毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

フランス2

2016年12月17日 20時32分39秒 | らくがき


 先日、フランス2夜8時のニュースを見ていて感心したことが2つ。一つはギリシアの年金問題で、緊縮財政中のギリシアが低所得者に一時給付金を出すという報道。これに対して「ギリシアはサンタクロースの役割をするのでしょうが、他のEU諸国は鞭打ち爺さんの役割を果たすことになるでしょう」と。気前のいいギリシアとそれを懲らしめるEU諸国ということを言い表しているんだけれど、これは、戦後サンタクロースがクリスマスに台頭する以前は冬至という光が最も弱まる時期には異界から異神が立ち現れて秩序を混乱させ、そして冬至から光が徐々に強まるにつれ消えていくというヨーロッパの古い伝承に基づいていて、その中の鞭打ち爺さんは、子どもたちにプレゼントをあげるなどもってのほか、子どもたちを貪り食らうサトゥルヌス神が原型(ゴヤにすばらしい作品がありましたね)という恐ろしい異神。しかしその中にアンビバレントな存在として子どもを守る部分がセットとしてあって、それが…… という話は興味のある方はレヴィ=ストロース「火あぶりにされたサンタクロース」を是非。そうした古い伝承が比喩として現在でも通用することに感心したのでありました。
 もう一つはラスコー4完成のニュース。ラスコー洞窟の完全な複製洞窟がいよいよ完成と(いま日本に来ているのは巡回型のラスコー3)。これが日本のニュース番組だったらヘルメット被った女子アナがラスコー4の中で、解説役の中高年の男性から説明を受けて、感心してびっくりするという地獄絵図が展開されそうなのに、ナレーションで淡々と、しかし、なかなか深い内容の解説をしていて大変感心したものでありました。
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早瀬優香子「SINGLES」

2015年12月30日 20時33分15秒 | らくがき
 若い頃深夜何気なくTVをつけたらガールフレンドが歌を歌っててびっくりした。結局他人の空似だったんだけれど、それが「サルトルで眠れない」を歌ってた早瀬優香子さんだった。それ以来何十年たっても彼女はどこかその時の現実と思い込みの不思議な端境を思い出させてくれる。なんとなく新宿のタワレコで懐かしくて、ちょっと早いけれど自分へのクリスマスプレゼントに買った一枚。
 思春期の一時期、一人の著者の著作を延々読んでいるとなんだかその内容が頭に入るというよりもむしろ肉体化される感覚が濃厚になって、それがその後の人の振舞いに大きな影響を与えるような気がする。それがぼくにとって大江健三郎とサルトル。早瀬優香子「サルトルで眠れない」はそんな意味でも忘れがたかったりする。
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温故知新 ヨブ記における神観

2014年11月29日 21時57分08秒 | らくがき


 立ったまま作業するパソコン台を買いました。案外便利に使えてますが、それ以上にPC台導入のために部屋を整理したことでいろんな面白いものを発見できたことが最大のプラスであります。で、なんと10代の頃に書いたレポートのコピーとかも出てきて、今となってはこんなふうな書き方しないなあ、などと思いつつも、なんだか当時のひたむきさを思い出したりして、もうちょっと一生懸命生きようかとも思ったり。そんな文章ですが、せっかくなのでここに載せておきます。ご笑覧くださいな。

「ヨブ記における神観」
 苦悩や苦難を巡る問題は、その起源をはるかに遡ることができるだろう。それはおよそ文明の起源、人間が獣と分離した段階と時を同じくして発生する。ある民族が他の民族から迫害を受けるような、民族全体に関わる苦難にはじまり、病気や怪我、あるいは身内の不幸など個人に関する事柄にまで及ぶ。人間は死すべきものであり、死は当然のことである。しかし人間にとって死は辛いことだ。また逆に、当然であるはずの死が辛いために、人間は時代を超え、国境を超え、常に苦悩や苦難に直面する。
 「ヨブ記」が書かれた頃のユダヤ民族は、まさしくこの苦難のまっただ中で生活していた。矢内原忠雄の「聖書講義第8巻」によれば、「ヨブ記」はその舞台を族長時代においてはいるものの、しかし実際に書かれたのはそれからずっと後、およそバビロン捕囚ころか、それ以降であるという。
 この時代はユダヤ民族にとって苦難に満ち、嘆きに溢れていた。
 繁栄を誇ったダヴィデ・ソロモンの王国がソロモン王の死後、ユダ王国とイスラエル王国南北に分裂してしまう。その後両王国は抗争や同盟を経るが、北のイスラエルはアッシリアによって滅亡する。南のユダは、バビロン王ネブカドネザルによって捕囚される。いわゆるバビロン捕囚である。

