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毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

山下洋輔「BREATHTAKE」

2005年08月31日 15時41分21秒 | 音楽

 昔に別れた恋人と出会うような感じで、街で偶然再会した一枚のCD。それが山下洋輔。昔に比べ音楽を聴く時間が極端に落ちた上、聴くものといったら軽めのものばかり。こういうの一生懸命聴いてた頃があったんだよなあ、と昔を思い出して、しばらくは山下洋輔週間を繰り広げてしまうことに。

まずは「Breathtake」。
 ジャンルで言うところのクラシックの現代音楽とフリージャズがきわめて近い位置にあった時代。特にドイツでその二つが融合し、ドナウエッシンゲン音楽祭にアーチー・シェップが登場した1960年代後半から70年代。
 誕生したばかりのフリージャズが、既存の方向性を否定することに終始した印象を与えるのに対して、70年代のフリージャズ、あるいはポスト・フリージャズは、そこから何かを作り上げようとする気がする。たとえば「リターン・トゥ・フォーエヴァー」がもたらしたあの自由感あふれる感覚は、何かを否定しようとするものではない。
 このディスクの7曲もそう。エントラムにかすかに響く「Someone watch over me」とか、ブレステイクでのヴェーベルンっぽい響き、どれも素敵だ。ここにもやはり何かを否定しようという影はない。そして特筆すべきは、発売されて30年が経過するのに、これらの曲がみな古くなっていないことだ。
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みつまさ

2005年08月29日 11時50分18秒 | 食べ物
 場所は錦糸町駅南口から徒歩3,4分。
 見た感じは街の普通の蕎麦屋さんみたいだが、手打ちのお店。地元では有名らしい。
何より2ヶ月に1度、こちらで行われてる落語会。前売りですぐに売れ切れになるそうだ。ビールまたはお酒とお蕎麦、おみやげがついて2500円という価格設定が嬉しい。一度行ってみたいものだ。
 さて、イカと里芋をおつまみにビールを飲む。このつまみがうまい。つゆにイカの旨みが溶け、それが里芋にしっかり絡んでる。おいしい。
 別製せいろという霧下蕎麦の粉を使ったせいろもある。霧下蕎麦は、朝晩霧がたちこめるような場所で採れた蕎麦のこと。どうも朝晩と昼の気温差が大きいほどおいしい蕎麦ができるらしい。
 初めてのお店なので、普通のせいろを注文。暗めの緑がかった蕎麦。つなぎに海藻を使った蕎麦にこういう色のものがあるが、これは不思議。あとで調べたら蕎麦の葉を使っている、とのこと。コシはまあまあだが、やはり味、香りはいまいち。もう時期が時期なので、仕方がない。
 そろそろ季節は秋。新蕎麦が楽しみだ。
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古密教展

2005年08月27日 16時33分21秒 | 観光
 たとえば村に病院を1つ作ることができるとしたら、どんな病院がいいだろう? 同じ予算でできうるならば、眼科を1つ作るのではなく、総合病院を1つ作った方がいい。
 まさに仏像伝来の日本がそうなのだ。大変な手間をかけて大陸から仏像を運んでくる。だったら、何かに御利益のあるものではなく、いろんなものに御利益があるものがいい。というわけで、古密教の時代には、様々な特色をすべて表現しようと、多面多臂の像が多い。この時代の造形には、インドの様式がそのまま現れているような奥眼で、はっきりとした二重の顔があったりしてなかなか興味深いものがある。
 そして東大寺二月堂のお水取りで有名な悔過(生きる上で犯した罪を本尊の前で告白し、懺悔すること)での本尊たちが見事。吉祥天悔過で用いられる薬師寺の吉祥天。すっげー、きれー、と改めて眼をまんまるに。また、法隆寺の吉祥天立像。装飾が美しく、残っている朱が当時の鮮やかさをしのばせてくれる。ころもの表現も見事。
 時代を追っていくと、忿怒相の明王が奈良時代にはないとか面白い発見がある。ホントに仏教フロンティア期だったと感心する。
 興味深い展示だった。
 そして常設も見たのだが、これもいい。ただ廻りながら、博物館で仏像を見ることへの違和感も感じた。なんというか、絶滅間近の野生動物を動物園で保護しているような感じか。手を合わせ頭をたれた当時の人々の心情は伝わらないが、ここで手厚く保護されることによってきちんと維持されることも大切なんだろうと思う。

 奈良国立博物館 ~9/4まで
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ニュルンベルクのマイスタージンガー

2005年08月25日 12時37分05秒 | らくがき


 「ヒトラー最期の12日間」、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」となんだか偶然にドイツのことを考えさせられる出来事が連日続く。
 たとえヴァーグナーに罪はなくとも、ヒトラーがヴァーグナーのオペラをナチスの宣伝に使ったのは事実。ユダヤ人の中にはヴァーグナーの音楽が嫌いな人も多いだろう(事実、イスラエル・フィルをメータが振ったとき、アンコールとしてヴァーグナーを演奏したら、客どころかオーケストラからも退席者が出たぐらいだから)。ウッディ・アレンも映画の中で「ヴァーグナーはだめ。あんなの聴いたら東欧に侵攻したくなるから」(「マンハッタン殺人ミステリー」)とか「レコード屋にいたら金髪で馬鹿でかいやつが変な風な笑い方で、今週のセールはヴァーグナーです、だなんて意味ありげにニヤニヤしやがって」(「アニー・ホール」)などと言ってる。
 ぼくの持っているCDはカラヤンがわざわざ東ドイツで録音したもの。ドレスデン・シュターツカペレの弦楽器が奏でる渋い音色がなかなか魅力的な演奏なのだが、そのブックレットが興味深い。輸入盤なので、歌詞は原詩のドイツ語、それに英訳、仏訳。最後、ザックスが「マイスターを侮るなかれ」と歌うシーン。「それ故汝らに告ぐ。ドイツのマイスターたちを敬い給え、さすれば良き精神をその身に得ん!神聖ローマ帝国は潰ゆとも、聖なるドイツの芸術は不滅ならん!」などとドイツ精神高揚みたいな歌詞だ。英訳はこれを忠実に訳しているのだが、仏訳には「ドイツ」の「ド」の字もない(まあ、フランス語では「ドイツ」ではなく、「アルマーニュ」だから「ド」の字はないんだが、そういうことではなく)。「ドイツ」はすべて「私たちの国」となっている。「聖なるドイツの芸術」は「聖なる芸術」だけ。
 この仏訳と英訳の差こそ、直接ドイツに占領されたかされないかの差であろうと思う。この演奏が発売された1970年において、まだフランスではこのオペラに繰り返される「ドイツ」という国名に不快感を感じる人々がいたのだ。
 同じ連合国に属しても占領された、されないで、これだけの温度差がある。ましてや、占領した方と占領された方の温度差たるや、想像にあまりある。このことを忘れてはならないと思う。
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国立歴史民俗博物館2

2005年08月25日 10時35分41秒 | 観光

 行ったことがないんだけれど、大阪と奈良の県境にある生駒山。そこが宗教街になっているらしい。行ってみたい。その典型的な建物が展示してある。宗教と言っても、信者数0~数人、あるいは数十人という小規模なものが多いとのこと。行きたい、見てみたい。観光の心がうずく。はっきりした教義などなく、占いや悪縁断ちのようなまじない系統も多いみたいだから、たぶん宗教法人として認可されていないものも多いだろう。わけのわからないものを「迷信」として退ける近代的態度のすぐ横に、ずっとこういう心情が残っている。まさに民俗学のフィールドである。


 和歌山県の加太淡島神社の絵馬。雛、である。そして祭神は少彦名命。天皇の穢れを背負い流される神。淡島もそう。イザナギ、イザナミの神が最初に生んだのは蛭子。葦で作った船に乗せて海に流してしまう。そして次に生まれたのが淡島。ところが話が単純でないのは、世の習い。実はこの淡島と淡島神社の祭神が同じかどうか、あまりはっきりしない。これは今後のぼくの調べる課題にしておこうと思う。


 大正から昭和にかけての風俗も展示してある。レトロな感じが面白い。大阪の市立博物館もそうだったが、この一角はなんだかカレー博物館とかのノリ。実物大の展示は大変楽しい。ここじゃなきゃできない、という感じ。

 ほかにもぼくがフィールドで入った広島県西城町の荒神神楽の舞台や、そう、特筆すべきは関東大震災での朝鮮人虐殺、被差別の問題など、公の博物館があまり展示しないようなものまできちんと展示してあることだ。木地師や山窩、猟師など民俗学には差別の歴史もまた含まれるのだ。

