毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

2008年は国際カエル年です

2008年09月30日 09時29分11秒 | らくがき
 日曜日は寝坊してしまい、遠くへ行くこともできず、荒川をぶらぶら南下。
 セイタカアワダチソウが少し黄色く色づいてきて、季節の変わり目を実感。心のすきま風を感じたりもしながら自転車で走る。
 休日なので各所で野球やサッカーをやってる。宗教団体が何かのパレードの練習をしている。のどかな風景だ。
 見るともなく少年野球を横目で眺めていたが、あの身長だとストライクゾーンなんて針の穴みたいなもんだろう。130cmくらいの子供のストライクゾーンに向かって、やはり子どもが投げてる。いくら多少前から投げているにしても、すごいコントロールだ、と感心。


 葛西臨海公園水族園の中のクサギ。この赤いつぼみの上に白く可憐な花が咲く。咲いているものもあったんだけれど、位置的に写真にならなかったのでつぼみの写真だけ。
 葉をつぶすと臭いらしく、それでこの名がついたんだそうだ。
 この水族園はなかなかすてきなところで、年間パスポートを持っているぼくは自転車の休憩場所として重宝している。2008年、今年は国際カエル年。

 カエルに関するさまざまな展示があったが、8月いっぱいまではカエルグッズなどの展示もあり、そこで出会った「次の日ケロリ」にクラクラ。
ケロリの素。携帯の待ち受けをケロリにしてみたり、いい年こいて、ヤンキー並のファンシー好きだな、わたくしも。でも、トチュウがかわいいのよ。
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隅田川 水上バスの旅 お船だお船だ第1弾

2008年09月26日 14時06分02秒 | 観光

 並木藪。
 蕎麦道に精進している店はいくつもある。だけど、昼から酒を飲み、つまみを楽しむシチュエーションとして、並木藪と神田まつやははずせない存在なのだ。


 ひっくり返されたざるに盛られた締めの蕎麦。
 辛口のつゆをちょっと付けて食べる。蕎麦が好きでよかったな、と思う瞬間だ。


 やはりここまで来たんだからひと言挨拶ぐらいしとかないと観音さんへ。10月には本堂落慶50周年ということで記念特別大開帳が行われるとのこと。また来月再訪問しなくては。


 船から見上げるアサヒビール本社。


 下町をめぐる隅田川だけれど、下流は再開発の嵐。下町の風情はなく、なんだかマンハッタンのようである(行ったこともない癖に)。




 浜離宮はコスモスが咲き乱れて美しかった。

 ここから銀座までぶらぶらお散歩。

 すると新橋からずっと行列が続いている。なんだろう、と行列の先頭目指して進みます。


 たまたまこの日、H&Mという洋服屋さんの日本第1号店の開店日。前にミラノ行ったときにグッチの前に日本人が行列しているのを見て、すごいなあと思ったのだが、これもなあ。店に入るのに3時間以上待つなんてこと、ぼくには到底できない。


 でもまあ、デートなら並ぶのも楽しいか。
 楽しくねえよ、絶対やんないよ、そんなデート。
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toto始末

2008年09月25日 10時59分54秒 | 観光
 そう言えば巾着田の前に、totoの結果をご報告申し上げましょう


 これが達磨寺で買った達磨。とてもかわいい。これに願をかけて結果を待ったわけです。残り4試合すべて終わってから結果を見ようと情報を一切シャットアウト。満を持して夜の9時を待っておりました。
 ある時、いや、まてよ、ぼくは気づいたのです。達磨って、片目入れてお願いするんじゃなかったっけ?
 ですよねえ。慌てて片目を入れました。達磨さん、達磨さん、にらめっこしましょ、と達磨さんと向き合って夜9時、全試合が終了した頃を見計らってネットでJリーグのページを開きました。
 う~ん。達磨さん、すごい!
 片目を入れたあとに行われたナイター3試合、すべて的中。片目を入れる前のデーゲーム1つがはずれ。残念な結果ではありますが、達磨さんパワーを如実に感じた週末でございました。
 そんなわけで高崎達磨をもう少しご紹介。


