貨物引き込み線、ああもう辛抱たまらん。しかも、その埼京線がまた離れて行き、大宮で再び合流。
 湘南新宿ラインと埼京線って、鉄道に興味のない頃は同じ線路を通ってるもんだと思ってたんだけれど、全然違うんですね。山手線内は同じ貨物線を走るんだけれど、池袋からは北へ直行する埼京線に対して、駒込まで山手線内の貨物線を走ったあと、田端手前のトンネルで山手線を脱する。地形と鉄道って、結びつくとたまらない魅力を発するのはなぜでしょう?



 ここは王子南の宇都宮線(高崎線)。東京の空でこれだけ広いのは、やはり、川と鉄道だと思う。そういう意味でもこの二つの関連性は高い。
埼京線と湘南新宿ラインは赤羽で重なるんだけれど、そこからまた二手に分かれ、大宮で出会う。
 京浜東北線は北行は山手線と交錯するので、トンネルで山手線と交わし、南行は山手線の外側を走るので同じ京浜東北線なのに、別の路線を辿る。もう、このあたりは一両目に乗って、ワクワクしながら、地形と線路を見つめる。もう、小学生みたいなもん。



 さくら新道。今となると、ああ、ここは飛鳥山の崖下なんだな、とよくわかる。



 石神井川は王子駅の下に暗渠となる。王子駅を通過して出てきたところ。ここから、また北へ隅田川へ向かっていく。



 首都高と石神井川。首都高も石神井川も飛鳥山の下をくぐって、王子駅の北に出てくる。

 この上野から赤羽に至る台地は見ているだけでわくわくしてしまう。
 なわけで、次回は赤羽の台地をご紹介。
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寝ながら学べる構造主義

2010年01月30日 18時28分28秒 | 読書
内田樹「寝ながら学べる構造主義」    文春新書

 これだけ平易に書かれた構造主義の入門書はないと思う。
 入門書だから仕方ないんだけれど、フーコーのニーチェ読解ってどうでしょう? たぶん筆者もわかってらっしゃるんでしょうが、入門書としてそこに触れる必要はないからスルーしたんでしょう。
 道徳を相対化したニーチェの思想がやがて、思想そのものを相対化する構造主義のもとになるという図式はわかるし、まさにフーコーはそんな風にニーチェを読解したのだけれど、それはニーチェには関係がない話(ナチスもニーチェには、本来的には関係がない)。誤読とさえ言われる。
 この本に盛り込まれている豊富な例やたとえは、素晴らしく、本当に寝ながら学びたい人、まずとりあえずどんなものか構造主義の入り口を見たい人には最適だと思う。体育座りにこんな思想的背景があったとは知らなかった。
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テルマエ・ロマエ

2010年01月29日 11時12分28秒 | 読書
ヤマザキマリ「テルマエ・ロマエ」1巻   エンターブレイン


 古代ローマの建築家ルシウスは新しい浴場建設に関して悩んでいた。ローマ人にとって公衆浴場は大事な文化である。浴場に入りながら悩んでいるうちに、彼は溺れ、浮かび上がった先は、なんと日本の銭湯。
 そう、彼は古代ローマから今の日本の銭湯にタイムスリップしてしまったのだ。もう、このプロットだけでおかしいでしょう。
 この1巻には全5話が収録してあるのだけれど、あとはもう、それぞれ都合よく、日本のさまざまなお風呂にタイムスリップしちゃ、ヒントを得てセンセーショナルな建築家として皇帝ハドリアヌスにまで認められるようになる。それがさ、たとえばフルーツ牛乳だったり、シャンプーハットだったり、もう、たまんない。書き込まれた線と絵に対する、このストーリーのユルさがギャップ萌え。古~いノスタルジックな銭湯を見て、「なんという文明度の高さ!」と感心するルシウス。われわれにとってなんてことのない、たとえば大きな一枚鏡など、古代ローマから見れば文明の証なんだということに作者の気づきなど、着眼点が素晴らしい。
 話と話の間の「お風呂コラム」も秀逸。カバーの絵から笑えるし。
 あ~、温泉入りたいっ!
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大塚5丁目

