毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

Hな音楽

2008年05月30日 11時46分57秒 | 音楽


 学生時代、店でR.シュトラウスのオペラ「サロメ」を買っていたら、先輩と鉢合わせしたことがあった。彼はぼくの持っていた「サロメ」のレコード(そうだよ、CDなんてもんはなかったんだよ。昔、あらえびすとか読んでて、SPの話が出てきたときのぼくの印象をこれ読む今の若い人たちはきっと持っているんだろうな)を見て、それがカラヤン盤であることを知ると、にやっと笑って「すけべだなあ」とあきれ顔に呟いたものだ。
 名盤と評価が高く劇的なベーム盤ではなく、どこもかしこも磨き上げた上にネトーっとくねっていくカラヤン盤を選んだところがきっとその感想を生んだのだろう、と思った。
 当たり前である。
 だって、ぼくはカラヤンがHっぽいから選んだだもん。
 人それぞれ好き嫌いはあるだろうけれど、ぼくは別にカラヤンでベートーヴェンやブラームスを聞きたいとは思わない。バッハもドビュッシーもフォレもカラヤンで聞こうとはしない。でも、シェーンベルクの「浄夜」とかR.シュトラウスとかはカラヤンいいな、と思うのだ(正直に告白するとヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」もぼくはカラヤン盤を持っていた)。
 そう、すべてHミュージック。ぼくはHな音楽が好きなのだ(ほかにもマーラー5番のアダージェットとか、ヤナーチェクの弦楽四重奏曲とか)。
 で、こないだ聴いたのがこのCD。ベルリンフィルの腕っこきチェリスト12人による合奏曲集。ピアソラなどのタンゴを集めたCDも面白かったのだが、これは映画音楽集。以前紹介したマックス・ラーベも参加している(このCDのラーベは昔のアメリカのミュージカル歌手のようだ)。映画はつまらなくても音楽はよかったり(「タイタニック」とか)、聞き進めるのがなかなか楽しいのだけれど(ラヴ・ミー・テンダーっていい曲か? 同じ曲調ならぼくはトゥルー・ラヴの方が好きだ。ビング・クロスビーとグレース・ケリーよかったなあ)、白眉はヒッチコックの「めまい」から「ラブ・シーン」(身も蓋もないタイトルだな)。
 ああ、この弦楽器特有のうねり感。とてもH。それにこれ、すごく「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲に似ている(誰です、フェリーニの「道」のあのテーマってドヴォルザークの弦楽四重奏曲そっくりとか言う人は)。ああ、いっそ、このうねりの海に溺れてしまいたい。
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初心者のための荒川サイクリングロード案内(1)

2008年05月29日 10時52分34秒 | 観光
 葛西臨海公園から熊谷までのおよそ90kmをご案内。
 ロードバイクを買ったのが去年の3月。走るところすべてが初めての道で、乗るたびにわくわくしたものでした。そんなある日、荒川サイクリングロードってものがあり、それを使えば、森林公園や熊谷に行けるんだと知りました。いやあ、そのときの興奮といったらありません。
 年を重ねることが、興奮の引き出しを増やすことだとしたら、年とることも案外いいことなのかもしれませんな。
 ポール・エリュアールの詩にこんな一節があります。

Vieillir c’est organizer
Sa jeunesse au cours de temps

 年をとることそれは青春を
 時の流れの中で組織化することだ

 ただ漫然と年をとるのではなく、自分の青春を時の流れの中で組織化し直していく、そういう年の取り方。そんな年の取り方をしていければ、いや、そうしていこうという姿勢が大切なのですね。ポジティヴに年をとる。

 と、再び荒川に話を戻して。
 で、何度も迷いながら、初めて森林公園へ行ったときは嬉しかった。何かをなしとげた気持ちがしたものです。調べたら去年の5月。初めての輪行でした。
 いろんなwebページで情報を集めて、あっちだこっちだと行った荒川サイクリングロード。今回はその恩返し企画。
 初心者のための荒川サイクリングロード案内(って、ロードバイク買って1年のわたくしも自転車に関しては立派な初心者なのだけれど、荒川にはよく行くので)。地図が載っているサイトはあったんだけれど、それでも迷ってしまう人のために(それはぼく自身なのだが、でも66億人の中にはぼく程度の方向音痴は少なからずいるはずだ)。