 高崎駅の売店。最近は赤一色じゃなくていろんな色の達磨さんが売られてる。それぞれ、この色はこの御利益みたいな感じで、いつの間にか達磨さんも分野別に特化するようになってる。江戸時代は医者は医者だったのが、今では小児科医や外科医など専門に分かれたように、最近の人のお願いにはそれなりの対応が求められているのだろうか。



 街角の風景。
 漁師町へ行くと普通に魚の開きが干してあったりするような感じで、製造過程の達磨さんが干してある。

 さて、次回も巾着田は少しお休み。下町から船に乗って浜離宮へ参ります。「お船だお船だ第1弾」をお送り致します。
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中華そば「大咲」

2008年09月24日 13時02分10秒 | 食べ物
 巾着田の曼珠沙華も見頃だというので高麗観光に出かけることにした。川が蛇行して、ほんと巾着みたいな形をした地形のところに曼珠沙華が花の絨毯のように群生しているのだ。これは是非見たい。秩父までが120kmほどだから、高麗までは80kmもないだろう。自転車にまたがり荒川サイクリングロードへ。
 前を走っている人に追いついた場合、その人を抜くか抜かないか悩むことがある。わざわざ抜いておいて疲れちゃって抜き返されるのも恥ずかしい。それに彼に追いついたのは、ぼくの前を走っていたから。目標物があると走りやすいのだ。彼を抜いたが最後、目標物は消え去り、なんのモチベーションもないまま、そのスピードを維持しなくてはならなくなる。うーん。
 この日も一人抜き、二人抜きしているうちに懸命にこいでいる自分を発見してしまう。違うだろ、と。今日はトレーニングに来たわけじゃないだろ、と。今日の目的は巾着田ならびに高麗周辺地域観光なんだ、と。
 ところが、いろんな偶然から初対面の人たちと3人で初めてトレインを組んで引っ張り合う状況になってしまった。これが速いのだ。一人じゃせいぜい25~30kmで巡航しているところ、この日は35km巡航。これはめちゃくちゃ速い。スピード感が違う。断然楽しいのである。ああ、若いときに自転車部に入っていればこれを楽しめたのに、と後悔する。後悔は得意技だ。こないだ板橋の花火大会に行ったときは「ボート部に入っていれば特別席で見られたのに」と後悔したばかりだ。口だけの後悔が好きなのだ。
 ぐんぐん走っていって、途中入間川に入らなければならないところを何も考えずに素通り。吉見の桜堤手前で気づいたものの、吉見総合運動公園のところで解散するまで結局走り続けてしまった。すぐに目標を喪失してしまう。目的地を変えようかとも思ったのだけれど、思いつかずに引き返すことに。はかったら往復で30kmのロス。左折しなきゃならないところから15kmも走ったのか、と我ながら感心してしまう。
 入間大橋まで戻って入間川サイクリングロードへ。なんだか面倒くさくもなってしまったが、23km走り切って入間市着。ここから飯能を抜け、高麗へ行くのだが、その途中入ったお店がここ。

 中華そば「大咲」
 ぼくは行ったことがないんだけれど、有名な「永福大勝軒」の流れなんだそうだ。
 店の前に自転車を停めて鍵をかけていると、店の中からなんとも言えないにぼしのいい香りが漂ってきた。あ、こりゃいけそうだ。


 写真で伝わるかどうかわからないが、普通盛りでこの面の量。約1.5培あるそうだ。
 うまい。別注でもっともらえばよかった、と思うほど歯ごたえのいいメンマ、見た目は素っ気ないんだけれど噛むほどにいい味の出るチャーシュー。と書いているうちにも食べたくなってしまった。スープは煮干しのだしが濃厚だけれど、嫌みがなく食べやすい。いや、おいしい、おいしい。道を引き返して来た甲斐もあろうと言うもの。
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縄文と岡本太郎