 展示を見て回ったあと、ミュージアムショップでおみやげてんこ盛り買ってしまいました(全部自分のだけど)。売ってるものもなかなか楽しい。場所は京成佐倉から徒歩15分、佐倉インターから車で10分ぐらいのところ。関東近県の方、是非お勧めのスポットです。
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オペラトーク

2005年08月25日 00時00分33秒 | 観光
 新国立劇場横の通りは「オペラ座通り」らしい。文字を書いたゼッフィレッリはイタリアの巨匠らしいが、ぼくの世代からすると、巨匠というよりヴィスコンティの助監督って感じなんだが、それは感覚としてあまりにも古いか。


 さて、新国立劇場でのオペラトークに行ってきた。
 9月に上演される「ニュルンベルクのマイスタージンガー」について、演出のヴァイクル、指揮者のレック、それに新国立劇場の芸術監督ノヴォラツスキーが出演、司会は日本ワーグナー協会の理事さん。
 いろいろ興味深い内容だったが、その中で特筆すべきはやはりこのオペラとヒトラーの関係について。
 ナチの大会での入場行進曲として使われ、またそのドイツ万歳的な内容について、音楽とは別の次元での議論がまとわりついてきた。戦前はナチス式敬礼が演出に取り入れられたり(それを拒否したクナッパーツブッシュは、ヒトラーに干される)、逆にバイロイトでの演奏が戦後復活したときには、「ドイツ」という部分は演出的に小声になったり(この演奏を指揮したのは、やはりクナッパーツブッシュだった)。
 
 演出のヴァイクルさんは、このオペラでのベックメッサーの描き方にいつも不満を持っていたと言う。ベックメッサーを悪者として描き切れていない、と。ベックメッサーは国家主義・反ユダヤ主義を象徴し、そして祝祭の場で排除されていく悪者なのだ、と。作品の内容には国家主義や反ユダヤ主義は存在しないんだ、と。
 ワルターという今までの慣習とは別の原理を持った青年に対して、主人公ザックスは肯定し、ベックメッサーは違う、ということだけで拒否する。その偏狭なナショナリズムを否定したのが、このオペラなのである、と強調していた。
 指揮者のレックさんは、このオペラがドイツ的重厚さの象徴のように思われている風潮を変えたいと言う。ヴァーグナーのほかの「トリスタン」や「リング」に比べ、逆にイタリア的な軽さとエレガンスがあるのがこのオペラであり、その点を演奏で心がけたい、と。
 観客にも熱心な人が多い。メモを取っている方も一杯いたし、通訳さんが訳す前に笑う人(つまりドイツ語に堪能な人)も数人いらしたし……途中ちょっと飽きて、パンフレットの顔写真にひげ書いたり、眼鏡書いたりしてたわたしとは大違いだ。
 それにしても1度のオペラを2度楽しめ、またより深く味わうことのできるこうした企画は素晴らしい。いよいよ本公演が楽しみ。
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国立歴史民俗博物館1

2005年08月24日 12時47分05秒 | 観光

 「縄文対弥生」を見に国立博物館に行ったのに、もう一方の当事者国立歴史民俗博物館に行かないのは申し訳ないだろう、ということで、行ってきました、国立~俗博物館(中略)。
 民俗学は学問として歴史学、考古学、民族学(あるいは人類学)、宗教学と隣接していて、人々の生活、風習、信仰、伝説などを研究する学問。アナル派の歴史学に近いかもしれません。
 さて、興味深かった展示をいくつかご紹介致しましょう。

 形代
 人々は自分にたまったけがれをこれになすりつけて、焼いたり流したりしたのでした。つまりひな人形の原型。

 笠森稲荷大明神
 笠森稲荷っていうと「笠森稲荷のお仙」で有名な上野谷中、それから品川戸越の笠森稲荷が有名。上野と品川。これを聞いて「お!」と思ったあなた、あなた落語好きですね。そう、どっちも色町を後ろに控えた場所。「死んだ金 生かして使う 山の客」(山の客ってえのは、上野の坊さんのこと。吉原でのいいお得意さんだったらしい)。
 「笠森」は「瘡守」に通じ、「瘡」除けの神社なんですね。で、ここで言う「瘡」はもちろん天然痘も入っているんだけれど、それ以上に「梅瘡」、現代で言う「梅毒」。
 「横根の一つもはらねえで一人前の男と言えるかい」などとやせ我慢しつつ、当時不治の病であった梅毒に対して人々はおそれおののいた。でも、ここが江戸っ子のすごいとこなんだが、どうせ治らないなら笑い飛ばしちゃえ、とせっせと川柳を作ったり落語のネタにしちゃう。
 「すっぱりと直りましたと鼻が落ち」
 すごいね、江戸。
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牛久大仏

2005年08月17日 14時30分59秒 | 観光

 そりゃ、ま、そうなんだろうけどさあ、「大迫力」か。慈悲とかじゃないのね。ゴジラ像じゃないんだから、仏像に大迫力求めてもしかたないような気もするが。
でも、素直ですから、言われた通り見上げてみる。

 う~ん、たしかに迫力だ。
 きれいに手の入った花畑に屹立する巨大な仏像。120メートルの高さで、世界一だそうだ。すてきなバブルの香りがする。場所は茨城県牛久。まわりには何もない。そんなところに、こんなものがいきなり存在している。風景としてはまぬけな感じがいなめない。
 さあ、中に入ってみよう。
 ヤンキーの土禁(土足禁止)カーに乗るみたいにまず靴を脱がなければならない。まあ、ヤンキーは茨城の名産品でもあるから、なんとなく納得である。
 係員が一緒に着いてくる。
 急にあたりが真っ暗になる。なんかディズニーランドのホーンテッド・マンションのノリだ。漆黒の闇の中、阿弥陀仏の説教が響く。この闇は我々の無明を表しているのだ、と。イベントプランナーっぽい演出が悪くない。
 説教から解放されると2階へのぼり、エレベーターに乗り、5階へ。5階と言っても80メートルある。茨城で一番高い5階かもしれない。タイから送られた仏舎利などが飾ってある。ありがたいものらしい。階段で一つ降りるとおみやげ屋さんがある。仏像の中に、おみやげ屋。中に病院や映画館がある航空母艦に近いものがあるね。
 その下が蓮華蔵。3300体の金ピカの仏像が奉納されている。一体30万、でかいもので100万らしい。仏像そのものはもうそこにあるので、お金を払うとその仏像に名前が付けてもらえる。名前を付けてもらうのに30万、か。
 台座に出ることもできる。ここでは金箔を買って仏像に貼ることもできる。

金目のものならなんでもいいだろ、と現金貼っちゃう人もいる。5円玉ならまあ、1枚300円の金箔よりはお得か。なんだかな。
 その下では墓地の販売。無料送迎バスもあるからお得だね、とっても。
 テーマパークのような内部から外に出る。こども動物園があり、ウサギやリスに触れる。もちろん、このくそ暑い中、体温の高い小動物になんか間違っても触りたくないので、素通り。時間によっては猿の芸もやってる。なんなんだ、ここは。
 大仏の足下には食堂もあり、ビールや酒も売ってる。寺の中で酒を売っているのは初めて見たかもしれない。
 なかなか不思議な場所であった。

 う~ん、でかい。ゴジラが50mなんだから倍以上。ゴジラなど一ひねりに違いない。戦わせてみたいものだ。
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東京湾大華火3

2005年08月16日 23時27分33秒 | 写真
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高野山

2005年08月16日 16時59分39秒 | 観光
 キーキーキーキー、車輪が悲鳴を上げ続けている。電車は右から左に、左から右に何度も何度もくねる。前の車両が右へ落ちていくかのような激しさでくねっていく。相当な山の中を電車は走る。終点が極楽橋。ここからケーブルカーで高野山に登る。
 高野山は険しい山の中にあるのだが、その山頂は広く開けている。上底が大きく、高さの高い台形を想像してもらうといいかもしれない。その山頂に一大宗教都市が開けている。

 ケーブルを降りた瞬間、バスの大群におどろき。この山頂を時刻表無視で縦横無尽にバスが走っている。すごい。時刻表では20分に一本とか30分に一本とかなのだが、「臨時」と書かれたバスが本来のバスより多く走っている。しかもこの日は平日。ものすごく便がいい。
 このバスに乗って、奥の院へ。奥の院のさらに奥に弘法大師の御廟がある。