2010年01月28日 18時37分43秒 | 観光
 こんなニュースを見た。

「ズボンはかず山手線に乗ろう」ネット書き込みで警戒

 実は、ぼくにとって興味のあるのは、ズボン云々じゃない。興味のあるのは、「大塚駅」と「巣鴨警察署」だ。そう、大塚駅を管轄するのは大塚警察署ではなく、巣鴨警察署なのである(東京以外の方にご説明すると、巣鴨駅は大塚駅の隣駅)。
 事実、巣鴨警察署は大塚駅北口にある。
 巣鴨という地名は今よりずっと広い場所をさしていた。北豊島郡西巣鴨町、巣鴨町は池袋から、大塚、巣鴨、駒込までを含む地名だったのだ。それに対して、大塚は小石川区(現文京区))に属する地名で、今でもだから大塚駅のある場所は豊島区には「大塚」という地名はない。あるのは「南大塚」と「北大塚」。これと逆の例が小金井。小金井市と地名があるのに、小金井市に小金井駅はない。あるのは新小金井、武蔵小金井、東小金井、花小金井。小金井駅は栃木県にある。
 そんなわけで大塚は基本的には文京区であり(豊島区駒込と文京区本駒込についても、いつかまた)、大塚警察署は文京区にある(フライデー編集部を襲撃したビートたけしが捕まった警察署。なにしろ襲撃相手の講談社は警察署の隣だ)。大塚町、大塚窪町、大塚仲町、大塚坂下町、大塚上町、大塚辻町など旧地名は今はなく、大塚は1丁目から6丁目と無味乾燥な地名と化した。
 このうち、5丁目と6丁目は、ほかの1~4に比べ、少し毛色が違う。高級住宅もあるその4つに対して、5,6丁目はまるで愛されない兄弟のように、似た感じのスラムっぽい街。なぜならこの2つは崖下の街であり、豊島区との区境、いわば文京最果ての地なのである。
 今回はその文京区大塚5丁目風景をご紹介。


 崖の下の5丁目。



 崖の街は、また階段の街でもあるのだ。








 子どもの頃から不思議だった家。
 小さくてわからないけれど、白いプレートの住所表記は「文京区大塚」ではなく、「小石川區大塚坂下町」表記。
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お知らせ ダイヤモンド富士

2010年01月28日 18時06分07秒 | らくがき
 以前、富士見坂でご紹介した、上野と西日暮里間の台地にあるここ。
 1月30日、日没のときにダイヤモンド富士が見えるそうです。

 なお、文京シビックセンターからは2月1日、2日がダイヤモンド富士dayだとのこと。よろしければぜひ、どうぞ。
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網代

2010年01月27日 15時01分48秒 | 観光
 伊東まで行ってみようと、伊東線接続の東海道線に乗り込む。停車した駅の風情がよかったので、途中の網代で下車。伊東は2、3度行ったことがあるけれど、網代は初めて。それもよかろう、と。


 ただ残念なことに網代、という街は基本的に何もない。夏になるとまた違う風景が見られるのかもしれないが、漁師さんたちが全員出払った港町という風情。









 街を一通り歩いて、網代から東京まで直行電車に合わせてコンビニで買物。あとはのんびり一杯やりながら本を読んだりの至福の時間。
 と、網代駅にやって来たら


 ベンチの下でにゃあ。


 母です。


 にゃあ。

 利用客が少ないから扇町駅の猫のように有名にはならないだろうけれど。
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小田原

2010年01月26日 12時02分09秒 | 観光
 小田原って、すごくいいところだと思う。海があり、山があり、温泉があり、街の居心地がいい。時々、用もないのに出かけたくなる。知らなかったけれど、ウメ子さん、去年亡くなってたんだ。












 それにしても、どうしたんだろう、わたしの身体は。眠くて眠くてたまらない。どれだけ寝ても寝足りない。史上最強のスリーパー。
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逗子

2010年01月24日 21時44分24秒 | 観光
 ぼくは石原慎太郎なんか嫌いだし、石原裕次郎なんて大根役者だと思っているんだけれど、彼らが組んだ「太陽の季節」という映画は、裕次郎の大根込みでもすごい映画だと思う。トリュフォーより早く、あの映画を作ったって、すごい。
 そんなわけで、その舞台になった逗子をお散歩。












 葉山の日影茶屋まで足を延ばす。大杉栄がここで刺されたんだよな、と感慨。刺されるくらいモテるって、すばらしい。
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塩の道

2010年01月24日 13時15分18秒 | 読書
宮本常一「塩の道」     講談社学術文庫

 今更ながらの宮本常一。生活の連なりの中、民衆の思考が累積していく。越の国の人たちが秦に滅ぼされたのち、船で任那へ、そして任那から稲作とともに日本に渡ってきた、と。越、任那、日本を結ぶ遺物がジャポニカ米。なるほど。
 この稲作集団は、当然稲作の儀礼を持っていたので、祭祀集団でもあった。そこへ、また半島から騎馬民族が訪れる。この人たちは男性だけでやって来て、女性は現地調達したのではないか、と。それがのちのちの日本の婚姻形態を形作ってきたという主張は面白い。この本は1979~81年にわたって書かれた3編のエッセイなんだけれど、当時の中国の人口が7億とのこと。6億も増えたのか。
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十条