「ユダヤ人捕囚民が植民させられた他の場所の地名は、破壊と廃墟を示す。テルアビブ“洪水で破壊されたような場所”、テル・メラハ“塩の丘”、すなわち、何も生え育たないように塩が象徴的に撒かれたような廃墟、テル・ハラサ“陶器片で覆われた廃墟”等である」(A.マラマット/H.タドモール「ユダヤ民族史」第1巻)

「主は敵のようになって、イスラエルを滅ぼし
そのすべての宮殿を滅ぼし、そのとりでをこわし、
ユダの娘の上に憂いと悲しみとを増し加えられた」(「哀歌」第2章第5節)

 神に選ばれたる民、ユダヤ民族は、なぜ、このような苦悩を民族全体で蒙らなければならないのか。

「あなたがたがわたしの言葉に聞き従わないゆえ、見よ、わたしは北の方のすべての種族と、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、この地とその民と、そのまわりの国々を攻め滅ぼさせ、これを忌み嫌われるものとし、人の笑いものとし、永遠のはずかしめとすると、主は言われる」 (「エレミヤ書」第25章第8~9節)

 ここでバビロン捕囚は、人の罪に対する罰としてとらえられている。ユダヤ民族の苦悩は、主に「聞き従わず、あなたがたの手で作ったものをもって」、主を「怒らせて自ら害を招いた」ものであるとされる(「エレミヤ書」第25章第7節)。
 人の罪に対して主はお怒りになる。

「見よ、主の暴風がくる。
憤りと、つむじ風が出て、
悪人のこうべをうつ。
主の激しい怒りは、
み心に思い定められたことを行なって、
これを遂げるまで、退くことはない」
(「エレミヤ書」第30章第23~24節)

 「これこれの罪を犯した」、それゆえに「これこれの罰を受ける」、このように因果応報の説明は実に納得がいく。実際の人間社会においても、それは刑事罰という形で実行されている。
 だが実際はそのようになっているだろうか。悪をなすものがその悪によってもたらされた栄華の内に生活しているようなことはないだろうか。また逆に、正しい人がその正しさゆえに人に嫌われたり、失敗したりすることはないだろうか。

「悪人の道がさかえ、
不信実な者がみな繁栄するのはなにゆえですか」(「エレミヤ書」第12章第1節)

「あなたは目が清く、悪を見られない者、
また不義を見られない者であるのに、
何ゆえ不真実な者に目をとめていられるのですか。
悪しき者が自分より正しい者を、飲み食らうのに、
何ゆえ黙っていられるのですか」(「ハバクク書」第1章第13節)

 しかし、単に因果応報的な説明では苦難にある人は納得しないであろう。
 「ヨブ記」はこういう納得を受け付けない書である。以下「ヨブ記」の内容を見ていくことにする。

 ヨブは義人であった。「そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった」(「ヨブ記」第1章第1節、以下特にことわりのない場合は、すべて「ヨブ記」からの引用である)。この義人に突然苦悩が襲いかかってくる。すべての家畜、財産、子どもなどを失ってしまうのである。

「わたしは裸で母の肚を出た。
また裸でかしこに帰ろう。
主が与え、主が取られたのだ。
主のみ名はほむべきかな」(第1章第21節)

 次に彼自身の体も損なわれる。「サタンは主の前から出て行って、ヨブを撃ち、その足の裏から頭の頂まで、いやな腫物をもって彼を悩ました」(第2章第7節)
 それでもヨブは神を呪うようなことを口にしなかった。なぜ義人たるヨブがこのような苦悩を背負わねばならないのか。
 それに答えたのが見舞いに来た友人3人であった。

「考えてもみよ、だれが罪のないのに、滅ぼされた者があるか、どこに正しい者で、断ち滅ぼされた者があるか」(第4章第7節)

 つまり、正しき者ならば何の罪もうけることなく神の恩寵のもとで暮らせるのである。しかしヨブには苦悩が下った。ゆえにヨブには罪があるのだ。

「それであなたは知るがよい、神はあなたの罪よりも軽くあなたを罰せられることを」(第11章第6節)

