毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

金沢茶屋町 来年もよろしく

2008年12月29日 23時40分28秒 | 観光




 歓楽街の風情が好きなぼくは、大塚三業で幼年少時を過ごしました。
 知らない芸者さんのお葬式に花持って行かされたときは、自分の出生さえ疑ったものです。
 あと、なんだかわからないまま、子どもの頃、そんなところで親父と一緒にお風呂に入った記憶もあります。不思議な子ども時代でありました。芸者さんにおむつを替えてもらったこともあったそうです。ぼくを背中にくくりつけて芸者遊びしに行った親父にスーパーひとしくんをあげたいくらい。
 そんな郷愁もいくばくか。
 今日、国立競技場で声からして応援したのですが、残念ながら私たちのチームはシーズンを終えてしまいました。延長になったインターヴァルも歌い続けた私たちは、後悔していません。選手を鼓舞できたと思います。
 今日、ぼくの隣で応援していた、ちょっとわきが臭のおじさん、3月にまた会いましょう。この夕べ、ぼくたちは一つでした。その満足感を自分の慰めにしましょう。
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先週聴いたCD

2008年12月29日 10時15分26秒 | 音楽

J.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲」     寺神戸亮
 バッハの無伴奏チェロ組曲第6番はヴィオラ・ポンポーサのために書かれたという。聞き慣れない名前かも知れないけれど、要はチェロというより大型のヴィオラで肩に吊って演奏する。この楽器をヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ(肩掛けチェロ)という名で現代によみがえらせたのがヴァイオリニストの寺神戸亮。弦はチェロより1本多い5弦。
 しかし理屈は理屈。聴いた音楽がよくないことには歴史的価値も薄れるのだ。一聴すると演奏している写真からは想像もできないほど豊かな響き。チェロがティーゲルみたいな重戦車だとすれば、こちらは機動性にあふれたシャーマンという感じ。この組曲にあるジーグとかクーラントなんかは目から鱗が落ちる。
コロンビアのページに楽器の解説や実際にチェロとの音色を比較した映像がありますので、是非どうぞ。
 それにしても、無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ、それに無伴奏チェロ組曲を同じ人が録音した例って他にあるんだろうか?



コシミハル「覗き窓」
 越美晴がいつコシミハルになったのか詳しくは知らない。今になって聞き返してみると越美晴の頃の音楽は一聴アイドルっぽい感じもするが、シャンソンの響きがメロディラインに存在していることがわかる。コシミハルはさらにそれを推し進める。フランスのキャバレーを舞台にアモラルな物語が紡ぎ出されている、そんな雰囲気に満ちた音楽が広がっている。
 エロティシズムの具合が素敵なのだ。8曲目の「満潮」は、ピエール・ド・マンディアルグへのオマージュというか、なんというか。エロティシズムというと、ぼくはバタイユこそ本物、根源的であり、マンディアルグというのは、ちょっと違う、なんというか趣味のエロス(なんだそりゃ?)って気がしていたんだけれど、今考えるとそれは偏狭な考えだったかもしれない。
アマゾンのページで試聴することができます。



グザヴィエ・ド・メストレ「エトワールの夜」
 日本語のタイトルつけた人のセンスを疑う。「エトワールの夜」?
 原題はLa nuit d'etoile(アクサン省略)。ドビュッシーの歌曲のタイトルである。同じ原題でヴェロニク・ジャンスのCDは「星月夜」だった。すばらしい言葉じゃないですか。それを「エトワールの夜」って。問屋かい?
 それはそうと。
 このハーピストはご覧の通り名前に「ド」が付いています。ベルバラを読んだ人なら、あ、この人は貴族なんだな、とすぐにピンときたはず。そう、彼は伯爵家の出身。おまけにイケメン。フランスは共和国なのに貴族がいる不思議な国。もっともイギリスの貴族と違ってそれに伴う特権などはないんだけれど。逆に日本は立憲君主国なのに貴族がいない、これも不思議な国。もっとも霞会みたいに貴族同士の交流はあるんだけれど。
 またまた脱線。この「星月夜」、ぼくは好きな歌曲だったのだけれど、録音が少なかったような気がする。ドビュッシー歌曲全集でエリー・アメリングが歌ったものが手に入る唯一のものじゃなかっただろうか。
 それがここにきて、サンドリーヌ・ピオーが歌い、ヴェロニク・ジャンスが歌う。このCDにはピアノ曲の編曲、それに歌曲、そしてもともとがハープの曲である「神聖な舞曲と世俗の舞曲」などが含まれ、実にバランスよくドビュッシーのエッセンスを配している。
 ハープもいいが、歌曲を歌うディアナ・ダムラウの妖艶な歌もいい。ぼくの大好きな「出現」も素晴らしかった。
 タイトルはあれだけれど、素敵なCD。
これもアマゾンのページで試聴できますので、お試しあれ。
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雪桜