2010年01月23日 23時09分40秒 | 写真
 十条と言えば陸軍。陸軍基地の跡地が、米軍駐屯地になったり、違う施設になったり。



 短い間だったけれど、ベトナム野戦病院がここに置かれていた。23区内にベトナム野戦病院というのはすごい。現在は東京都障害者総合スポーツセンター。



 旧東京砲兵工廠275号棟。赤レンガっていうと横浜が有名だけれど、十条にもある。現在は北区中央図書館。



 都営住宅と現役の自衛隊施設。陸上自衛隊だけでなく、空港はないが航空自衛隊、港はないが海上自衛隊、合わせて3軍の基地(陸上自衛隊の場合は「基地」ではなく「駐屯地」と表記される)。海上自衛隊、航空自衛隊はここを補給基地に使っている。

 隣接してる北区中央公園でよくテニスをしていた。この中央公園も米軍野戦病院だった。自衛隊から響く正午のサイレンを聞きながら、かつてここで角材を振り回して異議申立ての大暴れをしていた人たちがいたんだなあ、と感慨にふける。なにしろそれは大昔の話ではなく、ぼくが幼稚園の頃の話(それは、だから、大昔なんだよ)。1968年、パリの大学生たちが「Sous les paves, la plage(舗石の下は砂浜だ)」という詩的な落書きを書き大暴れしていた時代、ぼくは4歳で、「平和」と「和平」の違いがわからなくて苦慮していた。
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平成マシンガンズ

2010年01月23日 14時06分37秒 | 読書
三並夏「平成マシンガンズ」   河出書房新社

 並々ならぬ才能。
 著者がマシンガン=小説を手にして対峙している世界を語る、その語り口に感心する。小説にはストーリーをひたすら追い求め、次どうなるんだろう、どうなるんだろうと気になるものもあるし、世界と自分とのずれの中に漂う感性が織りなす描写に心打たれるものもある。どちらかと言えばこの小説は後者的要素が強く、そしてその描写の流れが心地よい。しかし、一方、その心地よさが時々途切れるところ、そこに彼女と世界との裂け目を感じさせ、彼女が見つめ、対峙している世界の困難さに驚くことになる。
 15歳で書いたとか、15歳の割にどうとか、そういう評価ではなく、一つの小説として十分に評価できるものなのではないだろうか。
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呪の思想

2010年01月22日 20時58分34秒 | 読書
白川静/梅原猛「呪の思想」    平凡社

 やっぱり読んだ本のことなどもちょこちょこ、と。そうしないと観光ではなく、地形ブログとなってしまいそう。最近は寒くて自転車に乗って出かけたりもせず、暇があれば本ばかり読んでます。
 本はいいですね(ばかみたいな感想だな)。本を読むことは旅をすることに似てる。空間や時間の異なる場所へ赴き、その雰囲気を味わったり、また、そこから今・ここを再び照らすこともできるし。時間や空間が異なるだけじゃありません。たとえばモンゴメリの「赤毛のアン」を読む(素晴らしい本)。そうすると、ぼくはいつの間にかアンの気持ちになって、その時代を進んでいる。
 45歳の日本人男性が、プリンス・エドワード島に住むカナダ人の女の子のメンタリティを持つなど奇蹟に近い気がするけれど、本を読めば簡単にかなってしまう。ことばはまったく違う概念を結びつける画期的な手段なのです。
 いやあ、本はいいですね。

 そんなわけで、今回は白川静と梅原猛の対談集「呪の思想」です。漢字の中から膨大な情報と物語を引き出してくる白川静といろんなことに興味津々梅原猛の、まさに92歳児と76歳児、世界に関心ありまくりの二人の男の子(あえて)の対談集。時に噛みあってなかったり、進行するはずの「編集部」がやけに熱かったり、そういうところも楽しい。
 それと同時にやはり学のある人の話は面白いことを改めて実感する。1980年代以降、教養がププって感じに成り下がってしまったけれど、あれ、やりすぎだったよね、反権威主義運動。確かにあの時点では正しかったんだけれど、徹底すぎた。世に氾濫する新書を立ち読みすると、その知的レベルに驚く。で、これが売れてるって。1980年代に高校、大学あたりにいたわれわれの世代の教養が問題なのよ。でも、手っ取り早く頭よくなりたいという下心で「頭のいい人、悪い人の話し方」とかが売れる。いや、喋り方じゃないだろ、問題は。
 この本に話を戻すと、とくに感銘を受けたのは次の二つ。一つは殷と縄文、周と弥生とが関連あるという指摘。それから、征服した王朝を祭に参加させるのは、空間だけでなく、過去からすべて包摂していることの証だという点。日本では御霊信仰の面が強調されていたけれど、そればかりでない新たな視点に目からウロコです。
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笠間稲荷神社