 出発は葛西臨海公園。向こうに見えるのが浦安のネズミ帝国御用達ホテル。


 臨海公園内の表示板。観覧車そばにあります。葛西臨海公園は西側が荒川サイクリングロード、東側が旧江戸川健康の道(そこから江戸川サイクリングロードへ行ける)につながり、自転車好きにはたまらないところ。


 表示に従って、進むと中川河口にぶつかります。道なりに右に。ちなみに無理に左折、直進すると海に落ちます。中川の土手の上が自転車・歩行者専用道路になっているので、そのまま3kmほど北上します。


 清河大橋とぶつかります。この巨大な橋で、中川左岸、中川右岸、荒川左岸を通り越して荒川右岸まで一気に渡ります(川の場合、右岸、左岸は河口に向かっての右、左)。


 橋を下りて川の方に戻るとこのような場所になっています。これを左に曲がります。


 左に曲がると、右にこのようなものがあるので、ここから中に入ります。車やオートバイが進入できないような車止めで、この先いくつもあります。
 この車止めを自転車降りずに行けるかどうかに自転車乗りのプライドがかかっていたりします。


 これで荒川に入ります。前に見える橋が今渡ってきた清河大橋です。ここを過ぎるとややこしいことはしばらくありません。逆に、それだけ単調になります。21世紀の社会情勢が複雑さとの戦いだとすれば、荒川下流は単調さとの戦いなのです。戦いを恐れては社会にも荒川に挑むことはできません(←なんだそりゃ)。


 葛西臨海公園から6.5km地点(これから距離表示はことわりがない限り葛西臨海公園起点)の荒川ロックゲート。旧中川と荒川に高低差があるために、このようなロックゲートで船の高さを調節します。去年の11月、国土交通省の船でこのロックゲートを通過してみました。国土交通省いろいろ言われているから、今年は中止かなあ。


 20km地点。荒川サイクリングロードにはあまりお店その他がありません。そこでこうした店は貴重な、トイレ休憩所&水分補給所になります。夏は冷房がなによりのごちそう。サイクリングロード沿いにもトイレはあるんですが、あまり入る気にならなかったりするので。


 その向かいにある、あらかわ福祉体験広場。別にどうってことのない施設なんだけれど、車椅子の体験乗車ができます。ここらへんで、最近できた舎人ライナーと交差します。


 25km地点の岩淵水門。赤水門、青水門があり、写真は現在は使われていない赤水門。
 このそばに荒川治水資料館があり、展示などなかなか興味深いものがあります。ここもトイレ休憩にもってこい。


 荒川を走っていると、どうしてこの部分だけ舗装していないんだろう、という箇所がいくつかあります。未舗装が走りにくいのは言うまでもないんですが、なんか変なものを埋め込んである、この部分はもっと罪作り。滑ります、ここ。ぼくも1度こけそうになったことがあるし、こけている人を2,3度見かけました。荒川ローディーの間では「フジツボ」と呼ばれている場所です。


 フジツボからしばらく行くと、右に野球場があります。そこを左へ上っていきましょう。このまま直進でも行けるのですが、不愉快な未舗装路があるので、ここを上がって行った方が快適です(どうせ直進でも最終的に上りは一緒ですから)。
 ここを上ると朝霞水門35km地点。ラジコン飛行機やアマチュア無線の人たちの車が停まっています。

続きは初心者のための荒川サイクリングロード案内(2)で。
 
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初心者のための荒川サイクリングロード案内(2)

2008年05月28日 07時49分38秒 | 観光
 朝霞水門からゴルフ場(ここのゴルフ場がおっかない。ろくなフェンスもないすぐそばでカッキーンと打ってる。いつかけが人が出るまでこの状態が続くんだろうが、改善のきっかけ―――人柱って言うな、こういう場合―――にはなりたくないものである)横を通ると秋ヶ瀬橋(39km地点)に出ます。


 信号を渡り、前に進んだら、この橋を右に渡ります。荒川右岸から左岸に移るわけです。
 荒川は河川敷が広大なので、いかんせん橋が長い。しかも高い。高いところがコワイぼくは、最初ヒーヒー言いながら渡ったものでした。
 橋を渡り切り、下に降りると左に入る道があります。その道に入ると、秋ヶ瀬公園、それから先日ここに載せた桜草公園に行くことができます。
 そちらから秋ヶ瀬公園を通って行くこともできるのですが(それだとトイレ&自動販売機もあり)、車と同じところを通過しなくてはならない上、馬鹿みたいにスピード出す車が多くストレスになるので、ぼくは通りません。
 秋ヶ瀬橋を渡りきって下に降り、左に入らず直進、少し上ります。