2008年09月22日 13時44分02秒 | 観光


 廃校になった四谷第四小学校が「四谷ひろば」としてよみがえり、東京おもちゃ美術館のほか、イベントやアートギャラリーとして活用されています。詳しくはNPO CCAA、または東京おもちゃ美術館のページを見てください。
 そこで行われたのが多摩美術大学芸術人類学研究所、第一回研究会「縄文と岡本太郎」。中沢新一と赤坂憲雄の講演に続いて、岡本太郎記念館館長平野暁臣、芸術人類学研究所特別研究員田中基のお二人が加わって4人でのシンポジウム。写真は講演2つ終わったあとの休憩の風景。
 中沢新一さんは講演慣れしているのか、そのお話は大変聞きやすくわかりやすかった。大仏と太陽の塔に本質的な共通点が存在すること、そして両者とも縄文的なものと強く結びついていることなど、大変興味深かった。
 1時半に始まった会は予定を30分オーヴァーして4時半に終了。岡本太郎と縄文というテーマは豊穣でなかなか話が尽きなかった。
 以前読んだ「思想の身体 霊の巻」での鎌田東二と中沢新一の対談を思い出す。あそこで中沢新一が縄文土偶の二面性を引き合いに出し、岡本太郎の「太陽の塔」と「明日の神話」がまさにその表裏をなしていると述べていた。まさに納得。
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達磨寺で芸能について考えたりしちゃってみたり

2008年09月19日 10時51分02秒 | 観光

 本堂には役目を終えたのか、両目を入れられた達磨さんたちが納められている。
 だるまの資料館みたいなものもあり、全国各地のだるまや変わり達磨などが展示されている。あ、竹田の姫達磨だ! と水曜どうでしょうファン以外はあまり反応しないところにビクンときたりする。また群馬なので、中曽根、小渕、福田の巨大選挙達磨などもあった(中曽根元首相に至っては句碑もある)。



 本堂裏手に回る。
 堂の裏側にでっぱりがあり、そこに御幣が下がっているのが見える。ということはここには何かの神が祀られているということだ。
 後戸の神である。
 後戸の神は仏像の後に位置し、仏教世界を守護する神であると同時に芸能と結びつく神でもあった。

「印度で祇園精舎、つまり寺院の建立落成式のときに、お釈迦様が説教をしようとすると、仏の教えをさまたげる堤婆という者が、たくさんの外道(悪神)をそそのかして踊り叫んだので、説教をすることができなかった。そこで、釈迦の弟子の舎利弗が、後戸で鼓を鳴らし、歌を歌い、六十六番の物まねをすると、外道たちはそれを聞き、後戸に集まり、鎮まった。猿楽はこのときに行った外道鎮撫のための歌舞に起源するという説なんです」
                                                             小松和彦/内藤敏彦「鬼がつくった国・日本」

 これが芸能の起源だと言われている。芸はわたしたちが思っている以上の広さを持っている。猿楽だけではない。花も蹴鞠も歌も、あるいは庭造り、要するに個人が持つ技術、知識、こうしたものを「芸」と呼んだのである。そしてこうした「芸」はすべて後戸の神と関わりを持っていた。
 この後戸の神と芸能の関係の大切なところは、その関係が国家の外から結ばれてくることにある。

「芸能もまた、究極にはやはり鬼神たち、つまり「外部」があって、そこから根源的な力が流れ込んでくるともいえるわけ。「外部」の力がなければ、芸能の全体が崩れちゃう」
                                                            小松和彦/内藤敏彦「鬼がつくった国・日本」

 国家や体制の外にある鬼神と結んだ芸能者は、したがって、一般人にはない有益さと危険さを兼ね備えた存在となる。こうしたアンビヴァレントな存在は、ときにはあがめられ、ときには賤視されることになる。日本の天皇がヨーロッパの国王と決定的に異なるのは、芸能者同様、体制の外側の力と結びついている点だ。でも、これについてはまた後日、「国立歴史民俗博物館編」で、芸能者、天皇、差別について考えてみたい。
 この後戸の神は守宮神と呼ばれる。