2008年12月28日 13時54分00秒 | 写真






 ちょっと標高が高くなると北陸は雪模様に変わってしまいました。
 全然関係ないけれど、明日は天皇杯準決勝。
 午後3時キックオフ。
 青いユニ着て国立競技場へ行ってきます!
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金沢兼六園

2008年12月27日 10時57分08秒 | 観光




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白川郷

2008年12月26日 14時39分34秒 | 観光






 白川郷でお墓を見かけた。東京なら「○○家之墓」と刻まれる表の部分に「南無阿弥陀仏」と彫られていた。真宗がさかんな土地なんだろう。
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飛騨高山

2008年12月25日 13時55分44秒 | 観光



 風情のある街でありました。


 飛騨牛の串焼きが大変美味でありました。霜降りと赤身と2本食べたんだけれど、ぼくは赤身の方が身の味がおいしいように感じた。霜降りは脂が多いかな。




 おまけの高山ラーメン。食べてばっかの飛騨高山。
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先週聴いたCD

2008年12月22日 11時58分57秒 | 音楽

ピエール・バルー
「ピエール・バルー ライヴ・アット・カルダン劇場’83 スターリング清水靖晃&ムーンライダース」
 「男と女」の死んだ夫役、あるいはサンバが大好きで歌ってばかりいたスタントマンと言った方が、サラヴァのピエール・バルーと言うより一般的には通りがいいのかな。とにかく、ピエール・バルーが日本のミュージシャンと組んで作品を作っていた時期があった。高橋幸宏、坂本龍一、清水靖晃、鈴木慶一、今でも輝いている面々と作ったアルバムが「花粉Le pollen」だった。ぼくは高校生で、そしてCDなんてものはまだ発明されていなかったからレコードを買って何度も聴いた覚えがある。その後、ミカドとかクレモンティーヌとかさまざまなフランスと日本のコラボが誕生したけれど、先鞭を付けたのがこのアルバムだったような気がする。
 カルダン劇場に清水靖晃、ムーンライダーズを招いて行われたバルー一夜限りのライブが録音されていて20年以上たってCD化されたのがこれ。最近になって知って入手したのだけれど、単なる懐かしさとは別の音楽的喜びをいっぱい感じることができた。「括弧」のサックスソロはスタジオ録音の「花粉」でもよかったが、このライブの荒削り感がなんともいい。
こちらで視聴できます。ぜひどうぞ。



菊地成孔
「The revolution will not be computerized」
 ジャズは今でも有効な音楽なんだろうか、と思うときがある。日本のプロデューサーがアメリカのジャズマンと組んで発表する多くのCDを聴いて、その「おしゃれ」な音そのものに、ジャズの死臭を感じてしまうのだ。旧譜の再発売は確かに面白いものがあるけれど、この先はどうなるんだろうか。
 そんな状況の中、菊地成孔の活動は興味深い。東大教養学で行われた講義「東京大学のアルバート・アイラー」をはじめ多くの著作を手がけ、UAと格好いいコラボレーションアルバムを作ったりしながら、「野生の思考」では、そのバックにアルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲をにおわせたり、自らもさまざまな触手を広げて音楽をものしていく。
 ダブ・セクステット名義のこのCD、ダブ処理はそれほど目立つことなく、音楽は緊張感をはらみながら進んでいく。格好いいじゃありませんか! 途中、ドラムで遊ぶところもあって、あれはあれで次の展開がわからずドキドキしていい。類家心平のトランペットが光ってる。



ヒルヤード・アンサンブル
「イギリスルネサンスの音楽」
 正確に数えたわけじゃないけれど、どう少なく見積もってもうちにはCDが1000枚以上ある。そのうちの約10%が人によってはマイナーだと思われるかもしれない音楽史と呼ばれる分野の音楽。音楽史と言っても時代的にはかなり広いと思う。8~9世紀のグレゴリオ聖歌の時代と17世紀のヴィクトリア(彼は17世紀まで生きた。ヴィクトリアの死後70年ちょいで偉大なJ.S.バッハが生まれている)とでは800年以上の開きがある。これを一つのジャンルにするのもどうかと思うが、まあ、昔から好んで聴いていた。友人がマーラーを買うとき、ぼくはデュファイの世俗歌曲集を買っていた(なんでそんなもの買うんだ? と驚愕されたけれど、その頃のぼくにとってマーラーのレコードを買う方が驚きだった)。ブルックナーよりもジル・バンショワの方に親近感を抱いていたあの頃。
 そんなわけで久しぶりに聴いたヒリヤード・アンサンブル。90年代はアルヴォ・ペルトが流行ってペルトの音楽にぴったりのアンサンブルを聴かせていたが、ここでは普通にタリスやタイ。知名度の高さではタリスの方が上だけど、このCDの聴きどころはタイ。タイのグローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイをモテトゥスの間に配置することによって、これを聴くものはあたかもミサにあずかっているかのような気になれる。ソールズベリー典礼はキリエをポリフォニーにしないため、キリエはなし。この時代のイングランドの作曲家はずいぶん苦労したに違いないとしみじみ思いながらミサ曲を聴く。
 現代と違う時間の流れ方に身も心もどっぷり浸かる。奇をてらわない、清澄で安定した彼らの響きがどこまでも心地よくてうっとりとしてしまう。こういう時間が貴重なんだな。
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街のリズム 板橋の県境

2008年12月17日 08時52分27秒 | 観光


 不思議な街のリズム。東京は不思議な街だ。

 高橋源一郎「いつかソウル・トレインに乗る日まで」読了。
 初めて出会った強烈な愛が、存在から言葉をはぎとり、彼らは夜を知り、肉体があることの不思議さに気づき、その肉体が食物をとるということのありがたさに目覚めていく。
 すばらしい。奥泉光ではないけれど、純文学って面白いのだ。少し涙ぐんでしまった。


 いつか東北線に乗る日まで、というわけではないけれど。
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玉ノ井 抜けられます

2008年12月16日 10時29分51秒 | 観光
 繁華街でもないのに、尋常じゃない飲み屋の数。それもくねった狭い路地に隣り合って飲み屋がある。1本の根っこに生える毛根のように、1本の通りのあちこちから路地が伸びている。その路地のあちこちに小さな飲み屋。


 ここは東武伊勢崎線東向島駅。駅名の下に小さく「旧玉ノ井」と書かれているのがご覧になれるだろうか。永井荷風作「墨東奇譚」でおなじみの玉ノ井、かつての青線である。


 複雑に入り組んだ路地に連なる飲み屋。黙認された売春宿と違って、単なる飲み屋として営業し、酌婦を置いていた。話がまとまると2階へ上って、という段取り(などと知ったかぶって書いているが、もちろんぼくが生まれる頃には廃止になっていたわけで)。
 こうした複雑な路地は警察の手入れが入ったときに逃げやすいんだそうだ。まるでカスバのようだよ、ペペ・ル・モコ。
 また当時は汚いドブ川が流れており、時折出産した売春婦が嬰児を捨てていたという。そんな陰惨な話のほか、ここで男性のバラバラ死体が発見されたこともある。
 有名な玉ノ井バラバラ殺人事件。昭和初期の暗い時代を反映するかのような事件だ。


 玉ノ井を抜けると四つ木橋。
 ここは関東大震災の際、かなり組織的に朝鮮人を虐殺した現場である。機関銃が使われた、という証言は軍の関与もほのめかしている。また、憲兵隊は戒厳令の中、大杉栄など3人を拉致して殺し、井戸に死体を投げ込んでいる(そのうちの1人は甥でまだ6才だった)。

 四つ木橋に佇み、このあたりに漂うなんとも言い難い不思議な空気に触れるとしばらくタイムスリップした気分になってしまう。
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LaQuaのイルミネーション