奥の院入口。
なんとなく、この奥の院の入口からしばらくは企業の供養費が立ち並ぶ、比較的明るい感じのところだ。その企業独特の味を出そうとしているのか、なかなかユニークなものがある。

新明和工業。昔、二式大艇や紫電改を作っていた川西が前身。格好よかった。二式大艇は船の科学館の前に今でも飾ってある。

会社名はいわずもがな、「福助」である。

日産は働く若人である。若人としてはあまり慰霊されたくないだろうが、まあ、シンボルってことなんだろう。

UCC。同族企業にありがちなんだが、企業の慰霊碑に便乗して、一族の墓があったりもする。

しろあり駆除の協会。やすらかにねむれ、って言われてもなあ。

 なかなか楽しい気分にさせてくれる。高野山いいとこだなあ(って、肝心のところに何一つ触れていないのだが)。
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京都旅行13 八坂神社4

2005年08月16日 15時57分09秒 | 観光

 小丹長者はもちろん細心の注意を払っていた。牛頭天王が眷属を派遣して様子をうかがわせると、千人の僧侶を集めて大般若経を読経させていて入れない。ところが(ここで様々なヴァリエーションがあるのだが、ほかに酔っていたから、とか)、ウトウトしかかった一人の僧侶が一文字読み落としてしまう。その一文字を突破口に牛頭天王は眷属、八王子を率いて小丹長者一族を滅ぼしたのだった。
 困っている異人(外から来る人)を邪険にするか、粗末ながらももてなすか、という話は昔話のパターンの一つだ。弘法大師伝説では、水を求め、くれた所には杖をついたら井戸が出たとか、くれなかった所は水枯れに苦しんだなどという話が日本全国にある。お大師さんも、日本全国で水を求めてんなよ、と突っ込み入れたいくらいである。
 で、ぼくはここに人間を見るのである。三十三間堂のほんとに1000作っちゃったすごい業に対して、1000人の僧侶の一人が読み落とした一文字故に滅んでしまう、そこに小丹長者の人としての弱さを見る。三十三間堂から鞍馬、八坂と、建築物を回り、別に誰かと口をきくでもないのに、実に多くの人間に出会った気がする。
 八坂から清水を散策し、先斗町でお蕎麦を食べて京都の旅はこれでおしまい。
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京都旅行12 八坂神社3

2005年08月16日 15時05分47秒 | 観光

 中に神泉苑とつながっていると言われる泉(龍穴)をもつ本殿

 疫病調伏のため祈られた龍神が、逆に疫病をもたらす神と習合する。正反対のようだが、実は「疫病」に対して力を持っているという点においては同じなのだ。つまり疫病を調伏する神に「疫病から救って下さい」と祈ることと、疫病をもたらす神に「もたらさないでください」と祈るは同じなのである。そこで龍神が牛頭天王と習合する。
 牛頭天王の伝説はこんな感じだ。
 牛頭天王が妃を求めて南に行く途中、旅に疲れ、小丹長者に宿を求めた。しかし心の狭い小丹長者はこれを拒否、一族を挙げて牛頭天王を追い出してしまう。次に蘇民将来という貧しい人のところで宿を求める。貧しいのでロクなもてなしはできないが、と謙遜しつつ最大限のもてなしをする蘇民将来に対して、牛頭天王は妃を求めた帰りに疫病神となって小丹長者を滅ぼしてやる、と言う。小丹長者に娘を嫁がせている蘇民将来は「娘だけは助けて下さい」と願う。では目印に茅の輪(柳の枝、桃の木などの伝承も多い)で「蘇民将来子孫」というお札をつけておけ、と命じ、南で妃を得、八人の王子を連れて小丹長者を滅ぼすのである。
 そこで疫病を避けようと願う人々は「蘇民将来」の札を買い求めたり、茅の輪くぐりを行うのだ。
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今日の猫

2005年08月15日 18時38分11秒 | らくがき


 暑いよねえ。
 猫としてもやってらんないわけよ。
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東京湾大華火2

2005年08月14日 20時50分20秒 | 観光


 始まる直前までザーッと雨に見舞われるコンディションでした。
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ホテイアオイ2

2005年08月14日 10時33分50秒 | らくがき
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