「守宮神―――シュグジともシュクジンともシャグジとも呼ばれる。中世に発達したもろもろの芸道で、この神に関係を持たなかったもののほうがめずらしい。守宮神は芸能と密接な関係をもった、これほどに中世的な神もいないと思えるほどに、中世の神なのである。 この神は、しかしいまだに多くの謎に包まれている。守宮神はまた「宿神」とも書かれる。このように書かれて、猿楽の能ではその神はきわめて重要な地位を占めてきた。能の演目中で最重要と考えられてきた「翁」とは、この宿神の顕現の姿であると、猿楽の徒に代々伝承されてきたからである」
                                                             中沢新一「精霊の王」

 シュグジ。これは多くの異称(シュクジン、ミシャグチ、ミサグジ、サングージン、シャクジン、オサモジン)をもち、信仰の古層に位置する神である(上記の「精霊の王」はその古層へ深くダイブしていく冒険の書で、是非お勧めの1冊)。その新石器時代にまでさかのぼれる古層の信仰がかなり明確な形で残っているところが諏訪である。

 しかもこの本堂は後戸の神と本尊とが結びついている、大変興味深い場所でもある。

「多くの専門家たちを驚かせたのは、そこ(金春禅竹『明宿集』)に「翁」が宿神(シュクジン)であり、宿神とは天体の中心である北極星であり、宇宙の根源である「隠された王」であるという主張が、はっきりと書きつけられていたことである」
                                                          中沢新一「精霊の王」
                                                                ( )内はぼくの補足

 ほら、このお堂は、北辰鎮宅霊符尊をお祀りしてるとこだったでしょ。つまり、本尊が、シャクジという縄文時代にさかのぼれる神によって後戸の神と結びついている。なんておもしろいところなんだろう、達磨寺。
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達磨寺 芸能の誕生 ほんとはそこまで書けなかったの巻

2008年09月18日 11時42分18秒 | 観光
 達磨寺はなんというか、とても気持ちのいいところであった。
 「お茶や冷たいお水があります。ゆっくりお休みください」と休憩所があったり、「いつからでもどうぞ」と参禅会のチラシがあったり、フレンドリーであると同時に信仰が根付いて生きている。
 鐘をつかせてもらう(これもご自由に)。ゆっくりと二回つくのがいいらしい。一度目は「自分の心が安らかでありますように」、二度目は「みんなが幸せでありますように」と。
 ああ、そうか、と思う。
 仏教の出発点は欲の否定だった。小乗仏教はそれを実践しようとする。それに対し、大乗仏教は、釈迦の言葉をその言葉通り実践するのではなく、その精神を守ることに主眼を置く。たとえば三衣一鉢なんて、インドだからできたことであって、言葉通り守ったりしたら北海道の仏教徒はみな凍死してしまう。同じように、小乗仏教(上座部)と違って、欲望を完全に消滅させようとはしない。そんなことを目標に掲げたら、みな仕事を辞め、出家しなくてはならなくなるだろう。そこで欲望を完全に捨て去るのではなく、その欲望の持つ生命力を生かそうとする。それも小さな欲なんかではなく。誤解されがちな「理趣経」も、あれは単純なセックスの肯定ではない。分別や善悪を越えた彼岸の話だ。欲にも分別なんてあってはいけない。だから、「みんなが幸せになりますように」なんだ。自他の分別など捨てて、みなと幸せになる、これが大欲なのだ。
 安らかな心と大欲。2つの鐘をついて、晴れ晴れとした気持ちに包まれた。観光に寺を訪れることがあるが、こんな風な気持ちになったことは珍しい。達磨寺に感謝。


 達磨寺本堂。北辰鎮宅霊符尊とある。だからここに登る階段の下に蛇と亀があったのか、と納得する。北辰は北極星や北斗七星のこと。いわゆる妙見様である。方位の四神のうち、北は玄武であり、その姿が亀と蛇(多くは蛇が巻き付いているのだが、ここは一対で玄武を表している)なのだ。この妙見様も日本の神と仏教とが溶け合い、独特の信仰の形をとっていたけれど、明治の神仏分離令でずたずたにされてしまった。熱烈な妙見信仰の持ち主にぼくの大好きな葛飾北斎がいる。彼は生涯いくつも画号を変えたが、その中の「戴斗」「辰政」「雷震」、いや一番有名な「北斎」も妙見信仰にちなんだものだし、彼が用いた印象は「亀手蛇足」、すなわち玄武であった。

 長くなってしまったので、「芸能の誕生」まではいかなくなってしまった。
 それはまた後日ってことで。
 なんだ、予告と違うじゃん、とお怒りの方もいらっしゃることでしょうが、なにとぞご容赦のほどを。
 では、次回「毎日が観光」、「今度こそ芸能の誕生について書けたらいいな」をよろしくお願いします。
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桃栗三年柿八年達磨は九年俺ジャイアント

2008年09月16日 17時11分43秒 | 観光
 「水曜どうでしょう」という番組がある。北海道ローカルの番組だったのだが、今は全国のローカル局で放送されている。東京でも毎週水曜日夜11時からMXテレビで見ることができる。
 番組の内容は大泉洋と彼の所属する事務所の社長鈴井貴之が、ディレクター2人とともに過酷な旅をするというもの(もっともぼくがかなり好きなのは、旅をしない「夏野菜」なんだけれど)。レンタカーでオーストラリアを縦断したり、アメリカを横断したり、深夜バスだけで北海道から九州まで旅をしたり。中でもホンダカブを使っての旅はなかなか見応えのあるものだ。東京から北海道まで、あるいは京都から九州、挙げ句はハノイからホーチミンまでの原付ベトナム縦断。
 その原付東日本制覇で彼らが訪れたのが群馬県にある少林山達磨寺。ここで購った達磨はのちのち、結婚したり、子どもをもうけたりと、さまざまなものが登場するこの番組の中でも出色のアイテムとなった。
 土曜日にtotoが的中し、翌日曜日の4試合次第では大変なことになってしまいかねない状況を前に、ぼくは思ったのだ。そうだ、その少林山達磨寺まで達磨を買いに行こう。
 電車でなんか行かない。昔の人が四国八十八カ所を回ったように、自分の力で行く。そう、ぼくには自転車があるじゃないか。
 荒川サイクリングロードに入り北上する。
 雨。
 最初からときどき雨粒を感じてはいたが、ちゃんとした雨になってしまう。ちょうど朝霞水門にさしかかったところだったが、少し戻って橋の下で雨宿りする。なんだか出鼻をくじかれた気分だ。
 橋の下で佇んでいると、足下に片方の後ろ足のとれたバッタがいた。その横を小さな赤く細長い虫がくねっていく。バッタは赤い虫を見ないし、赤い虫もバッタを見ない。ぼくは上から黙ってそれを見ていた。
 まるで地上のメタファーだ。傷を負った者、地べたをはいずり回る者、それを上から黙って見ている者。そこにコミュニケーションはない。フェリーニの「甘い生活」を思い出す。あの映画のテーマの一つはコミュニケーションの不可能性だと思う。
 雨が上がり、再び走り出す。朝霞水門にはキバナコスモスが咲き、気分を少し晴れやかにしてくれる。


 荒川サイクリングロードで熊谷に出る(一言で片づけたが、この間に70kmほど走っている)。ここから国道17号線、高崎からは国道18号線へ。
 家を出て120km。少林山達磨寺到着。


 この達磨寺。なかなかおもしろくすてきなところだった。
 では、次回、「達磨寺 芸能の誕生」、銀河の歴史がまた1ページ。
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九十九里 または地獄の季節への誘い