 すると、浦和ゴルフクラブの表示がありますので、左折、すぐにカーブがあるのですが、無視してそのまま直進します。秋ヶ瀬公園とゴルフ場を隔てた土手の上を進んで行くことができます。


 これがそのカーブ。左にカーブしながら降りていく道があるのですが、これ行っちゃうと秋ヶ瀬公園への道になるので、無視して直進です。


 ほんの少し行くと、このような車止めがあるので、この車止めを突破、おじさんたちの方へ行きます(なお、あなたが行く日におじさんたちがいるとは限らないので要注意です)。


 羽根倉橋に出ます。この信号を渡り、左斜めに降りていきます(車が多いので、ここは注意して下さい)。


 車が見える右の道に入ります。ちょっとの間、車と同じ道を走ることになりますが、すぐに自転車専用になります。


 このような標識がこのあといくつかあるので、それに従って下さい。
 ここらへんのたんぼは実に見事で、これからの季節、走っていてとても気持ちのいい場所です。


 約55km地点。上江橋。国道16号線にぶつかります。
 ここでそのまま進むのもいいのですが、サイクリングロードを降りると、山田うどん、山田うどんを通り過ぎると、いくつか食事できるところがあります。補給、休憩、食事などに活用できると思います。


 上江橋を国道16号線と並行して走ります。この橋も長いです。


 橋の途中で自転車道の分岐がありますので、左に入ります。
 直進して橋を渡りきって小江戸・川越を散歩するのも楽しいです。

 次回最終回 初心者のための荒川サイクリングロード案内(3)へどうぞ。
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初心者のための荒川サイクリングロード案内(3)

2008年05月27日 07時50分05秒 | 観光
 さあ、荒川サイクリングロード、熊谷への道。最終回。


 約60km地点。入間大橋。ここは荒川サイクリングロードと入間川サイクリングロードとの分岐点になります。秩父に行くとき、ぼくは入間川サイクリングロードを使います。ここでは直進。車道の右、トラクターのいる道へ行きます。
 この先にホンダエアポートがあります。トイレ、冷房、自動販売機があるので、補給所に使えます。


 約70km地点。ここを右折、小さな橋を渡って行きます。


 信号のない横断歩道がありますので、左右に十分気をつけて、あとは気合いで渡り切っちゃって下さい。ここが吉見の桜堤です。両脇から桜が茂り、桜のトンネル状態です。春は素晴らしい季節ですが、それ以降は毛虫との戦いになります。荒川はさまざまな戦いを提供して、ややもすれば平板に流れがちなわたくしたちの精神生活を鼓舞してくれるのです。


 吉見総合運動公園管理棟。ここにもトイレ、冷房、自動販売機が完備。スタンドのないロードバイクを考慮して、ちゃんと自転車用のバーも備え付けてあります(鉄棒ではありません、という表示がいい)。


 水管橋(約78km)。これからの季節は虫との戦い(なんかだんだん、無駄に戦ってるような気もしてきたが)。バッタミサイルやトンボボンバーだのの虫アタックは結構痛い。いや、ほんと、痛いんだこれ。あと、口あけて走ってると、たまに口ん中に虫が入ってくる。苦いけれど、サイクリング中のタンパク質補給だと前向きに考えましょう。


 水管橋を過ぎると大芦橋に着きます。今度はこの橋を右に渡ります。まっすぐ行けるんですが、行っちゃうと違う川になっちゃう(ちゃんとやりましたよ、そういうことは、一通り。迷うことに関してはかなりの腕前っすから)。
 右に渡ったら、再び土手の道を進みます。荒川パノラマ公園あたりのコスモスがきれいなので、秋はまた目を楽しませてくれます。
 土手の真ん中にサイクリングロードがあるんですが、そちらには行きません。車があまり来ないし、こちらの方が圧倒的に道がいいので、土手上の車道を通ります。


 ところが、今回は途中(83km地点)で通行止め(6月7日までの工事らしい)。
 仕方がないので、土手を降り、そのまま土手と並行して一般道を走ります。


 しばらく走るとこのような立体交差がありますので、土手の方に左折します。


 すると、土手に復帰する道がありました。
 これで土手上を走るのですが、ここは未舗装。ちょっとの間我慢して砂利道を走れなければなりません。


 このとってつけたような舗装はなんのため、と小一時間。


 そんなこんなで荒川大橋に到着(約89km)。ゴールなのに、工事中でいい写真が撮れませんでした。
 この橋を渡らず、右に降りればすぐに熊谷駅です。ここからは迷うようなことはありません。すぐです。決して迷いません。
 え? でも、熊谷までの写真くらい載せてもいいじゃないか、これじゃ尻つぼみじゃないか? と。
 すみません。いやあ、迷うはずのないところで、実は迷ってしまったのです。


 気が付いたら、熊谷の2つ先、深谷駅に着いていました(どうして!?)。宮殿みたいな駅で、思わず焼き肉のタレを思い出してしまいました。自動販売機も煉瓦模様。いやあ、迷うはずないんだけどなあ。まあ、なんというか、ぼくにとって、迷いの闇は果てしなく暗いってことなのだな(←ただの方向音痴)。
 というわけで、四季を通じて、なにかしら花が咲いていて、自然が残っていて素敵な荒川サイクリングロード。90km近くずっと平地だってところが、またすごいっす。
 なお、途中の案内表示に従えば熊谷ではなく、森林公園に行けます。そちらにも是非どうぞ。では、すてきなサイクル・ライフを!
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葛西臨海公園

2008年05月24日 13時46分21秒 | 観光


 ようやく風邪が治って、朝走るのも復活。北に向かう朝霞水門40kmコースと南に向かう葛西臨海公園60kmコース、その日によってどちらかを走ってる。
 帰りの向かい風はイヤなので、北風のときは北に、南風のときは南に(嫌いなものから食べる習慣なのだ)。最近は朝から南風が吹くことがあるので、葛西臨海公園に行くことが多い。
 今日は猛烈な南風。ひいひい、ゼーハー言いながら進んで行く横をものすごいケイデンスで抜き去って行く人たちがいる。細いんだけれど、筋肉たっぷりのふくらはぎが蒸気機関のようなスピードで上下していく。鍛えればいつかあんな風になるんだろうか?
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高橋源一郎「日本文学盛衰史」

2008年05月23日 11時28分50秒 | 読書
高橋源一郎「日本文学盛衰史」            講談社文庫

 ソッ、ソッ、ソークラテスかプラトンかあ、ニイ、ニイ、ニーチェかサルトルかあ、みーんな悩んで大きくなったっ!
 覚えてる?
 この本は、そんな風に悩んでいた人たちの物語。
 ふざけんな、内面ってものがあるだろう? どこにあるんだ? え? 白状しろよ、と近代ってものをいきなり突きつけられて、内面を探す旅に出た人間、出たっきり帰らなかった人間、途中であきらめた人間、どこにも行かずに言葉を探した人間、さまざまな人間たちが、「小説を書くためにはまず言語を作り出すことからはじめなければならない時代であり、国家というものがまだ手で触れることのできるものであると信じられた時代」を生き、さらに「もうそのどちらもほんとうには理解できなくなっていた」啄木の世代に至るまでの苦悩、煩悶、苦しみ、悩み、欲望と希望と絶望がここにある。
 ここは、だからなのか、なぜかとても寂しく悲しい世界だ。
 幸徳秋水と啄木とを交互に登場させるシーンの悲しい美しさ、独歩が二葉亭四迷の翻訳にようやく言葉を見つけたときの清新なきらめき、北村透谷の切々とした告白、漱石の「こころ」を巡る推理と啄木の悲しい決別、ぼくの読んだ文庫本では660ページの大部だったけれど、どこも退屈することなく読み通してしまった。
 ずいぶん前に出た本なので、いまさらって感じなのだけれど、最近読んだ本の中でも出色の小説。

 この時代を描いたマンガに、以前アップしたのだけれど、「坊っちゃんの時代」というものがあり、それも秀逸。お勧め。これを先に読んでからだとよりイメージがつかみやすいかもしれない。
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善知鳥