2010年01月22日 17時04分47秒 | 観光
 元旦から調子が悪く出遅れてしまいましたが、初詣。
 どこに行こうか、数ミリ秒悩んだ結果、行ったことない笠間稲荷へ御参詣。本を数冊リュックに詰め込んで、常磐線の旅に出ます。


 いい加減飽き飽きしたところで友部着。日暮里から20駅。げっぷが出るほど各駅停車。
 友部から水戸線に乗り換えて笠間駅着。北関東の小都市に漂う、何か淋しげな風情がたまりません。逃避行っていうと日本海っぽいイメージだけれど、案外リアルとしては北関東な気がする。男は日系ブラジル人たちと一緒に工場につとめ、女はなぜか駐車場の付いているスナックでホステス。夕方、男が帰ると、「豚の炒め物とお味噌汁作っといたからあっためて食べて」と入れ替わりに仕事にでかける。案外、悪くない気もする。日本海だと逃げて暮らすというより、心中だな(どんな決め付けだよ)。



 歩いて10分ほどで稲荷着。ここの面白いのは、普通神社や寺に向かって垂直に門前町があるんだけれど、ここは平行。なかなかの賑わい。



 野犬の群れみたいな狐群。お稲荷さんは狐ではありません、と丁寧な説明看板。


 
 お稲荷さんを出て、また笠間駅へ向かう。笠間から水戸線で小山に出て、そこから宇都宮線で帰るのも一つの手。どうせ乗り放題の青春18きっぷ。だけど、なんだか友部まででお腹いっぱい。行ったことのない水戸へ出て、少し散歩することに。



 笠間は焼き物の街としても有名だとか。駅にもいつくかこういうオブジェが飾られている。オブジェ越しに見える北関東の風情がなかなか。



 水戸弘道館。建物写すよね、こういう時って。



 水戸駅。違うだろう。水戸来てタクシー写してどうすんだよ。
 水戸黄門神社とか、**公生誕の地だとか、水戸藩ぽく大威張り。以上、やる気のなさそうな水戸リポートでした。嫌いなら行かなきゃいいのにね。
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羅漢寺川暗渠

2010年01月21日 14時50分32秒 | 観光

 行人阪を下り、太鼓橋を渡ります。左へ少し行くと、そこがこの羅漢寺川暗渠の出発点(というか、目黒川に注いでいるわけで、逆に終着点なのだけれど)。
 さあ、この暗渠。久しぶりに見た実力派暗渠。なんというかかなりジューシー、やる気満々、見とれるほどの崖っぷり。言葉はいりません。味わってくださいな。













 出口の三角州。暗渠はこのあと林試の森公園を通って、辿れなくなるんだけれど、終点は清水池公園。胸踊る暗渠散歩でありました。
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行人坂

2010年01月20日 21時50分44秒 | 観光
 今回の暗渠散歩は目黒。いい暗渠あるんすよ、旦那。
 と、誰を誘うでもなく、行人坂へ。
 この坂、結構、急。登りはまだしも、下りは平行を保っているのが難しいくらい。
 そんな坂の途中に祠。


 祠の右左でさえ、段差があれだけある。
 坂とか橋ってえのは、異界とこちらがわを結ぶ境だから、魔除けみたいなものが必要。それが道祖神であったり、ここでは坂守天人。要は境の神。割と猿田彦に同一視されたりもする、クナド神として。能も橋掛かりから異界のもんがやって来て、やれ念仏唱えてくれとか、助けてたべや御僧とかおっしゃるわけで、坂とか、橋とか、あと辻ね、こういうとこは要注意。


 五百羅漢像。
 この坂の下に、まさに五百羅漢寺という名称の寺もある。そっちはかなり近代的なビル。
 とだけ。



 それぞれの羅漢さんたちの表情がよい。
 別段、拝観料やら何やらなく、このお寺は開放されていて、自由にお参りできる。



 とろけ地蔵さん。
 江戸時代に漁師さんが、海から引き上げたもの。海中に沈んでいたせいか、ずいぶん洗われてる。こういう造形をお地蔵さんとして手を合わせることって、実は、なんだか素敵なことなのではないかと思う。五百羅漢に、このお地蔵さん。暗渠散歩で通り過ぎてしまうにはもったいないお寺。



 お地蔵さんに何気なく置かれた道祖神。やはり、ここが坂のお寺として機能しているんだな、と思う。



 後生車ってわけじゃないだろうけれど、お経の書いてある車輪。これを回すことによってお経を読んだ功徳を積むことができる、と。

 このお寺があまりにも興味深かったので道草くってしまいましたが、さて、次回こそ目黒を出発して暗渠散歩へ、と。
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