 しかしヨブには納得がいかない。自分自身の罪のなさを確信しているからである。

「正しいはかりをもってわたしを量れ。そうすれば神はわたしの潔白を知られるであろう」(第31章第6節)

 ヨブは自身の潔白を確信し、因果応報の「罪と罰」には納得がいかないのである。彼には、神の裁きが誤りであると感じられる。

「ああ、わたしの敵の書いた
告訴状があればよいのだが、
わたしは必ずこれを肩に置い、
冠のようにこれをわが身に結び、
わが歩みの数を彼に述べ、
君たる者のようにして、彼に近づくであろう」(第31章第36~38節)

 ここで因果応報的な苦難の解釈は座礁する。友人の解釈では、神は正しいものを慈しみ、悪しき者には苦難を与える。ヨブは罰せられている。したがって、ヨブは罪人である。
 それと同様、ヨブの解釈も出発点は箴言の次のような精神である。

「心のねじけた者は主に憎まれ、
まっすぐに道を歩む者は彼に喜ばれる。
確かに、罪人は罰を免れない、
しかし正しい人は救を得る」(「箴言」第11章第20~21節)

 しかし、自分は義である。自分自身には罪がない、よって神はなにか誤解しているか、または間違った裁きをしているのではないか。先ほど引用した第31章第36~38節のヨブの言葉がそれを物語っている。
 友人3人の解釈はヨブがその身の罪を悟らない限りヨブには無力であり、またヨブ自身の答えも神の裁きに疑いをはさむ点を3人が承認しない限り、友人たちには受け入れらないものだろう。

「このようにヨブが自分の正しいことを主張したので、これら3人の者はヨブに答えるのをやめた」(第32章第1節)

 単なる因果応報的な苦悩の解釈を、別の視点にずらしたのが、そのとき口をはさんだエリフであった。
 エリフは神の下した苦難を単に罰として受け止めるのではなく、教育としての意義をも考える。つまり苦難によって、「彼らの行いと、とがと、その高ぶったふるまいを彼らの示し、彼らの耳を開いて、教を聞かせ、悪を離れて帰ることを命じる」(第36章第9~10節)のである。
 しかしこの見解もやはりヨブの罪を前提にしている以上、ヨブの満足するものではない。
 エリフが口を閉ざすのと同時に、「主はつむじ風の中からヨブに答えられた」。その答えは一見奇妙である。あれほど苦難の中でもがき、その苦難の原因を求めたヨブに対し、主が語られたのは、天地の創造や様々な動物、天文や気象についてであった。
 それによってヨブの目は苦難に喘ぐ自分自身から離れ、自分自身の卑小さへと移った。

「見よ、わたしはまことに卑しい者です、
なんとあなたに答えましょうか」(第40章第4節)

 人が神に対する態度は、つまり理解ではなく、信仰なのである。盲人が像に触る、という喩えが示すように、神の為すことを卑小な人間が完全に理解できるものではない。神をベッドの大きさに合わせて、その足を切るようなものである。主は理解を求めたのではない。だからヨブにその苦難の原因を語りはしなかった。主はヨブに人間の卑小さを思い知らしめた。ヨブにできることは、おのれの卑小さを知り、神の絶対性を感じることであった。

「わたしは知ります。
あなたはすべての事をすることができ、
またいかなるおぼしめしでも、
あなたにできないことはないということを」(第42章第2節)

 無知である人間が全能の神の為すことを理解しようとするとき、それはどうしてもその人間の卑小さに合わせた理解になってしまう。その卑小な理解をもって神を語ることは、神を卑小な存在に貶めてしまいかねない。
 だから主は、エリパズに向かって言う。

「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃えている」(第42章第7節)

 苦難も全て神の意志であり、神の意志である以上、それは義なのである。それを人間の理解の範囲に押し込もうとするから、単純な因果応報の考えに行き着いてしまうのである。

「無知の言葉をもって
神の計りごとを暗くするこの者はだれか」(第38章第2節)

 つまり、この「ヨブ記」は、神への信仰を、理解を基盤に置いたものではなく、ただ単なる絶対的な神への服従に置いたものなのである。ここで強調されるのは、神の全能、絶対的な義であり、それと対比しての人間の卑小さである。この絶対性の持つ強さは、他の多神教宗教にはないものであろう。そしてその強い力は、苦難のときを過ごす民族や個人にどれだけの支えとなるだろう。因果応報的な考え方ではついぞ成し得なかったことである。
 最後にこの「ヨブ記」の精神を表現していると思われる宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の一節を引用する。

 「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一足ずつですから」
 燈台守がなぐさめていいました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです」
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新しいカメラを買いました

2013年11月11日 08時06分40秒 | らくがき
 中身より道具から入ります。自分を鼓舞する一手段としていいんじゃないでしょうか、と左脳が右脳にささやきかけ、気がついたら新しいカメラを買っていました、ソニーα77。
 今まで使っていたカメラがそろばんだとしたら、新しいカメラはPC、それくらいいろんなことが進歩していてびっくり。
 11月10日日産スタジアムでのサッカー観戦がこの子のデビュウ戦。




 ええと、サッカー……
 サッカー前の催しということでこれもサッカーの仲間に入れておいてください。

 このカメラを片手にバリバリ街を歩きます。
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街の校正シリーズ その6

2010年12月26日 23時58分54秒 | らくがき


 スタルものが、それかよ?
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茅の輪

2010年11月02日 22時28分16秒 | らくがき

 神楽を観たあと、飲みに行った席で「高田純次に似てる」と言われて、喜んでいいのか、悲しむべきなのか、少し悩んだわたくしです。まあ、ぼく、たいがいいい加減なこと言ってますが、高田純次のいい加減は至芸ですから、名誉なことかもしれません。実は若い頃もそれ言われたことあって、鏡を見て首をかしげたものです。
 さて、何番か観て「茅の輪」。武塔神=牛頭天王=スサノオとして、スサノオが巨旦将来、蘇民将来のもとを訪れます。ストーリーは前回ご説明した通り。ところが、襲いかかるのはスサノオではなく、疫病神。つまり、スサノオは善神であり、病は疫病神がもたらす、と。いや、そもそもスサノオって善神か? この神楽の前に天岩戸やってたろう? あれ、誰のせいよ。スサノオに特に漂う、ヒーローやトリックスターとしての二面性を完全に否定しちゃってる。で、これ、やっぱり近代になって作られた演目らしい。つまり、善=善、悪=悪、という分かりやすい合理的な図式なのだけれど、近代合理主義の薄っぺらさがありありと散見される内容。
 神が大切に崇められるのは、その神が恵みをもたらす神であるだけではなく、その神が同様に災厄をもたらす力を持つ神であるであるからだ。善=A、悪=Bであるなら、A≠Bであるとするのが、近代的合理主義だけれど、それは神楽の世界とは相容れない。というか、神職がこういう神楽を新作してしまうことが、ちょっと怖い気がするのだ。
 保守的な政治家などが口にする「日本の美しい伝統」というのが、何を指しているのかわからないけれど(たぶん明治以降だけの浅い歴史認識なんだろうけれど)、古い伝統の側にいるはずの神職が同じように明治以降の浅い歴史認識を抱いているって、怖い。明治の神仏分離以降、中世以来の神話性豊かな神々の物語は失われ、ただ、素晴らしい神様であります的な説明ばかりが眼に入る昨今、その薄っぺらさは日本人の精神的支柱をも薄っぺらくしてしまうのではないか。そして、その薄っぺらいものを日本の伝統として考え、「日本の伝統大切にしましょうね、昔の日本人は今の日本人と比べて…」、なんて語りをしてしまうのではないか、分かった風な大人たちは。
 そういうのって、なんだかすごくイヤ。

 ところで、茅の輪って、言ってみればしめ縄を円環状にしたもので、そしてしめ縄は蛇を象徴するもの。蛇に対する古層からの信仰って根深いものがあって、それはたいへん興味深いと思う。
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神楽の夕べ

2010年10月26日 00時14分23秒 | らくがき

 週末は早稲田で神楽の映像を見る会。
 ものすごく久しぶりに文学部キャンパスを歩き、教室をおさえてくれたTくんにいろいろ話を聞くと、ほんと浦島状態。知らない学部一杯できてるし、佐賀や大阪に係属高校できてるし、二文なくなってるし。「でも、結局慶応に負けてるよねえ」「ですよねえ」
 神楽を見る。
 演じ、舞う姿を見ているうちに、その場の特殊性に気づいた。神楽は「神を楽しませる」という言葉だと昔聞いたけれど、それはきっと違う。言ってみれば神の音楽だ。その音楽に合わせて舞うことで、人は自分を抜け出し、自分とは違う存在、あるいは人とは違う存在に変化する。たとえば、安部公房の「他人の顔」を読むと実感できるのだけれど、人間の自己同一性のかなりの部分は顔に依存している。だから、顔を隠すことは、他者に変貌することへの大いなる助走となりうるのだ。祭、能、その他、舞う人の多くが仮面をつけることは理にかなっている。
 神になることは、その名乗りをあげることだけでは足りない。「ぼくイザナギ、今んとこまだ童貞っす」「わたしイザナミ、まだ処女でーす」「二人合わせて国生みでーす」そうした名乗りだけでは、舞人は神になれない。舞人は、神の事蹟を演じ、舞うことによって神となる。神の顕現は、舞にあるのだ。そこが踊りと違うところだ。
 神となった舞人は群衆を寿ぎ、そして、何かを投げ与える。これは、神からの贈与であり、そのとき、神楽の場は、神の世界と人間の世界との境界線と化す。財は、その境界線上に生まれるものだとかつて人びとは思っていた。そこら辺の岩に描くのではなく、ラスコー人は境界を求めて、洞窟に入り、その暗闇の中、向こう側の世界との接点=境界線上に彼らの財の絵を描いた。
 そして、そうした聖なる者の顕現が境界をこの世界に示現させるものであるならば、つまり、聖なるものは周縁性とも同義となる。世界の中心として考えられる聖なるものと、共同体の外れ、いわば場末と言われれる周縁とがひとつに重なる。それが神楽の舞台に現れる。痙攣的なリズムと笛(そして、笛の音もまた異界から何かを呼び出す装置としてさまざまな舞台に登場する)の音に酔いしれながら、反対のものが一致する空間に強いリアリティを感じた夕べでありました。
 しかし、最後に見た「茅の輪」。あれはひどかった。
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この夏 その三

2010年10月17日 00時45分49秒 | らくがき
 間があいてしまってごめんなさい。
 もしかしたら大したことのない体験なのに、大騒ぎして恥ずかしかったり。あるいは、身体が訴える違う気持ちの問題もありました。
 ゴロゴロ転がりながら、なにしろ両手を上げることすらできない状態でいろいろ考えた、というか、身体に訴えかけられたのですが、最後の訴えは、この体験をどう語ろうか、という問題でした。よく「言葉にすると嘘っぽくなる」という言い回しをするじゃないですか。身体が体験したことを言葉にして語る。これがとても辛いことでした。どう辛いか、それを語ることすら難しくて、なんだかうまくまとまらなくて。
 気づいたのは、体験をすべて語るのは不可能だということ。それは、技術的なレヴェルではなく、語るという行為そのものに起因する、そもそもの構造的レヴェルでの不可能性でした。語る、ということは、言ってみれば解剖のように体験を分節し、それを腑分けし、そして息の根を止めます。語ることは、体験の語られないことを固定化して、永遠に消え去るよう要請します。つまり、語ることは、体験のうちの生き残る部分と死にゆく部分とを峻別する作業でもあるのです。
 これは体験の存在感が大きければ大きいほど、厳しい作業になります。どの体験も、どの一瞬も、そのときのぼくの反応もどれをとってもかけがえがないのに、語ろうとした瞬間、指の隙間からすくった砂がこぼれ落ちるように、さまざまな瞬間が消え去っていきます。そしてもう二度と戻ることはありません。
 それは、時間の不可逆性をまたひとしお、ぼくに実感させました。語ることと、時間の不可逆性とは表裏一体の人間の条件、人間が身体を持ち、そしてそのことを意識する、そうした人間の基本的な事象のことなんだと、強く強く思い知らされました。
 うまく書けていないことはわかっています。ぼくの身体が感じたことのうち、ぼくがなんとか掬い止めたものだけ、ものすごく焦りながら、でも、うまくできずに歯噛みしながら、時間の流れから掬い上げたものです。その技量や技術に大きな問題があるのはわかっています。もう一回やればもっとうまく語れそうですが、もうそれは勘弁して下さい。
 今もぼくの右手は力が入らないし、薬指と小指に違和感が残っています。でも、この夏の体験は、逆説的かもしれないけれど、本当に素晴らしかったと思うようになりました。これだけいろんなことを身体が感じることって今までなかったわけで。
 この3回に渡ってグダグダ書いたことにコメントを寄せて下さった方々、ありがとうございました。来週からは、今までの脳天気なシモネタ満載ブログになります(嘘です、ごめんなさい)。
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この夏 その二