2008年05月16日 10時15分53秒 | 音楽
 こんなものがCDで手に入るなんて、素晴らしい時代だ。お謡は昔、カセットでいくつか持っていたけれど、何度も聴いているうちにテープが伸びてしまって聴けなくなってしまった。
 このCD第1集には「善知鳥」(「うとう」って読むんだよ)が入ってる。これはぼくが一番好きなお謡だ。いや、逆にぼくはこれを知ったから、能が好きになったのかもしれない。この謡にはいろんなことが詰まってる。
 舞台はみちのく外の浜。外の浜ってフランス・ブルターニュのフィニステールと同じ。要するに世界の果て。人外の地。ぼくはね、いつも思うんだけれど、日本人て、関東から西に、名古屋、大阪、広島、そして北九州か福岡を貫く東西軸(もちろん、これは東西逆の方向でもいいんだよ)を意識することは多いけれど、北海道から関東までの南北軸ってあんまり意識していないんじゃないか。
 日本史で東北や北海道って、どこまで登場していました?
 この能の舞台はそんな地の果て、外の浜。フランスのフィニステールも、意味は地の果てだもんな、一緒だ。あそこのそば粉を使ったガレットがうまい、なんて最近言われているが、だいたいそば粉を育てていること自体、貧しい土地がらなんだよ、おしゃれとか言ってんなよ。そんなやつはそば粉を育てるくらいしかなかった長野に来て虫食えよ。虫。ぼくは子どもの頃からイナゴの佃煮食べて育ってるから、なんとも思わなかったけれど、あるとき弁当のイナゴ食べてたら、回りがギャーギャー騒ぐから、ああ、これはポピュラリティーに欠ける食べ物なのだと中学になってから知った。蜂の子を食べてたら、ウジだって言われたし。ざざ虫にいたっては………。
 閑話休題。
 まず、能にお決まりの諸国一見の僧ってのが出てくる。彼はみちのく外の浜を見たことがないから、行ってみたい、と。で、素直に直行すりゃいいもんを、その途中立山に寄っていく。
 で、立山地獄に来て、あまりの風景に驚く。目の前に広がる地獄を見て、彼は思うんだ。「この風景を見て恐れない人の心こそ鬼神より恐ろしい」と。
 立山曼荼羅ってえのがありました。そこでは、鬼に責められ苦しめられる様々な人々が描かれていました。針山だの、血の池だの。でも、この謡では、そうじゃないんだ、と言ってる。立山の地獄よりも、それを見て恐れない人の心の方が鬼神より恐ろしい。地獄を内面化しているわけです。地獄は、決して外にあるんじゃない、地獄とは、あなたの心ですって、銭形みたいなこと言ってる。
 これはすごいことなんです。
 だって、それまで儀式、儀礼、そのほか人々が守ってきた禁忌ってあるじゃないですか。それはそれだけど、でも、何かをやるかってえより、内面の方が大事じゃね? って言ってるんですよ、この謡は。陰陽師が活躍し、その後武士が活躍した中で、でもさ、儀礼とか、たとえば、方たがえとか、あるいは武力もいいけど、そうしたものが現実に影響を及ぼすと思われていたところに、いや、ほんとに大事なのは、人間の心なんじゃね? って、それまでのほとんどすべての歴史にアンチテーゼ出しちゃってるわけですよ、これ。
 西欧の宗教革命と同じ文脈なんですよ。行いじゃないんだ、信仰なんだ、と。
 で、この謡は、たとえばダンテの「神曲」との地獄観を比較してもすごく面白いだろうし、蓑傘たむけてくれっていうところからそれのフォークロアを探り出しても(たとえば一言主とか)興味深いし、「鬼」ってなんだろう、っていう質問へのひとつの答えのヒントにもなるだろうし(日本の鬼って、西洋の狼男の要素も持っているんですよ、実は。考えれば考えるほど、いろんな多面性があって、ぼくは鬼が好きなんです)、あと士農工商なんてのも室町時代のこの謡曲に出てきて、で、主人公は士農工商に所属してないから、あらあら、なんてことになってしまうし。
 とにかく、この謡は面白い上に、訴えるところが大きくて、ぼくは大好きなんですな。って、最初の数十秒分しか紹介してなくて、大好きなんですな、などと言われても困っちゃうよね。
 全部で第3集まであるんだけれど、ひとつ約5万円。関係者以外で全部揃えた人はえらい。
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響け、バッハよ、朝霞の空に

2008年05月15日 10時25分22秒 | 音楽
 気象庁、てめっ、こら。きみ、今曇りだって言ったよね? 現在、この瞬間曇りって言ってるよね? じゃ、なんで外は雨なんだよ? 予報以前の事実すら間違ってんじゃんかよ。最近、晴れるだの、曇りだの言って、雨ばっかじゃんか、どうなってんのよ、え、どうしてくれんのよ?
 なんて、ストレスためまくった1週間でしたが、ようやく東京に久しぶりの青空が戻ってまいりました。ばかばかばかばか、もう、一生会えないかと思ったよ、なんて青空の胸を叩いて泣きじゃくった朝5時。
 昨日の晩、「東京は久しぶりの晴れです」という予報にはしゃいじゃって、10時にはベッドに入ってしまった。遠足前の小学生かよ。そのくせベッドに入っても眠れなくて、ウィスキーを飲みながら本を2冊読んでしまう効率の悪さ。ばか、である。
 で、5時に起きてヨーグルトを食べて出発。ほんと、久しぶりの自転車。仕事前に軽く40kmほど走って来よう。田端を経由して隅田川を渡って、荒川サイクリングロードへ。ここまでで約6km。ああ、荒川のそばに引っ越したいな。
 今日の荒川は昨日までの雨のせいで至る所に水がしみ出している。濡れた路面が乾ききらないんじゃなくて、土手から雨水がしみ出してくるのだ。たったこれだけの土手でこんなに水分をためておくもんだ、と感心する。土手でこれじゃあ、山を崩すだの、森を伐採するなんてことはうかつにはできないな。
 ぼくの自転車には泥よけがないので跳ね上げた水が身体にかかる。背中とお尻が冷たい。
 そんなこんなで6時過ぎには20kmポイントの朝霞水門に到着。見慣れた風景だけど、やはり水面の美しさ、ちょっと奇妙な風景が楽しくて、ウォークマンを聴きながら少したたずむ。
 今日入ってるのは、「青柳の堤」っていう、イギリス音楽集、それから忌野清志郎30周年コンサート、小菅優、桂米朝「珍品集」。とりとめのない選曲だ、我ながら。ぴっとスイッチを入れると小菅優の「カーネギーホール・ライヴ」がかかった。
 曲は、J.S.バッハのシャコンヌ(ブゾーニ編)。
 水門の手すりに自転車をたてかけ、ボトルのアクエリアスを飲みながら音楽を聴く。青空が川面を照らしている。ああ、いい気分だ。
 ほほう、変わった演奏だ。最初、こういう弾き方に必然性を感じなかったのだけれど、途中からその弾き方に説得力がましてくる。
 彼女はなんの衒いも狙いもなく、その楽譜を見て、そのような音楽を感じているんだろう。音楽は不自然な誇張などなく、耳新しいまま響いていく。
 そこにはまるで新しく手つかずの、ぼくたちの知らない音楽が生まれてきている。だけれど、きっと彼女は新しいことをしようと思っていたわけではないんだと思う。彼女には、その音符はそう聞こえちゃうんだろう。そしてそう聞こえちゃう音符をそう聞こえちゃうままに弾いているんだと思う。もちろん、そう聞こえちゃうままに弾くということは大変なことなんだけれど。
 表現の幅の広さがすごい。
 うーん、うなってしまった(いろんな意味で)。
 仕事があるからこの1曲で終わりにして帰路につく。
 これは偽物なのか、本物なのか、ぼくには、この1曲で判断はつかないけれど、いい、悪いは別にして、たいそう面白いシャコンヌであったことだけは確かだ。
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長山靖生「偽史冒険世界」

2008年05月14日 09時49分41秒 | 読書


         長山靖生「偽史冒険世界」  ちくま文庫

 刺激的な良書。
 いわゆる「と学会」の一環なんだけれど、その内容は実にわかりやすく、また面白い。
 内容は、今まで連綿と続いて存在してきた「偽史」や「陰謀史」が成立した、その背景、あるいは、そこに潜む願望などを露わにしたものだ。


「偽史運動や戦前の冒険小説みたいな世界観は、いわば最も典型的な通俗の空想世界である。そのご都合主義でロマンチックな空想は、現実的な苦悩や悲惨さを持たないがゆえに、大衆に広く受容されてきた。やたらに威勢がいい物語世界は、現実社会から疎外されていると感じている人々、自分が社会で必要とされていないと感じている大衆を引き付けたのだ。面白いのは、多数派であるはずの大衆が「自分は社会から疎外されている」と感じ、現実から目を背けたがっているということだ」(「偽史冒険世界」)
                   

 義経が実は死なずに蝦夷に渡り、そこからモンゴルに渡ってジンギスカンとなった伝説に始まり、竹内文書まで、めくるめく偽史の歴史と背景が物語られている。
たとえば江戸時代林羅山の「本朝神社考」には義経の項目はあるものの、義経が蝦夷へ渡った記載はない。しかし、その子林春斎の「本朝通鑑」は義経の島渡り伝説が最初に記載された歴史書となる。
 そして、この本は、その親子の書いた2つの本の間にシャクシャインの乱が勃発し、幕府は蝦夷地が日本領である「物語」を必要としたのであった、と主張する。なるほど、と思う。
 物語をバカにしてはいけないのだ。戦前、戦中、どれだけ軍部が自分たちに都合のいい物語を必要としたか、あるいは北朝鮮のキム・イルソンがどんな物語をもって登場したか考えてみれば物語の重要性がわかるだろう。
 そして義経の島渡り物語によって、アイヌ侵略は、義経以来日本領となっている蝦夷地の領土回復となった。
 ちなみに、モンゴルに渡って云々というのは、江戸初期の系図偽造家沢田源内に始まり、伊藤博文の女婿末松謙澄がグリフィスというイギリス人名義で書いた偽書「義経再興記」によるものらしい。明治時代の伊藤博文の女婿というところがまたいい。海外進出をわれわれは長い間忘れていたが、かつての日本人は世界で活躍していた、という明治人にとってたまらなく魅力的な物語だったのだろう。
 で、決定打が大正になって著された小谷部全一郎の「成吉思汗ハ源義経也」であった。
 この書の主張は、こんな風だ。
① 義経は衣川で死ななかった
② 義経は蝦夷に逃げ、アイヌは恭順した
③ 蝦夷海を渡って大陸に入り、人々を教導してモンゴル帝国を築いた
④ 満州、蒙古、シベリアとは古くから交流があり、日本人と同じ血が流れ、文化、宗教、言語に共通するものが多い
⑤ 現在の蒙古、清朝王室はジンギスカンの子孫であり、つまり源氏の末裔
⑥ したがって、満州、蒙古、シベリアの人々と日本は一致団結し、共同体を建設することができる

 いつの間にか、義経伝説にきな臭い匂いが漂い出すのだ。


 「これは大東亜共栄圏の物語に「過去の歴史的権利」という正当性を与えるものだった」(「偽史冒険世界」)

 こんな調子でとりあげられるさまざまな偽史・トンデモ起源。
 木村鷹太郎(当時の通称でキムタカと呼ばれていた)のことを調べたくてこの本を読んだのだけれど、それ以上の収穫だった。
 キムタカの主張はものすごく面白いので、興味本位だけでも損しません。
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払沢の滝

2008年05月13日 14時55分46秒 | 写真


 東京で唯一の村「檜原村」。
 いやあ、いいとこだったなあ。
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手紙