2008年12月15日 16時06分52秒 | 観光




 


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モノクロームの似合う街

2008年12月12日 10時09分28秒 | 観光
 すぐ隣接している銀座とは一線を画す有楽町~新橋界隈。
 地蔵通りがおばさんの原宿なら、ここはおじさんの原宿。


 有楽コンコース。YやKの字が落ちていたって直す気配さえない。漢である。


 ガード下に展開される飲み屋。


 なんとなく普通のビルのように見えるけれど、実は左の建物の上には高速道路が通っている。首都高八重洲線を使ったことのある人ならわかるだろうけれど、あの乗り継ぎ券を貰ってまた渡すとこがあるじゃない。あの部分がここ。
 そして右の建物の上にはなんと新幹線が走っている。つまり、この狭い路地は高速道路と新幹線を隔てているわけだ。路地に入って空を見上げたら、智恵子の言うこともあながち間違ってないように思えた。
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あなたは何型?

2008年12月11日 10時17分47秒 | らくがき
「血液型を教えて、そうしたらあなたがどんな人だか教えてあげる」

 このサイトは日本のニュースをフランス語で発信しているとこ。
 なんと、血液型の本がここにきて500万部も売れているんだそうだ。500万部って、すごいな。
 ぼくは知らなかったのだけれど、この記事によると、アーリア人の優等性を主張するためにナチがでっちあげたのが血液型と人格を結びつけた最初らしい。ナチの崩壊とともに忘れ去られていたものを、1970年代に日本のノミマサヒコという人が復活させたんだと。もちろん、医学的、心理学的にはまったく根拠のない、似非科学(疑似科学ですらないと思う)で、日本以外(あと日本に影響を受けた東アジアの一部)では血液型と人格を結びつけることはない。
 この記事の面白いところは、だから日本人が非科学的だと非難することなく、「われわれが星占いでやっていることを日本人は血液型でやっているのだ」とあるフランス人の意見として載せている点だ。どっちもどっちなのだろう。
 ただ星占いと血液型で大きく異なる点が一つある。この記事に対するコメントにもあったのだけれど、血液型は遺伝と結びついている。ここがナチに利用されたわけだが、遺伝的なことを、科学的根拠がまったくないまま語ることは大変危険であることはナチの例からもわかるとおり、知っておくべきだと思う。
 ぼくは、多くの日本人と同様、ヒトラーと同じA型だけれど、だからどうだって言うんだい?
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アプトの道2

2008年12月10日 17時05分38秒 | 観光
 整備されていて歩きやすいのだけれど、きれいすぎて廃線マニアなどには物足りないだろう。廃墟だとか廃線だとか、ああいうのは人工物でもなく、自然物でもない、その中間当たりに位置する居心地の悪さがいいのだろうと思う。朽ちてる感がたまらないのだろうと。ところどころ残る戦争遺稿なんかもそうだな。
 でも、ここはそういうマニアにはむかない。きれいな人工物である。


 歩いている眼下に碓井湖が見える。完全な人工でも自然でもない、とすればこれがそうか。これは川をせき止めて作った人工湖なのだ。しかしいきさつはどうあれ、こうなってしまえばきれいな自然(でもぼくは狭山湖などの人工湖ってちょっと苦手)。


 高圧線の鉄塔。前も荒川の鉄塔の写真を載せたように、実は鉄塔好き。あのてっぺんのネジ回した人はほんとに偉いと思う。
 この鉄塔はなんだかヒーロー感出まくりである。電線と見えるのは実は、怪獣を縛りつけている縄なのだ。あるいは怪獣に向かって発射されたビームなのである。こいつは群馬県にそそり立って周辺の平和を守っているのだ。という感じに踏ん張って見えるところが頼もしい。OK、群馬の平和はきみに任せた。


 廃線となった新線。そう、軽井沢へは3路線通っているのだ。明治時代に作られたこのアプトの道にあるアプト路線。そして、アプトでは遅く走らせる車両も限られるために作られた新線。それから新幹線。
 この新線建設でも多くの人がなくなったし、脱線事故も起きている。なにしろ制限速度38kmを超えたら電車を停める手段はない、という難所なのだ。