2010年10月09日 22時23分15秒 | らくがき
 効かない身体で七転八倒していく内に、ぼくが気づいたのは、時間の不可逆性、その一瞬のどうしようもない貴重な存在でした。
 それまでのぼくは、何年間か撮っていた写真をハードディスクのクラッシュで失っても、まあ、別にまた新しい写真撮ればいいや、と思っていました。それでいて、たとえば、穂村弘が著書で生の一回性について語るのを読んで、「ああ、そのとおりであることだ」と思っていたり。でもね、全然わかっていなかったんです。生の一回性は、頭で理解することではなくて、むしろ身体で感じることだったんです。だいたい、身体があることで生の一回性が生じるわけなのだから。
 七転八倒しながら、強烈に突然訪れた自分の体の不自由さを思いながら、生の一回性が身体と一体であることを強く感じました。どの瞬間も二度と訪れない瞬間だという真理、それこそ鴨長明も言及しているぐらい何度も耳にした真理は、理解すべきことではなくて、身を切られる経験の上に存在するものなのだ、と。瞬間、瞬間、身を削られていく、そしてそれはもう二度と戻らない、どんどん損なわれていく身体、これこそが生の一回性と同義の概念なんだ、と。今、冷静に書いてますが、そのとき感じた恐怖と後悔にどれだけ身を切られたかわかりません。もう、だめだ、もう、あれもこれもすべては過ぎ去って、二度とぼくは同じ感情を手に入れることはできない。
 しばらくして左手が少し使えるようになったので、ツイッターにアクセスしたら、ある方に言われました。「書くことは肉体的なパッションだと教わりました。夢想ではないと。」たぶん、そのパッションは情熱ではないでしょう、それは「La Passion」、すなわち受難のことなのではないか、と思いました。身体の受難(また後日「ヒックとドラゴン」などについても書きたいと思うのですが、あれもまさに身体の有徴的受難の物語でした)と「書く」こと、この二つはもしかしたら同じ出発点なんじゃないか、と。それこそ、最初の人類が抱いたどうしようもない喪失感(これは多く、目覚める前のユートピアの喪失として描かれています)こそが、語る、書く、描く、こうした行動を生んだのではないか、と。
 今、まさにこの身体的受難が生そのものをおびやかしている時、ああ、今がぼくにとってのハイリゲンシュタットの遺書の時なんだ、と強く思いました。この試練は、ぼくに必要な試練だったのだ、と、とても自分に都合よく解釈し(しかし、世の中はそんなに甘くもないし、暗示的でもありません。ただ、ぼくは自分の身体的欠落をそのように解釈したかっただけなのかもしれません)、ここ、この状況を書くことによって乗り越えるんだって、寝床から二足歩行のなまこのようにノロノロと這い出して、今書かなくていつ書くんだと、パソコンの前に座り、そして、だから、両手が使えないから苦しんでるんじゃん、と絶望的に気づいたのでありました。

 字数多くてごめんなさい。あと、もう一回書かせて下さい。
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この夏 その一