2008年09月12日 07時53分01秒 | 観光
 いつの頃か忘れてしまったのだけれど、ものすごく気持ちのいい夏の夜をここで過ごしたことがあった。昼間の海水浴での適度な疲れが火照る体に心地よい疲労感を味わわせ、夕方から夜にかけての海辺が美しくてふるえそうだった。そのときぼくが抱いた十全な満足感。あれは唯一無比だった。いつかどんな形であれ、もう一度味わいたい、となぜか今年になって思う。「気狂いピエロ」を見ていたときだ。何度見たかわからないほど、何度も何度も見た映画。ラウル・クタールのカメラがすばらしくて、その中に入り込むことはぼくにとって快楽に等しい。最後、溝口健二の「山椒大夫」を引用するシーンにランボーが絡むとこも好き。
 「気狂いピエロ」を見ながら、あの満足感のヒントみたいなものを感じていた。あの海に行けば、もっと何かつかめるのではないか。
 それで矢も楯もたまらず、九十九里へ。
 ほんとうのことなんだけれど、ぼくは何の作為もなく、ただそのとき読んでいたからというだけで、野村喜和夫「ランボー『地獄の季節』」をカバンに入れて電車に乗った。ゴダールのことは考えたけれど、ランボーのことは考えなかった。電車で読んでいるうちに、その偶然に思い当たった。


 ああ、この川知ってる。この川にかかる橋の上にたたずんでいて、あの感覚が訪れたんだ。なぜ一人で橋の上にいたのか覚えていないけれど。でも、実はそれには大きなワケがあって、それを思い出すことで過去に起こった忌まわしい惨劇がよみがえってくる。ええ、そうよ、あなたのお父さんは事故で死んだんじゃなかったのよ、などと火サスを一人演じつつ歩く川岸。暑いっす。



 海っぽいお約束ショット。
 ところが着いてみて、海辺の変わりように驚いてしまう。砂浜の流出が問題になっているけれど、ここも例外じゃなかった。そのため、いろんなところに堤を作って砂が沖に運ばれるのを防いでいる。ぼくが子どもの頃は切れ目なく砂浜が続くたいそう美しい海岸だった。今は堤で細かく分断されている。仕方ないことなんだろうが、残念。



 道ばたにはコスモスが咲いていて、もう秋が訪れているんだなあ、などとしみじみする。

 秋だ、すでに! 
 ― だが、なぜ永遠の太陽を惜しむのか、おれたちが神聖な光の発見にこの身を捧げているのなら
 ― 季節の上に死にゆく人々からは遠く離れ。
                                                 アルチュール・ランボー「永別」

 一応、なんとなく、この旅はランボーと縁があるので。



 ランボー、そして「気狂いピエロ」と言えばやはり船に乗らないと。一度蘇我まで戻り、そこから今度は内房線で浜金谷へ。そこで久里浜行きの船に乗る。天気がいまいちでちょっと残念だけれど、十分に気持ちのいい45分間の船旅。



 久里浜港着。だんだん夕闇がたちこめてくる。
 結局あの感覚がよみがえることはなかった。それに、ぼくが一人で橋の上にいたわけがない。ここへ一人で来るのは、今日が生まれて初めてなのだから。それとも、あの感覚に襲われているとき、ぼくと世界は二人だけで他人を必要としていなかったからか。よくわからないけれど、自分の中になお自分にさえわからない記憶がある、ということは、なかなかの収穫だったと思う。これを耕すと何か生まれるかもしれないから。
 それにしても昔と姿を変えたとはいえ、九十九里は気持ちになじむすてきな場所だった。
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峠の釜飯