2008年05月09日 21時14分29秒 | らくがき
 手紙が書きたい。
 最後に手紙を書いたのはいつだったろう?
 急にそんな変なことを考えた理由はわかってる。
 ぼくは今会社にいて、請求書を書いている。どうしてそんなに面倒な方法で請求書を出させるんだ? 何かのIQテストなのか? と痛感させてくれる得意先が2社ほどある。だからこの時期はぼくの苦手な事務作業がドーンとのしかかってくる。
 高校時代、試験勉強をしているときに思ったもんだ。ああ、本が読みたい、と。試験からの逃避であることは十分承知だった。それでも、英語の勉強なんかしているより、アーウィン・ショウの短編小説をペイパーバックで読みたかったのだ。同じ英語の勉強でも、ちょっと毛色の変わったことがしたかった。ロアルド・ダールが、フィッツジェラルドが読みたかったのだ。
 それと一緒だ。
 請求書を書いているうちに、ぼくは手紙が書きたくなった。
 手紙を書くのは、21世紀において容易な作業ではない。事務的なものなら別だ。でも、ぼくは事務的な作業から逃れたくて手紙が書きたいのに、なぜ、また事務に戻らなければならない?
 事務的な手紙じゃない手紙、20世紀末までは普通に行われていた手紙を送るという作業が成就するためには2つの要素が必要だ。
 1つは、手紙を書くための内容。なぜ、メールじゃなくて、手紙じゃないとだめなのか。
 もう1つは、その手紙を送る相手。メールじゃなくて、手紙を送る相手をあなたは何人持っているか?
 実は、この2つの要素、そのどちらとも、ぼくは持ち合わせていない。1960年代の生まれのくせに、ちゃっかり21世紀っぽい生活をしてしまっている。鳥のいない鳥かごのような、アトムの飛ばない21世紀に。
 ぼくはいつの間にか、手紙を書けない人間になってしまった。
 そしてよくよく思ってみたら、21世紀において手紙を書くには、つまり前述の2つの要素をクリアするためには、旅に出ることと、恋をしていることが必要なのであった。
 20世紀を生き抜いたみなさん、胸に手を置いて考えてください。
 あなたは今までの生涯、誰に宛てた手紙が一番多かったですか? 
 え、恩師? まあ、そういう人もいるかもしれませんな。
 え、両親? はあ、親思いの素敵な方ですが、マザコン・ファザコンの疑いもかけられやすいので注意して人生歩んで下さいね。
 ってえか、恋人におくりませんでした? 20世紀は。1980年は。いや、1980年は送ってないや。1980年、男子校出身のぼくは高校1年生で中学1年からずっと女の子と口もきいてなかったから。友人に手紙を出したこともなかった。
 初めて手紙を出したのは、高校2年のときに女の子と………って、ぼくの打ち明け話がしたいわけじゃないや。
 やはり、手紙は恋人に書きたい。じゃなきゃ、逆に貰っても読みませんよ、そんな手紙(そいつぁ言い過ぎだな)。
 で、場所だって、いつもんとこにいて、手紙は書きませんよ、現在。だって、書く内容がないもん。メールで十分だもん。
 だから旅に出る。
 人によっては旅先で出会った出来事や景色を携帯電話で写メール撮って送るんでしょうが、そこは是非、21世紀でも言葉で感動を綴りたい。綴って自分の言葉で恋人に送りたい。
 いつか、自転車でずっと旅に出たい。
 そのときは、誰かに手紙を書きたいな。 
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長瀞の藤

2008年05月08日 12時58分55秒 | 写真


 
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秩父・長瀞

2008年05月08日 10時31分33秒 | 観光
 ゴールデンウィークの観光地っていうのは、どこも混んでいて、だから出かけたりしなかったのだけれど、なんとなく今年は芝桜を見に行きたいなんて思ってしまって、前もってレッドアローを予約したりして、なんだかピクニック気分な子どもの日。


 羊山公園は朝っぱらからたくさんの人出。
 この日の秩父・長瀞方面は、紅葉の頃の渡月橋並の混雑(すまん。実は紅葉の頃の渡月橋に行ったことがない)。あ、じゃあ、桜の頃の長谷の交差点。これならどうだ。



 桜が散ったあとは、桜草、芝桜と、地面系の桜を鑑賞してる2008年。
 43年間の長きに渡り「花よりダンゴ」の人生を歩んできたわたくしでありますが、最近は少し花もいいもんだな、と。鴨を見て、可愛いと思うようになったし(前は食いたい)、なんだか、もののあわれを感じたりするお年頃なのかもしれませぬな。



 羊山公園を楽しんだあとは、お花畑駅から秩父鉄道に乗って長瀞へ。ひとつ手前の上長瀞近くにある埼玉県立自然博物館が楽しい。ここで岩の褶曲などを見てから現地に行くと、あ、あれもそうだ、と発見があって興味もわくに違いない。
 この時期は野生の藤がところどころ花を咲かせていて見事。岩畳の上の方でひそかに咲いたりして、なかなか風情がある。



 岩畳と藤。
 ライン下りも長蛇の列だし、店は行列。この時期はどこかでお弁当を調達して食べるのが正解かもしれない。



 休日に、秩父鉄道を走るSL。
 希望者が多く乗るのも大変そうだし、だいたい、こういうもんは乗るより外で見ていた方がいいんじゃないか、と思う。
 でも、汽笛を鳴らし、煙を噴かしながら目の前をSLが通り過ぎていくのは、見ていて楽しかった。
 行き帰りのレッドアローはすべて満席。東京から手頃な観光地なのだ。それにしてもこの半年くらいの間にぼくは何度秩父に行っているのだろう。
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