2010年10月07日 23時09分51秒 | らくがき
 今週は、この夏にぼくが体験したことを書こうと思いました。でも、なかなかうまくいかなくて、おまけに長くなってしまって。
 ぼくは、自分の経験を言葉にすることで全体から何かが失われていくような気がしてしまったのです。でも、それはもしかして、そのこと自体が大切なような気がしてきました。つまり、言葉にすることで失われる、ということ自体が。ですので、今週、あと数日ですが、ここにこの夏の経験を書きます。来週からは、今まで通りのノリでやりますので、小面倒な字面多いブログはイヤだ、とうい方は、どうか来週またいらして下さい。
 ええと、8月の終わり、寝方が悪くて、朝起きたらぼくの両腕は麻痺していました。指をうまく動かすことができない、という細かな麻痺ではなく、腕全体が動かない。特に腕を上げる動作がまるでできなくなりました。あら、こりゃやっちゃったな、と最初は軽く考えていました。
というのも、以前これと同じことをぼくはしでかしていたのです。昔、酔っ払って山手線で寝て、ぐるぐる回った挙句、浜松町だかどっかで目覚めたとき、ぼくの右手は麻痺していました。おまけに財布は取られるわ(現金よりも免許やクレジットカードが面倒くさいんだよ)、さんざんでした。脛骨の関節の幅が平均よりも狭いらしく、首に負担をかけると腕が麻痺してしまうとのことでした。
 弱ったな、と思いつつ、軽く考えていたぼくは夜中「やっちゃいました」などとノンキなことをブログに書きました。10日くらいで治るかな、などと。
実は、そこからかなり苦しみました。暑い夏でした。暑さの中、ああ、帰ってシャワー浴びて、ビール飲んだら気持ちいいだろうな、そんな風に酷暑を耐えた人も多かったのではないかと思います。しかし、その時のぼくは、シャワーを浴びようにも腕が上がらない、ビールを飲もうにも手に力が入らない、なにより一番辛いのは、本来そうした快楽に結びつく行動がことごとくストレスでしかなかったことでした。つまり、どんな行為もすべてストレスなんです。以前の欲望のままにビールを飲もうとして、缶ビールのプルトップを開けようと脂汗流しながら格闘しているうちにどんどん気持ちが追い込まれていき、エアコンの真ん前にいても、とまらぬ汗がどくどく流れていきました。おいしいものを食べたり、暑い夏に冷たいビールを飲んだりすることはストレスの逆の行為のはずなのに、それらがすべて強烈なストレスなんです。汗で前髪が垂れます。それを戻そうとも、手が上がらない。どうにか上げても、すぐに気になってしまう。映画の上映中にトイレを意識的に我慢すると却って行きたくなってしまうように、手が上がらないぼくは、顔の汗や垂れた毛に異常に敏感になってしまいました。その姿は、自分でもいやになるほど醜悪でした。
 8月の終わり、ぼくは、生き続けることがしんどくて、もう、じっとしてられず、狂ったように街を歩き続けました。そのとき、ぼくには欲望がありませんでした。食欲も性欲も。眠くはなかったけれど、今のこの状態を眠っている間だけは忘れることができるなら眠りたいと。そのためにも馬鹿みたいに歩きまわりました。帰って鍵を開けるためにまた汗だくになるであろう自分の姿にもぞっとしていました。そして気づいたのは、欲望がないってことは、生きることそのものを否定しているんだ、ということ。食べることも、飲むことも、プラスの行動ではなく、ただストレスを増すだけの行いだとしたら、それはやりたくないし、やらない方がまだまし。じゃあ、そんな状態の時に何をやりたい? 何もやりたくないんです。欲望が全然ないんです。じゃあ、それは欲望から逃れて幸せか、と言えば、全然幸せなんかじゃなくて、ただ生きていることが辛いだけ。
 そのとき思ったのは、人間は欲望をなくすことが大事なのではなくて、その欲望をどのように抑圧していくか、それが個性であったり、文化であったりするのではないか、と。生きるということを支えているのは欲望なんです。で、その欲望を際限なく出し切ることが人生の幸せかと言えばそうではなくて(多くの場合、あなたの欲望の源は「他人」の欲望であったりするわけだし)、欲望を原動力にしながら、その欲望を抑圧していく過程に意味があるんじゃないか、と。
 欲望を持つことができず、七転八倒しながら、それでも、周囲のぼくを気遣ってくれる人たちに申し訳ないし、痛いのヤだし、死ぬことを選ばなかったぼくは身体の持つ大きな意味を悟りつつ、身体からいろんなことを教わりました。
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横浜Fマリノス仕様

2010年09月30日 01時04分53秒 | らくがき


 書きたいことは一杯あるんだけれど、まだ右手がききません。
 言いたいことがあるのに、口がきけないもどかしさ、そんな気持ちをずっと抱いていました。で、ぼくは、今回両腕がきかなくなるという体験が自分にとってものすごく大切な、そして貴重な体験であったことを知りました。それはとても辛いことだったのだけれど、そこからしか考えられないことや感じられないことに触れ得て、幸せだったんじゃないか、と思ってます。
 実はものすごく辛くて、自分が何をしでかしてしまうかわからないような状況まで追いつめられて、この楽観的な人間が死にたいとすら思ったんです。その間、いっぱいいろんなことを思いました。考えました。来週、たぶん、もう少し右手が治ったら、そんなことを書きたいかな、と思ってます。
 写真は葛西臨海公園でのぼくの自転車。前輪ブルー、車体ホワイト、後輪レッド、マリノスカラーです。昨日の午後は、自転車で葛西臨海公園に行って、海を眺めながらぼーっとしてました。
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また、ぼちぼちと