2008年09月11日 13時39分54秒 | 観光
 長い休みになると必ず訪れた長野の親戚の家。そしてその途中、これも必ずと言っていいほど食べた横川の釜飯。
 ここから横川までそんなに遠くないはずだ。ほぼずっと上り坂だろうが、まあ、なんとかなるだろう。地図もないけど。それもまあ、いつものことだ。だいたい、ぼくほどの上級者(方向音痴の上級だけど)になると、地図など不必要なのである。あっても意味がないのである。ぼくは太陽の位置で方向を考えながら走る、って、俺は何時代の人間だよ。途中「イオン」の看板を見つける。左折21km先だと? スケールでかいよ、この辺。21kmって、遠いだろう?
 などと目についたもんを考えもなくぶつぶつ言葉にしながら、えっちらおっちら登っていく。頭を通さない言葉は軽薄でいい。自転車に乗っている時は、ほぼ脊髄反射で言葉と戯れる。これも実にいいストレス発散なのだ。
 だんだん登り坂が多くなる。傾斜のきついところでは、登坂車線を走る。一事が万事なるべく左側を穏便に走っていく。
 やがて横川、峠の釜飯おぎのや到着。うちを出て160km。

 記憶よりもずいぶん新しく格好よくきれいになっている。
 もっと汚くて、なんだかドライブインに毛の生えたようなもんだったのだが、それが今じゃこんなありさま。


 懐かしの釜飯にご対面。ああ、懐かしい。そうそう、こんな感じだった。栗はいいのだが、アンズが微妙。しょっぱいものの中にあるフルーツというものが苦手なのだ。いや、そういうしょっぱいのも甘いのも、その両面を合わせ楽しむのが人間の度量だと言うのなら、ぼくは、OK、甘んじて度量の狭い人間とのそしりを受けようではないか。そして、正々堂々と釜飯の中のアンズと冷や麦の中のパインと生ハム背負ったメロンにNOと言おう。そうだ、ぼくはその狭い度量故、生きていけるのだ、と軽井沢手前でE.M.シオランを気取ってみたりする(全然関係ないが、シオランの本ってアマゾンなどで異様に高いの知ってます? ぼく、「生誕の災厄」に始まって5巻の選集も全部持っているので、思い出売ってお小遣い稼ぎしてしまう誘惑にかられたりする)。
 食べ終わって外に出ると、急な雨。あわてて横川駅で自転車をしまって駅舎で一休み。
 長野新幹線が開通する前は長野へ行くにはここを通るしかなかった。上野で電車に乗るか、親父の運転する車に乗るか、いずれにしてもぼくたち兄弟は高崎で我先に車窓の観音像を探し、安中の工場群にドキドキし、横川で釜飯を食べた。そして車も電車もそこから碓氷峠を登り、軽井沢を通り長野へ向かうのだった。
 でも、もう信越線は横川から先へは通じていないし、高崎から先へも通じていない。高崎から横川までのほんのわずかな距離を往復しているだけだ(調べたら1日1本だけ高崎を越えて上野に行く電車がある)。
 それに意外だったのは、駅の小ささ。釜飯を求める人たちでにぎわったあのホームはこんなに狭くて小さかったのか、と。夜など、売る方も買う方も焦っている熱気でワンワンして、まるでお祭りのような騒ぎだった。その面影はどこにもない。


 雨の中これ以上すすむのはおっくうなので信越線で高崎へ帰る。やってきた電車は、たしか昔は急行電車だったような気がする。
 結局思い出なんてものは、こんなものなんだ。それでいいのだ、と車窓に見える安中の工場群にドキドキしながら、ぼくは夏の思い出旅の一つを終えた。
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旧富岡製糸場

2008年09月10日 15時09分57秒 | 観光
 暑い中、荒川サイクリングロードを北上中、もうどうにも暑くてたまらない上、右膝にちょっと違和感を覚えて吉見総合運動公園の事務所で休憩。
 ここは荒川サイクリングロードを走るローディーが多く休憩するので、事務所側も気を利かせてくれてるのか、ロードバイクを停めておくためのバーが設置してある。ロードバイクにはスタンドがついていないので、こういう配慮は嬉しい。
 で、どうしようか、と思う。実は少し右膝に違和感を感じるようになってきった。お腹もすいた。ここでサイクリングロードを下りて国道を走ることにする。国道を走れば食事をするところもあるだろうし、まあ、のんびり走って行こう、かと。
 その途中立ち寄った吉見観音。