 遊歩道の終点、眼鏡橋。写真はこうなんだけれど、遊歩道は眼鏡橋の上。でも、橋の上からじゃ橋の写真が撮れないので、わざわざ一度降りた、というわけ。この橋を歩いて渡れるんだからいい感じ。現在、この先の工事が行われていて、3年後くらいには熊の平あたりまで歩いて行けるようになるらしい(と6号トンネルの前にいた係の人が言ってました)。
 このアプトの道、非常に歩きやすいし、景色もいいのだけれど、残念なことに往復同じ道を歩かなくてはならない。それはちょっとつまらないのだ。
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アプトの道1

2008年12月09日 00時23分56秒 | 観光
 新幹線の開通には在来線の廃止を伴うことが多い。
 碓氷峠を越える信越線も残念なことに廃線になってしまった。今はその一部がトロッコ電車として観光用に運用されていて、また、その隣には遊歩道がついている。
 鉄道っていうのは、ご存じの通り、鉄のレールの上を鉄の車輪で走っていくため、急勾配にはむいていない。すべっちゃうからね。そこでこの急勾配を登るために、線路の真ん中に歯形のついたレールを敷き、台車に歯車を付け、両者を噛み合わせて走るアプト方式が採用された。
 それにしても江戸時代からたったの25年で碓氷峠に鉄道を通してしまったことは驚嘆に値する。もちろん犠牲も多かった。横川に残る碑には500人(!)が殉職したと記されている。


 しばらく歩くと丸山変電所がある。国の重要文化財。以前はマニア絶賛のボロボロの廃墟だったが、修復工事が行われた現在、とてもきれい。左側の線路は旧信越線の下り(下りが碓氷峠を上っていくんだよね)、遊歩道はその隣の上り線路。



 現在遊歩道が続いているめがね橋まで5つのトンネルがある。この急勾配を登るため、機関車をもう1台連結して登っていった。蒸気機関車の場合、当然煙もものすごいことになる。そこで、1台は車両の真ん中、もう1台は最後尾に付けて、引っ張っていく、というより押していくことにした。真ん中の機関車には石炭の他、重油を燃料に加え煙を抑えていた、ということだが、大変だったようだ。
 こうしたトンネルには幕引き係という珍しい係がいた。列車がトンネルに入った直後、文字通りトンネルに幕を引く。こうすることによって、トンネル内に風が入ることを防ぎ、煙が前に流れないようにした。この幕引き係は勤務中はトンネル近くの詰め所に家族ぐるみでやってきてその任にあたる。子どもがトンネルで見張り、その間仮眠をとったりしていたようだ。
 こうした子どもたちの力も日本の近代化を支えた要素の一つと言っていいかもしれない。日本で最初の電気機関車が導入されたのはここ碓氷峠だった。ちなみに横川で釜飯がよく売れたのは、あそこで峠超えに備えて機関車を連結するので、停車時間が長かったため。

 次回に続く。
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夕べの階調

2008年12月08日 12時44分38秒 | 写真
 寒い、寒いと布団からなかなか出なかった日曜日。気がつきゃ午後。失われた週末。
 のろのろとお昼ご飯を食べ、少しは身体動かさないとなんだかずるずるとダメな人間になってしまいそうなので自転車にまたがる。寒いねえ。ユニクロのヒートテックという下着の上に自転車用のジャージ、その上からやはり自転車用の冬用ジャージ、さらに普通のジャージと3枚重ね、下もレーパンの上からジョギング用のスパッツをはいているのに寒い。
 走りながらわざと呼吸を荒げて少しでも二酸化炭素を放出して地球を温暖化してみようなどとミニマムな環境破壊を志すものの、まるで効果なく寒い。地球って温暖化してんのか、ほんとに。
 この時期の荒川サイクリングロード右岸は、太陽の位置が低いのですぐに土手の影の中に入ってしまう。お日様が恋しい。日だまりに片思い。
 結局いつもの最小コース、朝霞水門までの片道20km、往復40km走って帰る。日の入りが早く、サイクリングロードを出る頃にはすっかり夕方になってしまった。



 寒いんだけれど、冬は景色がきれいだから好き。冬を芸術の明晰な季節とよんだのはマラルメでしたっけ。
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