2010年09月22日 17時13分27秒 | らくがき


 なかなか右手の麻痺がとれずにいますが、ぼちぼち復活できそうです。
 字を打つのが大変なので、字数少なめでとりあえずやっていこうかな、と。
 また、よろしくお願いします。
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やっちゃっいました

2010年08月27日 01時31分30秒 | らくがき
10年前、山手線で寝てしまい、寝方が悪くて右手が麻痺したことがありました。そして昨晩、自宅で寝てんのに、やっちまいました、今度は両腕麻痺。前回は10日ほどで回復したのですが、今回はどうか。マウスが使えないのでパソコンがだめなので更新減ります、ごめんなさい。
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そのオレンジ、魔性の女

2010年08月19日 17時28分07秒 | らくがき
 ツイッター上でサッカー好きが集う内、実際のオフ会が開かれたり、一緒に観戦したりするようになりました。日曜日名古屋から大宮サポの通称「おおみやくん」が観戦に来るというので、恵比寿で飲み会が企画されました。
 で、たまにはよそのチームの試合を見に行くのも楽しいか、と「おおみやくん」と一緒にNACK5へ。いいスタジアムです。


 入場ゲートでは、アルディくんとミーヤちゃんが浴衣姿でお出迎え。いいなあ、女子キャラ。マリノスのキャラって、マリノスくんとマリノスケ、そして隠れキャラのワルノス、全員男。女子キャラと男子キャラがいるとね、マスコット世界にストーリーが広がるんですよ。

 広場では試合前にマスコットとのふれあいショウ。

 水鉄砲でアーチを作ってその中を子どもたちがくぐったり、ミーヤちゃんがいい感じにアルディくんの股間狙って水鉄砲発射したり(何をやってんだ)。



 踊りのあと、疲れて倒れるアルディくんに駆け寄るミーヤちゃん。助けるとおもいきや、トドメを刺そうとのしかかります。熊谷じゃ、ニャオざねにキスしちゃうし、魔性の女ぶりを存分に発揮してます。

 試合後、恵比寿のホルモン鍋屋さんへ合流。ぼくの姿を見て、みんなが驚きます。そこにいたマリノスサポの女性は、ほとんどぼくの胸ぐらつかまん勢い。おおみやくんがぼくの分までユニ持参してくれたので、大宮ユニで登場しちゃいました。「裏切り者」とか「魂を売った男」だの言われつつ、右手を見せて火に油を注ぎます。


 スタジアムで貼ってもらったミーヤちゃんのシールタトゥ。子どもたちが並んでる後ろに子連れじゃなく一人で並ぶ蛮勇。
 恵比寿は久々に朝までコース、前日に前橋まで自転車こいで、その日はサッカー観戦の挙句の徹夜。たぶん、若い頃より体力あるんじゃないか。
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夏の思い出

2010年08月03日 23時04分38秒 | らくがき


 ぼくたちはよくドライブに出かけた。
 でもドライブに出かけると彼女はたびたび苦情を言った。
 なぜ、横にいるわたしを見ないのだ、と。
 だって、ぼくは運転してるんだよ、前を見なきゃ。
 それにしても前を見すぎだ、と。。
 今になればわかる。免許を取ったばかりで緊張しているぼくと彼女の父親とでは運転の作法も違ったのだろう。
 ええい。
 彼女はかけ声を出した。
 なんだと思って見たら、彼女がフロントガラスに顔を突き出してる。
 ほら、ご覧なさい。フロントガラスに鼻油つけちゃったわよ。
 さあ、信号で止まったときくらいこっち見なかったら、なめくじの這い跡みたいにこの跡が延々続くわよ。海に着く前にフロントガラス、べたべたよ。
 威勢よく言い放つ彼女に疑問を感じる。「いったい、きみは何者くんだ?」
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