 神社のしめ縄がお寺にある。明治に吹き荒れた神仏分離令という暴挙を生き延びたあかしなのかもしれない。自転車で来るのにはいいが、電車などの便は非常によくないので人影はなく、あたりはひっそりとしていて、なかなか濃密な雰囲気が立ちこめている。



 なんというか、このあたり、なかなかいい雰囲気なのである。
 しかし、実を言うと、ぼくはこういう濃密な雰囲気に身を置くのは得意ではなかったりする。吉見には、この観音さまばかりでなく百穴や岩窟ホテルなど雰囲気の重いところが多い。うちから60kmほど自転車をこいだだけでこんな雰囲気に浸れるのだから、好きな人にはたまらないだろう。
 国道沿いで食事を取ろうなどと思ったが、何にもない。おまけに東松山を過ぎたあたりの国道254号線は、登った瞬間に下り、下りきったらまた登る、というシジフォスの神話状態。下った先に登りがあるのは仕方ないけれど、少しは遠慮して多少の平坦をはさんだりするだろう? ところが254線にそんな遠慮会釈はない。城を造り続けるミラレパの気分である(大げさだろ、そりゃ)。
 なんとか食事をして、国道254号線を走る。せっかくここまで北上したんだから何か見物して帰ろうと考え、旧富岡製糸場へ行くことにした。130km走って、旧富岡製糸場到着。向かい風を浴びたせいか、前髪が中州のクラブホステスのようにトサカ立ってる(いや、スマン、ほんとは中州のクラブなんて行ったことないんだ)。

 富岡製糸場。



 これはなんというか空母を連想させた。
 海の上という孤絶した場所に、人の生活ほとんどすべて、それこそ娯楽や宗教、食事はもちろん軍事までパッケージにして存在させている。
 この製糸場も、まったく孤絶した場所に「近代」というものを詰め合わせて作り上げたのだ。塀の外側と内側とではまったく違う世界が存在したことだろう。塀の外には江戸時代の農村が広がる中、内側には、教室、診療所、宿泊施設があり、外廊下の2階屋があり、そして近代工業があった。
 近代を一つのモデルとして作り上げたこともすごいが、それを今の今までとっておいたことにびっくりする(もっとも20年前まで操業していたのだが)。
 ここから上州富岡駅はすぐ。輪行して帰ってもいいのだけれど、群馬を走りながら、なんだか不思議に昔のことを思い出していた。
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2007年最後

2008年09月08日 22時17分27秒 | 写真
日光 竜頭の滝



軽井沢 室生犀星旧居



尾瀬



同じく尾瀬

 
 どうも長々と失礼致しました。
 2007年は、3月にロードバイクを買って以来、自転車に夢中でカメラを持って出かけなくなってしまいました。
 先日、コンパクトデジカメを買ったので、今年はもう少し写真を撮るつもりです。
 どうかまたよろしくおつきあい下さいませ。
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2007年1

2008年09月08日 08時37分30秒 | 写真
国立競技場 高校サッカー決勝戦後



東京 夢の島熱帯植物園



山形 山寺(立石寺)



東京 有楽町ドーナッツ屋さんの行列



淡路夢舞台奇跡の星植物館
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2006年最後

2008年09月07日 04時51分06秒 | 写真
横浜 外交官の家



神戸空港



山梨 西湖



明石港



千葉 浜金谷
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2006年3 植物シリーズ

2008年09月05日 11時04分58秒 | 写真
皇居 オカノトラオ



千鳥ヶ淵戦没者墓苑



新宿中央公園



調布 神代植物公園



自宅 トマト



丹沢 雪の咲いた樹
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