毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

あいちトリエンナーレ 2016

2016年11月29日 23時24分30秒 | 観光
 後発のひかりの方がちょっと先着することを知っていながらも、新横浜のホームにこだまが滑り込んでくると我慢できずに乗ってしまいます。当直明け、崎陽軒のシウマイとビールを片手に豊橋へ、わくわくドキドキ一泊二日のあいちトリエンナーレ旅へ出発です。
 3年に1度愛知県で開かれる芸術祭、あいちトリエンナーレ、2016年は岡崎、名古屋に加えて豊橋もその会場となり、より大規模に多彩に開催されました。どの会場に何が展示されているか、ちゃんと予習して出かけたりせず、今回はほぼノープラン。1日目豊橋と岡崎、2日目名古屋とおおまかな枠組みだけ決めて、事故的に作品と出会いたい、あらかじめそこに何があると知って出会うのではなく、意識することなく事故みたいな感じで作品と出会いたい、そして突然非日常の世界に叩き込まれるような感覚を味わいたいと思ったのでした。
 結果、その思惑が大当たりし、大変実り多い旅行となりました。
 今回はその中でも大変感銘を受けた大巻伸嗣さんの作品を3つご紹介しましょう。


大巻伸嗣《重力と恩寵》
 
 豊橋最初の会場で、雨予報だったのにも関わらず、晴れ上がった空に作品が映えます。中のLEDがまばゆい光を放つ、まさに光の芸術。 


大巻伸嗣 《Liminal Air》
会場に入るとしばらく何も見えません。目が次第に慣れてくるにつれ、何か動いている気配を感じます。感覚が次第に鋭敏になってきます。普段の自分の知覚とは別種の知覚が芽生えてくる気がします。すると、自分の座っている前方で幽かな光をまとった布がはためいているのが見えるようになってきます。自分が何かすごく古いものに触れている感じ、自分自身の中にあるものすごく古い部分が目覚める感じ。DIC川村記念美術館のロスコルームでマーク・ロスコのシーグラム壁画に囲繞された時の感覚に近いものを感じます。


大巻伸嗣 《Echoes Infinityー永遠と一瞬》
 そして愛知県美術館での大巻伸嗣。450㎡の面積を要する色彩溢れる大作です。しかもその作品の上は自由に歩き回れます。観覧者が歩行によって作品に歴史を刻み込みます。
 今回まったく傾向の違う大巻伸嗣の3作品を見ました。しかし一見まったく違うようではあるけれども、どれも普段意識していない感覚をそこに立つ者に呼び覚まし、非日常的なインパクトによって日常を刷新するような作品でした。3年後、たぶんまた愛知に行くでしょうが、そこでまたどんな作品と出会えるのか楽しみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラスコー展

2016年11月24日 21時04分15秒 | 観光


 当直明け、外は雪。一日を満喫するには最高の滑り出し。そそくさと上野へ向かい、上野駅中央地下通路。台東区長奨励賞を受賞した佐宗乃梨子さんの「IZANAMI」を見る。以前藝大の卒展・修了展で彼女のゾンビ造形を見て強く心揺さぶられたことがあって、今回は「IZANAMI」。イザナミもまたゾンビだし、彼女の言う通り「生と死の外側」に。左頬を伝うウジのような造形がすごい。
 それから国立科学博物館でラスコー展。
  
  
  


 もう、最高。いよいよ来月フランスにオープン予定のラスコー4に行きたくて行きたくて。かつてならバタイユを想起したところだけれど、今回は港千尋さんのこんな文章を思いながら見ていた。「イメージには人を沈黙させる力がある。すべてのイメージがそうなのではない。むしろ現代は沈黙させないためのイメージのほうが圧倒的に多い。現代人が一日中見せられているイメージはすべて意味と理解を要求するものばかりだ。その世界にどっぷりと浸かっている人間にとって、洞窟芸術の世界は理解を超える。どれほど知ろうとしても、知りえない、語りえないイメージ。わたしたちが知る何かに対応するものをもたない、意味以前の世界。それがこの世界のどこかに存在する。その奇跡を受け入れなければ、沈黙を護ることはできない。
 闇の奥のそのまた奥で、かすかな灯りに照らされてその人は壁に手を置き、細かく砕いた土の粉を、勢いよく吹きつけた。闇に向かって息を吹きかけるように、誰かに向かって囁くように。
 そして炎は遠ざかる。闇に残るのは滴る水の音ばかり。永い時の彼方に、それをふたたび誰かが見る時が来るかもしれない。いや来ないかもしれない。「永遠と関係をもつこと」は、このイメージとともにはじまったのだろうか」(港千尋「闇への憧れ」)
 実は先日あいちトリエンナーレへ行ってきて、これはそのコンセプトブックにあった文章。なんだかいろんなことがつながりをもっていて、毎日が結構ワクワクどきどき。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平安の秘仏 上野東京国立博物館

2016年11月24日 01時23分53秒 | 観光
 常々、浄土真宗と一神教はどこか通底する部分があるように思ってきた。ほかの何ものにも目もくれない阿弥陀如来への帰依(南無阿弥陀仏)、そしてときに一向一揆にまで発展するその折れない信仰心。たとえば、長島一向一揆に島原の乱の先取りされた幻影を見ることはできないだろうか。
 その浄土真宗が染み付いた土地に生れ、信仰心と商業を高いところで見事なバランスをとって成功したのが、近江商人と呼ばれる人たちだった。信仰心にもとづき、「自利利他円満」「勤労公正」を旨に活動した結果、彼らは経済的に成功を収め、それを寺や仏像の寄進という形で還元した(ぼくはそこにマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を重ね合わせたい欲望に駆られる)。
 そんな彼らが信仰した櫟野寺の改修にあわせた今回の東京国立博物館での展示。丈六の十一面観世音菩薩座像をはじめ、さまざまな仏像たちが立ち並ぶ偉容は見もので、2ヶ月足らずで入場者数が10万人を突破する企画となったことも納得いくし、十一面観世音の一つ一つの顔の説明など見る者にも大変親切な見せ方も素晴らしい。こういう親切な解説に対して「いまさら?」などと言う人間に災いあれ。丈六の観音像がメインであることはもちろんだけれども、右に侍った毘沙門天もまた素敵だった。
 東京国立博物館で12月11日まで
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする